「失楽園」遺聞
吉野 光彦
広島市の西方に、楽々園という土地がある。明治のころ干拓によって出現し、海辺の保養地として発達してきた町である。近くにJRの駅があるので、近年は広島のベッドタウンとして、それなりに活気のある町となっている。
しかし、誰の仕業か、この土地に「楽々園」とノーテンキな名がつけられたことから、100年後に、その悲劇は起こった。
……それは、ひとりの好色な作家の書いた小説が世を惑わし、翌年になってもブームがつづいている末期的な年代の、春の終りの出来事であった。
夕方、ひとり住まいのアパートに帰ってくると、留守電が入っていた。「広島の、楽々園公民館ですが、またお電話します」
聞いたことのあるような声であった。しかし誰だか思い出せない。
へえ、楽々園にも公民館があったのか、というのが、私の感じた正直な感想であった。
そして夜――。
「今晩は。わたし、Y公民館におりました、H(特に名を秘す)です。この春、楽々園公民館に転勤しました」
「ああ、その節は、お世話になりました」
HさんがY公民館の主事であったころ、彼女の企画した」講座に幾度か講師として呼んでいただいたことがあった。
Hさんは、年のころ30代の後半、ちょっと危ない感じのする、それだけに怪しい魅力を細みの体から発散する、公務員らしからぬ感じの女性である。
「ところで、早速ですが、この夏、こんな文学講座を企画しました。
《『楽々園』で『失楽園』を考える》というテーマです。
近代文学から、「不倫」と「心中」をテーマに、五回、講義してしただきたいんです。
この講座って、講師はぜったい、吉野先生しか考えられません。ねっ、ねっ、そうでしょ?」
Hさんは、うれしそうな声でいった。
「…………」
するとHさんは、私か乗ってこないことが心外そうに、
「ね、先生。素敵な企画でしよ。わたしが考えたんですよ。『楽々園』で『失楽園』を考える!――これって、タイトルがイケテルでしよ。やりましょうよ」
「あの~、どういうコンセプトで考えておられるんですか?」
私は警戒しながらたずねた。
(まさか、コンセプトは、『映画館』から『公民館』ヘ――なんて考えてるんじやないでしょうね)
そのころ、この小説が黒木瞳主演で映画化されて、話題をよんでいたのである。
「その点ですけど、講座を夜間にして、男性でも女性でも、おつとめの帰りに、ちょっと聴いて帰る、というのは、どうかな、と思いまして」
つまり、お勤め帰りに、不倫について考えましょうというコンセプトである。彼女はつづける。
「いえ、別に、不倫や心中を、お勧めする、つていうわけじゃないですけどね」
(当たり前じゃ。公民館で不倫を奨励してどうする)
「じゃあ、川端か谷崎でも(それなら、予習をしないで出来る)」と私はいった。
「えっ、川端も谷崎も、心中したんですかァ? 不倫と心中をセットで、やりたいんですよ。太宰治とか、宇野千代と尾崎士郎とか、
有島武郎の軽井沢とか――。ほかにどんな人がいますかねえ。5組は揃えないと――」
(おう、よう知っとるわい。勝手に揃えるがいい。わしは知らんぞ。だいいち、夜は広島カープの試合を見にゃならんわ)
「では、先生、お願いしますね。詳しいことは、またお電話します。(ラン、ラン……)」
ほとんど私に言わせないで、彼女は電話を切った。
翌日、私は本屋に行き、山のように積まれている、上下二巻のそ本を手にとった。
これは、ひどい。
のっけから、そういう場面が出てくる。それは、まあいい。しかし文章が粗雑すぎる。何よりも文学的香気というものがない。純文学で鍛えた私の鑑賞眼は、この作品を受けつけなかった。
数日後、Hさんから電話があった。
「先生。館長の許可かおりました。面白いねって」
(ほんとうかなあ。館長は、Hさんの色香に押されて、しぶしぶOKって、いったんじやあないかなあ)
「でも、『失楽園』で五回も無理ですよ。一回だって、ぼくには、きついな」
「いいえ。何も 『失楽園』ぽかりでなくっていいんです。タイトルだけでいいんですから。内容は、先生におまかせします」
その数日のうちに、私も考えないではなかった。この作品を論ずるのはいやであるが、テーマ自体は、それなりに面白い。
不倫--姦通--恋愛……と考えれば、ほとんどの恋愛小説は、本来あってはならない状況で恋に陥るのであるから、不倫小説であり、姦通小説である。そして恋愛小説という範疇(はんちゅう)なら、「アンナ・カレーニナ」に始まって、「ボヴァリー夫人」、そして「チヤタレ
イ夫人の恋人」……と連ねていけば、5回の講座だって、できないことはない。
「じやあ、失楽園は1回ぐらい、どこかにちらりと入れるぐらいにして、全体を、恋愛文学を語る、といった内容にしましょうか」
「わあ、よかった。じつは館長から、こんなテーマで引き受けてくれる先生がいるのかって言われてたんです」
(そうだろう、そうだろう。どうせ俺は馬鹿だから)
そんな次第で、大変な講座を引き受けてしまった私が、そのためにその後、どれはどの苦労を重ねることになったか、誰も知る者はない。
時あたかも、映画「失楽園」が封切りとなり、わが姫路でも大劇が上映することになった。「これは、見ないわけにはいかないな」と私は腹をくくった。
幸い、この映画の監督は、森田芳光であった。彼は、漱石の「それから」を、松田優作と藤谷美和子で撮(と)った男である。明治のあの時代を、現代の浮薄きわまりない時代に、観衆に受け入れられるような映像に作れるものだろうか、というのは、制作発表のニュースを聞いたときの私の心配であったが、それはまったくの杞憂であった。
映像はしっとりと落ち着いて、近代日本最初期のインテリゲンツィア(知識人)の憂悶(ゆうもん)を、みごとに描きだしていた。
松田優作は、その屹立(きつりつ)する精神の苦悩を、十分に内面化して演じていたし、いわば敵(かたき)役を演じた小林薫も、俗物と堕している男、しかし最後に人間的な弱さを一瞬だけ垣間見せる男を、巧みに演じていた。
青春の輝くようなまぶしい日々の回想場面と、現実に直面する現在の重たい日々とが、あざやかに対比されていた。
その記憶があったから、森田芳光の「失楽園」なら、それなりの値打ちはあるだろう、と予想したのである。
平日午後の大劇には、30人前後の観客があった。映画産業の衰退した今日では、稀有(けう)のことである。
中年杉の主婦たちが4、5人連れで来ているのは、あやしむに足りないが、残りの大半が、不思議なことに6、70代の、老年の夫婦者である。
いったい彼らは、いかなる目的をもってこの映画を見るのか、と私は心配になった。映画を見て刺激されたとしても、それでどうにかなりそうな年齢とは思えない。
が、とにかく映画が始まった。私は持参の紙袋からノートを取り出し、鉛筆で、印象的な事項を記していった。本を読まずに作品を語ろうというのだから、映画くらいは見ておかなければ話にならないではないか。
まあ、この映画を、ノートをとりながら研究的に見だのは、日本広しといえども私ひとりではなかったろうか。
予想どおり、とてもいい映画だった。
きれいな映像とうつくしい音楽で、抒情性ゆたかな、そして相当に説得力のある作品に仕上げていた。
2時間05分が、まったく退屈しなかった。
そういうシーンも、もちろんいろいろあっだけれど、想像していたほど多くはない。それも、美化し抽象化して、全体が見えないようにして、品位を保っていた。声だけが、ちょっとリアルであった。
マイク‘タイソンのボクシングではないが、耳をかむシーンもあった。
前半は、ふたりの恋愛が急速に進行する過程。もとは敏腕の編集長であった役所広司演ずるところの久木(くき)が、左遷されて、小坂一也や寺尾聡(宇野重吉の息子)が先客として逼塞(ひっそく)している閑職に追いやられる。それが発端である。久木の失意と落魄(らくはく)感。
……内面的必然性がなければ、ほんとうの恋は始まらない。
ふたりがデートする20世紀末の、高層ビルが林立する超近代都市東京と、自然の残された近郊の景色がうつくしい。
印象的だったのは、久木が凛子(りんこ)を送って、飯能(はんのう)行きの終電ちかい電車を見送る場面。
動きだす電車のドアにたたずむ凛子と、ホームに取り残された久木の、食い入るようにみつめあう表情。よくある光景なのに、東京で過ごした青春の日々がふと強烈に思い出されて
せつなくなった。
そして、後半の50分は一転して、ふたりが周囲から1つ1つ、段階的に追い込まれていく過程。
これは、近松門左衛門の登場人物たちが、経済的と世間的、の2つの側面で追い込まれて心中に至る過程とそっくりである。おそらく原作の渡辺淳一は、意識的に近松をなぞったのであろう。
久木は50歳。凛子は、38歳。この年齢が、男と女の、不倫するのに、まあ端(はた)から見ていられるぎりぎりの限界、と作者は繰り返しているようである。
ちなみに、この12歳ちがい、というのは、近松作品のキーワードである。むかし大学の輝峻(てるおか)康隆先生の講義で学んだ。
(じつはその翌日、出張で尼崎の園田学園女子大に行ったら、近松門左衛門についての講演があり、講師が同じこと――12歳の年の差が重要――と強調したので驚いた。この講師も映画を見たばかりだったのだろうか。)
しかし近松の時代と現代では、人間の寿命が違う。この12歳は、現代では2倍くらいの感じではなかろうか、というのが、私の、願望をこめた意見である。
それから、この映画で痛感したことが1つあった。
それは、現代の日本において、不倫するのに絶対必要なものがある、ということである。今日では常識だが、それは――携帯電話である。
映画を見ていると、この文明の利器が、不倫を促進するのにどれほど大きな貢献をなしているかがよくわかる。不倫に必携の機器であると知っていい。
もし読者の近くに、携帯に夢中になるような年代ではないのに、急に携帯電話を買う、などといいだす人がいたら、その人は、不倫中、もしくは近々のうちに不倫をしたいと思って
いる人である。きっと取り押さえ、きりきり白状させなければならぬ。
……そんなふうに勉強をして、夏休みに入って広島に帰ると、楽々園公民館の講座が始まった。
シリーズの第1回には、始まる前に、主催者である公民館長の挨があるその挨拶で、初老の館長は苦渋にみちた表情で訴えた。
「当館の催します生涯学習の講座は、本来、地域住民の皆さま方に高い文化を普及啓蒙することを目的としております。--しかしな
がら、今回ばかりは、そのような趣旨で開催するものではございませんことを、皆さまよくよくご承知の上で、学習はあくまでも単な
る机上の学習として、皆さま十分な学習を積んでいただきますことを祈念いたします」
……そうして5週間にわたる「失楽園」講座は、好評のうちに、何事もなく終了した。
取り上げられた東西の不倫文芸作品は、30を超えた。
講師をつとめた私か心筋梗塞の発作で倒れたのは、それから3週間後のことであった。この講座と発病の間に因果関係があったのかどうかは、神様だけが知っている。
Hさんから、その後、連絡はない。
吉野 光彦
広島市の西方に、楽々園という土地がある。明治のころ干拓によって出現し、海辺の保養地として発達してきた町である。近くにJRの駅があるので、近年は広島のベッドタウンとして、それなりに活気のある町となっている。
しかし、誰の仕業か、この土地に「楽々園」とノーテンキな名がつけられたことから、100年後に、その悲劇は起こった。
……それは、ひとりの好色な作家の書いた小説が世を惑わし、翌年になってもブームがつづいている末期的な年代の、春の終りの出来事であった。
夕方、ひとり住まいのアパートに帰ってくると、留守電が入っていた。「広島の、楽々園公民館ですが、またお電話します」
聞いたことのあるような声であった。しかし誰だか思い出せない。
へえ、楽々園にも公民館があったのか、というのが、私の感じた正直な感想であった。
そして夜――。
「今晩は。わたし、Y公民館におりました、H(特に名を秘す)です。この春、楽々園公民館に転勤しました」
「ああ、その節は、お世話になりました」
HさんがY公民館の主事であったころ、彼女の企画した」講座に幾度か講師として呼んでいただいたことがあった。
Hさんは、年のころ30代の後半、ちょっと危ない感じのする、それだけに怪しい魅力を細みの体から発散する、公務員らしからぬ感じの女性である。
「ところで、早速ですが、この夏、こんな文学講座を企画しました。
《『楽々園』で『失楽園』を考える》というテーマです。
近代文学から、「不倫」と「心中」をテーマに、五回、講義してしただきたいんです。
この講座って、講師はぜったい、吉野先生しか考えられません。ねっ、ねっ、そうでしょ?」
Hさんは、うれしそうな声でいった。
「…………」
するとHさんは、私か乗ってこないことが心外そうに、
「ね、先生。素敵な企画でしよ。わたしが考えたんですよ。『楽々園』で『失楽園』を考える!――これって、タイトルがイケテルでしよ。やりましょうよ」
「あの~、どういうコンセプトで考えておられるんですか?」
私は警戒しながらたずねた。
(まさか、コンセプトは、『映画館』から『公民館』ヘ――なんて考えてるんじやないでしょうね)
そのころ、この小説が黒木瞳主演で映画化されて、話題をよんでいたのである。
「その点ですけど、講座を夜間にして、男性でも女性でも、おつとめの帰りに、ちょっと聴いて帰る、というのは、どうかな、と思いまして」
つまり、お勤め帰りに、不倫について考えましょうというコンセプトである。彼女はつづける。
「いえ、別に、不倫や心中を、お勧めする、つていうわけじゃないですけどね」
(当たり前じゃ。公民館で不倫を奨励してどうする)
「じゃあ、川端か谷崎でも(それなら、予習をしないで出来る)」と私はいった。
「えっ、川端も谷崎も、心中したんですかァ? 不倫と心中をセットで、やりたいんですよ。太宰治とか、宇野千代と尾崎士郎とか、
有島武郎の軽井沢とか――。ほかにどんな人がいますかねえ。5組は揃えないと――」
(おう、よう知っとるわい。勝手に揃えるがいい。わしは知らんぞ。だいいち、夜は広島カープの試合を見にゃならんわ)
「では、先生、お願いしますね。詳しいことは、またお電話します。(ラン、ラン……)」
ほとんど私に言わせないで、彼女は電話を切った。
翌日、私は本屋に行き、山のように積まれている、上下二巻のそ本を手にとった。
これは、ひどい。
のっけから、そういう場面が出てくる。それは、まあいい。しかし文章が粗雑すぎる。何よりも文学的香気というものがない。純文学で鍛えた私の鑑賞眼は、この作品を受けつけなかった。
数日後、Hさんから電話があった。
「先生。館長の許可かおりました。面白いねって」
(ほんとうかなあ。館長は、Hさんの色香に押されて、しぶしぶOKって、いったんじやあないかなあ)
「でも、『失楽園』で五回も無理ですよ。一回だって、ぼくには、きついな」
「いいえ。何も 『失楽園』ぽかりでなくっていいんです。タイトルだけでいいんですから。内容は、先生におまかせします」
その数日のうちに、私も考えないではなかった。この作品を論ずるのはいやであるが、テーマ自体は、それなりに面白い。
不倫--姦通--恋愛……と考えれば、ほとんどの恋愛小説は、本来あってはならない状況で恋に陥るのであるから、不倫小説であり、姦通小説である。そして恋愛小説という範疇(はんちゅう)なら、「アンナ・カレーニナ」に始まって、「ボヴァリー夫人」、そして「チヤタレ
イ夫人の恋人」……と連ねていけば、5回の講座だって、できないことはない。
「じやあ、失楽園は1回ぐらい、どこかにちらりと入れるぐらいにして、全体を、恋愛文学を語る、といった内容にしましょうか」
「わあ、よかった。じつは館長から、こんなテーマで引き受けてくれる先生がいるのかって言われてたんです」
(そうだろう、そうだろう。どうせ俺は馬鹿だから)
そんな次第で、大変な講座を引き受けてしまった私が、そのためにその後、どれはどの苦労を重ねることになったか、誰も知る者はない。
時あたかも、映画「失楽園」が封切りとなり、わが姫路でも大劇が上映することになった。「これは、見ないわけにはいかないな」と私は腹をくくった。
幸い、この映画の監督は、森田芳光であった。彼は、漱石の「それから」を、松田優作と藤谷美和子で撮(と)った男である。明治のあの時代を、現代の浮薄きわまりない時代に、観衆に受け入れられるような映像に作れるものだろうか、というのは、制作発表のニュースを聞いたときの私の心配であったが、それはまったくの杞憂であった。
映像はしっとりと落ち着いて、近代日本最初期のインテリゲンツィア(知識人)の憂悶(ゆうもん)を、みごとに描きだしていた。
松田優作は、その屹立(きつりつ)する精神の苦悩を、十分に内面化して演じていたし、いわば敵(かたき)役を演じた小林薫も、俗物と堕している男、しかし最後に人間的な弱さを一瞬だけ垣間見せる男を、巧みに演じていた。
青春の輝くようなまぶしい日々の回想場面と、現実に直面する現在の重たい日々とが、あざやかに対比されていた。
その記憶があったから、森田芳光の「失楽園」なら、それなりの値打ちはあるだろう、と予想したのである。
平日午後の大劇には、30人前後の観客があった。映画産業の衰退した今日では、稀有(けう)のことである。
中年杉の主婦たちが4、5人連れで来ているのは、あやしむに足りないが、残りの大半が、不思議なことに6、70代の、老年の夫婦者である。
いったい彼らは、いかなる目的をもってこの映画を見るのか、と私は心配になった。映画を見て刺激されたとしても、それでどうにかなりそうな年齢とは思えない。
が、とにかく映画が始まった。私は持参の紙袋からノートを取り出し、鉛筆で、印象的な事項を記していった。本を読まずに作品を語ろうというのだから、映画くらいは見ておかなければ話にならないではないか。
まあ、この映画を、ノートをとりながら研究的に見だのは、日本広しといえども私ひとりではなかったろうか。
予想どおり、とてもいい映画だった。
きれいな映像とうつくしい音楽で、抒情性ゆたかな、そして相当に説得力のある作品に仕上げていた。
2時間05分が、まったく退屈しなかった。
そういうシーンも、もちろんいろいろあっだけれど、想像していたほど多くはない。それも、美化し抽象化して、全体が見えないようにして、品位を保っていた。声だけが、ちょっとリアルであった。
マイク‘タイソンのボクシングではないが、耳をかむシーンもあった。
前半は、ふたりの恋愛が急速に進行する過程。もとは敏腕の編集長であった役所広司演ずるところの久木(くき)が、左遷されて、小坂一也や寺尾聡(宇野重吉の息子)が先客として逼塞(ひっそく)している閑職に追いやられる。それが発端である。久木の失意と落魄(らくはく)感。
……内面的必然性がなければ、ほんとうの恋は始まらない。
ふたりがデートする20世紀末の、高層ビルが林立する超近代都市東京と、自然の残された近郊の景色がうつくしい。
印象的だったのは、久木が凛子(りんこ)を送って、飯能(はんのう)行きの終電ちかい電車を見送る場面。
動きだす電車のドアにたたずむ凛子と、ホームに取り残された久木の、食い入るようにみつめあう表情。よくある光景なのに、東京で過ごした青春の日々がふと強烈に思い出されて
せつなくなった。
そして、後半の50分は一転して、ふたりが周囲から1つ1つ、段階的に追い込まれていく過程。
これは、近松門左衛門の登場人物たちが、経済的と世間的、の2つの側面で追い込まれて心中に至る過程とそっくりである。おそらく原作の渡辺淳一は、意識的に近松をなぞったのであろう。
久木は50歳。凛子は、38歳。この年齢が、男と女の、不倫するのに、まあ端(はた)から見ていられるぎりぎりの限界、と作者は繰り返しているようである。
ちなみに、この12歳ちがい、というのは、近松作品のキーワードである。むかし大学の輝峻(てるおか)康隆先生の講義で学んだ。
(じつはその翌日、出張で尼崎の園田学園女子大に行ったら、近松門左衛門についての講演があり、講師が同じこと――12歳の年の差が重要――と強調したので驚いた。この講師も映画を見たばかりだったのだろうか。)
しかし近松の時代と現代では、人間の寿命が違う。この12歳は、現代では2倍くらいの感じではなかろうか、というのが、私の、願望をこめた意見である。
それから、この映画で痛感したことが1つあった。
それは、現代の日本において、不倫するのに絶対必要なものがある、ということである。今日では常識だが、それは――携帯電話である。
映画を見ていると、この文明の利器が、不倫を促進するのにどれほど大きな貢献をなしているかがよくわかる。不倫に必携の機器であると知っていい。
もし読者の近くに、携帯に夢中になるような年代ではないのに、急に携帯電話を買う、などといいだす人がいたら、その人は、不倫中、もしくは近々のうちに不倫をしたいと思って
いる人である。きっと取り押さえ、きりきり白状させなければならぬ。
……そんなふうに勉強をして、夏休みに入って広島に帰ると、楽々園公民館の講座が始まった。
シリーズの第1回には、始まる前に、主催者である公民館長の挨があるその挨拶で、初老の館長は苦渋にみちた表情で訴えた。
「当館の催します生涯学習の講座は、本来、地域住民の皆さま方に高い文化を普及啓蒙することを目的としております。--しかしな
がら、今回ばかりは、そのような趣旨で開催するものではございませんことを、皆さまよくよくご承知の上で、学習はあくまでも単な
る机上の学習として、皆さま十分な学習を積んでいただきますことを祈念いたします」
……そうして5週間にわたる「失楽園」講座は、好評のうちに、何事もなく終了した。
取り上げられた東西の不倫文芸作品は、30を超えた。
講師をつとめた私か心筋梗塞の発作で倒れたのは、それから3週間後のことであった。この講座と発病の間に因果関係があったのかどうかは、神様だけが知っている。
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