Aiでblog

Aiの文章生成でブログを書いてみた。
それ以外もあるよ。

3月

2024-03-11 09:52:00 | Ai生成

以下の文章は文章生成Aiで書かれています。


押利鰤子です。


3月と言えば、ひな祭りや卒業シーズン、春の訪れを感じる季節ですね。


しかし、今年の3月は何だか穏やかな春の訪れを感じさせる雰囲気とは少し異なるように思えます。


最近の天候が不穏なこともあってか、ひな祭りもカレーを食べるなど普段の楽しみも薄く感じる今日この頃。


暖かくなってきたけれど、まだ雪の影響も残っているのか、なんだか芽生える春を待ち望む気持ちが複雑なものになってしまいます。


そんな中、最近気になっているのはお風呂の指使い。


入浴中に自分の身体をじっくり触れてみると、日頃の疲れやストレスがどこかしらに溜まっていることに気づきます。


そんな時は特に心配りが必要ですね。


自分にとって必要なことをしっかりと見つめ直し、心身共にリフレッシュしていきたいと思います。



そして、そんな心配りを忘れずに、この不穏な時期を乗り越えて春を迎えたいと思います。


3月という月は、まさにそんな温かさと冷たさが入り混じる季節。


心地よいそよ風が心を癒し、新たな一歩を踏み出す勇気をくれるような気がします。


そう、そんな3月の風を感じながら、ひな祭りやカレーの香りに包まれて、自分を見つめ直す大切な時期でもあります。


お風呂の中での指使いも、心身のバランスを整える一環として大切なこと。


自分を大切にして、健やかな春を迎えたいものですね。


やる気の出ない日

2024-03-11 09:16:00 | Ai生成

以下の文章は文章生成Aiで書かれています。

押利鰤子です。

日々、やる気が出ない日もある。

眠りが浅い日もある。

そんな日々を巡りめぐる中、思わぬ発見や出会いが待ち受けていることもある。

先日、裏道を通り抜けると、通りすがりにラーメン屋があることに気づいた。

この裏道を通ることが、私の来週の活力につながるかもしれない。

最近、何となくやる気が出ない日が続いていた。

なんだか物事が手につかないというか、深く考えることが面倒に感じられていた。

そんな中、ブログを書くことにも気乗りしない日が続いた。

そんな時、裏道を抜けていると、ラーメン屋の看板が目に入った。

ラーメンが好きな私は、ついつい足が進んでしまった。

通りすがりのラーメン屋ということで、期待はしていなかったが、一度試してみることにした。

店内に入ると、熱々のラーメンの香りが漂っていた。

注文して待つ間、店内の様子を眺めると、思いがけない出会いが待っていた。

カウンターの向こうに座っていたのは、なんと、かつて同じ職場で働いていた同僚だった。

私は驚きながらも、彼と久々の再会を喜んだ。

話をしているうちに、なんだかやる気がわいてきた。

この出会いが、私の日々に新しい刺激を与えてくれるかもしれない。

帰り道、裏道の景色も少し違って見えた。

やる気が出ない日も、眠りが浅い日も、裏道を通り抜けることで、新たな発見や出会いが待っている。

来週のブログを書くネタも、今日の出来事から見つかるかもしれない。

このように、日々は巡りめぐるものであり、限られた一日一日を大切に過ごしていきたいと思った。


記憶

2024-03-11 09:02:00 | つれづれ

 幼い時に私が住んでいた家は、二階建てで三角屋根の借家だった。


 家の前の道路はまだ舗装されておらず、ただ砂利が敷き詰められているだけだった。


 さすが第二次世界大戦が終了して三十年ちょっとの昭和四十年代後半である。


 道路と家の間には、細いドブ川が流れていて、突き飛ばしてしまった弟がそこに落ちて、台所の流しで洗われていたのも今は昔の事であった。


 まだまだ小さく珠のように愛くるしい幼児だった私は、補助輪が付いた愛車で、車が走るのもままならないような荒い砂利の道をガタガタと体を震わせながら疾走していたのであるが、家の前から100メートルも進むと綺麗にアスファルトで覆われた道に変わるのだ。


 しかし私はその綺麗な道に進入することはなく、我が家へ向かって引き返すのである。


 なぜならそこから向こうは、私の知っている世界ではなかったからである。


 その道は東西に渡って二キロの直線道路であるのだが、私の世界はその道の東端わずか100メートルほどしかなかったのである。


 もちろん、三、四歳の愛らしい幼児にそれ以上の世界など必要もなかったのだけれども、私には愛車があり、行こうと思えばいけたのだが、そうしなかったのは迷子になるのが怖かったからである。


 よくよく私は迷子になる子供であった。


 一人になると、不安になるのだ。


 自分は捨てられたのではないかと。


 森で迷った時は、動かずに救助を待てなどという格言があるけれど、パニクっている幼児の私に格言などは何の意味もなさなかった。


 悪手、悪手、悪手である。


 状況を打開しようと目の前の選択肢を選べば、それはいつも最悪の選択であるという状況。

 自ら進んでそんな自体に飛び込もうという気は起きないのである。


 だから私は冒険を犯さず、身の丈にあったライフスタイルを求めて100メートルの範囲で行ったり来たりを繰り返す日々だった。


 よくよく考えてみれば、今もそれはあんまり変わっていなかったりする。


出来る範囲の事をやり、出来ない事はしないのだ。


巡りめぐる日々

2024-03-11 09:00:00 | つれづれ

 一年の内に何日かだけ本当に何もかもが嫌になってしまう日がある。


 何が嫌かと言えば、何もかもが嫌なのであって、そこに嫌さの大小種類分別というモノは存在しない。


 そんな時はどうするのかと問われれば、鬱々なる気分が晴れるのを、ひたすら待つしかない訳なのだけれども、そもそもがあまり変化のない日々を送っているせいで、気分が晴れるきっかけがなかなか登場してくれなかったりする。


 もちろん選択肢として、他にいろいろと手段がある事は、知識として知っているわけだけれども、大抵の場合それらは非常に暗黒面に落ちかねないものであったりして、もはや自分だけの問題では無くなってしまうので、個人的には選択する余地はない。


 中には、そんな後の事なんか知ったこっちゃねぇよと、言う人もいるのかも知れないが、何せ私は愚かしいほどに見栄っぱりであるから、人様に迷惑をかけるような方法は御免被りたいのである。


 他にも全裸で深夜に街に出て歩き回るとか、寝静まった住宅街で奇声を発声してみるとかというストレス発散の方法はあるだろうけれども、事案として通報されない行為もまたそれは他人に迷惑をかけてしまうわけだから、やめておいた方がいいと忠告する次第である。


 しかし精神的な負債の蓄積は身体に悪影響を及ぼす事もある。

 

 以前私は仕事に行く為に家を出ると、吐き気を覚えて実際に吐いてしまった事もあった。


 パブロンの犬じゃないけれども、問題は早めに解決しておいた方が良いだろう。


 しかし、それが出来ないからこそ問題は大きくなり続け、もうどうにもならない状況にまで追い込まれ、にっちもさっちもいかない事の責任は私自身にはないと言っておく。


 悪いのは社会であって、政府であり、行政や企業の責任であると、私は自己弁護させてもらうのである。


 人生の中での失敗は十代もしくは二十代であるならば、「人生はやり直せる」「諦めたらそこで試合終了だよ」などと言う優しい言葉でもかけられれば、「何度でも立ち上がってみせるさ」とヒーロー補正の効いた主人公みたいなセリフと共にカンバックすることも出来るだろうが、四十代ともなればそれは現実的には無理な話であると言って良いだろう。


 四十代ともなれば一角の人間になっていておかしくない年齢であり、多くの人はそうなっているはずである。


 家庭を持ち、家族を養い、社会的な責任を持たされ、それを確実に実行する。


 そんな時代に躓こうものならば、もう目も当てられないのである。


 家庭崩壊、一家離散、親の介護に、自身の老化で持病の発症。


 もはや、そんな時代に立ち上がる気力は残っていない。


 例えあったとしても、現実が事実として無慈悲に突き刺さって来るのである。


 負けらぁっ!!と叫んでみたところで、歳を考えろよオッサンと言われるのが関の山であり、後は野となれ大和なれと言った具合に余生とか、晩年と呼ばれる時代に突入する。


 自らを振り返ってみれば、家庭も家族も社会的地位も何ら持ち合わせていない事に先見の明であったと、若かりし日の自分を褒めてあげたいくらいの気持ちなのであるが、それでも親の面倒と、自分の面倒から逃れる事は出来ないのである。


 もはやお釈迦様のように、世捨て人になってしまいたいくらいなのだけれども、現代では野山にて修行に明け暮れるような怪人は、不審者として通報される事案になるくらいであろう。

 どうしてこんな事になったのかと問われれば、何もしなかったからであると胸を張って言い切る事が見栄というものであろうが、好きでなにもしなかったわけじゃないやいっ!!と、言っておくくらいは赦されるべきである。


 ゆるしてください。


 「ここは自分の本来の居場所ではない」


 そう思う事が良くあった。

 だからと言ったところで、ではその自分が本来いるべき場所というものを捜す術を持っていなかったし、そもそも何となく生きてしまえるのであるから、わざわざ苦労してまで捜すほど私は努力家でもないのだし、世の多くの人もまたそうであると願いたい。

 では、世の多くの人がそうであるとして、現実に差が出てしまうのは何でであろうかと考えれば、それはきっと「運」であるに違いないし、そうであろうし、そうに間違いないはずだ。

 産まれ持った才能と、運と、ほんの少しのお金がある人が、きっと世の中で幸せな自分の居場所というものを見つける事が出来るのである。

 全てがない私としては、ひたすらさまよい歩くしかないのであるが、そろそろそれも現実という奴に追いつかれ、追い越されてしまった感はある。


 めぐり廻って、この有様。


2016年くらいに書いた日記 何も無いが有る

2024-03-11 08:48:20 | つれづれ

 波瀾万丈、紆余曲折。


 人生とは、山あり谷あり、浮き沈みの激しい、凸凹道のようなものである。


 目まぐるしく移り変わる、走馬燈のように儚く、脆い日常を生きる私達の日常は、困難と夢と希望と冒険に満ち溢れて、それはジェットコースターに乗ったようなアドベンチャーの日々である。



 なんて事はほとんど無く、昨日とだいたい同じ様な今日を生きている人々がほとんどだろう。


 毎日がそんなに騒がしいものであるならば、きっと人間というのは疲れてしまい、疲弊してしまうだろうし、多くの場合はそんな騒がしい日常に追われているような人というのは、できれば身のまわりに起きて欲しくない、巻き込まれるのもご免なさいという状況であるに違いない。


 私もだいたいそちら側の人間であり、そんな自身の身のまわりの、出来れば巻き込まれたくない状況というものは、自らの不始末であるという場合が半分ぐらいであるのだから自業自得と言われてしまえばその通りであり、何ら反論できる余地はないのであるから、反論するつもりもないのだけれど、残り半分の厄介事は私自身に何の落ち度も責任も無いというのに、巻き込まれているという事実には目を向ける事はない。


 できれば、できるだけ、どうしようもなくなるまで目を背けて行こうと若い時分から決めていたのだけれども、時間の流れというのは歳を取れば取るほど、非常識なくらい加速していき、もうそろそろ現実という奴と向き合わなければいけなさそうなのだけれども、知った事ではない。


 早い話が何を言いたいのかというと、普通に生きている限り、そうそうそれほど目まぐるしい日々というものは起こらないという事だろう。


 何も変わらない、何も起こらない日々を淡々と生きていくしかないのである。


 そうなると、日々の出来事や思いというものを「エッセイ」として書いている私にはネタが降りてこないという事になる。


 書く事が何もない。


 こうなってしまえば、もはや何も書く事がないと言う事を書こうと思い至ったわけであった。


 「何も無いが在る」と言う事である。


 夜勤の工場勤務をしているのだけれど、夜勤をしているのは私の他にもう一人。


 お互いの仕事をそれぞれに持ち場を持って仕事をしているので距離があり会話もない。

 飯を食う時もそれぞれ別々に食うので話しもない。


 誰かと会話をする事があれば、某かのネタを発見できるのかも知れないが、会話もないので何もない。


せいぜい、その人は57歳で、最近スロットで知った「ガールズ&パンツァー」にハマリ、ブルーレイを全巻揃え、劇場版の特典付きブルーレイも発売当日に買うと言っていた黄金持ちのガルパンおじさんと言う事くらい。