ぱんどらのへや

ちょっとした子育てに役立つ話を紹介していこうと思います。

虐待? どう叱る?

2024年09月16日 | 職業
虐待による死亡のニュースが流れます。心より哀悼の意を表するとともに、ご冥福をお祈りいたします。

そんなやりきれない結果を一つでも無くすために、様々な活動・施策が行われており、たくさんの人々が努力しています。
 通報の件数もかなりの数となっています。よく言われることですが、虐待そのものが増えたのではなく、関心を持ち、行動する人が増えてきたということです。そして、行政も、まだまだ足りないという人は多いですが、行政なりに受け止めているからこそ、”統計”に現れてきているのです。

「通報」子どもの命と心を求めるためにはとても大切な手段の一つです。
半面、「これって通報されるのではないか?」と、おびえる保護者の方もいらっしゃいます。

何が虐待で、何が躾なのか。簡単なようで意外に難しい問題ですね。

人は、社会で生きていくことが前提となります。
 『デルス・ウザーラ』(映画・本)のように、”社会”には馴染まずに、”森(自然)”の中で生きていく人もいます。その森で生きていく人は、森のルールに従わなければ、生きていけません。
 同じように、社会で生きていくためには、その社会のルールやマナーを学ばなければいけません。その為には躾が必要になります。時には叱らなければなりません。また、子どもは、その子どもにとって大切な人の期待に応えたいのだと以前書きました。その期待に応えさせることが、実は子どもにとって、虐待になっている場合もあります。
 考えれば考えるほど、いろいろなシチュエーションを思い起こすほど、一般的な定義などできない問題です。
 子どもの気質×望み×社会からの要請×ご家族・ご親族の期待の組み合わせによって、変わってきます。

とはいえ、躾なければいけない場合、何に注意しなければいけないのでしょうか?
 指示をしているのに、その通り動かない。よくあることです。
 まず、その指示を子どもが理解しているかを確認してください。
 ★難聴ではないか?
 ★音は聞こえているが、その音を言葉として理解しているか?
 ★カクテルパーティー効果(騒がしい中でも、自分に必要な言葉を聞き分けること)が、働いているか。中には、指示と他の人のおしゃべりと同等のレベルとして捉えて、馬耳東風している子どももいます。
 ★自分への指示の言葉は理解しているが、興味関心が散りやすく、注意散漫で、指示通りに動く前に、他のことが気になって、指示を遂行できていないということはないか。
 ★指示された言葉は聞き取れているが、その意味を理解していない場合も行動には移せません。
 ★意味を理解していても、行動が、その子にとっては難しすぎてできないこともあります。
 ★言葉は聞き取れて、意味も理解し、指示した人が何を期待しているかもわかっているが、その通りにはやりたくないこともあります。これは、子どもが自分の力を試したくて、自分のやり方をやりたいこともあります。また、何らかの感情的なことがあって、やらない、やれない場合もあります。やらないのは反抗とか、感情的な諍いで、相手の指示に従いたくない場合もありますね。やれないのは、不安とか嫌悪とかの感情に書き込まれている場合もあります。
 ★言葉は聞き取れて、意味も理解し、指示した人が何を期待しているかもわかっているが、そもそも、その指示に意味を見出せなくて、指示を無視している場合もあります。
 他にももっといろいろな理由があって、指示に従わない場合もあるでしょう。
 こんな状態の時に、大声で指示に従うようにまくしたてても意味がありません。叩いたり、蹴ったりしても意味がありません。恐れをなして、一時的に指示に従うこともありますが、本当の意味で、躾になってはいません。禍根を残します。そして、親子関係以外でも、人を指示に従わさせようとするときに、大声で怒鳴ったり、暴力による方法をとります。パワハラです。社会で生きていけるように躾けているのに、本末転倒です。
 なので、遠回りしているようですが、上記のような、指示に従えない理由のようなものを探り当て、対処していくことが必要です。
 難聴に関しては、耳鼻科を受診していただけると嬉しいです。年齢によって、把握できる音のレベルが違うという研究が発表されています。保護者の方が把握できていない音をお子様が拾っていて、カクテルパーティ効果がうまく機能していない場合もあります。
 「難聴ではない」けれど、聞き取れていないような場合、心理職に相談してみてください。お子様の困りごとに合わせた心理テストや面談・観察で、心の状態を含めた客観的な状態をして、対応策を検討しましょう。
 勿論、反抗とか感情的な諍い、指示の意味への意見の相違などの場合は、お子様が相談室に来てくれないことも多いです。その場合は、保護者の方だけで十分です。

★叱るときの注意。
  急に大きな声で怒鳴りつけると、子どもがパニックになって、暴れ、泣きわめくことが多いです。そこに、さらに、保護者が大声で指示を出す。虐待を疑われるのではないかと言う修羅場は、こんな感じが多いです。この時に、大声でやりあっても、お互い疲れ、嫌な気持ちが募るだけです。売り言葉に買い言葉。もっと子どもがパニックに陥っているときは、頭も心も真っ白なので、何を言っても入りません。人は大人でも、表情>語気の順で反応し、言葉の内容理解はほんの少しなのだそうです。対処の仕方としては、以前投稿した「暴れる?」をご参照ください。
  そんな事態にならないように、指示を出したいときは警告・警告・ドカンと怒鳴り声の方が良いです。指示を聞き取れていて、意味も理解できていることが前提です。わかっちゃいるけれど、今やっていることが止まらないなどの時に有効です。警告は、できるだけ低い声で穏やかにやってほしい指示をできるだけ短文で伝えます。長いと、そもそも他に気を取られている状態なので、覚えていられません。2回目の警告は、1回目よりドスの聞いた声だと有効です。そんな声出せない場合は、お子様の正面に陣取り、お子様の目を見て警告します。この警告の時点で、指示に従ったら、誉めてあげて下さい。それでも、無視をしたら、ドカンと怒鳴り声です。これも単文です。かえって怖いです。怒鳴りつつも、警告で従えなかった理由は考えて下さい。ひょっとしたら、無理な指示を出していた、お子様なりの理由があったかもしれません。お子様になぜ指示に従えなかったのか、どうしたら従えたのかを聞いて、次回に役立てるのもいいですね。

★子どもが泣き止まないとき。
  なんだかわからないけど、子どもが泣き止まないこともありますね。
  様々な工夫がネットで配信されています。参考になさってください。ただ、これをすればという方法はないようです。〇か月の時に有効だった方法が、成長につれ効かなくなったなんてことはよくあることです。
  心理職からは、こんなこともあるということをお伝えしたいです。保護者の方が、泣きたい感情を我慢していると、お子様がそれに反応して泣き出すことがよくあるのです。お子様が泣き出して、保護者の方が困り切って泣きたくなっているとき、お子様に対して怒りを感じているときも、その保護者の方の泣きたい気持ち・怒っている気持ちに反応して泣いていることもあります。だから、一緒に泣いて発散してしまうか、気持ちを切り替えて、保護者の方の中の泣いている/怒っているインナーチャイルドとお子様を「よしよし」となだめてしまった方が、早く泣き止んだりします。試してみてください。

★「ペアレントトレーニング」と言う方法もあります。
  親が子どもにするトレーニングです。つい、叱ってしまうことが多く、お子様の自尊心が下がって、悪い循環が起きていることが多い状況を変えようという方法です。私が考えたものではなくて、研究会もある、既存の、有効性が立証できている方法です。
  詳しいことはいずれこのブログで説明しようと思いますが、気になる方は、本も出版されていますし、ググれば説明が出てきますので、ご覧ください。
 ここでは、25%ルールを説明します。
 できれば、叱るよりも誉めて育てたい。保護者の方の願いではないでしょうか。でも、褒められるくらいに完璧にできるのを待っていたら、多くのお子様は誉められません。誉められることが少ないと自尊心が下がってしまいます。
 そこで、100%できてから誉めるのではなく、25%でもできていたら誉めるというルールです。何が25%なのか。厳密な規格はありません。指示に従おうとしたとか、失敗してしまった全体像ではなく、一部だけでもうまくいったところを誉めるなどを目安にしていただけたらよいかと思います。尤も、「誉めて、相手(お子様)を動かそう」という意図が見え見えの場合、かえって、「やりたくない」になるので、注意が必要です。

★他にも、「トークンエコノミー法」など、様々な方法が開発されています。

最後に、
「自分は子どもを愛せない」「かわいく思えない」という保護者の方もいらっしゃいます。少なくないです。
 親子にだって相性はあります。親御様にも、「過去」があり、「今」があり、「未来」がある。その中で、お互いいろいろな感情を持って、しかるべきです。親子は親子だけで存在しているのではありません。ご夫婦関係が親子関係に影響を与えている場合もあります。ご親族や地域の方、ママ友・パパ友、勤め先、様々な関係の中で生きています。それぞれの影響の中、本当はこうしたくないのにという言動をとってしまっている場合もあります。
 特に、学生時代から、努力家な方が、完璧主義の罠に陥りやすいです。学業も仕事も、それなりにご自分の工夫や努力でどうにかしてきた。なのに、この目の前の子どもは、自分の思い通りにならない。秒を惜しんでいるときに、癇癪を起す。怒りマックスになりますよね。
 誰かに縋りたいとき、縋ってくる存在。それも子どもゆえですが、鬱陶しい気持ちになるのも人間として当然湧き上がる気持ち。
 お子様が感情の塊で全身で表現するように、
 そんなときのご自分やお子様にだけ、焦点を当てないでください。かわいくて、愛おしい時もあるでしょう。一緒に楽しんでいるときもあるでしょう。泣いたり、笑ったり。様々な場面もあるかと思います。気持ちは変わるのです。もし、変わらない場合は”視野狭窄”に陥っている可能性があります。ケアが必要な状態になっています。
 「自分は子どもを愛せない」「かわいく思えない」気持ちを誰かに吐き出してしまえるといいですね。匿名でかけられる電話相談もあります。
 そして、そんな自分を責めないで。
 そして、お互い、生き延びる術を行いましょう。ご飯を食べて、お風呂に入って、洗濯をして、掃除をして、気持ちよい寝床で寝て。できることからでいいです。誰かにヘルプを出していただけると、嬉しいです。

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学校で話す人がいない…いじめ?!

2024年09月15日 | 職業
学校生活を送るにあたって”お友達”の割合は大きいものです。
 この場合の”お友達”は、気が合って、一緒にいると楽しいという”お友達”だけではありません。
 ”ぼっち”と言うと言葉も、以前よりは受け入れられて、あえて”ぼっち”で過ごす子どももいるようになりましたが、でも、大半は”ぼっち”認定されないように、一緒にいる人を必要とするようです。”ぼっち”には、私的には潔いイメージもあるのですが、まだ、世間が持つイメージである”暗い””友達ができない問題をもつ人”などが付きまとっているようです。

生まれてから、人は人と関わり続けます。
 勿論、最初は世話をしてもらわなければ、生き残れません。
 でも、世話をするー世話をされる以外の関わりも自然発生的に生まれます。
 同じような年齢の子どもが集まると、機嫌がよくなる子、機嫌が悪くなる子、様々です。

遊び方にも発達過程があります。
 2,3歳。お砂場でこのくらいの年齢の子どもが遊んでいるのを見て、お子さんがお砂場に行って遊びだすことはありませんか?先にいる子と一緒に遊ぶのかと思いきや、それぞれ別々にコツコツとお砂場で遊んでいる。不思議ですね。友達と関われない子なのかと心配にもなりますが、先にいる子も黙々と一人で遊んでいる。相手のお子さんが無視するからかしらなんて、気になってしまいます。なのに、ある子がお砂場に飽きて、滑り台に行くと、その場にいた同じような子どもが皆滑り台に行く。でも、そこでも黙々と滑っているだけ。並行遊びと言って、この年齢にはよくある現象なんです。

岡本夏木さんのご著書に、幼稚園だったかで、年少・年中、年長のクラス、それぞれの遊び方の違いを書かれたものがありました。(すみません、書名は確認中です)
 この3年間でも、年少のクラスでは同じことをして楽しんでいるだけなのが、年長になると、この年齢になりに協力して遊びを作り上げるようになるのだそうです。

精神発達についてまとめた心理学者はたくさんいますが、今回は、”ギャングエイジ”、”チャム”について説明します。
 小学校低学年ぐらいまでは、そこにいるお友達と遊びます。まだ、”大人”の影響力が大きく、基本的には、大人の言うとおりにできるようになることに喜びを感じます。お友達も大事ですが、大人の言いつけに逆らってまで、お友達関係を続けるのは難しく、そこで葛藤が生まれます。まだ、自分から見た世界がすべてで、相手の視点に立った見方ができず、お互いの言い分が違い、トラブル仲裁にも事実確認をするのに、手がかかります(これが一般論で、個人差があります)
 ところが、小学校4年生ぐらいから、人が自分をどう見るかという、他者からの視点が育ってきます。そして、大人の影響力と仲間の中の価値観が、バランスを崩しやすく、混乱しやすくなります。小学校の先生方と話していても、多くの先生が、この年代位から、”集団”の”質”が変わってくるとおっしゃいます。”ギャングエイジ”です。Wikiには”同性だけの集団”とありますが、小学校では、男女混合の場合もあります。同性だけになるのは、第2次性徴も関わってきて、小学校高学年くらいでしょうか。高学年になっても、男女混同であることもありますが、それだけで”LGBTQ+”とするのは早計だと思います。この先、どんどん、人間関係は変わってきますので。
 そして、精神科医サリヴァンが説いた、チャム≒親友の存在を求めるようになります。『赤毛のアン』のアンとダイアナのような存在です。お互いに、阿吽の呼吸で応答できるくらいに、気持ちのあった存在。”自分”というものの、現身・分身と言ってもよいくらいの存在です。でも、現実にはそんな存在に出会えること自体が奇跡です。でも、そのような存在を求め、とっかえ、ひっかえ、相手を確かめ合います。この傾向は女子の方が男子より顕著です。だから、小学生高学年から中学生までの友人関係は難しいのです。ぐちゃぐちゃになりやすいのです。本当は高校生くらいまで、否、ママ友の間のトラブルでも、この”チャム”を探してと言うのはありますが、たいていは、高校受験で目の前の勉強に関心が移って、そして高校生では、中学生の時よりもソーシャルスキルが巧みになって、対処の仕方が変わってきます。ちなみに、この時の親密な状態から、LGBTQ+を想像する方もいらっしゃるし、そう自認する方もいらっしゃいます。”同質性”を求めることは、”異質”なものを排除したがる傾向も強くなります。例えば、よくある例では、女の子がお父さんを嫌うのも、この傾向が強くなるためです。古典的文学作品などでは「男性のいない国に行きたい」という女性が出てきたり、男の世界を作り上げようとする”マッチョ”が出てきます。そういう思いに駆られる方総ての性志向がLGBTQ+を通すとは限らないので、様子見が必要かと思います。
 友達トラブルが頻発するこのような傾向は、無用と考える方もいらっしゃいますでしょうか。でも、この、自分にとっての唯一無二の存在を探す経験が、やがて、生涯を共にする配偶者を探すための練習期間という方もいらっしゃいます。しっかりと自分にあったパートナーを見つける練習をしてほしいものです。
 また、『赤毛のアン』のアンとダイアナがそうであったように、お互いに違う部分を見つけても、お互いを”親友”として大切にしあうような成熟に発展していくことが理想ですね。

★「学校で話す人がいないから学校に行きたくない」
  このように、お子様に言われたら、どうしましょう。
  実際に、こう言われた、どうしようと保護者や教員の方が相談にいらっしゃるのは多いです。児童・生徒が来室して、こう言うこともあります。
  すでに投稿したブログにも書きましたように、お一人お一人違うので、マニュアルがあるわけではありません。
 ですが、ある一つのケースを、個人が特定できないように加工して、記したいと思います。ちなみに、このパターンは、細部が違うものの、多いです。

保護者の方が、来室されました。昨今のニュースを見て、「いじめではないか」とも心配されていました。「学校の指導が悪い。訴えることも辞さない」とも。「学校で話す人がいないから学校に行きたくない」と言っているのは、中学1年生のお嬢様でした。Aちゃんとします。
 【過去】元々、Aちゃんは人見知りするほうで、お友達も多くはありません。でも、仲良くなると長続きするタイプです。小学校高学年の女の子のお友達関係は難しいと聞いていて、保護者の方は心配されていましたが、幸い、”アンとダイアナ”のようなお友達を見つけました。Bちゃんとします。
 中学は学区が違い、別れることもありますが、幸い、同じ学校に進学しました。他の小学校からも来て、クラスの数も多くなるので、別々になるのかと心配しましたが、同じクラスになりました。Bちゃんも、Aちゃんと同じクラスになったことを喜んでくれました。Aちゃん親子はこれで安心と喜びました。
 そんな、Aちゃんが、「学校で話す人がいない」と言うのです。どうしたことでしょうか。
 保護者の方と、保護者の方を通してAちゃんの許可を取って、先生方に様子を聞きました。クラスには知らぬふりをして、主に、休み時間に観察に行きました。
 【今】Bちゃんは元々、Aちゃんと比べて、好奇心旺盛で、活発でした。Bちゃんは、他の小学校から来た新しい人とも積極的に交流を深めていました。部活も運動系に入り、委員会活動にも加わっていました。だから、休み時間は、Bちゃんの周りには人が集まっていました。勿論、BちゃんはAちゃんのことも大切です。だから、休み時間に話をするとき、Aちゃんにも声をかけて一緒に輪に入れるように工夫していました。Aちゃんが好きなことを話題にして皆で話ができるようにしていました。Bちゃんの部活が終わるまで、Aちゃんは図書室で待っていて、一緒に帰りました。でも、途中までは部活のメンバーもいます。自然、帰り道の話題は部活関連になり、Aちゃんは面白くありません。Aちゃんは、小学校の時のように、Bちゃんと二人きりで遊びたかったのです。Aちゃんが好きなことを好きな、他の小学校から来た子が、Aちゃんに話を振っても、Aちゃんが思うような応答にならないので、Aちゃんは「話ができない」と思っていました。
  こんな現状が明らかになったら、貴方ならどうしますか?
  Bちゃんに、Aちゃんに合わせろと言うのは酷です。BちゃんはBちゃんなりに、Bちゃんらしさを作っていかなければなりません。
  Aちゃんに、もっと積極的に輪の中に入りなさいと言うのも酷です。もともと人見知りしやすいのですから。
  これが、小学校低学年なら、教員と協力して、教員や私が間に入って、一緒に遊べるように調整していくこともあります。
  小学校中学年や高学年でも、場合によっては、雑談している間に入って、「先生とろ~い」と言われながらも、調整していくこともあります。「先生とろ~い」と言われるのは、この年代の子の話は、とにかく早いのです。略語も含め、私が知らない話もどんどん飛び交い、話題も簡単に移り変わっていきます。彼らは彼らの暗黙の世界があるので、部外者の大人が入っていっても、なかなかついていけません。そこに棹差すことが、話すテンポが遅い子の見本になったり、かえって嫌がられたりするので、”調整”も簡単にいきません。
  でも、Aちゃんは中学生…。
 【未来】数年後には、受験をして進路を決めていきます。同じ高校に進学したとしても、東京都立の全日制の高校なら、7クラス、8クラスは当たり前。同じクラスになる可能性はほとんどありません。ましてや、その先の進路。大学や専門学校。その先の就職。仮に、同じ事業所、同じ部署に行けたとしても、仕事はお友達関係の延長ではありません。いつまでも、Bちゃんにしがみついてはいられないのです。
  そういう未来を説明したうえで、Aちゃんがどうしたいのかを確認しながら、生きるためのスキルを磨いていきます。自分の世界を貫き、”お一人様”で生きていきたいのか。でも、やがては社会に関わらねばなりません。”おひとり様”であるプライドを胸に、人と関わりを持つ方法を身につけなければなりません。そうではなく、皆と一緒にBちゃんと仲良くする方法を見つけるのか。Bちゃん以外のお友達を探すのか。その試行錯誤の中で、Aちゃんが苦手に思っていることは何なのか。妥協できること・できないこと。勿論、目指す方向性は変転してかまいません。試行錯誤とはそういうものです。そして、一つ山を越えると、違った景色が見えて、また、目標は変わるものです。
   先に投稿したブログにも書きましたが、保護者の方の関わりかたも変わってきます。乳幼児から学童期までは、友達の作り方を教えてあげるのも、必要でしょう。前思春期・思春期の頃は、並走。この場合、進路を一緒に考えることも大切です。生まれ持った特性として、人口密度の高い場が苦手な子どももいます。統制の取れていないガチャガチャした環境が苦手な子どももいます。公立学校は、いろいろな子どもが来ることが多いので、比較的、騒がしいです。東京ですと、公立・私立の違いだけでなく、小学校・中学校ではフリースクール・高校ではサポート校や通信制等、ある程度は選べます。私立は高いですが、奨学金等が使えるところもあります。人になれないと就職した時のことを心配される保護者の方も多いです。大企業は福利厚生は確立していますが、中小企業や零細企業等、お子様のお良さを活かせるところを探すのも手です。そのためにも、この友達トラブルをきっかけとして、お子様の対人関係の癖を見直すことが肝要です。大企業は部署替えも多く、変化に対応できる人の方が生き残りやすいです。人間関係の変わりやすさにも慣れることができるのか。”お一人様”のプライドを胸に、”学校””職場”だけの人間関係に対応する術を身に着けておくことも、将来のためになるのではないでしょうか。そして、青年期からそれ以降。中年期になっても親の手助けを必要とすることはあると思いますが、あくまで、バックを守ることで、このくらいになるお子様の人生の主人公はお子様です。

ところで、今、いろいろなニュースが流れる中、保護者の方の学校への信頼度が低くなっているように感じます。
 私がスクールカウンセラーを始めた頃は、教員に不信感を持っていても、保護者はまず、管理職(校長先生・副校長先生/教頭先生)やスクールカウンセラーのところに相談に来て、それで埒が明かなければ、教育委員会に行ったケースが多いです。でも、今はいきなり教育委員会。
 確かに、ニュース報道を見ていると心配になりますね。
 勿論、不適切な対応の場合は、改善を要求しなければなりません。
 でも、上記のように、初めから訴えることを前提にすると不利です。
 お子様はどこに戻っていくのでしょう?もめた学校に戻ることがどんな影響をお子様にあるのでしょうか?
 文句を言うなと言っているわけではありません。お子様がSOSを出しているから、学校ができること、保護者ができることを話したいと、協力を求める言い方で来て下さると、お互いやりやすいのではないでしょうか。
 そのうえで、学校と言う場が、お子様に合わないことがはっきりするかもしれません。転校する方もいらっしゃいますが、どういうところが合うのかを吟味せずに転校すると同じことを繰り返しやすいです。
 ひょっとしたら、学校との協力で、お子様が学校に戻り、楽しい思い出を作り、卒業されるかもしれません。
 ”学校”と言っても、いろいろな教員の集まりです。合わない教員もいれば、味方になりたいと思っている教員もいるかもしれません。スクールカウンセラーも同じです。
 というような協力ができない場合、それから教育委員会に行っても、弁護士を立てても良いのではないのでしょうか。
 
 

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暴れる?!

2024年09月12日 | 職業
学校で、子どもの暴力行為が問題になっています。
 今に始まったことではないのですが、時代によって、暴れ方が異なっている印象はあります。
 昭和世代は、生徒が、先生や校則に反発して、生徒VS先生の枠組みで暴れるというものがありました。生徒VS先生と言うのは、今の時代にもありますが、内容は違っているようにも見えます。厳しい校則や締め付けに反発してと言う形で語られていた学校暴力・学校崩壊。でも、今は、そんなイデオロギーを掲げて反発と言うより、自分で対処できないネガティブな思いを発散させているようにも見えます。尤も、昭和世代の暴力だって、自分で対処できない思いを発散させているだけのように見えますが。
 なんらかのかたちで組織的に、集団で暴れている場合もあります。集団で、皆が暴れているように見えて、実は一人一人ばらばらに暴れている場合もあります。なんらかのかたちで組織的に、集団で暴れている場合は、その指示系統を見つけて対処すればいいのですが、一人一人ばらばらに暴れている場合は、個々に対処していくと、一人対処している間に、次の問題が起こり、いつまでも同じことの繰り返しになりやすいです。かなり戦略的に対応しなければなりません。できれば複数人で協力し合って対処していった方が良いのですが、ワンオペでやらざるを得ない場合もあり、何とかしようと思っている人がバーンアウトしやすいです。

 学校での話として書きましたが、ご家庭に当てはめれば兄弟喧嘩。ワンオペで対処なさっている主婦の方が疲れ果てるのは当然なのです。昭和世代なら、子どもは外で子ども集団で遊んでいたので、ガキ大将にあたる年上の子どもたちが采配してくれましたが、今はそのような集団もありませんし、体を使って、無駄なエネルギーを発散する場も少なくなりました。そんな状況ですべてを請け負うのが、家で主婦をしているお母様です(主夫の場合はお父様)。協力して下さる誰かがいればよいのですが。ただ、学校とご家庭と違うのは、ご家庭で喧嘩しているのはご兄弟。やはり、そこは、ある程度まで喧嘩すると自然に仲直りしたり、時にはご兄弟で協定を結んでいたり。そして、何より、一緒に楽しむ時間もあるのではないでしょうか。

さて、集団で暴れることについて上に書きましたが、一人で暴れている場合もあります。
 子どもが、暴れて、保育園/幼稚園/こども園や学校から、何とかするように言われる。
 園や学校では暴れないが、家で暴れる。
 クラスに暴れる子がいるから、子どもが学校に行きたがらない。実質的な被害を受けている。
 暴れるお子さんは、特殊なケースと思いきや、意外に誰にでも起こりえることです。
 不登校になっている子どもの中に、このままでは園や学校で暴れそうだから、家に引きこもっているという子どももいます。
 そういう子どもではなくとも、登校しろ、しないのバトルが高じて暴力になることも多いです。

 喜怒哀楽。怒りも人間の感情の一つです。

 人は生まれてから、まず、”不快”という感情が出てくるのだそうです。そして、”快”を知り、だんだんといろいろな感情が判るようになってくるのだそうです。「おむつが濡れた」不快。「お腹がすいた」不快。「暑い・寒い」不快…。赤ちゃんは人に世話をしてもらわなくてはなりません。不快を感じずに、泣いたりしなかったら、おむつはそのままになり、お尻がただれてしまいます。感染症で病気にもなります。と言うように、生きるために必要な感情が生まれてくるのです。
 怒り→攻撃性→アグレッション。アグレッションは、人生を台無しにする要素のように言う方もいらっしゃいます。昔、アグレッションについて調べた心理学者がいました。アスリートは異様にアグレッションが高いそうです。でも、そのアグレッションをいつでも発揮するのではなく、ここぞという場で発揮する。だから、あんなにすばらしいパフォーマンスができるのですね。アスリートだけではありません。アグレッションは、人生を切り開いていく力です。アグレッションがなければ、無気力になります。受験で志望校に受かるように自分を駆り立てることもできません。適正に怒ることができなければ、いいように使われるだけです。怒り、攻撃性は、自分を守るときに発揮するものでもあります。要はコントロールする力を身につければよいのです。
 コントロールすると言っても、抑え込んでいるだけでは、いつか爆発します。普段、おとなしい、人が好いと言われている人が怒り出すと手が付けられなくなるのは、貯めこんだ怒りが爆発したためです。人からは「これだけのことでこんなに怒るなんて」と後ろ指差されます。怒りを露にした人にしてみれば「これだけ我慢したのに」と言いたくても、それまで”我慢”していることを見せてこなかったので、周りの人にはわかりません。悲しい結果になります。
 また、コントロールしていると自分は思っていても、周りの人の認識とずれている場合もあります。それが、パワハラ・カスハラ・〇〇ポリスなどとなって現れる場合もあります。

 ということを踏まえたうえで、暴れている子どもについての対処法の一つを提示いたします。
 実年齢は関係ありません。その方の心の発達状態が問題なのです。そして、心の発達状態も、一つのスケールでは測れません。忍耐強さがとても発達しているからと言って、怒りについては幼児期並みと言う方もいらっしゃるのが不思議なところです。そして、人の心は、何かの問題にあたると、”退行”します。ふだんなら、年齢に見合った対処ができていることも、何か、とてつもない問題にあたると、赤ちゃん返りする場合があります。なので、普段より赤ちゃんになっていると思ったら、それを責めるのではなく、「大変なことが起こっているのだ」という目で見ていただけたら、ありがたいです。

☆まず、暴れている状態に遭遇したら。
  よくあるのは、その暴れている子/人に対して、怒鳴りつけてしまうことです。子どもだと、一時的に黙ることもありますね。でも、思考停止になっているだけか、怒鳴る人を新たな危険と感じているだけです。多くは繰り返します。繰り返さずに、黙って効果があるように見えても、解離しているだけなので、別の場所(時には数年後)や別の形で問題行動が現れてきます。怒鳴りつけるのは止めましょう。 
  長々と大声で説教するのも意味がないと言われています。感情的に暴れている場合は、その人/子の心は、感情であふれかえっているので、他の人の言葉は頭に入りません。場合によっては、本当に伝えたい言葉ではなく、どうでもよい言葉だけキャッチして、売り言葉に買い言葉。バトルが過熱する素になります。
  もし、環境が許せば、怪我しないように、怪我させないように、危ないものは片付けて、クラスメートやご兄弟は別の場所に避難させて、収まるまで待っていただけるといいです。学校や園では「クールダウン」「タイムアウト」と言って、そういう部屋を作っている場合もあります。机の下に幕を下げて仕切りにしているところもあります。段ボールを用意したら、子どもたちが飾り付けて素敵な隠れ家になったところもあります。小さなテントを用意されたところもあります。絵本『おしいれのぼうけん』のような押し入れもありますね。昔の人は経験上、クールダウンの必要性を知っていたのでしょうか。発達障害といわれる特性を持っている子との付き合いが多い専門家や保護者の間では周知の対応ではあるのですが、特性を持っていない子にも有効です。ただ、学校や園で行う場合には、事前に、子どもや保護者に説明して、了解を得ておく必要があります。誰でも使えるようにしておくことも良いと思います。順番待ちの方法を、先生が知らぬ間に自主的に子どもたちが作っていた学校もありました。そして、間違ってはいけないのですが、クールダウンしている間は”放置”ではありません。”放置”は虐待です。落ち着いてきているのか、怪我しそうなことをしていないか(特に発作で呼吸が乱れる場合もあるし、憤怒痙攣のようなひきつけのような状態になる場合もある)、”見守り”が肝要です。
  また、体をぎゅっと拘束されることによって落ち着く子もいるのですが、これは個人差が大きいので、やってみて、嫌がったらやめて、落ち着くようだったら続けるのが良いと思います。学校で「特別支援教育」のグッズとして、拘束衣を売っています。勿論、これも、学校や園で行う場合は、事前に保護者の方と打ち合わせておくことが必要です。
  暴れているときに言葉がけが必要な場合は、単文で静かに話しかけます。共感的な言葉がけが効く子もいます。反対に、感情に翻弄されているので、機械的な言葉がけのほうが効く子もいます。時報をモデルにして、その子バージョンを作っていくのが良いのかもしれません。
  そして、落ち着いたら、何がどうして暴れたくなったのかを一緒に話し合います。共感的に話を聴きます。でも、カウンセリングと違うのは、その子の心の中で感じた”内的事実”を尊重するとともに、周りの人が認識している”外的事実”とすり合わせすることです。ここで、”外的事実”に重きを置くと、”尋問”になってしまい、”本音”は聞き出せません。もしくは「やっぱりわかってもらえない」と、以後関係が悪くなります。暴れた子の”内的事実”に重きを置くと、巻き込まれた子が不満を持ちます。バランスが難しいです。そしてもう一つ大切なこと。カウンセリングとは”受容”と思い込んでいる人が起こしがちなことですが、世の中にはルールがあります。「そんな風に経験しているのなら、そういう気持ちになって当然」と気持ちは受容しますが、ルールに外れた行為は受容しません。どうしたら、ルールに適した行動をとれるのかを相談してください。また、理由がはっきりするときもあれば、解らない時もあります。わからないときは、暴れたくなる前に感じる体や心のサインを探って、そのサインが現れたら、暴れる前に、隠れ家に入ってクールダウンできるように指導します。隠れ家に入る前に、許可を求めるようにすると、在所確認が取れるとともに、誉めるチャンスが増えますね。そして、暴れる前にクールダウンできたら、後からでもそのことを認めてあげて下さい。
  と言っても、体や心のサインを自覚することはとても難しいです。カウンセリングの一種・フォーカシングや特別支援教育のプログラム「心の温度計」などで、普段から練習しておくことが肝要です。
  もう一つ大切なのは、巻き込まれた人たちへのケアです。実際に、怪我していたら、治療が必要です。そして、気持ちへの共感。「大丈夫?」「怖かったねえ」「びっくりしちゃったねえ」。自分が守られている、自分へも関心を持っていてもらえていると知れば、人は人に寛容になれるものです。先生が暴れる子への怒りを露にしている横で、児童・生徒が私に「でも、〇〇ちゃんて、私が困っていた時に助けてくれたんだよ」などと、暴れている子のよいところを教えてくれることはよくあることです。暴れている子に暴言を吐いたり、一緒に騒ぎを大きくしようとしたり、ミニ先生になって、火に油を注ぐ子もたくさんいますので、おとなしく避難できたら、そこも誉めるポイントです。「皆、〇〇君を静かに見守ってくれて、助かったわ。ありがとう」という言葉は嬉しいものです。

☆怒りを暴走させないようにするために。
  アンガーマネージメント、認知行動療法で、自分がどういう時に怒りを感じやすいか、怒りを感じたら、どう対処するかを学ぶ方法も一つです。そのような講座も開かれていますし、認知行動療法のワークブックもたくさん出版されています。
  フォーカシングとは、まだ名づけられないような体の中に沸き起こるものを手掛かりに、”自分”を探っていくもの。いっぱいいっぱいになった心の中を整理する方法もあります。
  また、怒りの後ろ側には、他の感情が隠れていると言います。ひどい扱いを受けたから怒った場合、ひどい扱いを受けて悲しかったとか、情けなかったとか、人それぞれ、いろいろな気持ちも同時に沸き起こっています。その気持ちのケアも大切です。その時、上にも書いたように、”怒り”はあなたを守る術でもあるので、”怒り”にも感謝を示していただけると嬉しいです。
  そして、上には隠れ家で落ち着くというクールダウンを紹介しましたが、リフレッシュする方法を見つけておきましょう。その場でできるものなら、肩の上げ下げ、手のひらをグーパーするなど、いろいろな方法があります。だいたい、怒りが沸き起こっているときって、体が硬くなっていますので、ほぐしてあげると気分転換になり、柔軟な発想が生まれる場合もあります。
  勿論、寝不足や空腹、疲れも怒りを暴走させやすい一因ですので、体調を整えておくことも大切です。

☆怒りを暴走させるような子にさせないような子育てとは。
  私が参考にしているのは『怒りをコントロールできない子の理解と援助 教師と親の関わり』大河原美以・著 金子書房です。私の手元にある本は2004年に出版されたものですが、大河原先生のご研究はさらに進んでいます。ただ、この本はどちらかというと理論書で、だとしたら、具体的にどうしたらいいの?と言う部分もあります。
  それに答えたのが『ちゃんと泣ける子に育てよう 親には子どもの感情を育てる義務がある』大河原美以・著 河出書房新社です。具体的な会話例なども載っていますので、ご興味がある方はお読みください。 


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子どもが、学校に行きたがらない?!

2024年09月05日 | 職業
 不登校状態となっている児童・生徒が増えた!という記事が流れています。
 正直、私がスクールカウンセラーとして担当していた地域の特性か、スクールカウンセラーとして働き始めた頃から比べると、その頃からクラスに2、3人であったので、今更増えたような気はしないのですが、お子さんや保護者の方の感覚・意識が、コロナ禍を境にして変わったような気がしています。
  コロナ禍でステイホームに慣れてしまった児童・生徒が多くなったような気もします。あの頃は、学校に行っても様々なことが禁止、もしくは中止となりました。一番警戒感が強かった時には友達とのおしゃべりさえも禁止されていました。そんな状態を強いられた子どもたちが、学校なんて面倒くさいと、自らの居場所を探し見つけて、学校に魅力を感じなくなったような気がします。「勉強なら家でやっている。なぜ学校に行かなければいけないのか」不登校状態のお子様に何度言われたことでしょう。そして、コロナ禍では、それがスタンダードになり、家で学習するためのサービスが充実してきました。益々、「登校しなさい」と、叱りづらくなっています。
 大人世代でも、学校不要論を唱える方が増えました。電車の中で流れるショートムービーでそんな主張をみた衝撃を今でも覚えています。とはいえ、保護者の方が、以前ほど登校を強く促せないのは、「追い詰めて、自殺でもされたらどうしよう」という不安ではないでしょうか。自殺されるくらいなら、不登校状態を認めた方が良い。フリースクールやサポート校など、受け入れてくれるところはあるのだからという思いでいらっしゃるのではないでしょうか。

学校に行くか、行かないか。難しい判断です。
 不登校状態から引きこもりになることがあると聞きます。8050問題も頭をかすめます。反対に、一時期不登校状態であっても、自分らしい生き方を見つけたという話も聞きます。
 その分かれ目は、何が違うのでしょうか。
 その答えは、一人一人の中にあります。

前回の記事の中で、「過剰適応が続いており、もう続けられなくなった。受験などが控え、将来が不安になった。精神が発達したことにより、バランスが崩れ、今までのようには行けなくなった…。ホルモンバランスの変化により、今までのようには行けなくなった」などの例えを書きました。
 そう、過去を振り返り、未来を見て、今を考えて、結論を出さねばなりません。

過去を振り返る。意外に難しいです。
 場合によっては、生まれる前のことから伺うこともあります。そのお子様は、ご両親やご親戚からどんな期待を背負って生まれてきたのでしょう?歩き始め、初めての言葉。保育園?幼稚園?おじいさまやおばあさまに育てられたお子様もいらっしゃいます。どんな遊びを好んだのでしょう。そして、今中学生なら小学校では?今高校生なら中学校では?
 最近は、ご両親が、お子様の顔を見るのは寝顔だけという場合もありますね。そうすると、お子様に関わってくれていた方々の話を聞かなければなりません。
 写真や、ホームビデオ、スマホの動画、母子手帳(赤ちゃん手帳)や、園の連絡帳などを持ってきていただいて、お話を聞くこともあります。たいていは、ご兄弟のエピソードが混乱していることや、他のことで手いっぱいで覚えていらっしゃらないとおっしゃっていたのが、時間をかけてお話をしているうちに、だんだんと思い出してくださることが多いです。完璧に覚えているとおっしゃっていた方が、他のエピソードを思い出される場合もあります。
 そんな話を隣で聞いているお子様の表情の変化。花開くように変わっていったり、反対に苦しくなったりすることもあります。(勿論、心理の専門家が話を聞いているのなら、苦しいだけのお話にはしません)
 そんなやり取りの中に、解決に向けての、大きな種が隠れていることが多いです。

未来を見る。これもまた、難しいです。
 引かれたレールに息苦しさを感じているお子様もいらっしゃいます。保護者の方としたら、お子様の将来を考えてプランニングしたのですが。プランを一緒に建て直さないといけないのですが、そのすり合わせが難しい。
 反対に、まったくノープランで、どうしたらよいのか不安になって動けなくなっているお子様もいらっしゃいます。「子どもの意思を尊重したい」という思いから「あなたが決めていいのよ」と言われるお子様もいらっしゃいます。でも、お子様はまだ白紙の状態。決めようにも、何を手掛かりに、何をどうすればいいのかわかりません。一人では決めかねるのが一般的です。どうお子様の意思を尊重しながら、どう手助けしたらよいのかが難しい。
 お子様がやりたいことを持っていても、大人としたら認められない場合も多いです。「YouTubeで稼ぐ」と言われても、「そんなことで食べていけるわけない」と思うのが大人の多くの反応ではないでしょうか?スポーツどころか運動もしていないのに、「サッカー選手になる」と言われても、です。これらは極端ですが、微妙な差異をどうすり合わせるかが難しい。
 そんな将来のことだけではなく、部長をやりたいけれど勉強も等、様々な不安があります。9月~12月は行事が多い学校が多いです。初めての体験が続く時期でもあります。
 お子様はどんな不安を抱えていますか?

今を考える。
 ”今”の状態を把握することから始めて下さい。
 眠れていますか?時間よりも、起きた時にすっきりしているかを目安にしましょう。
 食欲はいかがですか?食べすぎも、食べなさすぎも心配です。
 ご家族との関係はいかがですか?意見や気持ちが食い違うことが多いと、気持ちの良い挨拶ができなくなりますね。極端な場合、部屋に引きこもって誰とも顔を合わさないことや、家に帰ってこないことも。
 お友達との関係はどうですか?お友達と言っても、学校だけの付き合いではありません。ネット上でのお友達が一番心許せる友だというお子様もいらっしゃいます。ネット上の知り合いというと、危険なニュースばかりを耳にすることが多いので、禁止したくなりますが、心許せる友達を否定されることも心傷つく種ですので難しいところです。そのお友達が、お子様を騙そうとしているのかいないのか、どう確かめるのか、難しいところです。ちなみに、不登校状態になり、ネット上での友達しかいなかった方が、そのネット上の友達の助言を受けて、自分の人生を考え始めたというケースは山ほどあります。大人の助言は嘘くさく感じていても、同じような経験をし、一緒に楽しんだ人の助言なら聞くに値すると思うようです。そして、同じような経験をし、不登校状態から抜け出した人が、混ざっていることもあります。一概に、否定はしないでください。でも、確かに、悪人はいますので、警戒心も無くさないでください。また、本や映画・音楽・絵画・ゲームの中に”親友”がいることもあります。真剣に芸術を鑑賞するとき、そこに、芸術や作者との対話が生まれます。純文学だけでなく、漫画やアニメーションだって同じ効果があります。漫画やアニメーションが、人生のバイブルという方は多いでしょう?
 お子様がどう思っているのかも大事です。行きたいけれど行けないのか。行きたくないのか。行きたくないのならその理由。こんなに簡単に割り切れるものではなく、この3つの気持ちがグルグルしていることが多いです。
 そして、何より大切なのは、自尊心の状態。傷つき、家に籠りたくなるような場合、自尊心が傷ついています。自尊心がニュートラルな状態でなければ、自分を良い方向に導くように考えることも、決定して行動することもできません。何かのきっかけや事件があるならそのことについて対処していくこともできるでしょう。でも、意外に多いのは、日々心をすり減らして、ご自身にもわかっていない場合。また、こんなことで傷ついてと否定している場合。周りもこんなことでと思っている場合が多いです。
 勿論、最終的には、その傷を増やさないような方法を考える必要がありますが、とりあえずは、その傷を癒さねばなりません。人によって方法は違います。ひたすら寝ることが必要な方もいます。食べることを大切にしなければならない方もいます。そして、遊ぶこと。誰かと”楽しい”と思える時間を分かち合うこと。
 ”遊ぶ”ことに関して、日本人は否定的ですね。「学校にも行っていないのに、遊ぶなんて」何度聞かされたでしょうか?登校しないという悪いことをしているのだから、牢獄の中に閉じ込めて、使役しなければいけないのでしょうか?でも、子どもと大人の”遊び”の意味は全く違うのです。大人が”遊ぶ”時、本業の中の息抜きが多いでしょうか。本業=やらなければ生活が成り立たないこと。大人になれば、いろいろなシーンでの責任を負っています。仕事への責任、家族への責任。お疲れ様です。そんな疲れた状態をリフレッシュするものが”遊び”ですね。そう考えれば、大人化して学校や様々なシーンで頑張って力尽きたお子様にも、リフレッシュが必要なことはご理解いただけると思います。大人化した子どもの中には、企業戦士化した子どももたくさんいますからね。ただ、リフレッシュ以外にも意味があります。子どもの専門家を名乗る方のほとんどは、「遊びは学び」と言います。遊んでいる中で、子どもは授業の中で学べないことをたくさん学んでいるのです。自分の思い通りにならなかったときの対処法とか。思わぬ発想が浮かんでくる時も遊んでいるときが多いですね。自分らしさを見つけるのも、遊んでいるときです。そうやって自分で自分に課したものをクリアした時、自信が生まれ、自尊心が心の中で輝きだします。
 だから、お子様が遊んでいるときの状態にも目を配ってほしいのです。心が傷ついているときは、乱暴で、あえて傷をつけたがっているような遊びをします。ゲームでも相手をやり込めたり、いじわるしたり、ズルをしたり、暴言もあるでしょう。他の遊びでも似たようなものです。心が動いていないときには、ゲームをやっていても、ボーとしています。のめりこむことも興奮することもせずに、繰り返します。見たくもないTVを時間つぶしに見ている状態です。だったら、やらなくてもと思うのですが、何もしないとネガティブな思いが湧き上がってくるので、やらないよりやっていた方がマシなのです。でも、本当に楽しんでやっているとき。お子様がどんな表情をするかご存じですか?大抵は、頬が紅潮して、目がキラキラしています。こういう表情をするようになれば、動き出す日は近いです。

お子様が不登校になった時、相談に応じる心理の専門家は、保護者の方にも相談にいらっしゃることを求めます。
 「不登校になっているのは子どもなのだから、その子が来なければ解決しないんじゃないの?」と言われることがよくあります。
 でも、実際は、保護者の方だけが相談にいらして、お子様は一度も相談室に姿を見せないでお子様が動き出すことが多いです。保護者の方が通っているところを見たいと言って最後に来て下さることもあります。
 お子様がご自分の意思で最初から来室するのは珍しいです。上にも書いたように、お子様は自尊心が下がり、自分には何もできないと思っていることが多いです。もしくは大人への反発もあるかもしれません。どうせ説教されるに決まっている、行けと言われても行けない。行けるならとうに行っている。
 お子様も一緒に来てくれれば、何も語らなくとも、その佇まいで、その気持ちを察することができるのでありがたいですが、無理強いして、心の傷を増やすことも気が進みません。
 なので、保護者の方にご協力を求めるのです。保護者の方に面談をとお誘いすると、「私たちの子育てが間違っているのか?」とお怒りになる方も多いです。
 でも、上に書いたようなことは、身近にいらっしゃる方に聞かないとわからないことも多いです。そして、お子さん自身が気が付かないことをご家族の方が気が付いていることもあります。一緒にお話ししているうちに、思い出したり、気がついたり、違う見方をされるようになったりします。
 そして、もう一つ大切なことは、精神発達です。人は、生まれてから、乳幼児期・児童期・前思春期・思春期・青年期・成人前期・成人後期・高齢期と発達していきます。それは、お子様一人ではなく、ご両親も、ご兄弟も、同居されている他のご親族もです。かつ、家族にも、家族ライフサイクルがあります。その掛け合わせの中で、保護者の役割は変わってきます。乳幼児期~児童期は保護者がイニシアティブをとって、お子様を”導く”やり方が主導です。でも、前思春期・思春期になれば、自律・自立に向けて、保護者の方とお子様が並走するやり方が必要になります。青年期以降は、保護者はゴールキーパーでしょうか。お子様が一人でやるのを見守り、困っていたら手を出す程度くらいがちょうどよいのではないでしょうか。ずっと青年期以降になっても、保護者の方が全て決めて主導していたら、昔のTVドラマの登場人物の冬彦さんになってしまいます。でも、多くの保護者の方は、このことを頭で分かっていても、心の中のお子様はいつまでも乳幼児期。ましては、不登校の状態になると、親が何とかしなければと思い、関わりを多くしてしまいます。お気持ちは共感するものの、お子様が自立に向けて、どの程度手をかけるか、手を放すかは、外からみていないと見えなくなるものです。そのあたりを、臨床心理学の知見に基づき、提案させていただくことはあります。

不登校から抜け出すための、マニュアルがあると良いのですが、あなたがこの世でたった一人であるように、お子様もこの世にたった一人。役立つ臨床心理学の知見はあるものの、それをいつ、どのように使うかはあくまでオーダーメイドなのです。

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お子様の様子が気になるときに。

2024年09月04日 | 職業
夏休みが終わり、学校が始まりました。

学校に行くのが待ち遠しいお子様もいらっしゃれば、
様々な理由で、行き渋るお子様もいらっしゃいます。
保護者としては、いろいろな報道を見て、「不登校?」「いじめ?」と心配になられることもあるでしょう。
「お子様の話を聞いて」と報道で流れることも多くなりました。
(今年は、台風等の災害情報と重なったので、あまり目立ちませんでしたが)

お子様の様子を心配して、話を聞こうとするときの、ちょっとした注意を書きます。参考になれば幸いです。

☆もし、あなたが尋問されたらどんな気持ちですか?
  人は誰でも、心配な時、何か問題を解決しなければと思う時、言葉がきつくなります。問題点を明らかにしなければいけないと気負うほど、〇か×かと問いただすような問いかけになることが多いです。
  相手を心配すればこそですね。そんなお気持ちには共感いたします。
  でも、問い詰められる方にしたら、それは尋問されているようなものです。
  もし、あなたが尋問されたら、どんなふうに答えるでしょうか?
  一つのパターンは、押し黙ってしまうのではないでしょうか?尋問されることへの反発もあるでしょう。勢いにのまれて、言葉が出なくなることもあるでしょう。どうでしょうか?そんな反応を見て、話を聞きたいと思っている方は、さらに不安になって、尋問を重ねます。何か、言えないことがあって隠しているのではないかと。反発されているのではないかと思うと、その反発に対しての怒りも加わって、なおさら引けなくなることも多いです。そうなると、お互いの気持ちが食い違って、泥沼化することもあります。
  二つ目のパターンは、話をしたいのだけれど、聞いてもらえないでいることもあるのではないでしょうか?「どうして?」と聞いていても、「どうして」と言っている方の中に、すでに決まった答えがあって、聞かれた方は自分の気持ちを言っているのに、それを否定されてしまう。最終的には、黙るしかないか、質問してきた人の意見に合わせるしかないことになります。
  三つ目のパターンは、尋問された人が満足をするような答えを探して答えることです。大人でも、その場に合わせて都合のよい話をすることもあります。その場逃れに、相手が満足しそうなことを言う時もあります。子どもでは、無意識に、目の前の大人が望んでいそうな話をすることが多いです。だから、司法の現場で子どもに証言をしてもらう時には特に注意が必要で、そのためのインタビュアーが話を聞くようにすることもあるほどです。計算して、子どもが嘘を言っているのではありません。子どもは誰かに保護・養育されなければ生きていけません。それほど、保護・養育してくれる人の存在が大きいということです。このパターンで気を付けなければいけないのは「どうして学校に行きたくないの?」と聞いて「〇〇ちゃんが…」「先生が…」とお子様が答えた時、それを行き渋りの理由と断定してしまうことです。「どうして」と聞かれた時、お子様は一生懸命に考えます。そして、一番早くに思い出したことを伝えるということもあるのです。また、考えている間に、保護者の方が矢継ぎ早に「お友達と何かあったの?」「先生と何かあったの?」と言われて、「うん」と言ってしまうパターンもあります。でも、それはよくある日常の一コマで、別の日には「〇〇ちゃんと遊んだ」とか「先生に褒められた」とかになることもあるのです。一つの事実だけではなくて、総合的に把握していくことが大切なのです。

☆総合的に把握するということとは?
  学校での様子を保護者の方がずっと見ているわけにはいきません。だからこそ、心配になるのですね。最近の学校は、保護者が見学したいと言えば、授業参観日以外でも受け入れてくれるところもあります。とはいえ、毎日行くわけにはいきません。
  せめて授業参観日に様子を見ると言っても、授業参観日は子どもにとっても特別な日。いつもよりおりこうさんになっていることが多く、保護者の方が知りたい素の様子を見ることがなかなかできにくかったりします。それでも、顔の見える関係・・・同じクラスの子、せめて、お子様がお友達として名をあげる子と顔なじみになっていると、お子様が語る学校での様子もイメージしやすくなるのではないでしょうか。
  また、最近引き受けてのいないPTAですが、日常的に学校とのつながりがあれば、学校・クラス・先生・保護者のイメージがしやすくなります。学校によっては、PTAとは別にお父様の会を作って月1度くらいに活動しているところもあります。クラスが荒れそうになった時に、この保護者ネットワークの力もあって、立ち直ったこともありました。いろいろな方のいらっしゃり、お付き合いが難しいママ友・パパ友ですが、一つの方法ではあります。

☆ご家庭の中で、できること。
  学校で壁にぶつかっても、ご家族にパワーをもらって乗り切ることができる。そんな経験はありませんか?
  まず、チェックしてもらいたいのは、生活リズムです。長期休みの間は、ふだんよりも、遅寝・遅起きになりやすいもの。ましてや、ここ最近の熱帯夜。睡眠の質が悪くなっていることもあります。それで調子が悪く、ぐずっていることも多いです。また、気ままな生活をしていたのが、急に時間割に縛られた生活になるというのもかなりのストレスです。習い事や塾・学童・部活に行っていたとしても、学校のリズムとは違うもの。その変化に戸惑うお子様もいらっしゃいます。
  お友達付き合いも、少数精鋭から多数とのやり取り。教室の人口密度に疲れを覚えるお子様もいらっしゃいます。
  宿題。最近は、昭和時代に比べて宿題が少ない場合もありますが、提出期日に間に合わない状況は相変わらず。高校・中学校受験で、長期休暇中も塾の宿題に追われていたお子様もいらっしゃるかもしれませんね。宿題は、社会に出てから、仕事の納期に間に合うように段取りをする練習と言う方もいます。だとすれば、無くせばよいというものではありません。長期休暇中から計画を立ててこなすのが一番ですが、そのようにできる人ばかりではありません。期日に遅れたなら遅れたなりにどのように対処すればいいのか(先生に謝って期日を延ばしてもらうとか)、挽回の練習をするチャンスと、保護者の方がお子様にアドバイスしてくださればありがたいです。
  そして、一番大切なのは、急がないこと。すでに、4月~7月まで馴染んできた学校です。少しずつ慣れていけば調子を取り戻していきます。
  家に帰ってきたら、笑顔で迎えて下さい。もしくはお仕事から帰ってお子様にあったら、笑顔で挨拶してください。不機嫌な顔をしていることもあるかもしれません。お互いさまです。保護者の方もお仕事や、家事の段取りなどでうまくいかずに不機嫌になることがあると思います。そんなときに不機嫌な顔で返されたら、余計に気分が悪くなります。そこは突っ込まずにしばらく様子を見ることにしてください。
  そして、1日5分でも、1週間に30分でも、お子様と楽しむ時間を作ってください。大切なのは両方が楽しいことです。お子様だけが楽しいのでもダメです。保護者の方の趣味にお子様を突き合わせるのでもダメです。そこで楽しむことはエネルギーチャージになります。そしてそんなコミュニケーションととっていると、お子様が困ったときに何かしらのサインや話をしてくれます。話をしてくれたら、結論や解決を急がずに聞いてあげて下さい。

☆それでも、行き渋りが続くとき。
  長期休暇前には馴染んでいた学校だから、時間はかかるかもしれないけれど、元に戻ると上に書きました。
  大半は、戻るのですが、少なからず、行き渋りが続き、不登校状態になることもあります。いろいろなことが考えられます。過剰適応が続いており、もう続けられなくなった。受験などが控え、将来が不安になった。精神が発達したことにより、バランスが崩れ、今までのようには行けなくなった…。ホルモンバランスの変化により、今までのようには行けなくなった。他にも、他にも…。
  そんな時に、行く行かないのバトルをしてもお互い消耗するだけです。できれば、学校や専門家と一度話をしてみることをお勧めします。三人寄れば文殊の知恵。何か、新しい世界が開けてくるかもしれません。
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