魔界の住人・川端康成  森本穫の部屋

森本穫の研究や評論・エッセイ・折々の感想などを発表してゆきます。川端康成、松本清張、宇野浩二、阿部知二、井伏鱒二。

緋牡丹博徒(ひぼたんばくと)

2013-07-14 02:01:07 | エッセイ 映画
 緋牡丹博徒
                                                        
                             吉野 光彦



 このごろ、週末にビデオを借りてきて、夜中に見ることが多くなった。
 何を借りてくるかというと、むかし喜んで見た『網走番外地』や『唐獅子牡丹』など、やくざ者のシリーズである。
 昨夜は、ちょっと趣向を変えて、『緋牡丹博徒(ひぼたんばくと)』を借りてきた。ご存じ、藤純子のお龍さんが活躍するシリーズの第一巻だ。

 私はこれまで、緋牡丹シリーズばかりは見たことがなかった。お龍さんを見るのを、おあずけにする、といった意味もあった。しかし昨夜、行きつけのビデオ・ショップSomethingに入って、今は数少なくなってしまった邦画のコーナーに足を踏み入れた瞬間、こちらを睨むお龍さんと目が合ってしまった。

 これは私に、「今夜は、あたしを見な」とお龍さんが命じてきたことを意味する。ためらいなく私は籠の中にいれ、それからもう一つ『網走番外地』の第四編、望郷編を選んだ。網走番外地にも、出来不出来がある。石井輝男が監督しているものなら、間違いないのである。
 お龍さんはこのころ、まだデビューしてまもない頃だったと思う。その水際だった美しさ、気品――そういったものに今夜の私はふれたかったのだ。

 映画は、岩国と、熊本の五木を舞台に進む。父を殺されたお龍さんが、女だてらに矢野組二代を継ぐのだが、狡猾な男たちによって苦しむ。しかし最後は、むかし人を殺して刑務所から出てきた一匹狼の男、高倉健の助太刀によって父の敵を討つ、という格別変化もない筋立てだ。
 しかし高倉健もこのころは男ざかり、惚れぼれするような男ぶりである。着流し姿で、じろっと睨むと、画面を越えて、男の色気が発散する。

 人を殺したことの心の傷みをもった健さん演ずる片桐が、壮絶な死闘の末に仇を討ち、みずからも深い傷を負って、お龍さんに抱きかかえられて死んでゆく。

 お龍さん、お前さんに人殺しをさせたくなかった、と健さんが苦しい息の下から云うと、「あたしのために」と繰り返して健さんの頭をかき抱き、身悶えしながら頬を寄せる場面は、凄絶なばかり色っぽい。
 映画は、抜けるように色の白い、すっきりした顔立ちのお龍さんが仁義を切る場面、あるいは危険と分かりながら踏み出す瞬間、主題曲が流れる。

  娘ざかりを渡世にかけて
  張ったからだに緋牡丹ゆれる
  女の、女の、女の意気地
  旅の夜空に恋も散る

 お龍さんも歌ばかりは苦手か、特に歌い出しの高い音「娘ざかりを」あたりは声が苦しげだが、いいねえ、このあいだ『赤目四十八瀧心中未遂』で、寺島しのぶを見たが、演技力はともかく、品格は遠く母親に及ばない。

 お龍さんは一時期、全共闘くずれの若者たちに、一種、偶像化されたというが、無理もない。

 日本のやくざ映画は、所詮、要するに敗北の美学である。敗けて、はかなく死んでゆくのが美しいのである。高倉健が男の美学なら、藤純子のお龍さんは、そんあ敗北する男たちの秘仏、観音様であった。


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