(つづき)
甘すぎぬチーズケーキを頼めどもまだ濡れてゐる黒きつま先(補遺08)
★★★
しんしんと煩懊(はんのう)すれば朝まだきフエーンは近しと予報は告げぬ(補遺09)
★★★
はじめての歌集を君に手渡せばはつかに思ふ束縛したし(補遺10)
★★★
嵩低き雪を静かに見遣れどもつまりは君と結び了ふ街(補遺11)
★★★★
はじめての瞼に淡きあかり射し告げざるうちに手は解(ほど)かれり(補遺12)
★★★★★
真上から見つめ下ろさばなにゆゑに顎引きたるか瞳そらさず(補遺13)
★★★
も一つ自註してみよう。補遺12だ。
他人の瞼を見ることは、滅多にあることではない。すなわち、その人が目を閉じていることが前提だ。
①眠りに落ちているとき、②祈りを捧げているとき、③口づけを交わすときなどが挙げられよう。
明かりが薄く射す御堂に在って、懸想人と並んで、ご本尊に手を合わせる。自分だけこっそり目を開けてみる。はじめて見てしまう(隣にいる)そのひとの瞼。
このご本尊と同様、彼女の眼力の強さに惹かれていた。だが今また、目を閉じたときの美しさにも息を飲む。心に仕舞っていたその言葉が口を衝いて出そうになる。
刹那、懸想人は祈りを終え、結んでいた手を解き、瞼を開ける。悔恨とも安堵ともつかぬ数秒間の出来事である。
仏を前にしながら煩悩あふれる所業である。しかしながら、そも、色恋とは邪(よこしま)なものでもあろう。(③として、振られ男の歌としても読めるものの、即物的でちとつまらない。)
最後に、愚かにも技術論をぶつと、四句でジャンプする感覚の歌が詠めなくなった。そこが、作歌のひとつの醍醐味であったのだが、、。
それは、三十一文字の小宇宙の中で新たな地平が拡がるような清々しい思い、である。今は、いわば「地続き」の歌ばかりである。
この状態を克服するには、抽象論に堕するが、頭の回路が開放されているという感覚を取り戻すことである。しかしながら、具体的な打開策は浮かばない。
まぁ、これも含めての人生であることよ、とは(みせかけの)達観である。
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