一大決心で父親の退職お祝いに駆け付けたのだ。
今回、私は帰ってくるの?とも帰ってこない方がいいよとも言わなかった。
駅に迎えに行く途中、夫と語った。
きっと武装して帰ってくるね、と。
しかし、マスクを準備したにもかかわらず、福島の人の無防備さに驚きつつもマスク
はしまったまま新幹線を下りたという。
娘の心配を目の当たりにし、本当にこれでいいのだろうかという思いがようやく現実になってきた気がする。
娘は、今回、どれだけ福島にいる人間が危険性を帯びているか、なぜそんなにのんびりとしているのか
について啓蒙しに来たという。
風評被害と盛んにテレビでは言っているが本当に風評なのだろうかというのが、今の疑問でもある。
風評ではない事実なのだという思いに。
昨日、珍しいことに数軒のパブに行った。
どこへ行っても地震と原発の話しの昼間の喫茶店とは違い、夜はストレスを抱えた男たちのたまり場だった。
酒気を帯びた一人と酒気帯びなしの二人の我々にママは現実的な話で間を保った。
日本人を夫に付属中に一人息子をもつという、働き者のフィリピン女性は、多大なる貢献をした母国の
親戚・家族からすぐに福島から帰ってくるように言われたという。
働くために結婚を遅くし、毎週母国に仕送りし、妹や親戚の子どものために教育をしてきた
犠牲的精神を生きがいとする強い女性を見た思いだった。
大事な一人息子のために日本に残るといった。
付属といえば、最も福島市では校庭の放射線量の高いところである。
福島県に若い人と子どもを置いてはいけない。
原発で汚染された空気を吸って成長させてはいけないのだ。
福島の学校に子どもを通わせている福島県や国に不信感も持ち始めた。
最新の画像もっと見る
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事