見出し画像

a green hand

鬼の居ぬ間に

午後から母が出かけた。
毎年恒例の同級会だ。
82歳で集まる人数は18名という。
同級生の皆さんが元気であることはうれしい。

さっそく私は、ごみ袋を持ち、思い切って自分の洋服やなにやらを捨てることにした。
戦中派の母は捨てられない部類であり、私が捨てたものまでいつの間にかとって置くという・・挙句の果てに、ものがなくなるとそれっといわんばかりに、「何でも捨てちゃうからあんたじゃないの」と嫌味な言葉が発せられる。

母の部屋はとにかく素晴らしい。
ものに埋まって生活していると言ってよい。

家族の写真や孫が小さかったときの写真まで大きく引き伸ばし、四方八方に飾ってある。
それを眺めているのが好きだという。
強い性格だなと私は母のことを思う。

私はほとんど過去の写真は見ない。
たくさんあるのにみていない。
たまにみると、その写真から楽しいことだけでなくさまざまなことを思い出すのがちょっと苦手である。

決して後悔のある人生を送ってきたとは思わないのだけれど、過去に戻るのがちょっと・・。

といいつつ、思い出の洋服や子どもの小さい時の服など取っておいたものを捨てられないでいたり、子どもたちが遊んだ木馬やぬいぐるみも誰かにあげるのは絶対にいやというおかしなところがある。

それで木馬は、現在、孫のハルのもとに・・。
要らなくなったら返してもらおうとさえ思っている。
娘と息子が仲良く遊んだ木馬である。

先日、ハルのママが「もう小学生になったから木馬をパパに返す?」と言ったら断られたらしい。

その言い訳が素敵!
「たまにここでのんびりしたいから」
だという。

この木馬、実は、ハルの許に無かったかもしれないエピソードがある。

夫が友人の子どもが生まれたそのお祝いにうちの木馬をあげると言ったことがあった。
私は、それを聞いたとたんに悲しくなり子どもみたいに泣いてしまった。

その木馬は、お正月の3日だったろうか、二人でデパートに行って買ってきた、私には思い出の品だった。

泣いてる私に困り果て、友人には別の木馬を買ってプレゼントすることにしたというトラブルつきの木馬である。

ハルが1歳のころだったろうか、息子は家にあった、汚れて染みだらけの木馬を家に持ち帰った。

そのときでさえ、いらなくなったら返してねと付け加える事を忘れていない私。
この木馬は娘のものと勝手に決めていた。

もう一つはクマのぬいぐるみ、これは2歳の頃、息子に買ってあげたものである。
これも顔はハルより大きなぬいぐるみのクマであり、お泊りで家に来た時は離せないほど仲良しのクマ。

このクマとの出会いにもエピソードがある。

初めて電車に乗り、バスを乗り継いで私と二人の子どもとともにデパートに行って買ったものである。
帰りの電車やバスの中の2歳と4歳の息子や娘のかわいい姿を膨らませてくれるクマのぬいぐるみでなのだ。

というわけで、今日は、息子と娘の小さい時のそれぞれの1着を捨てることにした。
フェルト製のオムツカバーまでとっておいた。〈やはり母に似てるということか?」〉

自分のものもたくさん捨てて何だか気分がすっきりしてきた。

これから何年生きるかわからないが、衣類の処分には困らないようにドンドン捨てるつもりだ。

アルバムも見ないので自分のは捨ててしまってもいいのだけど・・。
面倒なのでまずは衣類から。

明日はごみの日である。
早く起きないといけないなあ。
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事