a green hand

百日草と百日紅


百日草と百日紅


「百日草は、長く咲いている間の変化が魅力」とヘッセは言ったが、7月から
ずっと咲いていて、咲き始めのみずみずしさはその後の同じ咲き始めとは
違うものがある。

空気なんだろうか、気温によるのか同じ咲き始めの同じ百日草でも趣が
異なって見えてくる。
写真に撮ると空気の色が違って見える。

蝶も同じで生まれたての蝶であっても、ひと月もした後の生まれたての蝶とは
違っている。

花も蝶も疲れてくるのだろうか夏真盛りには花も蝶も、心なしか
小さくなっている。

人間は、夏の真っ盛り、萎んでくるどころか水ぶくれな気もする。

でも私の場合には、どんなことがあっても数日中にはホメオスタシス状態がまだ
働いているのか体重は戻っている。が、他の見えない器官ではドンドン老化の
一途をたどっているんだろうな。

今朝、キンさんギンさんの娘さんたちがテレビに出ていたが、あそこまで
人生を経験した方の言葉は味わい深い。

しかし、アナウンサーが年上の方に向かって失礼ですがと言いつつも、
可愛いという言葉を連発していたのは気に入らないな~。
本当に失礼な気がする。

可愛いお年寄りにというのは理想なのはわかるのだが、
そんな言葉で締めくくらない大先輩に対する「重さのようなもの」が
もう少しあったならと残念である。

私の心に残る言葉は、「若い人は辛抱がたらんな~嫌になるとすぐに仕事を辞めてしまう。
辛抱してたらいづれ出世する・・」

辛抱などという言葉は今の世の中に無縁になりつつあるのか・・
どこかで人は辛抱しないといけないようにできているものである。
仕事で辛抱しない分、他のどこかで辛抱するようにできていると思うこのごろである。

貧しさから復興という時代に入るころの日本人はがむしゃらに働いた。大きな目標
があったからだろう。

それが自ずと家族や国の豊かさに繋がった。

「出世する」という価値の高かった言葉は今では死語になってしまうかのように
珍しい言葉になった。
平和なのだろうと思う。

何だか勢いのない国になりつつあるが、
一つの国の形としての過程なのだろうか?
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事