HITO-OMOI(ひとおもい)

ひとを、ひととき、ひとへに想ふ短歌がメインのブログです。作歌歴約二十年、かつては相聞(恋歌)、現在は専ら雜詠です。

4086首目 松原みき賛歌

2020-03-13 00:00:00 | 日記

「五線譜に遺しし音符繋ぐればハロー・トゥデイと歌は零れむ(新作)」
~松原みき(昭和34年11月28日~平成16年10月7日)、デビュー40周年~


松原みきが平成16年に44歳10月で逝ってから15年5月が経った。ラストシングル、アルバムが出た平成元年から31年余が過ぎた。

彼女が出したシングルは15枚。最後の2枚が欠けているが、『ゴールデン☆ベスト』で13曲を発売日の「新しい順」に並べかえて聞く。何度も繰り返す。

そうやって、我が身から松原みきが「遠ざかっていく」のではなく「戻ってくる」感覚を味わうのだ。

今更ながら、彼女の少し甘くてじゃれつくような声、声のゆらぎ、ジャジィなフェイク、ブレスで漏れる息づかい、、、全く持って抗しがたい魅力だ。

個々の楽曲にコメントする能力はないけど「Knock, Knock, MyHeart」「Jazzy Night 」「ハロー・トゥデイ〜Hello Today 」が好きだなぁ。

「SEE-SAW LOVE」は、ジャズが大好きだった彼女のスキャットが聞ける。「ニートな午後3時」は、短歌で言えば『句跨がり』の妙だ。

また、素の会話でのやや低めの声も気に入っていた。

フォトジェニックであることは言わずもがなだ。大阪の娘(こ)ぅやのもええわぁ。(笑)

返す返すも、44歳の早逝は惜しんでも惜しみきれないことだ。ただそれは、人の世の運命(さだめ)として受け入れてみよう。

その上で、彼女はいったい何故、平成以降は歌うことを辞め、ライターに専念していたのだろうか。

シングル単位で聞く限り声にいささかの衰えはなく、(楽曲の出来不出来はあったにせよ)表現力も幅が増しているように思える。それでも、彼女自身シンガーとして何かしら煮詰まってしまったのだろうか。

マイクを握らず、ステージに立たないことへの葛藤は如何なるものだったろうか。彼女に取って、裏方に徹するとはどういう意味があったのだろうか。

「もうそんな古いことどうでもええやん、あほやなぁ。」

と、みきが諭していると言わんばかりに、その辺りはネットで調べてもわからない。

平成になると、歌い手のジャンル分けも以前より次第に緩やかなものになった。ベストテン番組も姿を消した。歌い続けていれば、彼女の活躍の範囲も必ずや(逆に)拡がっただろうに。

さらには、「ミュージック・フェア」とか「サウンド・イン・S」(まぁ、こっちは81年で終わってたけど、、)のような番組のホスト役などもできたんじゃないだろうか。

様々なフィールドを、仔猫(!)から成猫(!!)になって駆け巡る(=歌い続ける)松原みきがもっと見たかった。

「なに言うてんのん。うちは精一杯、やったし。後悔なんかしてへんよ。」

と、また、みきに諭されそうだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、今年は昭和54年(1979年)11月にデビューした松原みきのデビュー40周年に当たる。

去る者日々に疎しと言う。されど、(生誕60年だった昨年はもとより)今年も何らのエポックもイベントもないのは、切ないうえに、何だか悔しい。

去年の竹内まりや、今年の久保田早紀を見るとそんな思いはなおさら募る。

私は、5年後に没後20年を記念した「BOXSET」が出ることを願っている。


逆順で聞くときのラストは、、、。
そう、「真夜中のドア/Stay With Me」だ。

今夜も松原みきが耳元でささやく。

♪To you...yes, my love to you ,yes my love to you you, to you♪

「うちのこと、忘れんといてな。」と、またまた、みきに諭されて。

「そんなん、、、当たり前や。」と、今度は言い返す、、。



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