ふとした契機からプロレタリア文学を読む破目に、、。三大プロ小説と言えば、
鉄板は『海に生くる人々』・『太陽のない街』・『蟹工船』。
『海に生くる人々』 葉山嘉樹(1926年 、大正15年)
文章がこなれてない、としばしば感じる。だが、それが却って船内労働の過酷さや混沌とした水夫達の思いを伝える。ストライキの決起に至るまで、至ってからも、必ずしも一枚岩ではない登場人物たちの心のゆらぎがよく伝わる。内容はややセンチメントな箇所もあるが、三作の中では、作者のほのかな暖かみを感じる。再読する気持ちが起きる。
『太陽のない街』徳永直
(1929年、昭和4年)
労働争議の勃発から鎮圧までを体験をもとに、リアリスチックに描く作物。場面の転換が目まぐるしくて人物の性格の掘り下げが今ひとつで感情移入しずらい。ただこのスピード感はとても共感を得たんだろうと思わせる。
『蟹工船』小林多喜二
(1929年、昭和4年)
言わずと知れた(かも、しれない)プロ文の最高峰。でも、極限の酷使から罷業の意思が産みだされるプロレタリアートの熱量より、不快さ、不潔さが先だってしまって、物語にのめり込めない。(作者は、計算済なんだろうが、客観描写の度合いが多くなおさら。)とはいえ『威張んな、この野郎』という台詞こそが、行動の原点であると、頷いてしまう。
ところで蟹工船というタイトルなのに蟹を採取、処理、加工する描写がほとんどないのは作物としてどうなの?(多喜二は、嘉樹や直と違ってフィジカル労働の経験がないから致し方ないのだろう。)
「呼吸(いき)すれど意思をば持つや持たざるや将又(はたまた)持つべきべからざり細胞(新作)」
『細胞』という活字をひさしぶりに見た、、。
三人の年譜を読むと、葉山嘉樹の生きざまが気になったので、嘉樹を少しdigしてみよう。
不尽
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