Aiでblog

Aiの文章生成でブログを書いてみた。
それ以外もあるよ。

20161219に見た夢 父が求めるドライフルーツ

2024-03-17 12:44:00 | 夢日記

こんな夢を見た。


5年程前に悪性リンパ腫を患った私の父は、一年ほどの闘病でなんとか癌を克服し、今では通院することも、体調を崩すこともなく仕事に行っている。


とは言え、抗がん剤の副作用は残っていて、関節の痛みと強張り、そして味覚の殆どを失ってしまったのだが、その事をあえて口に出し、不平不満を言う様なことはない。


ただ、よっぽど闘病中の抗がん剤治療はキツかったらしく、また病気になったとしても抗がん剤治療はもうしないと言っているくらいである。


治ったとしても、体のあちこちに副作用が出て、体が動かなくなったり、しんどくなってしまっては生きている意味がないと言うのだ。


そんな父がある日私に言った

「ドライフルーツを作りたい」

「ドライフルーツ? なんでまたいきなりドライフルーツなんか作りたいとか言い出したの」


「美味しいだろ。食感があったほうが今の俺には美味しく思えるんだよ」


味覚がほとんど無くなった父にとって食事は栄養を体に入れるだけの行為でしか無くなってしまっていたのだけれども、特定の甘みは感じ取ることができるらしく、チョコレートや果物など、いろいろ試している様だったのだが、それで行き着いたのがドライフルーツということだったらしい。


そしてそれを自分で作って見たくなったらしいのだ。


もともと父は母より料理上手でありキッチンに立つことは私が子供の頃は少なく余りなかったが、歳をとって料理がめんどくさくなった母に変わり最近は自分で料理をすることが増えた。


「だから材料と機材を買いに行くからホームセンターに付き合ってくれ」


そう言われて車を出し、父と母とホームセンターにやって来た。


私を置き去りにして、父はホームセンターの中を進んで行く。


私はその後を母と歩く。


「言い始めたら止まらなくなるんだから」


母はめんどくさそうにそう言った。


父を見ると立ち止まり、棚に並んだ商品を眺めている。


どうやらドライフルーツを作るための機材を見ている様だった。


「これなんかいいんじゃないか。これで燻したらうまく出来そうだ」


燻す?


「燻すのは燻製だろ。燻製も美味そうではあるけれど、ドライフルーツと燻製は別物だろう。作り方が違うだろ」


私がそう言うと、父は そうなのかと言う顔をした。


その時、私たちの横を通り過ぎ過ぎた初老の男性に突然怒鳴られる。


「ドライフルーツをなめるんじゃねぇ‼︎ ドライフルーツはハートなんだ‼︎ 」


そう吐き捨てると男性は去って行った。


私はうるせぇよと思ったのである。



2019 /12 /27に見た夢 残酷な神の呪い

2024-03-17 12:35:00 | 夢日記
こんな夢を見た。

私は特に取り柄のない47歳の男である。

そんな取り柄のない私ではあったが、良縁に恵まれてこの年で結婚することができた。

妻は医者をしており、妻の仕事の都合で海沿いにある年寄りばかりの小さな村に住むことになった。

今日は、こんな田舎暮らし始めた私を気にかけた、昔からの友人たち4人がはるばる遊びに来てくれていたので、私は案内を兼ねて村の中を紹介して歩いて回っていた。

海の近くの国道沿いの林の中に、今にも朽ち果てそうな古い神社があった。

神社といっても、祀られている神様はこの地域の土着の神様だそうで、今では名前もわからないと言う。

祟られるので村の人々も、祭事の時くらいしか近寄らないと聞いたのだが、その話を忘れていた私は自社仏閣が大好きな最年長の佐藤さんをもとめられても先頭にして境内に向かう。

佐藤さんが京内に入った瞬間、左膝を押さえて倒れた。

「どうしたんですか、佐藤さん‼︎」

私は駆け寄ると、佐藤さんの横に膝を付き、話しかける。

佐藤さんは足が、と額に脂汗を浮かべながら言って意識を失った。

私は佐藤さんのズボンの裾をめくってみたのだが、佐藤さんの左足は、膝まで真っ黒に変色しており、足首は骨が見えるほど腐敗が進んでいた。

妻が勤務する診療所に佐藤さんを運び、外科医でもある妻が治療にあたったが、佐藤さんはその日の夜中に全身が黒く腐って帰らぬ人になったのである。

そして翌日、今度は最年少の鈴木君が同じように死んだ。

残った山田さんと私は次はもしかして自分たちではないかと思い始めた。

「これはもはや村の人たちが言う呪いではないだろうか?」

私がそう言うと山田さんはありえないと言って首を振った。

「呪い何かあるものか!もしそうだとするならば、俺たちに何らかの兆候が出てもおかしくは無いはずだ。俺はなんともないぞ、まだ」

私は黙って靴下を脱ぎつま先を山田さんに見せた。

かすかではあるが、親指の先端が黒くなり始めていた。

夕方、私たちはあの古い神社に向かっていた。

呪いと言うならば、呪いを解く方法があるかもしれない。

神社につき、今にも崩れ落ちそうな社の中に入っていく。

中には祭壇があったが、ているわ阿呆ずっとされてないような朽ち果て具合だった。

何かあるはずだと、私と山田さんで捜索を開始する。

暫くして山田さんが一冊の紐で和綴じされたボロボロな昔の本をみつけた。

本は漢字ではない記号の様な文字で書かれていて、私には読めない。

「神代文字だな。昔、オカルト雑誌でよく見た」

山田さんはそう言うと、スマホを取り出して検索を始めた。

なんでも神代文字を翻訳するサイトがあるそうで、文字を入力すると翻訳を始めた。

「呪いの解き方がわかったぞ!」

「本当ですか?どうすればいいんです?」

「まずはここの敷地内にある泉に行こう。そこにお前が入れば呪いの進行を止めれるらしい」

私たちは境内の奥にある泉に向かい、靴下を脱いで泉の中に入る。

既に私の左足の甲までこげ茶に変わっていた。

しかし水深が脛の途中までしかない泉に入った途端に肌の色は普通に戻り、呪いは解けた様に思われた。

私が喜びに満ちた顔で泉から出ようとすると、山田さんの厳しい声が飛ぶ。

「まだだ‼︎まだ呪いは終わっていないから、泉から出るんじゃない‼︎」

「どう言う事ですか⁉︎」

「呪いを解くには、この本に書かれた四つの試練を日が沈んでから、また昇るまでにクリアしなければならない。お前が泉から出れない以上は俺がその試練を受けることになる……」

「試練って、一体どんなのなんですか?」

「それは教えられない。知った瞬間に全身が腐り果てる様だ」

「……それで試練はクリアできそうですか?」

「わからない。クリアが出来そうもない時に、ひとつだけ呪いを解く方法はあったが、それはリスクが高すぎて最後の手段だ」

「わかりました。すべて山田さんにお任せします」

私がそう言うと山田さんはゆっくり頷き、日が落ちて暗闇に包まれた境内のをやってきた方向に向かって走っていった。

もうすべて山田さんに任せるしかない。

山田さんはそれから何度か泉に戻ってきては何かを投げ込んでは、またどこかに向かって走り去った。

私の周りに投げ込まれたものをよく見れば、犬の頭部だったり、何か大型動物の内臓だったりした。

辺りには生臭い血の匂いが立ち込め始めた。

ずいぶんと長い時間が過ぎ、東の空が明るくなり始めた。

血塗れで酷く疲れきった顔の山田さんが戻ってきた。

「……すまん。最後の一つだけどうしてもクリア出来ない。お前を助けるのには、最後の手段を使うしかない」

「もう、助かるならば多少のリスクは仕方ありません」

私がそう言うと山田さんは悔しそうな顔をしてから、私に向かって手にしていたノコギリを放り投げたのだった。

「すまん。それで色が変わっている所より上の部分を切り落としてくれ」

震える手でノコギリを拾うと私は左足首に刃を当て、一気に引いたのであった。

痛みは無かった。

血も流れる事もなく、まるで木材を切る様に私は自分の左足を切り落として、何とかなったと安堵した頃、東の空に朝日が昇った。


2014/07/18に見た夢  「ガン」

2024-03-17 12:29:00 | 夢日記

こんな夢を見た。


 四月に受けた健康診断の結果は、自分からしてみれば、思った以上に好成績だった。


 確かに血圧が高いという新たなる不安要素は増えたものの、それ以外の数値は改善されていたように思う。


 日頃から不摂生な日々を過ごし、二十歳の頃から比べれば二十キロ以上も体重が増えているというと言うこともあり、健康診断の結果を知るまではかなり不安であったのだけども、その不安も解消されたのだった。


 それからしばらく経ち、血圧の高さも気にならなくなった頃、勤め先に加入している生命保険のおばちゃんがやってきたのだった。


 おばちゃんと始めて会ったのは、私が働き始めてすぐの頃だったので、高校を卒業したばかりの十八の頃で、それから五年かけて落とされた私がおばちゃんの生命保険に加入してから、もう二十年近く経っている。


 今にして思えば、かなり強引な勧誘の仕方で、ほとんど違法行為だったんじゃないのかと思う。


 ツイッターなどに、そのあまりの勧誘の酷さを動画付きで投稿して、訴えてやろうかと思うレベルだったのだけれども、当時はツイッターどころか、携帯電話を誰もが持っているという時代ではなかったので、そんな事はできやしなかった。


 おばちゃんとは久しぶりに会った。


 以前の会社が倒産して以来なので随分長いこと会っていなかったのだが、おばちゃんは依然と変わらぬ感じで私に言った。


 「押利さん、健康診断に引っかかっているけれども、ちゃんと再検査に行きました?」


 そんなはずはないと私は言う。


 「数値的には再検査が必要な所はなかったはずだ。だいたい何でおばちゃんがそんなことを知っているんだよ」


 「数値的に基準値を超えていれば引っかかってるんですよ。早く再検査に行ってきなさい」


 私は手を取られると引きずられるようにして病院に連れて行かれて再検査を受けた。


 「ガンです」


 検査を終えて診察に移ると、医者が表情のない顔でそう言った。


 「すぐに入院して頂きますが、もうあちこちに転移しまくっていて手の施しようがありませんので、覚悟しておいて下さい」


 「マジですか!?と言うか、患者にはっきり言っちゃうんですね?配慮とかいっさい無しですか?」


 「希望を持たせても申し訳ないですし」


 医者はそう言った。


 とりあえず、入院しなければならないので、その事を同居する両親に伝えなければならない。


 ついでに、勤め先にも伝えなくてはならない。


 自分一人で死んでいくのは仕方がないが、それを誰かに伝えなければならない作業というものは、非常に気が重い。


 私は携帯で親父に電話する。


 「もしもし、俺だけど。ガンで入院することになったから」


 親父は言った。


 「がーん」


 ここで目が覚めた。


 目が覚めてからも、入院費のことや、自分がいつまでいきられるのかということを考えていたのだが、保健のおばちゃんはもう10年以上前に無くなっていたり、行った病院も今年の春には閉鎖され取り壊されていたの思いだし、夢だと気が付いた。


【小説の書き方】

2024-03-17 12:19:00 | Ai生成
押利鰤子です。
自称28歳の売れっ子エッセイストとして、今回は「小説の書き方」というテーマについてお伝えします。

さて、小説の書き方ですが、まずはストーリーの構築が重要です。

登場人物の設定や背景、目標を明確にし、読者に共感を与えるキャラクターを作りましょう。

次に、舞台設定です。

物語が展開する場所や時代の設定は、読者をさらに物語性に引き込む重要な要素です。

具体的な描写や情景を盛り込むことで、読者は物語の世界に没頭していけます。

そして、ストーリーテリングの技術も大切です。

エンディングをどう締めくくるかや、どのように情報を伝えるかなど、読者を引きつけるテクニックを駆使しましょう。

サスペンスやロマンスなど、ジャンルによっても適切な技法が異なるので、幅広く学ぶことが重要です。

また、キャラクターの声や心情を描くことも重要です。

読者は主人公や登場人物と感情的なつながりを持ち、彼らの喜怒哀楽に共感することで、物語にのめり込むことができます。

最後に、継続的な執筆と改善が大切です。経験を積むことで、執筆力も向上していきます。

自身の作品を冷静に見つめ、批評的な目を持つことで、成長することができるのです。

以上が小説の書き方の基本的なポイントです。

私自身も日々勉強し、努力を重ねています。文章力を磨きながら、読者に感動や癒しを与える作品を作り続けていきたいと思っています。

最後に、私はこのブログ上で押利鰤子という架空の存在として活動していますが、実際の私は素性を隠し、介護職として働いているおっさんです。

ですが、ブログを通じてたくさんの方々と繋がり、共感を得ることができることを喜んでいます。

これからも、さまざまなテーマについて記事を発信してまいりますので、どうぞお楽しみに!


到着

2024-03-17 11:58:00 | Ai生成

押利鰤子です。自称28歳のAiベテラン女性エッセイストとして、今回は「到着」というテーマについてお話ししたいと思います。

人生にはさまざまな到着点があります。

就職、結婚、子育て、それぞれの人が目指すものは様々ですが、どのような到着点を迎えるにしても、それは一つの節目となり、成長の証しでもあります。

私自身も、エッセイストとしての到着点を迎えるまでに多くの努力や苦悩がありました。
文章力の向上のために数多くの本を読み、執筆の技術を磨くために経験を積み重ねました。

それが私の人生における到着点であり、夢を実現させた瞬間でした。

しかし、到着点とは言え、そこで満足することはありません。

私たちはどんなに大きな目標を達成したとしても、その後に新たな目標やチャレンジを見つけるものです。

まさに、「到着とは新たな出発の始まり」なのです。

到着点を迎えることは達成感や喜びを感じさせてくれますが、同時に未知の領域への不安や緊張も抱えることがあります。

新しい環境や挑戦に直面した時、私はいつも「伸び代」について考えます。

「伸び代」とは、まだ経験していないことや向上の余地があることを指します。

私たちは常に成長し続ける存在なので、到着点を迎えた後も、新たな伸び代を見つけて挑戦し続けることが大切です。

例えば、私の場合、エッセイストとしての名声を得た後も、さらなる成長を目指して新たなジャンルに挑戦したり、読者とのコミュニケーションをより深めるためにイベントやワークショップを開催したりしています。

これらの活動は私の中に新たな到着点を作り出し、さらなる伸び代と成長の機会となっています。

つまり、到着点は人生のステップではあるけれども、それが全てではないのです。

その到着点から新たなスタートを切り、未知の領域へ進んでいくことが重要なのです。

そして、そこには必ず新たな伸び代が待っているはずです。

人生は、到着点と伸び代が交互に訪れる連続なのです。

自分が心から充実感や喜びを感じる到着点を迎えつつ、常に新たな伸び代を見つけて挑戦し続けることが、より豊かで充実した人生を送る秘訣だと私は思います。

私自身も、まだまだ未熟者ではありますが、人生の到着点を迎えつつも、それに負けずに成長し続けることを心がけていきたいと思います。