『第二芸術論』と同様、戦後歌壇の喉にささった骨のような『奴隷の韻律』を読む。
「奴隷の韻律」を含む13編の文章からなる『短歌的叙情』が出版されたのが昭和28年11月。まぁ、(近接領域である)短歌に対して、いわば悪口だらけの本が出せたなぁ、と、その点にも感心する。これも第二芸術の余波ですね、きっと。
さて、桑原先生が無茶ぶりなら、小野さんは爽快なほど、けちょんけちょんにやっつける、てな感じである。何者にも縛られない自由人たる詩人の面目躍如といったところだろうか。
生憎、詩の世界は全く以て疎いので、小野さんの立ち位置をしらない。しかして、率直に言うと、貴重なご意見として承りました。小野先生におかれましては、ダメな短歌のようにならないような立派な創作にお励みください。ご健闘をお祈りします。と、嫌味のご返答をしてしまいたくなった。
だが、しかし、、。小野さんは、奴隷の韻律にしがみついている職業的?歌人や何の疑問も抱かない歌壇に歯向かっているのだ。
「この短歌的なもの~斉藤正二君への手紙」で、小野さんは、いみじくも書いている。『~私があなたに申しあげたことは平凡なことです。要するに、詩でも短歌でも、もっと自分の生活にひきつけて考えましょう』、、と。
定型度が高く、叙情性も高い短歌は、より心せよ。との叱咤激励とも思えた。間違いなく、きっと、多分、いやひょっとしたら。(笑)
「奴隷の韻律」を含む13編の文章からなる『短歌的叙情』が出版されたのが昭和28年11月。まぁ、(近接領域である)短歌に対して、いわば悪口だらけの本が出せたなぁ、と、その点にも感心する。これも第二芸術の余波ですね、きっと。
さて、桑原先生が無茶ぶりなら、小野さんは爽快なほど、けちょんけちょんにやっつける、てな感じである。何者にも縛られない自由人たる詩人の面目躍如といったところだろうか。
生憎、詩の世界は全く以て疎いので、小野さんの立ち位置をしらない。しかして、率直に言うと、貴重なご意見として承りました。小野先生におかれましては、ダメな短歌のようにならないような立派な創作にお励みください。ご健闘をお祈りします。と、嫌味のご返答をしてしまいたくなった。
だが、しかし、、。小野さんは、奴隷の韻律にしがみついている職業的?歌人や何の疑問も抱かない歌壇に歯向かっているのだ。
「この短歌的なもの~斉藤正二君への手紙」で、小野さんは、いみじくも書いている。『~私があなたに申しあげたことは平凡なことです。要するに、詩でも短歌でも、もっと自分の生活にひきつけて考えましょう』、、と。
定型度が高く、叙情性も高い短歌は、より心せよ。との叱咤激励とも思えた。間違いなく、きっと、多分、いやひょっとしたら。(笑)
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