HITO-OMOI(ひとおもい)

ひとを、ひととき、ひとへに想ふ短歌がメインのブログです。作歌歴約二十年、かつては相聞(恋歌)、現在は専ら雜詠です。

4085首目 福武文庫、、

2020-03-11 00:00:00 | 日記
過日、きまぐれ散歩中に小さな古本屋を見つけた。Book~ではない。れっきとした古本屋だ。

ネットの時代に迂闊だった。どうせ住んでいる街には、もう古本屋などないだろうとたかをくくっていたのだ。加えて、充分に徒歩圏内とはいえ、生活動線とは明後日の方角に在るのだった。

一見して寂れた商店街で廃業した店舗を再生したものと解る。決して広くはないこともガラス越しに分明だ。

初めての古書店は何だか緊張する。それは我が身をその店の空気にアジャストできるか、ということだ。その空気とは、品揃え、本の並べ方・積み方、店主の雰囲気などが一体となってしめやかに醸し出しているものだ。

意を決して店に入る。取扱はオールジャンルと見える。まずは詩歌のジャンルがあるか確認しなくては、、。一応、ある。ぐるりと棚の傾向を掴むのに大して時間はかからない。そんな広さだ。

概して店主と視線が会わないような棚の配置になっているように感じる。(それは、店サイドにはリスキーなのかもしれないが、、)その分、初回の緊張が和らぐ。

初めてなので挨拶代わりに冷やかしはよそうと考える。文庫にしよう。もちろん、安いからである。

講談社文芸文庫の一団の隣に、久しぶりに『福武文庫』を目にした。ベネッセ、もとい福武書店といえば、文芸誌『海燕』だ。20代後半からだったろうか、5.6年の間、文芸誌を読んでいた。

でも、読み始めた理由は何だったろうか。『朝日ジャーナル』や『世界』を読むのを止めた時期なのかなぁ。

当時は、『海燕』と『すばる』のどちらか、又は両方を毎月買っていた。『群像』はたまに。『文藝』は季刊だし、『文学界』や『新潮』は、大家の作品が多くあまり手が伸びなかった。

『海燕』は、島田雅彦がよく載っていた。島田雅彦は、雑誌で読み、単行本を買い、文庫化されても買っていたのだった。

『海燕』や『福武文庫』では、島田雅彦以外にも吉本ばなな、小林恭二、千刈あがたを読んだ。

だから、『福武文庫』の背表紙はとても懐かしい。冊数は僅かだったが、あえて翻訳物を選ぶ。

痩せ気味の三十路絡みとおぼしき店主に、ジョイスの『ダブリンの市民』を差し出す。450円也。

「ジョイス、、アイルランドの作家ですね。」
「これ、若い時分買ったけど、最後まで読めなくってね。」
「ちょうど、いい感じの曲がかかってますね。」
(BGMで、ブリティッシュ・トラッド系?の音楽が流れていたのだが、生憎私の守備範囲外の音楽だ。)
「この店は、何時から?」
「三年目に入りました。」

リラックス系だが、ダレた感じではない店主は、落ち着いた口調であった。

金土日で、短時間のみ開店のまったり営業のようである。店主の来歴や思惑など知る由もない。しかし、この街で一条の文化の灯火となってもらいたいものだ。まぁ、大して応援はできないが、、。

また、来るよ。と心の中で呟いて店を後にした。




「生業(なりわい)をかく市民として立つる人やや細かりし海燕の脚(新作)」


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