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人にもモノにも時機到来というものがある。
最近富に感じていることは、読まれていない本についてである。
その時の閃きなのか気分なのか分からないが、求めてすぐに読む本と
そうでない本がある。
読める本とそうでないと書き換えてもいい。
多分、それは一番美味しくいただける時期とそうでない時期に似ている。
私は、そんな時は無理に読まないで積んでおく。
そして数年、十数年ということもあるが必ずまたその本を手に取る
不思議さに出会うのである。
英語の本となるとそれは顕著である。
一体、その時に読めると思っているのかその本を読みたいと思っているのか
微妙なのだが一応買っておく。
表紙を眺めながら数年、または、すっかり忘れながら数年を過ごす。
熟成を待っているのか、醸成に時間がかかるのか、とにかくそんなことを
意識もしないで毎日を過ごす。
そしてある日ひょんなことから、ほこりを被ったような古本を手に取る。
「読める」時機到来である。
そんな中の、「ピーナッツ」をあげてみよう。
コミックである。これがなかなか、しみじみ出来て侮るなかれである。
スヌーピーと言えばすぐにわかると思う。
その漫画を作ったチャールズ・M・シュルツ。
「PEANUTS A Golden Celebration]朝日新聞社2001年出版の本
である。
私が、なぜこの本を見つけたかは驚きのBook Off。
ただ英語であり、安すぎるお買い得と判断したからにすぎない。
和訳もついているのだが、その当時、彼、独特のレタリングに馴染めな
かったことと英語力の不足。
コミックを侮った結果?かもしれない。
私が生まれた頃から「ピーナッツ」の新聞連載がスタートしている。
私の父親世代のアメリカ人が描いたものということだ。
スヌーピーの方が人気を博しているが、私としてはスヌーピーの飼い主
であるチャーリー・ブラウンの性格にとてもしみじみできるのである。
登場人物も世相や権力を皮肉るスピリッツの持ち主であったり、
たまに哲学的だったりもする。
父親と母親が話題にはなるが姿はめったにみえていない。
こどもとその兄妹や友達や犬関係である。
先日、エルグレコ展を見たとき、出口付近に用意されている朝日新聞の
別刷り特集をいつものように持ち帰った。
なんと「ピーナッツ」が載っていたのである。
10月12日~1月5日「スヌーピー展」
東京・森アーツセンターギャラリーで開催される・・と。
ということで、併せて時機到来にしみじみしているのである。
コミックであっても英語なので大分長い事かかって読んでいる。
その分、作者の意図が深く入ってくるかもしれない。
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