詩について少し書いてみます。
いきつけのB書店の文庫本コーナーに,角川文庫の新刊でやたら分厚い「中原中也全詩集」が平積みされていました。手にとったけどこれは厚すぎて読めないなと・・
すると,朝日新聞の数日前の文化欄に「よみがえる中原中也生誕100年で研究活発」というコラム記事が・・中原中也は今年生誕100年なのですね。(まぁ中也は,30年しか生きていませんが。)
同じく短詩系の短歌を書いている私ですが,短詩系の好きな人であれば書店で必ず一度は手にしたことがあるでしょう,思潮社の現代詩文庫。控えめでいながらずらり並ぶと存在感がきっぱりとあって。あのやや安手のビニールカバーが,どこへでも持って出かけてね。沈みいく夕陽をみながら,粉雪を頬にうけながら,神社の石段に腰をかけなかがら・・あなたの好きな詩人と一体化してみませんか,と主張しております。おりませんか笑い。
さて,お気づきと思いますが,私も,はずかしながら思潮社現代詩文庫中原中也を持っているのです。そして,詩集を持っているのは,これまでの人生でこの中原中也と新潮文庫の室生犀星の二冊だけなのです。
詩に関する考え方を書くと,短歌のことにふれざるを得ないので,今日はおいておきます。
で,中原中也。ぱらぱらと読み返しました。短歌ほど思い入れがありませんので,すいすいと,あっけなくいけます。というか,いっぺんの最後まで読めることがあまりない。
やっぱり詩がそんなに好きじゃないんですね。どうしてこの本買ったのかな・笑
例の写真の,あの不幸がきざしているまなざしのごとく。夜,雪,風。月。暗い印象の歌が多いですね。(褒めていますが)拗ねていて,不満ありあり,砂を噛み噛みの基本スタンスの詩が多い中,優しげな数編がはさまれている。そこがいい,とちとうなずきます。
たとえば,こんな歌,
「春宵感懐」
雨が、あがつて、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵(よひ)。
なまあつたかい、風が吹く。
なんだか、深い、溜息が、
なんだかはるかな、幻想が、
湧くけど、それは、掴(つか)めない。
誰にも、それは、語れない。
誰にも、それは、語れない
ことだけれども、それこそが、
いのちだらうぢやないですか、
けれども、それは、示(あ)かせない……
かくて、人間、ひとりびとり、
こころで感じて、顔見合せれば
につこり笑ふといふほどの
ことして、一生、過ぎるんですねえ
雨が、あがつて、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
なまあつたかい、風が吹く。
概して,あの「汚れちまった悲しみに」が入っている詩集『山羊の歌』より,『在りし日の歌』のほうが,トータルでは,のびのびして私にはフィットします(門外漢の印象ですが。)
さて,私が,詩がやや苦手なのは,やはり愛唱性に欠けることが決定的です。
記憶力のせいかも知れませんが・・
七五の響きというのは,やはり格別なものがあります。
その意味で,漢文の素養がある明治期の詩人は,やや単調に感じられることもありますが,
それでも,私が現時点であらゆる詩のうちで一番すきなのは・・
明治に生きた土井晩翠(あの荒城の月の・・ですね。)
の「星と花」(「天地有情」(明治32)所収です。)です。
同じ「自然」のおん母の
御手にそだちし姉と妹(いも)
み空の花を星といひ
わが世の星を花といふ。
かれとこれとに隔たれど
にほひは同じ星と花
笑みと光を宵々に
替はすもやさし花と星
されば曙(あけぼの)雲白く
御空の花のしぼむとき
見よ白露のひとしづく
わが世の星に涙あり。
・・どうです,なんて夢があるのでしょう。
小さいことと大きいことが並立しています。
すばらしい,雄大です。それでいて可憐です。
冗談抜きで,私は,この詩で,泣けますね。
精神のリトマス試験になりうる一編です。
一時職場のPCのスクリーンセーバーとしていました。
数年前,仙台に行った際,彼の生家を訪れました。
なんてことなかったけど・・笑
仙台市名誉市民・・。当然でしょう。明治期には,詩で島崎藤村と併称されたそうですから。
あっ,矢沢宰のことが書けなかったなぁ・・また,いずれ
君といふ花を巨きな空に置く散らざる花を照らす星々(未)
いきつけのB書店の文庫本コーナーに,角川文庫の新刊でやたら分厚い「中原中也全詩集」が平積みされていました。手にとったけどこれは厚すぎて読めないなと・・
すると,朝日新聞の数日前の文化欄に「よみがえる中原中也生誕100年で研究活発」というコラム記事が・・中原中也は今年生誕100年なのですね。(まぁ中也は,30年しか生きていませんが。)
同じく短詩系の短歌を書いている私ですが,短詩系の好きな人であれば書店で必ず一度は手にしたことがあるでしょう,思潮社の現代詩文庫。控えめでいながらずらり並ぶと存在感がきっぱりとあって。あのやや安手のビニールカバーが,どこへでも持って出かけてね。沈みいく夕陽をみながら,粉雪を頬にうけながら,神社の石段に腰をかけなかがら・・あなたの好きな詩人と一体化してみませんか,と主張しております。おりませんか笑い。
さて,お気づきと思いますが,私も,はずかしながら思潮社現代詩文庫中原中也を持っているのです。そして,詩集を持っているのは,これまでの人生でこの中原中也と新潮文庫の室生犀星の二冊だけなのです。
詩に関する考え方を書くと,短歌のことにふれざるを得ないので,今日はおいておきます。
で,中原中也。ぱらぱらと読み返しました。短歌ほど思い入れがありませんので,すいすいと,あっけなくいけます。というか,いっぺんの最後まで読めることがあまりない。
やっぱり詩がそんなに好きじゃないんですね。どうしてこの本買ったのかな・笑
例の写真の,あの不幸がきざしているまなざしのごとく。夜,雪,風。月。暗い印象の歌が多いですね。(褒めていますが)拗ねていて,不満ありあり,砂を噛み噛みの基本スタンスの詩が多い中,優しげな数編がはさまれている。そこがいい,とちとうなずきます。
たとえば,こんな歌,
「春宵感懐」
雨が、あがつて、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵(よひ)。
なまあつたかい、風が吹く。
なんだか、深い、溜息が、
なんだかはるかな、幻想が、
湧くけど、それは、掴(つか)めない。
誰にも、それは、語れない。
誰にも、それは、語れない
ことだけれども、それこそが、
いのちだらうぢやないですか、
けれども、それは、示(あ)かせない……
かくて、人間、ひとりびとり、
こころで感じて、顔見合せれば
につこり笑ふといふほどの
ことして、一生、過ぎるんですねえ
雨が、あがつて、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
なまあつたかい、風が吹く。
概して,あの「汚れちまった悲しみに」が入っている詩集『山羊の歌』より,『在りし日の歌』のほうが,トータルでは,のびのびして私にはフィットします(門外漢の印象ですが。)
さて,私が,詩がやや苦手なのは,やはり愛唱性に欠けることが決定的です。
記憶力のせいかも知れませんが・・
七五の響きというのは,やはり格別なものがあります。
その意味で,漢文の素養がある明治期の詩人は,やや単調に感じられることもありますが,
それでも,私が現時点であらゆる詩のうちで一番すきなのは・・
明治に生きた土井晩翠(あの荒城の月の・・ですね。)
の「星と花」(「天地有情」(明治32)所収です。)です。
同じ「自然」のおん母の
御手にそだちし姉と妹(いも)
み空の花を星といひ
わが世の星を花といふ。
かれとこれとに隔たれど
にほひは同じ星と花
笑みと光を宵々に
替はすもやさし花と星
されば曙(あけぼの)雲白く
御空の花のしぼむとき
見よ白露のひとしづく
わが世の星に涙あり。
・・どうです,なんて夢があるのでしょう。
小さいことと大きいことが並立しています。
すばらしい,雄大です。それでいて可憐です。
冗談抜きで,私は,この詩で,泣けますね。
精神のリトマス試験になりうる一編です。
一時職場のPCのスクリーンセーバーとしていました。
数年前,仙台に行った際,彼の生家を訪れました。
なんてことなかったけど・・笑
仙台市名誉市民・・。当然でしょう。明治期には,詩で島崎藤村と併称されたそうですから。
あっ,矢沢宰のことが書けなかったなぁ・・また,いずれ
君といふ花を巨きな空に置く散らざる花を照らす星々(未)
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