HITO-OMOI(ひとおもい)

ひとを、ひととき、ひとへに想ふ短歌がメインのブログです。作歌歴約二十年、かつては相聞(恋歌)、現在は専ら雜詠です。

4849-4852首目 京阪逍遙(その1)

2023-07-30 00:00:00 | 日記

(豊国神社、京都)

ことさら画像をアップするのも気が引ける有名スポットが多いので、日記風に。


祇園祭の時季に京都駅で途中下車。

東山の豊国神社へ。

令和の時代、いわゆる三英傑の中で最も人気がないのは、豊臣秀吉ではなかろうか。

だが、我ら関西人にとって、「太閤さん」は、永らく一番人気だったはず。そんな判官びいき?もあって、豊国神社へ。

間際まで狭い正面通りが、最後になってだだっ広くなる。さすがに大仏殿の正面の通りである。

「開眼の供養なせずして太閤さん阿弥陀ヶ峰の麓の社(新作)」

(豊国神社、唐門)


一応、方広寺のあの鐘も一瞥。


「平らかなる道なることぞせめてものやすらぎ覚ゆねねの道かも(新作)
(「ねねの道」北端、大雲院あたり)

秀吉とくれば、北の政所である。茶々には毀誉褒貶があろうが、ねねを悪く言う人は少ないと思うが如何か。だが、今日は高台院も圓徳院もスルーして、北に進む。




(円山公園音楽堂、外観)


祇園祭の宵々山といえば、浮かぶ言葉は『宵々山コンサート』以外にありえない。会場は、ここ円山公園音楽堂。

『何じゃ、こりゃ』写真だが、イベントがないので、閉鎖中。立ち入りは叶はなかった。

令和の今は、どんな人達が、集う場所なんだろうか。


「まぼろしの記憶なれども音楽堂ともやの声を聞きとらんとす(新作)」

ともや、とは、いわずもがなの『高石ともや』である。


さて、円山公園から八坂神社を抜けて祇園下に降りてもよかったが、四条通りの混雑が嫌で、建仁寺を抜けて松原通りを歩いて四条烏丸界隈へ。

夕闇迫る中、提灯の灯りに浮かぶ山や鉾の佇まいは優美かつ絢爛だ。

でも、片手ほど観覧したら、なんだか醒めてしまった。、、「独りでくる場所ではないなぁ。」と。






「山鉾を巡れどひとり囃子にて灯る明かりのほの暗きかな(新作)」


そう言えば、小柳ルミ子に『ひとり囃子-"祇園祭より"-』というシングルがある。もっとも、こちらは、夏の日射しがまぶしい失恋歌だが、、。

やたらと、中学生のカップルに目がいってしまう。遠い遠い過去である。

そして、中坊の男子でも、たいてい浴衣を着ている。さすがに、京都の町内(まちうち)だ。これが、ザ・トラディショナル・スピリットなのだろう。

(050715-0717)

つづく


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