一日違いで大雨に会わずに帰ってきたが、西日本は大変な気候である。
島根県と山口県を訪問したわけだが、福島からは遠すぎて、津和野って何県?
という無知さ加減である。
地理にも歴史にも疎い私は、もしかしたら今回の旅は非国民ならぬ非県民だったのか?と思える場面も。
二日目にIさんを駅で待ち、安野光雅美術館をゆっくりと見学した。
安野光雅が通った津和野小学校の「教室」が美術館内に復元とまではいかないだろうが存在する。
落ち着いた木造校舎、Iさんの話では外見は日本建築であるが、中身は鉄筋で作られているという。
教室で生徒になったり、教壇で先生になったりして楽しんだ。
隣は図書室になっていて主に幼児や小学生に理想的とされる絵本や本が並んでいた。
いつまでも時間があれば過ごしていたい気持ちになる。
安野さんの声の説明の小さなプラネタリウムもある。
3人で話し込んでいて2分遅刻で12時からのに間に合わず、プラネタリウムのドアは固く閉ざされてしまった。
悔しがりながらも、1時からのプラネタリウムまでの時間を食事に当てることにした。
美術館を出ると斜め右に屋根から、たくさんの霧が出ている店があった。
窓や戸はなく、テーブルも粗末、部屋はすだれのようなもの1枚で仕切られている。
歴史がありそうなのでそこに入る。
霧状の軒下から出る水蒸気は、涼を取るためのものという。
冬はどうなのかとMが聞くと、水蒸気はないが、そのままだという。
津和野は暖かいのか、そんなわけはない。
窓や戸がないのでスウスウと気持ちのいい風が通る。
二人は迷った挙句うどんを注文した。
私は白玉ぜんざいを所望した。
うどんも味見させてもらったら美々、ぜんざいも予想以上に素晴らしく白玉も小豆も美味しい!さすが小京都の町、津和野の品だ。
食べてると、途中、SLの音がしてきた。
窓も戸もない裏口から「SLだ」と言ってIさんやMさんが出て行くので、私も同じく線路の方へ出てみた。
まだお金も払っていないのにと思いつつ。
気づくと他の客もその店の裏に出てSLにカメラを向けている。
男の客が多いなと感じてたら、鉄道マニアたちだった。
お昼をそこで摂り、津和野に来るSLを待つというわけだ。
一日にたった1往復の津和野から新山口までのSLである。
Iさんの計画では今回この全席指定のSLに乗るという。
戻ってきてお金を払った。
そのまま食い逃げも可能な環境であるのにそんなことを何一つ気にしない店の人に津和野を感じ、チラリとでも醜い疑いを持った自分が恥ずかしかった。
食後、急いで駅に寄り、SLの指定席を予約する。
Iさんはすでに買っていたので、その車両にあわせて我々のも指定してもらう。
再び、美術館に戻り、1時からのプラネタリウムをみた。
30分ほどで終わったプラネタリウムだが、途中時々いびきの音も聞こえてきた。
時間帯がよろしくないとの感想をもつ。
その後、美術館の大きなショップでちょっとしたものをお土産に買い、30分ほどの空いた時間で「森鴎外の生家」にタクシーで駆けつけた。
そのままタクシーの運転手に10分ほど待っていてくださいとお願いし、生家を見学する。
「鴎外の研究をしてるわけじゃないんやから、育った家を見るぐらいでいいねん」とIさんは30分の見学時間に意見を付け加えた。
Iさんの関西弁に東北弁を合わせるにはテンポがどうも今イチだと感じる。
が、Mのテンポならまあまあである。
近くの和紙屋さんで、お土産に注文されたランチョンマットを2枚買う。
とにかく忙しい。
SLに間に合うよう津和野駅へと急ぐ。
久しぶりの石炭の匂いと煙と耳を劈く勢いの音を聞いた。
SLの時間に合わせ、沿道ではカメラを構えているもの、ルーフ窓つきの車から首を出してみている子どもたち、いろいろな姿をこちらからも眺めることができた。
SLの運転手さんは見ている人びとへのサービスなのだろう、ところどころで挨拶の汽笛を鳴らしていた。
車内は特急仕立てということで美しく、シャンデリアとステンドグラスの装飾がレトロっぽい。
各車両がおなじというわけではなく、我々の車両が一番いいと誰かが言っていた。
これも大きくは天の配剤か?
SLには小さな幼児連れの親子がとても多かった。
お父さんはくたびれ、居眠りをしている人もいたが、子どもを喜ばせようと若い親さんたちが頑張っている姿にほっこり。
1時間半ぐらいで湯田温泉に着き、その日は泊まり、翌帰る日の午前中は市内観光をした。
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