人はなぜ戦争をするのか

循環器と抗加齢医学の専門医が健康長寿を目指す「人」と「社会」に送るメッセージ

「美人長命」の時代

2014年02月20日 11時44分00秒 | 健康
日本は世界でも有数の長寿国です。第二次大戦直後の日本人の平均寿命は50歳くらいでした。また、100歳を超えた長寿、いわゆる百寿者は1950年には全国でたったの97人でしたが、2012年には51,376人と、この60年余りの間に約500倍に急増しています。

かつて、百寿者は遺伝的エリート集団と考えられていました。しかし、近年の報告では百寿者は必ずしも遺伝的に特別優れているのではなく、心身ともに弱くても、百歳に到達できるという結果が出ています。むしろ、若いころは病気がちで、ひ弱である人ほど長寿となる素質を持っていることがわかってきたのです。

「美人薄命」と言われた時代がありました。その昔、食糧事情が悪く、まだ有効な化学療法がない時代には結核が「美人薄命」の代表的な病気でした。結核は、食べても太らない免疫力の弱い体質の人が罹りやすい病気です。貧しく過酷な生活環境のもとで結核を患い、恋を実らせることなく短い一生を終える姿が美人薄命の典型的な物語でした。その後、化学療法の出現によって結核が不治の病でなくなってからは、白血病が「美人薄命」を象徴する代表的な不治の病になりました。

1970年に世界中で大ヒットした『ある愛の詩 (Love Story)』という映画は、貧しいイタリア移民の娘ジェニーという女子学生のヒロインが、裕福で代々ハーバード大学出身という家柄のオリバーと社会的な偏見を乗り越えて結婚しますが、幸福な生活もつかの間、白血病に侵されて亡くなるという悲しい愛の物語でした。当時私はまだ高校生でしたが、感動的な情景とともに、映画音楽の巨匠フランシス・レイが作曲した美しいピアノの旋律が今でも心に残っています。

その後、日本でも白血病は映画やドラマのヒロインが演じる定番となりました。1970年代に三浦友和さんと山口百恵さんが共演した「赤い疑惑」というドラマではヒロインの山口百恵さんが白血病に倒れる悲運の少女役を演じました。「世界の中心で愛さけぶ」という映画では長澤まさみさん演じる少女「亜紀」が白血病で夭逝します。現実にも1985に女優の夏目雅子さんが急性骨髄性白血病のために27歳の若さで他界しました。まさに「美人薄命」を痛感させる出来事でした。夏目雅子さんの死は社会に骨髄バンクを広める推進力となり、白血病の治療を格段に進歩させました。そして白血病でさえ不治の病でなくなった今では美人薄命の原因となる病気は見当たらないのです。

日本人女性の平均寿命が世界的に見ても非常に長くなったことは、日本には美人が少なくなったことを意味しているのでしょうか。そうではありません。現代の女性は医学の発達によって「美」と「長寿」の両方を手にすることが可能になったのです。

平均寿命が五十歳くらいであったころは、成長期に成長ホルモンやインスリンの分泌が盛んで、強靭な肉体と免疫力を持った人だけが、結核をはじめとする種々の感染症に打ち勝って生存できたはずです。生命は、繁殖のために強い肉体を作り上げることを自然淘汰の選択圧として進化してきたからです。しかし、そのような肉体は生殖を終えれば寿命を縮めるようにもプログラムされています。その結果、強靭な肉体を持った人は一般に寿命が短いというパラドックスが成立しています。

成長期に強靭な肉体を作る遺伝子は、成長期を過ぎると生活習慣病に罹りやすく、老化を促進する遺伝子に変わります。感染症で命を落とす危険性が減少した今日では、むしろ若い時から病気がちで一見ひ弱な体格の人の方が老化しにくい遺伝子を持ち、百寿者の仲間入りをする可能性が高いと言えます。健康長寿には「柳に雪折れなし」という諺がぴたりと当てはまります。

線が細い美人は若くして病気になりやすい体質を持っています。しかし、その体質は、若い時さえ無事に乗り切れば、老化しにくく、いつまでも若々しくいられる体質でもあるのです。「憎まれっ子、世にはばかる」時代は今後も続くでしょう。しかし、「美人長命」の時代もやってきたのです。

このブログは風詠社出版の拙著『長生きしたければミトコンドリアの声を聞け』の一部を抜粋、編集したものです。小著では少子高齢化社会を生き抜く真のサクセスフル・エイジングとは何かをテーマに、健康長寿を目指す「人」と「社会」に向けてミトコンドリアの立場と視点からメッセージを送っています。私たちはミトコンドリアの声に真摯に耳を傾け、幸福な少子高齢社会への道を歩んでいかなければなりません。それこそが、ミトコンドリアがリードした生命進化の頂点に君臨する人類の責務であると思うのです。


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