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a green hand

ここは? アレッチ氷河

グリンデルワルドから、登山鉄道に乗り、ユングフラウヨッホへと出かけた。
アイガーを潜り抜けながら上がる鉄道。
持っていった洋服を着込んだ、さすがに寒い。
夜に星と見間違えたアイガー北壁の明かり。
アイガーヴァント駅、そこで停車し、グリンデルワルドの里が眺められる。
アイガーを眺め過ごしたが、アイガーも我々を見下ろしていたのだ。

氷河を20メートル掘り進み作った氷の宮殿アイスパレスに、TVでみたその場所にいることが夢のよう。

25秒で展望台に着く高速エレベーターでスフィンクス展望台まで上がった。
空気が薄いのがわかる。
カメラをもち何枚も夢中で撮っていたが気づくとハアハアしている。
富士山あたりにいる事になる。

スフィンクス展望台から、下をみるとまるで人間は蟻のように見える。
小さいなあ私たち人間は・・。

そこで麗しい3山とアレッチ氷河を眺める。
氷河?氷の河?そう思うと不思議だ。
繋がるまで時間がかかる。

24キロメートルにも及び広がる氷河ということである。
壮大な自然、お天気に恵まれてきれいなところだけを見せてもらった気がする。

N氏はスイスで一番良い場所に居ついたというわけだ。

彼曰く。グリンデルワルドが一番、ほかは見なくていいよと。
それほどに愛している故郷なんだとつくづく思う。

二日目はN氏が懇意にしているパブのようなところに夕食をお願いしたという。
車で20分のその場所まで送ってもらった。

帰りは途中まで歩いてきてねと言われた。
久しぶりに食事らしい食事である。
チーズとポテトとパンを使った料理である。
スイス版、フレンチトースト?
Sさんはアルコールが全く駄目なだけあって、パンが白ワインに漬けてあったらしく、とても苦いという。
N氏がチーズ料理には白ワインが合うと言い残して去ったので、飲物はグラスワインの白とお水をもらう。

食事も終わり、N氏を待つ間、お客の一人が幼児を抱っこし、我々の近くにある、鐘の音で遊ばせていた。おじいちゃんらしい。

私たちはその様子をニコニコしたり、愛想を振りまいたりしてみていた。

そのうち、お婆ちゃんらしい人が赤ちゃんを抱っこし、手遊びであやしながら我々に近づき話しかけてきた。

スイスに住む息子と孫に会うため、アメリカから来たといっていた。

しばらくすると、若い息子もやってきて、どこのホテルにいるのと訪ねた。
ホテルべラリーは良く知ってるらしく、お母さんにいいホテルだと説明していた。
また、息子さんは日本に行ったことがあるという。
観光ですかと聞くと、仕事で<大阪か横浜か聞き忘れてしまった>行ったという。
仕事はサイエンチスト、首をかしげていると医者であると説明していた。
スイスに住む人間って本当に物静かでしっとりしている。
それに電車の中で馬鹿騒ぎする人間には全く合わなかった。
静かにしないとという雰囲気が漂っている。

スイスでは、日本を訪れたことのある人が我々をみて良く話しかけてくれた。
個人旅行であることは言葉も通じるとだろうと思ってなのかもしれない。

坊やのママさんなのだろう、我々とのやり取りをスナップに納めていた。

しばらくしてN氏が顔を見せ、どうして歩いて途中までこなかったのと言った。

荒々しい運転に、インターラーケンからグリンデルワルドまではお迎えを頼もうという案に反対していた私とTさんだったので、迎えに来てもらわないで良かったねと思わずTさんと顔を見合わせてしまった。

おまけに飲酒運転のようだ。
飲まない食事はありえない、ぼくも今飲んでると・・。
危ない危ない

奥さんのフレーリにはまだ一度も会っていないが、トラブルがあり、大忙しらしい。
昔はお母さんが頑張っていたホテルであったが、そのお母さんもなくなり、今は、N氏と息子が手伝うホテルである。

いくら若くても75歳である。
奥さんも大変だなと察してしまった。

N氏の写真は素晴らしい。
とくにスイスの子どもたちを撮った写真がいい。
フレーベル館から出版されていたが、絶版になっていた。
其の写真が非常にすばらしいのだ。

小さい頃の息子の写真があったがもう立派な大人であり、ホテル修行をして家の手伝いをしている。
父親に写真の腕も似たのか、素晴らしい。

日本語ができると思わなかった私は、朝、「この黒パンはここで焼いたのかしらね」と仲間に呟くや「はいそうです」と遠くから返事され驚いてしまった。

日本人の顔と同色だが、お母さんに似た可愛い息子さんだった。
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