HITO-OMOI(ひとおもい)

ひとを、ひととき、ひとへに想ふ短歌がメインのブログです。作歌歴約二十年、かつては相聞(恋歌)、現在は専ら雜詠です。

3917首目 D・サンダとJ・ビゼット

2019-02-13 00:00:00 | 日記

「宮殿の廻廊深く奥深くドミニクサンダの冷たき骨よ(新作)」



中高の同級生に映画監督がいる。ウィキペディアでそこそこの情報量だ。

ところが、書いてある内容の意味がほとんどわからない。したがって、彼がどの程度の仕事をなしているのか見当がつかない。なぜなら、私は「映画を見ない人」だから、である。

映画が90分で一本、LP.CDがその半分と仮定して、今までの人生に費やした時間の総量を考える。すると、映画は音楽の、まぁ10分の1にも満たないだろう。

いきおい、(日本人は多少フォローできるが)顔と名前の一致する洋画の俳優・女優が極めて限られる。いわんや作品をやであり、アカデミー賞の話題など全く無縁である。(なにしろ、いまだかつて「スターウォーズ」をただの一本も見たことがないほどの筋金入りである。(苦笑))

多分、心豊かな人生を送る点で、機会損失が生じているとみて相違なかろう。いっとき、名作主義と言うか、評論家受けのよい作品ばかり見ようとした時期があった。昭和から平成になる時期だった。

今思うとそれが失敗だった。素人からすればそれらは往々にして(評論家や玄人受けの作品は)玉石混淆だ。それにトリビアばかりに目がいってしまった。その時々、面白そうな作品、お気に入りのスターの作品を見れば良かったのだ。

どうやら、70年代初頭から中葉ですっぱりリアルタイムに映画を見るという行為から切断された人生である。


さりとて、そんな私でも好きな女優はいた。

『ドミニク・サンダ』と『ジャックリーン・ビゼット』だ。

映画雑誌の人気投票でドミニク・サンダは5位以内、ジャックリーン・ビゼットは10位以内というのが頭に刷り込まれている。

でも、あくまで好きと言うのはビジュアル面でのこと。女優として云々するほど彼女らの作品は見ていない。サンダはもともと寡作だったし、ビゼットは寡作とはいえないまでもこれといった名作はないだろう。(違うかな、、汗)

ふたりの名前に触れると、書店で彼女らの「シネアルバム」(芳賀書店刊)を幾度となく、立ち読み(立ち眺め?笑)していた日々を思い出す。

(ドミニクサンダは1948年、フランス・パリ生まれ。久しぶりに画像を見たが、そもそも顔の骨格から違う。)


さてこのページは、『Audrey(オードリー)』という喫茶店で書いたものをアップした。私は週に2回は訪れる。とっても居心地のよい場所だ。店名はもちろん「オードリー・ヘップバーン」に由来している。

そう言えば20代の頃はヘップバーンが苦手だった。(ルックスとともに、つっこみ気味の演技とか。)でも、今は、ヘップバーンが大層好きだ。とりわけ、『麗しのサブリナ』のポートレート。女性に対し、cuteという言葉を使うのは彼女をおいて他にはないと思うくらいに、、。

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