占いを究めたというわけではないけれど、少なくとも今の自分にとって占いは、ほとんど必要性を感じなくなっています。
占いというものと距離を置いてこそ見えてきたことがたくさんあるので、これから少しずつ記していければと思っています。
そもそも私自身、なぜ占いに関心を寄せたのかといえば
自分はどのような人間なのか、ということを探っていきたいために、自己探求手段として占いに興味を持ちました。
占いを研究していくことで、自分という人間を客観的に見ることができ、持って生まれた気質などの特徴(潜在的に隠れたものも含め)を知り、どう生きることが自分らしい人生として充実するのか、といったことに一番関心が向いていました。
ただ日本においては、このような自己探求や自己実現といった目的で占いを求める人は 少ないようです。
テレビの占い番組などを見てもお分かりのように、一般的に求められる占いはとにかく、当てる!ということです。
これから先のことを当てる!過去の事実を言い当てる!他人の気持ちを言い当てる!
しかし私の場合には、この先の人生どうなるのか❔ とか、運気がいい時期と悪い時期はいつなのか❔ とか、そういったことを知りたいとは、あまり思いませんでした。
それでも一応調べていた時期もあるのですが、あまり当たらないのです。他の人の運気を読んでみると、不思議と当たっているのですが、自分の運気は当たらない。
私は西洋占星術で星の動きから運気を見ていたのですが、それ以外の占法での厄年であったり、天中殺であったり、といったものを使って過去の人生を調べても、特に運気の波とは一致していない。
よくよく考えると私は、未来は知りたくないという気持ちが強い気がします。
仮に、占いによって良くない未来の結果が導き出されたことを知ってしまうと、潜在的な不安感から、そのよくない方向に自ら寄って行ってしまいそうな気もするし、先のことは知らない方が良いイメージを失わないでいられる気がする。
歳を重ねるごとに 今まで生きてきた経験と様々な自分のパターンを照合させて、先のことはなんとなく自分でわかるような感覚が広がってきました。
これはどちらが正しいとか良いということはありませんが、世間が求める占いと私が占いによって求めるものとは、かなりの違いがあることは感じています。
私としてはこれから先も占いは、自己探求、自己実現を目的として、時折ゆる~く活用していきたい気はしています。