後悔先に立たずと言う言葉がある。
振り返ってみれば私の人生において、人生の岐路と言える選択肢が出てきた時に、例えばそれが2択だったとして、考えて見れば失敗と呼べる方ばかりを選択してきた気がする。
高校卒業するときに進学しなかったこともそうであるし、いやいやながらも就職した会社を選んだことがそうだった。
その時の会社が数年後に倒産し、その時に紹介された会社も十数年後には倒産した。
あまりにもブラックすぎて何度も転職を考えたが、結局の所はせっかく覚えた仕事を捨て去って、一から新しい仕事を覚えなすのがめんどくさく、それに新たな人間関係を構築し直さなければならないのが嫌で、文句を言いながらも、最後の日まで勤め上げ、若さと時間をドブに捨て去ってしまった。
27年である。
生まれた子供がアラサーと呼ばれる年齢まで生きた時間である。
給料も社内の地位も全くもって上がる事は無かったが、ぬるま湯の心地よさについすっかり、落ち着いてしまったのである。
しかし、倒産してしまえばぬるま湯にも浸かっている事はできない。
過ぎ去った日々と自身の人生の岐路で選択した事や、それで無駄にした時間を後悔し他ところでもはやどうにも成らない。
私は五十を目前に新たなる人生を強制的に始める事になったのである。
幸いにして、新たなる仕事をすぐに見つけることができた。
収入は当然のように下がったが、それでも私の年齢で再就職の新人となれば相場と言えるだろう。
勤めてみてわかったが、超絶ホワイトだった。
残業代は出るし、そもそもシフト勤務なので残業が殆どない。
休みはきちんとあり、有給も消化するように上司から言われる。
会議は会議の為の会議ではなく、問題を解決する為に行われ、実際に解決しその解決策を意見することを求められる。
以前の会社のように「文句を言わないでやれ」と言われるだけの会議ではないのだった。
従業員の評価も適正に行われ、会社は職員を教育し、さらに責任のある地位にしていこうとする。
それは自分が今までに経験したことのない事だった。
だからこそ、従業員には向上心と業務を完全にこなす技量が求められる。
長年ブラック企業で押さえつけられ、無能と罵倒されながらも、こちらも睡眠時間と残業代が無い中で、それだけやっているのだから知ったことかとその状況に甘んじていた自分には全くもって育たなかった部分である。
仕事が大量にあり、それを業務時間内でこなせなければ、サービス残業でやればいいと思っていたが、そこは超絶ホワイト企業である。
職員の向上心と、技量の上達を持って適切な業務時間で働くことを要求される。
作業効率が悪ければ、それを改善する指導が入り、それができなければ再度の指導と向上心の無さを指摘される。
馬鹿だ、無能だと罵られる事の方が今となっては気分が楽だった。
言葉は優しいが、自分の無能さ、向上心のなさを思い知らされる上司との面談を明日に控えてそう思う。
冬のボーナスに直結する個人評価の一環でもあるのだが、自分で自分の評価をしなければならない場所である。
「だからボーナスはこれくらいで良いよね?」
と言うわけなのだが、自分の社会的剛性のなさを改めて自己評価し、それを思い知らされる場所である。
つくづく自分はブラック企業の方が合っているのでは無いかと思い知らされる。
無能な人間は自分から去っていくようにする為の手段としては最高だと思う。
今まさに危機的な状況である。