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その時は、さほど考えもしなかったこの言葉。
夫の父親、つまり私の義父、子供たちの祖父にあたる人が言ったのだ。
なぜその言葉を言ったのか覚えていないがその言葉がぴったりくるシチュエーションにあったということは確かだろう。
農業や果樹園を生業としてきたものの生い立ちがあるのかもしれない。
今にして思うとサラリーマンの家に育ったものにはわからない感覚だった。
子供たちが生まれた時からお正月やお盆には夫の実家に子供たちの従兄弟がたくさん集まっていた。
その親たちはお酒を飲み、ご馳走を食べながらいろいろと日常を話し合った。
仕事での愚痴でもいい合っていたのかもしれない。
そんな時に、お酒も飲まない静かな義父が言った言葉だった。
酔いどれている義父の息子や弟、そして娘の夫たちに呆れていたのか、いつも途中から姿を消し、自分の部屋でテレビを見ていた。
それでも毎年、同じようにお盆とお正月には義母からの電話があった。
古くから伝わるその家のしきたりのようなものだ。
女たちは、台所に立ち、洗い物をしたり、料理を運んだりと男たちの世話をやいていた。
成長した時に娘が言った「お父さんの家って男社会だよね」の言葉で初めて気づいたのだ。
それは当然のことと思いながら二十年もにわか嫁として、夫の実家の台所で洗い物に専念していた。
そこの女社会が私は好きだったのかもしれない。
それに義父母と同じように酔いどれた人たちの非日常の姿がどこかで嫌だったのかもしれない。
さて、働くということ。
はたを楽にするために「働く」のが仕事だとすると、人間というのは大変な仕事をしている人ほど低賃金で人のために役立っていることが多いとつくづく思うのである。
こんなことを考えているとまた、高校のときの古典の先生の顔が浮かんで来る。
「楽をするために生きるなんてとんでもないですよ、あなたたち・・」ニコリともしない真顔で生徒に語った言葉である。
人生の何も知らない年齢で聞いたゴツゴツとした言葉が心の奥底に沈殿し、醸成されて姿を現す時、その言葉の意味がわかってくる。
人に何かを感じさせる言葉というのは、その人から発した本当の言葉なのだ。
義父もその先生も自分の言葉を伝えたのだ。
「仕事は辛いこと、生きるとは辛いことです」という言葉も意識せずに入り、後に意識して助けられた言葉である。
これは、尊敬する上司の言葉であるがこれも聞いたときはなんと大袈裟なこと・・と感じながらどこかに残っていた言葉である。
最近では、母の名言。
「いいことがあったら、それは儲けものって思えばいいんだ・・」
なんと一見前向きな、深い人生の辛酸を語る言葉だろうと笑ってしまった。
働くとは、人のために一生懸命生きることではないのですか?
社会の底辺を担う多くの国民は皆がんばってはたを楽させるために働いていますよ。
政治家や資本家、そして人間を建設する立場にある日本のリーダーたちにも、己をではなく、はたを楽にさせるために、日本の将来を見据えた、働く人間であって欲しいと未熟者は切に思うのであります。
はた迷惑という言葉もあったっけ・・。
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