母が直腸ガンで、当時大塚にあった癌研病院に入院したのは平成四年。18年前の事。下の子が産まれて、子育てを手伝ってもらうのに同居をはじめた頃だった。普段は休むことなく動いている人なのに、昼夜なく横になっていることが多く、旅行疲れかなと思っていた。でも、あまりに様子がおかしくて、結膜を見たら真っ白で何かあったかを聞くと、この前の旅行で実はトイレで大出血をしたという。
乳ガンでフォロー中だった病院に電話し、主治医に無理矢理つないでもらい、状況を話す。緊急性を伝える私に、面倒そうに「じゃあ、一応、入院できる支度をして、外来にかかってみれば」と。
「あ、ホントだ」
Hb6mg/dl正常の半分の値。輸血の適応になる。直腸癌だった。即入院。その時の言葉の軽さに驚いた。だから緊急だと言ってるのにと、もどかしく感じた。母は乳ガンの後、欠かさず定期受診に通い、検査を受けていた。血液データーや便潜血など兆候はあったが、見落とされていた。
何か言い訳の言葉と、「実は僕は腸が専門なんだよ、不幸中の幸いというか、だからよかったよ」と言っていたのを覚えている。
今回の入院では、倫理的な問題を、多く感じることになる。「倫理的問題」と表現したが、当時はそんな概念は薄く、パターナリズムが色濃く残っていた時代だと思う。看護婦として働き始めていた私にとっても、悔やまれることが多い入院になった。
乳ガンでフォロー中だった病院に電話し、主治医に無理矢理つないでもらい、状況を話す。緊急性を伝える私に、面倒そうに「じゃあ、一応、入院できる支度をして、外来にかかってみれば」と。
「あ、ホントだ」
Hb6mg/dl正常の半分の値。輸血の適応になる。直腸癌だった。即入院。その時の言葉の軽さに驚いた。だから緊急だと言ってるのにと、もどかしく感じた。母は乳ガンの後、欠かさず定期受診に通い、検査を受けていた。血液データーや便潜血など兆候はあったが、見落とされていた。
何か言い訳の言葉と、「実は僕は腸が専門なんだよ、不幸中の幸いというか、だからよかったよ」と言っていたのを覚えている。
今回の入院では、倫理的な問題を、多く感じることになる。「倫理的問題」と表現したが、当時はそんな概念は薄く、パターナリズムが色濃く残っていた時代だと思う。看護婦として働き始めていた私にとっても、悔やまれることが多い入院になった。