北海道旅行の『はやぶさ』車中で読もうと求めた文庫本は、『天の夕顔』(昭和13年)。
年上の女のエゴイズムに半生を棒に振った男の愚行とも言うべき恋愛譚。いや、恋愛は当事者以外にして見れば、ある意味愚行やに知れぬ。
ストイックな関係を際立たせる為に手紙が効果的に使われている。愛し合う事が最終目標なのに、その途中経過である相手を思うこと自体が肥大化し、目的化してしまっている。いやいや、それがプラトニックというものか。
山に籠って研ぎ澄まされていく感覚の中で女を思い詰め、自己語りで女を『神格化するに至る」と書く。病膏肓というのは簡単だが、いやいやいや、ちょっぴり頷いてしまう。
一方、女は、人生そのものも、エゴイステックに閉じてしまう。女を思慕しながら鎮魂するラストは夕顔の花言葉を暗示し、甘いと言われようがそこそこ決まっている。
現代にはありえない純愛ものの新鮮さで、読みつがれていく作物なのだろう。でも、再読するかなぁ、、ちと微妙だ。(汗)
作者中河与一(1897-1994)は、文壇上は、康成、利一らの新感覚派に分類される。長命で文筆生活も長いが、現在は天の夕顔の一発屋っぽい扱いか。
新潮の本書以外で著作が読める文庫は、一冊のみ。残念だが、その文庫本の収録作はあまり私にはフィットしなかった。
「開けずとも答(いら)へ知らるる汝の手紙鋏は尖(さ)きが一番冷たし(新作)」
「書き癖を教へ遣れども二言で足る言の葉後回しかな(新作)」
不尽
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