なんとなくスピリチュアルブログ

ポイ捨ては不幸の種を撒く行為?

先日のことです。

買い物をするためにとめておいた自分の自転車かごをふと見ると、誰かにポイ捨てされたハンバーガーの包み紙が入っていました。

一瞬! 怒りの感情はわいたものの、次第にいろいろな考えが浮かんできて、それはそれでちょっと楽しめたのです。

まず最初に浮かんだ考えは、

こういう行為って、そんなに悪気なくできる人もいるんだろうな。。と。

それどころか、道にポイ捨てするより、誰かの自転車かごに入れておいた方が、街を汚さなくていいんじゃないか、なんて思ってたりして。

缶コーヒーの空き缶だとか、食べ終えたスナック菓子の空き袋だとか、そういったものが植込みの中に捨てられていたり、集合ポストの上や人の家の塀の上などに、しれっと置かれているのをよく目撃します。



そういう人物はきっと、ポイ捨てに限らず日常のあらゆる場面で【自分さえよければ】という考えで動いていると思うので、何気なく自分の行っている行為が、誰かの迷惑になるとか、悪いことをしているという認識さえ、そもそもないのかもしれない。

でも、そういう人物は人から反感を持たれやすいだろうし、なにかとトラブルが起こりやすい日常を送っているように思えます。

良識のある人は、このような人物からは自然と離れていくものですが、似たように自分勝手で非常識なタイプは引き寄せてしまうので、ますますこのような人の日常はイライラさせられることや損するようなことが多発してしまうのでしょうね。

あの日、私の自転車かごにポイ捨てした人。

その人が今、どの程度不幸の道に進んでいるのかはわからないけれど、日々あまり良くない状態に身を置いているんだろうな、と思えるからか、そんなに恨む気はわいてこない気もします。

むしろ、なにも気づかずに不幸の種を撒いているのかと思うと、気の毒にも思えてくるかな。

私の自転車かごに入っていたごみは、持ち帰って処分した。

でも、あのごみが道に落ちていても、私はわざわざ拾って持ち帰り処分することはなかっただろう。

私としては、たとえ「仕方ないな~」と思いながらも、他人のごみを処分してあげたことで、ひとつ善行を積んだことになるわけだ。

非常識な人から一方的に迷惑をかけられた時には、いつもこんなふうに捉えてみると、無駄な怒りを生じさせることはなくなるのかな~と、思いました。

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