それを承知ではじめたのが、日本語ボランティアの個人レッスン。
というのは、中国から昨年日本に来た17歳の女の子。
週一度の日本語レッスンではとても追いつかない。
両親の希望により毎日2時間を受け持つことにした。
いつまで続くかわからないがこれは私にとり、きつい。
8年ぐらい前にもこんなことをして過ごした。
そのときは私もボランティアを始めたばかりであり、手探り状態での教えは大変精神的に疲れ、とうとう首が回らなくなった。
年齢的な転換期だったのか、ボランティアを3年も休むことになってしまった。
一種のうつ状態かもしれない。
そこから復活した自分は教えることが好きなのかもしれない。
今回は二度と体を悪くしないようにと一日の計画に気をくばっている。
ボランティアだけに生きるつもりはない。<続く>
そろそろボラの準備をしないと。
「みんなの日本語」第4課
未来と過去を表す「ます」「ました」を習得させないと・・。
「今日は何月何日ですか?」
「何曜日ですか?」
「昨日は29日、木曜日です」
「明日は?」
「31日です。」
「何曜日ですか?」すべて日本語で教えるのが日本語ボランティア。
息子がお母さん中国語わかるの?と不思議そうに問う。
誰でもそう思うらしい。
何もわからない人とのコンタクトはすべて日本語。
そうでないとスペイン語、イタリア語、英語、フランス語、ヒワスリ語その他、全ての外国語が堪能でないと日本語ボラはできないことになる。
そうなると私は最初から失格である。
何せ、英語でさえ万年初級の身であるから。
Mさんは20時間近くかかってほぼひらがな、カタカナ、数字、カレンダーの読み、時計の読み方ができるようになった。
その日本語の語彙量で、昨日より前は「ました」今日から以降は「ます」であることを説明する。
日本語は知らなくても、中国語では全て知っている訳なのでその言葉と日本語とが一致することで理解させていく。
大変疲れた。
中国での教育事情を時計の勉強中に知ることになった。
朝6時から夜9時まで勉強、それが土曜まで続き、日曜は午前中まで勉強し、午後は休み、でも宿題がたくさんあると筆談で。
多少、曜日とかの間違いがあるかなと思うが、凄い勉強の量であることは確かである。
もう少し、時間がたち日本語が十分通じるようになればもっと詳しいことが聞けるようになると思う。
あまり声をださないMさんだが、「ぜ~んぶ勉強ねん・・」
ボラが11時半に終わり、すぐに高校時代の友人Oさんと出かけた。
「もちもちの木」のラーメンを食べるため。
とても混んでいた。
それから一軒のリサイクルショップに寄り、まっすぐ目的の県立図書館へ。
館内の机を借り、数時間を調べ物。
Oさんは、料理の本を7冊借り、カードを忘れた私は、3冊分を0さんのカードで英語関係の本を借りた。
買えば何万とする料理の本を借りたOさんの目的は、来るご法事に出す料理の研究である。
私が借りたのは「日本人英語へのちょっとしたアドヴァイス」「アメリカの雑誌を読むための辞書」「英字新聞を読んでみよう!」の三冊である。
何にもならない本の数々・・。
なんとかしないと。今晩のおかず・・・。
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