仙台電力ホールである。
出がけに、いつもより母が痛みを訴えたため、悪くなったらどうしよう救急車?ポータブルトイレを買っておいた方がいい?と妹がとても不安そうに出かける準備中の私の部屋に来た。
寝たきりになってしまうから救急車は頼まないでと言い残し、「今日はひとり娘だと思って」と、余計なことも付け加えて家を後にした。
妹がいなかったらドタキャンを否めないだろうし、骨折とわかった時点でお断りするしかなかった。
前々から楽しみにしていた外出である。
祝日だから新幹線も混むだろうと1時間予定を早めて出かけた。
12時5分の新幹線の予定であり、30分ぐらいで仙台に着くので予定通りでも十分間に合う。
開演は2時である。
出会うなり、Tさんが急に謝ってきた。
何事かと思ったら福島でクリスティアン ツィメルマンのピアノを聴いてきたと。
謝られるどころか誘われても行けない状態であった私は逆にホッとしていた。
Tさんは私に謝りたいほどの感動を味わったと解釈した。
ツィメルマンはポーランドのピアニストであり、60代、1975年ショパンコンクールの覇者である。
マイピアノ持参で日本中を回るらしく、スタウンウエイを運ぶ大きなトラックの運転手が居ていろいろ話したらしい。
スタウンウェイのマークのついた日本の大型トラックの写真を私に見せてくれた。
「ピアノの森」からショパンに嵌ったまま、まだまだ抜け出せていないTさんであり、
幸せである。
今回はニュウニュウである。
ピアノの森では、中国の天才ピアニスト「パンウェイ」役を担当した。
「カイ」は多分、反田恭平であるから、ライバルである。
ステージに立つ穏やかで品のある長身の青年ニュウニュウを前列2列目から眺めた。
空席が目立って残念だったが、素晴らしい演奏に度肝を抜かれた。
プログラムは充実しており、ベートーベンのピアノソナタ2曲は、最も懐かしい「月光」と「悲愴」である。
クラシック音楽が好きになるきっかけとなった風変わりな音楽の授業。
いつも一枚のレコードを持って講義室にやってくるモジャモジャ頭の先生。
レコードをかける前に何か話したりしたのか全く印象に残っていない。
(記憶と回想は違うw)
レコードをかけ、その脇で講師が目を瞑って聴き、我々に聞かせて授業が終わる。
たまたまその時の私の気分に入り込んだ曲が「月光」である。
今でも秋の日差しが講義室に入り込んでいた午後の空気感まで蘇る。
晩秋の今頃に、クラスメイト数人で撮った写真が残っているが、まさに憂いに満ちた傷心の20歳。
失恋💔である。
失恋なのか自分で終わらせたのか謎である。
が思春期からの恋に終止符を打った後、失意の中でベートーベンに出会ったわけである。w
初恋も尊い出会いであったが、ベートーベンとの出会いも同じく尊いものとなり、その後の人生を意味あるものにしてくれた。
リストのラ・カンパネラ、数人のピアニストが超絶技巧のカンパネラを弾き比べたものをユーチューブで聴くことができる。
私の中で鐘の音の美しさ第1位の辻井信行さんとニュウニュウが並んでしまった。
辻井さんのラ・カンパネラを生演奏で聴いた事がないのでその迫力と音はニュウニュウの演奏にすっかり魅せられてしまう。
ショパンのポロネーズ6番「英雄」アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズで演奏は終わった。
後半激しい数曲を一気に演奏し、どんなにか手が痛いだろうと心配するあまり、アンコールは無くていい、十分満足と思いながら手が痛くなるほど拍手を送っていた。
2回ほどカーテンコールで挨拶をした後に、両手を揉んでるように見えた。
もういいからと気遣いたくなるほどの熱演の後にピアノに向かうニュウニュウ。
弾きだしたアンコール曲にさらに驚いてしまった。
弾きだした「ジャジャジャジャーン」である。
オーケストラなはずなのにピアノでの「運命」。
力強い音にベートーベン交響曲5番なはずが。。。。唸ってしまった。
またまた大喝采で私も指輪が手にあたり痛みを堪えて拍手をし続けた。
横を見るとTさんは手を横に振り続けている。
私は勇気があったならスタンディングオベーションだなと内心思い、己の気弱さを恥じていた。
普段ならブラボーとかあちこちから声が飛ぶんだろうがまだまだコロナ下である。
運命を弾いたあとの拍手にも「運命は変えられない、でも希望を持つことは大事、「希望」を弾いて終わりにしたい」と胸ポケットからスマートにメモを取り出し、メモも見ないできれいな日本語で挨拶してくれた。
前列2列目で演奏者の息遣いまで伝わる席での鑑賞であった。
演奏終了後は、会場係の指示待ちで順番に会場から退出、コロナ対策がまだまだしっかりしていた。
東北は感染ゼロである。
予防に越したことはない。
新幹線は、自由席であってもガラガラである。
妹のおかげで無事予定通りニュウニュウが聴けた。
救急車の必要もポータブルトイレの必要もなく母は妹と過ごせた。