久しぶりに家族そろってお出かけ。
前から行きたいと思っていた富岡製糸場に行ってきた。
上信越自動車道の富岡インターを下りて少し走れば富岡の町。
片田舎のこれといって何の特徴もないような町並の中に、突如現れるレンガ造りの巨大な建物。
富岡製糸場の正面玄関である。
創業明治5年。
明治政府が作った官営工場で、当時の姿が完全な形で残っているのは富岡製糸場だけとのことである。
世界遺産認定の証。これはレプリカだけどね。
正月ということもあり、結構なにぎわい。
それでも往時を忍ぶに十分な雰囲気を味わうことができた。
こちらは繰糸所。
140mの長さがあり、創業当時は世界最大規模の施設であったそうだ。
富岡製糸場は、昭和62年まで操業していた。
残されている繰糸機は、その当時のものである。
富岡製糸場は、横浜のフランス商館に勤務していたポール・ブリュナを指導者として迎え、日本人に合った機械の導入したり工場の運営に携わったりした。
外国人指導者が去った後も、富岡製糸場は日本の殖産興業を支え続けたのである。
こちらは女工さんの寄宿舎。
優れた技術を持つ女工さんは、工場にとって宝だった。
なんの仕事でもそうだが、大切なのは「人」である。
敷地の柵沿いには立派な桜の老木と、眼下には鏑川の流れ、そして冬枯れの山々が見えた。
満開の桜をバックにレンガ造りの建物を見ると、また違った味わいを感じらそうだ。
富岡製糸場のホームページはこちらから。
前から行きたいと思っていた富岡製糸場に行ってきた。
上信越自動車道の富岡インターを下りて少し走れば富岡の町。
片田舎のこれといって何の特徴もないような町並の中に、突如現れるレンガ造りの巨大な建物。
富岡製糸場の正面玄関である。
創業明治5年。
明治政府が作った官営工場で、当時の姿が完全な形で残っているのは富岡製糸場だけとのことである。
世界遺産認定の証。これはレプリカだけどね。
正月ということもあり、結構なにぎわい。
それでも往時を忍ぶに十分な雰囲気を味わうことができた。
こちらは繰糸所。
140mの長さがあり、創業当時は世界最大規模の施設であったそうだ。
富岡製糸場は、昭和62年まで操業していた。
残されている繰糸機は、その当時のものである。
富岡製糸場は、横浜のフランス商館に勤務していたポール・ブリュナを指導者として迎え、日本人に合った機械の導入したり工場の運営に携わったりした。
外国人指導者が去った後も、富岡製糸場は日本の殖産興業を支え続けたのである。
こちらは女工さんの寄宿舎。
優れた技術を持つ女工さんは、工場にとって宝だった。
なんの仕事でもそうだが、大切なのは「人」である。
敷地の柵沿いには立派な桜の老木と、眼下には鏑川の流れ、そして冬枯れの山々が見えた。
満開の桜をバックにレンガ造りの建物を見ると、また違った味わいを感じらそうだ。
富岡製糸場のホームページはこちらから。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます