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a green hand

懐かしい友との語らい

その日は雨。

Aさんが、車で40分もかかるTさんの家の近くまで迎えに行き、またそこから40分もかかるだろう我が家へと来てくれた。

私は数日前からいそいそとおもてなしの準備に取り掛かっていた。
と言っても私がおもてなし出来るのは、お菓子以外にない。

しかもTさんはプロ並みの腕前で、十数名のクラス全員にクッキーなどをラッピングも素敵に作って来てくれたものだった。
ご主人が他界してから滅多に作らなくなったという。

私が用意したものは、チーズケーキとプリン2種。
紅茶とコーヒーとメロン。

不器用な私の1番得意とする、妹が教えてくれたチーズケーキ。

その妹は30年ぐらい前に、病気でこの世を去った。

お菓子作りのきっかけが妹のチーズケーキである。

プリンは、卵3個と牛乳と砂糖。
全卵1個と黄身2個でフライパンを使って蒸す。
コツは、贅沢な卵を使うw事と数回漉す事ぐらい。

私以外は誰でも難なくできる。
私の作るスイーツが美味しいとなるとそれには訳がある。

それは、毎回初めて作る気分でそこに全精神を集中させる。w

何度作っても慣れる事がないので、意識しなくても集中せざるを得ないだけなのだが。



この「もうひとつの世界展作品集」の中にこんな言葉が載っていた。
妙に共感している自分がいる。

今年4月、92歳で亡くなったピアニスト フジ子・ヘミングである。


「死ぬ人は、その人が死ななければ贈れない最善の贈り物を後の人に残してゆく。それを受け取った人は不思議な力を受け、新しい生涯が始まる。
母の死はそんなことを教えてくれたわ。」





このような作品集やボテロの図録を見ながら、群れの懐かしさに浸った。






私は、お茶の接待をしながら、Tさんの幼い頃の話を聞いた。

Aさんも私も爆笑だった。
聞いていてTさんはなんて楽しい子どもなんだと子どもの頃のTさんに興味を持った。

幼稚園と小学生の頃の話をしてくれた。

身体が弱く生まれたTさんは、両親から勉強はしなくていいから遊んでさえいればいいからと言われて育ったという。

命があるだけで良いという両親の気持ちが伝わってきた。

それでTさんは両親の言葉通りに遊びを充実させていたようだ。

幼稚園に入ると、人間には興味を示さず、滑り台とブランコに乗る事だけを考えて、いつも順番待ち。
小柄なTさんは、友達の背中と頭しか見ていなかったという。
友だち100人どころか友だちは1人もできずに卒園したと語った。

小学校に入学しても遊んでばかり、学校は良いところだと思っていたらテストというものがあってとても驚き、
結果が悪くそれにも大変驚いたらしいのだ。

これは遊んでばかりではダメだと気づいたという。

家に帰ると勉強はしなくても良いと言われているので家で勉強する訳には行かず、小さな心を痛めた結果、学校で集中するしかないと思ったという。

幼稚園や小学校の教師を経験した側の聞き方として、一種独特な職業意識を働かせながら聞いていたのは私だけだろうか?

ありありとTさんの姿が眼に浮かぶのだ。
見えない部分までもがそのお話から見えてくる。

職業意識というものはなかなか抜けないものである。

さてチーズケーキとプリン2種は好評であった。
Aさんはメロンが苦手でプリン2種は喜んで食べてくれた。

お菓子作りのプロのTさんは「どちらが自信作?」と聞き、新作のチョコプリンには手をつけなかった。
そんなわけで、お茶の時間なのに、お腹いっぱいにさせてしまった。(つづく)



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