マリアさま、私がにわかに入信したとかいう意味ではない。
O病院に勤める看護士のマリアさまである。
不安におののく患者さまに、マリアの笑みをたたえた看護士である。
患者からそう呼ばれるほど献身的なその人は、自分の生い立ちが申し分ないほど幸せかというとそうではない。
結婚後は大病をし、いろいろな検査も受け、患者の立場を経験したという。
丈夫なだけがとりえの看護士がいるとしたら、それは微妙に異なる接し方になるような気がする。
弱者を相手にする仕事は、どんなことがあっても人であると思う。
マリア様の「慈悲の心」は必須だろう。
しかし、その慈悲の心を持てる人は多いだろうか?
病院の空気を数日だけでも吸ったことのある私は疑問に思う。
病院の体制が悪いから国の政策が悪いからと批判するのも人、ただひたすら患者さまのその辛さを共感し医療や看護にあたるのも人である。
今日はそのマリアさまと会う日だ。
マリアさまを英語の友達が家につれてきたというのがきっかけである。
それからというもの、年に数回、会って食事を楽しむ程度のお付き合いが始まったのだ。
2人とも自分自身を笑い、辛さをも笑いに代えることができる仲間である。
意地悪さが微塵もないくせに、意地悪なんだよと自分を見つめ、人の喜ぶ顔で幸せを感じるような人たちである。
そういう人間の中でホッとできない人間っているだろうか。
「いる いる」どうも世の中にはそういう人間もいるらしい・・・。
ということが残念ながら最近分かってきた。
さて、今日の話題は何になるのか、新年ということでの食事会である。
もちろんTさんがすべて昨年末から計画をたて、食事の店は毎回事前には知らされず、サプライズである。
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