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もちろん今年愛知からママバック持参で帰ってきた姪Aの息子ハルもきた。
生後10ヶ月、我々の存在に大声で泣き出すようになっていた。
成長している。
もう一人の姪とは妹の方だ。名前はE。
この姪Eが小学生のころからピアノを続けている。
今日は、Eが来たいといったからと突然の訪問のわけをAがすまなそうに言った。
庭好きのAは以前から私の家にはチョコチョコ顔を見せていたし、今でもハルを連れていつでも来たい雰囲気である。
金銭感覚にすぐれ、父親思いのしっかりものであるEは、他方、静かに頑固を通すわがままな娘でもある。
勤め先も数回となく自分の都合であっさりとやめては新しい勤め先を難なく探し出す。
仙台に週1度ピアノの練習に通えるということが一番の条件で勤め先を選んでいる。
だからと言ってピアノがずばぬけてうまいわけではない。
私の家には、父が残してくれた古いピアノがある。
仕事をやめてから弾くことはないが、父とこの姪Eのために調律をきちんとしてもらっている。
2年前になるだろうか。
発表会を1週間後に控えていたころに家に来た。
いつものように弾いてみてというと弾き始めたE。
聴いていられない。
先生に暗譜で弾きなさいと言われるんだけど・・と楽譜を見て弾いている。
もうその時点で失格だった。
そのことを強くいさめた。
1週間後の発表会はメタメタだったらしく、自信家のEが珍しく悩みに突入したと妹から聞いた。
私は内心、もうピアノなんかやめたらいいと思っていた。
私の亡くなった妹が何のとりえもないEに習わせたのがピアノだった。
中学1年で母親と別れたEにしてみればピアノ=母親だったのかもしれない。
やめるんだろうなと思ってピアノの話題はここ2年ほど一切触れないでいた。
しかし、5日に発表会があったことをAが語り出した。
義理のお母さんも聞きにいったということであり、辛口のAが「今まででは一番マシだった」と相変わらず辛口。
Eは語らず、ニコニコしている。
Aが福島に帰ると、妹であり性格の全く違うEの立場は断然弱くなる。
だが、Aの義母に凄く褒められたというのがいつものEとは雰囲気が違っていた。
「ピアノを弾く前にAの義母が5分ぐらい私の手をマッサージして温めてくれた」
とボソリと言った。
今回の発表会には、ひと月前から義母と一緒に聴きに行くからとAからのプレッシャーで、いつもになく熱心に練習したらしいのだ。
そんな話題もあったが、ハルを中心に時間は過ぎていた。
私の頭にふと、「今日はEが来たいといった」というAの言葉が浮かんできた。
「E、暗譜で弾いたの」「今、その曲弾ける?」というと弾んだようにイエスの答えが返って来た。
ピアノに向かい、弾きだした。
明らかに2年前の様子とはちがっていた。
音に表情があり、自然な流れを感じた。
今までにない姪のピアノである。
シューベルト「即興曲op142-2]
である。
姉Aの存在とAの義母の存在は大きかったと見え、しっかりと弾きこまれていた。
父親にもEのピアノが聴けるようになったと言われたらしく、やはり嬉しそうである。
自信家Eの本物の自信が今、身につきつつある。
仙台で発表するという曲、シューベルトの「無言歌集 プレストアジタート」は練習中である。
2年前に比べたら聴ける!
しかし、発表まではまだまだの感がある。
姉のAに「いいところとそうでないところがはっきりしすぎている、悪いところが目だってしまう」と言われていた。
完成させたい曲の目標をもつことが大事であり、自分が今そのどこにいるかを知ることと、暗譜の楽しさが感じられるようになると、自分を表現できるピアノが今以上に好きになるはずと、私もAに負けず辛口度を増していた。
それと、間違って弾きなおしながら進むのは、流れが切れる不快感、間違えたとき自分を立て直す精神力の強さも大切なことなどなど・・・気づくとEに対する要求度がエスカレートしていた。
こんなにひどいことを言われてもしょ気ない。
それがいいのか悪いのか・・・仙台の発表曲が安心して聴けるような状態で、ぜひもう一度聴かせてほしいとEにお願いした。
もう一度聴きたい思いを抱かせるほどにEのピアノは変化していたのだ。
孫のハルを抱かず、上手になったEのピアノも聴くことのない、私の妹がとても偲ばれる日であった。
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