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数日前に強い霜が降り、長いこと楽しませてくれていたナスタチュームの橙、ランタナのピンクや黄色、ドウダンツツジの鮮やかな赤が庭から消えてしまった。
私の庭遊びは、霜が降りた途端に今年の庭の終いを迎える。
ベタベタに溶けたナスタチューム。
カリカリと音が出そうなほど枯れたランタナ。
多くの蝶が夏中この花の上で楽しんだ。
季節外れに咲いた白の紫陽花も緑だった茎も葉も焼け、一瞬にして緑から茶色になってしまった。
それでもしっかりと花芽を残して役目を終えた。
今年ほど庭の生き様を注意深く見たり、あちこち花たちを移動させた年はなかった。
「立ち止まる年」だった。
前へ前へと進み、経験を振り返る間も無くさらに前へと進んでいたのに、今年の時は緩やかに流れ、しかも内向きに流れた。
家の中が整理され、庭が整理され、物置や押入れまで整頓された。
例年になく家事にも目が向いた。
ジャム作りをし、梅酒、ブルーベリー酒を作り、レモン酒まで作った。
部屋の模様替えも楽しんだ。
「生活している」感が大きく、生活の質が例年よりupしたようにも思える。
生活することに喜びを感じた。
美術館やコンサートにも行けず、東京に住む娘とも会えなかった。
そのかわり、立ち止まって娘を思い、息子を思い、孫たちを思える「時間」に恵まれた気もしないではない。
先日、久しぶりに2人の友に会い今年初めての会食をした。
1人は大きな病気を乗り越えていた。
1人は何も変わっていなかった。
過去の楽しかった話で盛り上がったが、こんなことはかつてなかった。
ここでも時間が止まったように過去を振り返っている。
活動しないことは過去を振り返るしかない?
夫に「私、マイナーなことを聞くのに耐性がなくなったみたい」
と呟くと、ようやく普通の人になったんじゃないと言う。
世間と距離を置きすぎたせいなのか、人との関係にギャップが生じているらしい。w
静かに好きなものだけを相手に暮らしていた今年、なんだか耐性が弱くなったと感じた久しぶりの友との語らいであった。
そんな折、Yさんから「言の葉だより」のハガキが届いた。
センスあふれるポストカードで、Yさんに選ばれた切手が貼られた言の葉だよりである。
切手には私の好きなマチスを選んでくれていた。
字を忘れると困るのでラインじゃなくハガキにしましたと。
町内に住むYさんなのに、時折くれるお便りに、受け取った瞬間に自然と笑みが湧く。
4冊の本を並行読みしたけど混乱してダメと書いてある。
ちょうど私も3冊の本を並行読みしていたところ。
ラインではなく、ハガキで返信した。