有名な禅語のひとつに「日日是好日(にちにちこれこうにち)」というものがあります。
これは単純に捉えれば、毎日が佳(よ)い日ということになるけれど、毎日をラッキー!ラッキー!と思って生きなさい、というポジティブシンキングな教えではないんですね(笑)
生きていれば、いいことだけが続けわけではなく、辛くなるようなことや、アクシデントに見舞われることだってあるし、取り立ててなにもないような平凡な日というのも、もちろんある。
しかしどのような一日であっても、今日という一日は二度とない一日であり、かかけがえのない一日であり、明日という日が必ず存在するとは限らないわけです。
この貴重な一日を過去や未来にわずらわされることなく、全身全霊で生きること、それが日日是好日となるのだそうです。
簡潔に説明すればこういうことになるのだけれど、この教えを初めて知った頃の私は、とりあえず「ほー!」と感心してはみたものの、その教えはほんの一瞬自分の中に留まっただけで、あとは知らず知らずのうちに抜けていってしまいました。
それから何度も、この日日是好日の解説を目にしたり耳にする機会はあったものの、自分のものとすることなく、また知らず知らずのうちに抜けていった。
そしてまた今回、日日是好日について私は考えています。
そして考えれば考えるほど、この教えがじんわり深まっていくのを感じられ、それが生きる上で活かされていることが実感できている気がします。
そこで私は禅語をもっとたくさんきちんと学びたい、と思った時期もありました。
もっともっとたくさんの本を読んで、知識をバンバン仕入れようと。
が、しかし。それをやっては逆効果かもしれないと、ふと気づいたのです。
このような教えに関しては、知識や情報を大量に仕入れればいいってものではない気もします。
私はずっとこの日日是好日いっぽんに絞っていたからこそ、今までない気づきの深さにまで到達してきた実感があります。
広範囲に渡って浅く掘るだけでは得られなかったことが、一箇所を深く掘り続けていることにより得られてきました。
日日是好日だけで、生きる知恵の全てが凝縮されているような気さえします。
それは日日是好日に限ったことではなく、たとえば「感謝」という言葉ひとつにしても、それを毎日毎日考え深めていけば、それだけで悟れる精神レベルにまで到達できるような気さえしますね。