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チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「婚活とJFK/ジェーン・オースティン『高慢と偏見』出版から200年」

2013年01月28日 00時03分18秒 | 事実は小説より日記なりや?

ジェーン・オースティン 高慢と偏見


今日2013年1月28日は、
モームや漱石も絶賛した"Pride and Prejudice
(プライド・アンド・プレジュディス=(自信家の彼と先入観屋の私)"が
そのタイトルで出版されてから200年にあたる日になる。
Jane Austen(ジェイン・オースティン、1775-1817)は、
その長編6編とわずかな短編他のみを残しただけだが、
現在でも人気の作家である。映画化も頻繁にされる。
ここ20年の映画だけでも、
2005年のキーラ・ナイトリー主演の「プライドと偏見」、その
ナイトリーという名字のミスターが登場する
グィネス・パルトロウ主演の「エマ」(1996年)、その
エマという名の女優エマ・トンプスンが主演した
「(邦題=)いつか晴れた日に」(1995年)、2007年の
"The Jane Austen Book Club(邦題=ジェーン・オースティンの読書会)"
など、J・K・ロウリングもうかうかしてられない勢いである。

上記のごとく褒め称える大作家も多い。が、いっぽうで、
同じく牧師の娘であり「エマ」つながりでもあるシャーロット・ブロンテや
炭坑夫の倅ながら代用教員を経て大卒となったD・H・ローレンス、
判事の息子で低学歴のマーク・トゥエインなどは否定的である。思うに、
オースティン女史は文才はあったから描写やウィットは鋭かったものの、
その限られた人生経験によって小説の世界がごく
限られたものになってて、そうした世界が
気に入る者もあれば、毛嫌いする者もある、
というだけのことではなかろうか。

"It is a truth universally acknowledged
that a single man in possession of a good fortune
must be in want of a wife."
(平易な単語ばかりなので拙カタカナ発音は省略)
「(拙大意)誰もが認める事実ですが、
独身男性が資産家だったら妻帯を切に望むのは至極当然のことです」

漱石が絶賛した「高慢と偏見」の書き出しである。たしかに、
「真実を突いて」る。私のような
ブサイクに加えて稼ぎの薄い男は
人並みに結婚などできるはずもないのである。対して、
日本のみならず外国でも上層階級やそれなりの金持ちは、
「嫁の家並み」を最重要視してきた。なぜなら、
「男は愛嬌、女はIQ」というように、
男子の能力は母親が決め手だからである。
ヒトの「ミトコンドリアDNA」は母親からのものだけが残って伝わる。
ミトコンドリアの働きは、細胞内でATP(アデノシン三リン酸)、つまり、
エネルギーを作り出すことである。それはすなわち、
「思考能力「運動能力」を左右する。
神経細胞のエネルギー効率の良し悪しは記憶力・IQに直結する。
だから、
いいとこのバカ息子がろくでもない出自の女とデキることを、
良家は毛嫌いしたのである。バカ息子でも
それなりの良家の血(DNA)は引いてる。そこに、
さらにデキの悪い女のDNAを掛け合わせたらもう
挽回の余地がない。逆に、
デキのいい女子を娶せれば、またデキのいい息子ができる。

テレ朝の「Oh!どや顔サミット」という番組で、
芸能人の「箸のもちかた」「食事の作法」を試してその
「品格」をチェックするというものがあった。
長嶋一茂、宮崎宣子、道端カレン、ケンドーコバヤシ、
花田美恵子、依布サラサ、仁科克基といった7人の格付けである。
きちんと箸を持てたのは、
ケンドーコバヤシ、依布サラサ、花田美恵子だけだった。
焼き魚をきれいに食えたのは、
ケンドーコバヤシ、花田美恵子、依布サラサだけだった。
翌週は、
ラサール石井、杉村太蔵、山口もえ、大鶴義丹、
あびる優、多岐川華子、ソンミの7人だった。
きちんと箸を持てたのは、
山口もえ、あびる優のみだった。
焼き魚をきれいに食えたのも、この二人だけだった。
ラサール石井に至っては、「御」という漢字すら正しく書けなかった。

宮崎宣子や道端カレンやソンミのように
見るからに品も教養もない女性はともかく、
世の中には「金になる男」を狙っていかにも
それに相応しい出と偽る女がいる。が、
そうした女の中には「正しい箸のもちかたもどき」しか
心得てないのも少なくない。
「箸のもちかた」ひとつで「お里が知れる」というものなのである。
こうした品や教養も、その女性の母親から伝わるものである。
が、
なぜこのような「頭の良し悪し」が生まれるのか。
元来、遺伝子に優劣があるからか、
後天的に獲得あるいは不獲得されたものなのか。
日本人が総じて他民族より優秀(権謀と諜報は除く)なのは、
DHAを多く含む青魚を食してきたからだと言われたこともある。
それが崩れたここ30年、バカになってきてると実感する。ガキの頃、
福神漬けばっかり食ってないで、私も
アジのひらきをたくさん食してればよかったと後悔してる。

ジェイン・オースティンは41歳の生涯だったが、一説に、現在でいう
アジソン病だったと主張されてる。異議を唱えるむきもあるがこれは、
ジョン・フィッツジェラルド・ケネディが30歳のときに診断された病である。
JFKはこのため褐色肌だったが、それを糊塗するために
多量のステロイドを処方されて異様に血色のいい顔をしてたらしい。
姉カサンドラが描いたジェインの水彩肖像は顔が赤らんでる。あるいは
黒ずんだ顔を繕うための頬紅だったかもしれない。
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「キャロウェイの暗号 Calloway's code(1906)/オー・ヘンリー O.Henry生誕150年」

2012年09月11日 23時43分06秒 | 事実は小説より日記なりや?
政権があるうちに何としても、日本を簒奪する布石である
「外国人参政権」動議を閣議決定したい貶日民主党にとって、
唯一邪魔だった日本人議員松下忠洋金融担当大臣が、
10日に死体となって発見された。
故人になってしまえば反対もくそも、道理もへったくれもない。
向井理という名を初めて目にしたとき、その
「王偏+里(オウヘン・リ)」という「理」が、
「まこと」なんだか「さとる」なんだか「さとし」なんだか
「ただし」なんだか「まさる」なんだか、まったく判らなかった
オサムいオツムの拙脳なる私は、長編小説、ことに、
何巻にもわたる物語は苦手である。
「源氏物語」も「カラマーゾフの兄弟」も「失われた時を求めて」も
途中で何度も誰がだれだか判らなくなってしまったが、
それでもなんとか最後まで読んだ。が、いわゆる
「大河小説」の「ジャン・クリストフ」とか「チボー家の人々」は
小口に指を伸ばす気にもならない。

現在、キム・ジョンウンの北朝鮮とリー・クーシャウの中国の国境ともなってる川は
鴨緑江という大河である。ここを、
1904年(明治37年)の4月下旬から5月に
4万2千の日本第一軍が大挙して渡って、
ロシアの満州軍東部兵団2万4千の守備隊と交戦した。これが、
「日露戦争」における開戦後の本格的陸戦となった
「鴨緑江の会戦」である。第一軍のうち第12師団が4月29日
夜半に徒歩で渡河し、同時に架橋に取り掛かった。そして、
翌日夜中に完成した橋を第23旅団が渡り、対岸の敵を圧制した。
これで第12師団、ついで近衛師団も渡橋して右岸に兵を展開した。
そうして5月1日朝には全軍が鴨緑江を渡ってしまったのである。
日本軍を甘く見てた
Михаил Иванович Засулич
(ミハイール・イヴァーナヴィチ・ザスーリチ、1843-1910)、
いわゆるザスリッチは慌てふためき、慄き、退却した。が、
日本軍第12師団はこれを追撃した。
4月30日と5月1日の2日に及ぶ戦闘で、
日本軍は死傷者800、ロシア軍の死傷者は倍の1600。
ニコライ2世の命で来日して日本軍の能力を見抜き、
日本との開戦に反対しつづけてた
Алексей Николаевич Куропаткин
(アリクスェーィ・ニカラーイヴィチ・クラパートキン、1848-1925)、
いわゆるクロパトキンの言うとおり、ザスリッチは
始めから河岸の九連城を放棄しとけばよかったのである。
この「鞭声粛々夜河を渡る」という、日本では庶民でも知ってる
川中島のような戦法はしかし、文盲率が高かったロシアには
想定外のことだった。これによって、
日本軍を引き付けながらハルピンまでじりじりと後退して
補給線を伸びきらせたところで一気に反撃に出て根絶やしにする、
というお得意の焦土・退却戦法にロシアは切り替えた。が、結局は
奉天の会戦でロシアは日本軍を殲滅することができなかった。

この陸戦の日本の第一軍司令官は、
黒木為(くろき・ためもと、天保15年(西暦およそ1844)-1923)
大将だった。いわゆる旧薩摩藩士である。
タメモトというよりはダメモトで突進するタイプと言われてたが、
臨機オウ・ヘンリーに現実に即した采配ができる人物だったようである。
緒戦となる第一軍の司令官に黒木大将が任じられたのは、当時、
すでに軍部は長州閥で占められてたため、
失敗した場合のことを考えて、
薩摩藩出身の無骨な男を捨て駒としたからである。が、
この戦勝によって外国特派員や観戦武官らは
日本の優位な戦況を自国に伝えることになったのである。
戦後の1907年に黒木大将は訪米し、熱烈な歓迎を受けた。
あまりの過熱報道に黒木大将は、
「(米国の報道陣は)ロシア兵より手強い」
と返したが、そのユーモアがまたウケたのである。

鴨緑江(おうりょくこう)というよりは銀行の金の
横領で刑務所に入れられてたときに書いた短編が
雑誌に掲載されて作家としての道が開けたのが、
O. Henry(オウ・ヘンリ、1862-1910)である。今日、
2012年9月11日は同人の生誕150年にあたる日である。
O. Henryとはペン・ネイムであるが、
その由来はおそらく、一般に推測されてるいくつかの説ではなく、
もっと深い意味があると思われる。が、
8月27日18時37分に国立劇場の舞台から3m下の奈落に
誤って転落した市川染五郎に対して、客席から2人の
「医師」がかけつけて応急措置をして搬送まで付き添った、
ということに、なぜ国民の税金で医者になれた者が
平日の夕方に脳天気に観劇(舞)なんかしてられるのか解らない
拙脳なる私にはO. Henryの意味は解明できない。
そのO. Henryの作品に、
"Calloway's Code(キャラウェイ'ズ・コウド=キャロウェイの暗号)"
というものがある。あらすじ……というほどのこともないが
……は次のようなものである。

日露戦争開戦前夜に「NYエンタープライズ社」は
H. B.キャロウェイを特派員として日本に派遣した。
当座は東京や横浜で暇をもてあまして物見遊山気分だった。が、
それは"The little brown men=日本人を蔑んだ表現"あるいは
"the descendants of the gods
=これも天皇を現人神とする日本人に対する皮肉"が、
グズグズしてロスケに一撃を加えるのを躊躇ってるからだ。
とはいえ、日本に派遣された各国特派員らはいよいよ
第一軍の黒木大将に随行することになって鴨緑江に向かう。
各国特派員らは自国に日本軍の動向を報告しようとするが、
敵に作戦を知られてはまずい日本軍の検閲に引っかかって
打電できない。そこで、
ヴェテランの新聞記者であるキャロウェイは一計を案じた。そして、
それは難なく日本軍の検閲を通って自社に届いたのである。
なぜなら、キャロウェイが打電した文章は、
内容不明ながらも作戦を伝えてるとは到底思えない単語が
意味なく並んでるだけにすぎなかったからである。
まさに、上に記した鴨緑江会戦の黒木大将の作戦が
詳細に書かれてた、にもかかわらず。が、
日本軍の検閲官が見破れなかったものである。
受け取った「NYエンタープライズ社」の誰にも、
その文章の意味はチンプンカンプンだった。が、
胸板が薄く、シャツの首回りも細い、社でもっとも若い記者の
ヴィースィがキャロウェイの機転に気づく。

通常、
暗号というのはだいたいが「換字式」といって、
ある単語を別の単語に、あるいは、
単語の文字一つひとつを別の文字に、
変換するものである。たとえば、いわゆるシーザー暗号は、
単語のアルファベットを決められた文字ぶんだけずらす。
「IBM」を一文字ずつずらして「HAL」というように。が、
それでは暗号の専門家である日本軍の検閲官に
見破られてしまう。そこでキャロウェイが採ったのが、
「暗号」というよりはどちらかといえば
「合言葉」「連想ゲイム」「類義語」「業界用語」「符牒」「暗喩」
というような「新聞業界独特の言葉遣い」だったのである。
「合言葉」とは、たとえば、
「金?」と問うと「金!」と答えが返ってくればOK、それ以外はNG、
「赤穂義士」の「物語」なら、「山?」と問うて「川!」と答えれば赤穂方、
正答できなければ吉良方、といった具合である。
「符牒」とは、たとえば、
「むらさき」と言ったら「海苔」であり、
「ガリ」と言えば「生姜」であり、
「シャリ」だったら「米」である。
「てっぺん」と言ったら「(時計の短針の向き)夜中の12時」であり、
「雪洲」ならば「背の低い男性俳優用の踏み台」のことである。
「雨だれ」なら「!(イクスクラメイション・マーク)」であり、
「耳だれ」なら「?(クウェスチョン・マーク)」、といった按配である。
「暗喩」とは、たとえば、
「音羽」と言ったら「講談社グループ」であり、
「一橋」だったなら「小学館グループ」といった感じである。

Callowayというサーネイムは、GはCの有声音だから
Gallowayと同じである。母音変換で
CallawayもGallawayも同じことである。
Gael(Celt)、ゲール(ケルト)、である。ケルトといえば「石」である。
アングロ・サクソンに蹂躙されたアイルランド・スコットランドのケルト人の
言葉に織り込んだ隠された真意を意味する。いっぽう、
Vessyというのはvessel(容器、日本語らしくいえば受け皿)である。
この掌編の最後のほうにこうある。
"On the second day following,
the city editor halted at Vesey's desk
where the reporter was writing the story of a man
who had broken his leg by falling into a coal-hole"
"coal-hole"に転落して足を折った事故の男性の記事、である。
そして、この秀逸な掌編はこう締めくくられる。
"'We can state without fear of successful contradiction,'
or, 'On the whole it can be safely asserted'?"
どっちの言い回しがいいでしょうか? と。
"On the whole(大筋において)"の"whole"と
先の"coal-hole"の"hole"がもちろん
ダジャレになってるのである。

"The Rolling Stones"……"A rolling stone gathers no moss."
転がる石にオチつかず……浪費癖だったO. Henryは、
酒浸り自堕落のお決まりで肝硬変。家族とも離ればなれ、47歳で
借金だけを残して独りわびしくNYの病院で死んでった。
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「盗んだバイクの車輪の下で自由になれた気がした15の夜/ヘルマン・ヘッセ没後50年」

2012年08月09日 23時49分43秒 | 事実は小説より日記なりや?
福島千里選手と香川慎司選手の顔を判別できない拙脳なる私は
幼稚舎を落ち、
今般のロンドン五輪の新築のアクワティック・センターの競泳のコース順が
なぜ通常と逆だったのか知らない拙脳なる私は
普通部と中等部に受からず、
タグ・ホイヤーと出てこいやーを聞き分けれない拙脳なる私は
塾高にも志木校にも女子高にも進めず、
ジンマシンを人の形をした機械(ロボット)だと思いこんでた拙脳なる私は
慶大医学部へも行かず、
PKOとTKOの違いを説明できない拙脳なる私は
ついぞ詩人になることはできなかった。そんなわけで、
某公立中に通ってたわけであるが、クラスの中で男子でも女子でも
読書好きな者の間では、ドイツ人作家
Hermann Hesse(ヘアマン・ヘッセ、いわゆるヘルマン・ヘッセ、1877-1962)は
よく読まれてた。わけても、
今から100年あまり前の1906年に発表された
"Unterm Rad(ウンターム・ラート=車輪の下に)"
は、そうした者たちのほとんどが読んでた。
自由が丘は魚菜学園、田園調布は琥珀、
という置き換えでしか覚えれなかった拙脳なる私も、
ドイツ語が解らないので新潮文庫(高橋健二訳)で読んだ。
この小説の主人公Hans Giebenrath(ハンス・ギーベンラート)には
ヘッセ自身が投影されてる。ハンスは結局、
土左衛門となって発見されるいっぽう、
結果的に小説の主人公の10代での死とハンスる
85歳という長寿をまっとうすることになるヘッセもまた
10代で自殺をはかったことがある。
立派な牧師となるべく神学校に入れられた秀才ながら、
まったく不向きだったのである。そして、
周囲の期待と自己の希望に押しつぶされる。
ヘッセは詩人になりたかった。詩人である。
なりたいと思う者は多いかもしれないが、
名を残すほどの詩人になれた者は古今東西で数える程度である。

小説の主人公ハンスは誰にも救いを求めれなかった。対して、
ヘッセ自身には「母」という存在があった。
自分が死んだら母親がどんなにか悲しむか、
と考えれる、あるいは、そうした母のことを思うほどの子なら、
そもそもはじめから自殺などしようとは思わないのである。
ドイツ語で「車輪」を意味する"Rad(ラート)"は、
「放射状」を表す語幹rad-そのものである。つまり、
spokeが放射状になった輪である。いっぽう、
主人公のサーネイムであるGiebenrathには
"rath"という文字が入ってる。これも発音は
"Rad"と同じく「ラート」である。ちなみに、
"Rat"という名詞もドイツ語にはある。こちらは、
「助言」という意味である。つまり、
ヘッセはこの主人公のサーネイムを、
"Geben-Rat(ギーベン・ラート=助言を与える=raten)"
のモジリとして名づけたのだと思う。
ハンスに誰か手を差し伸べてれば、
この少年に誰か相談相手になってあげてれば、
あるいは溺死体となることはなかったかもしれない、
ヘッセ自身が救われたように。
勉強ができる子として神学校に見事入れたものの、
ハンスは落ちこぼれてくのである。
退学したハンスに父親は機械工になるかと言う。
ハンスはもうとうそんな職に就きたいなどというはずもない。
いやなことである。が、
落伍者のハンスにはそうも言ってれない。で、
神学校に入る前の学校のクラスメイトが
機械工の見習となってるのを思い出したハンスは
「助言」を求めにいく。その旧友の名をヘッセは
"August"とした。
「助言を仰ぐひと→助言をあおぐすと」である。
"August"は「威厳ある」「立派な」「尊敬に値する」
という意味合いである。本来、
詩作などにうつつを抜かす"文化人気取り"などより、
こうした手に職を持ち、地道に生きる者こそ
「認められる」者なのである。ちなみに、
ハンスとはドイツ語としてはヨハネスの縮小型である。
ヨハネ、イヨアンである。これは
「ヤハウェは慈悲深い」という意味を表す。ともあれ、
工場に勤めだしたもののどうしても性に合わないハンスは、
仕事帰りにビールを一杯ひっかける、
という"職人"の、"庶民"のささやかな楽しみに同行する。
それまで酒など飲んだことなどなかったハンスは
ノリでかなり飲んでしまう。そして、仲間の心配をよそに
一人で帰ると言って酒場をあとにする。
酩酊してたハンスはどう歩いたか覚えてないが、
村の道に出ていた。そして、
これから帰らなければならない「父の家」、そして、
また明日も気の進まない工場勤めが待ってる。
そんなハンスの頭に歌が浮かんだ。
"Oh, du lieber Augustin(オー、ドゥ・リーバー・アオグスティン)"
いわゆる「可愛いオーガスティン」である。
♪ソー・ー<ラ・>ソ>ファ│>ミー・>ドー・ドー│
<レー・>ソー・ソー│<ミー・>ドー・ドー♪
"O, du lieber Augustin,
Augustin, Augustin,
O, du lieber Augustin,
Alles ist hin!"
最後の「アレス・イスト・ヒン!」は直訳的には
「すべては去ってしまった」
である。
「覆水盆に帰らず」
「もう取り返しがつかない」
という意味である。この
"Augustin"は実在の人物のサーネイムであるが、
"August"の指小形である。
この歌(のAlles ist hin)と結びつけるために、
ヘッセは地道に自分の進むべき道を歩んでる旧友を
"August"と命名したのである。

タイトルの「車輪の下」という言葉は、
"運命の車輪の下で苦悩する"などという意味ではない。
ツルゲーネフの「父と子」でも触れたが、
四肢を馬車の「車輪に曳かれて八つ裂きにされる」という
キリスト教の反逆者への残酷極まりない処刑のことである。
神学校の勉強から脱落したハンスに下されたものなのであり、
極めて不名誉なことなのである。だから、
ハンスには自分を殺すこと以外にもう
選択肢は残されてなかったのである。
秋葉原で健気に生きてる無関係の人たちを無差別に殺した
加藤智大のような害虫にも、
「他所さまに迷惑をかけないで自分だけひっそりと死になさい」
という助言を与える者が欠如してたことと、
こういう害虫を産み、育んだ愚かで邪悪な親が何もしなかった、
というのが悲劇である。
葬儀が終わり、"不肖の倅"に死なれた父に
"普通の生活"に戻ることが示唆されて、
この小説は静かに閉じられる。
死ぬ者貧乏、とはよく言ったものである。
涙なくしては読めない小説である。とはいえ、
ヘッセ自身は結局ノーベル賞まで受ける凡人通俗作家として
85歳まで長らえた。所詮、
3流作家の2流小説である。
私は好きな小説であるが……。
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「Light in August(八月の光)...黒白のグラデーション/ウィリアム・フォークナー没後50年にあたって」

2012年07月08日 23時27分40秒 | 事実は小説より日記なりや?
消費税増税を決めた民主党政府は
アフガニスタンに2400億円の支援を行うらしい。いっぽう、
韓国は日本海においてミンククジラの調査捕鯨を再開すると
表明したらしい。これまで、韓国は
偶然浜に打ち上げられたりたまたま網にかかった、
ということにして鯨を密漁してたらしいが、
それがあまりに大量すぎて、かつてクジラを濫獲しまくったのに
今は反捕鯨を標榜する英米に隠しおおせなくなったので、
"日本がやってる"調査捕鯨を自分らもするのだ、
という名目で行うことにしたらしい。
韓国は金大中が大統領のとき1998年に財政破綻して
IMFに頼った。IMFの資金源は米国と日本である。
近年に中国の出資率が増えたが、米国も中国も
その原資はもとをただせば日本国民の税金である。
支援、カンバーーック!

一昨日の7月6日は、米国の作家
William Faulkner(ウィリアム・フォークナー、1897-1962)没後50年だった。
同人はミスィスィッピ州生まれで同州で没した。
生涯のほとんどを同州で過ごしたという変わり者である。
作品としては、
別個の作品に共通するヨクナパトーファ・サーガという架空の町を創造し、
ストリーム・オヴ・コンシャスニスをイタリックで綴る、という手法が特徴である。
といっても、
私はこの作家にはあまり惹かれないので、「八月の光」以外には
「響きと怒り」と「サンクチュアリ」しか読んだことがないので、
たいそうなことは言えないが。ではなぜ、
そんなに興味がない作家の小説を取りあげたかというと、
この小説の「タイトル」「内容」とその舞台である
「ジェファーソン」という町の名に、オヤジギャガーとして
ピンとくるものがあったからである。そして、
それなりに面白く読んだという記憶が残ってる。

この小説の主人公のひとりであるジョウ・クリスマスは、
クリスマスの日に孤児院に捨てられてた。ジョウは
ジョウゼフという名のニックネイムである。この名は
ヘブライ語のエホバに通じる。聖母マリアの亭主の名でもある。
南部の人間でありながらかつて奴隷解放運動のシンパだった
名門の白人で年上女のジョアナ・バードゥンとクリスマスは男女の仲になり、
終いには同女を殺害する。
クリスマスは見てくれは白人ながら実は自分には
黒人の血が流れてるのではないかという思いがのしかかってた。
この小説は21章で構成され、つごう66人が登場し、
クリスマスはヨハネの福音書の19章でキリストが磔にされたのと同様に
第19章で36歳で射殺される。そして、
キリストの5聖痕と同様に5発の弾丸が
クリスマスが隠れてたテイブルにぶちこまれる。
クリスマスにはキリスト教ではkinkyで禁忌とされてる
ホモセクシュアルの指向があった。つまり、
クリスマスのキャラは原罪の塊として設定されてるのである。いっぽう、
クリスマスとは直接関わらないもうひとりの主人公である黒人女性
リーナ・グロウヴは自分を孕ませて逃げたルーカス・バーチを捜しに、
アラバマからミシシッピに"歩いて"やってきた。そして、
バイロン・バンチという黒人に惚れられる。バンチは
子供ともども面倒を見てもいいとさえ思ってる。
自分のタネでない子を身ごもったマリアを支えた
大工のヨゼフの如きパターンである。

さて、
リーナが自分を捨てた男がどうやら偽名で働いてるらしい工場がある
町がこの小説の舞台となる。フォークナーが創造した
ミスィスィッピ州ヨクナパトーファ・サーガ郡ジェファスンという町である。
テネスィー州メンフィスに近いロウケイションのようである。
アラバマ州はミスィスィッピ州の東隣であり、そのふたつの州の北側に
テネスィー州が横たわる、という位置関係である。
この小説は、こう始まる。

"Sitteig beside the road,
watching the wagon mount the hill toward her, Lena thinks,
‘I have come from Alabama: a fur piece.
All the way from Alabama a-walking. A fur piece.’
(平易な単語ばかりなので、拙カタカナ発音は附さない)
「(拙大意)道端に坐りこんで、
馬車が自分に向かって丘を登ってくるのを見ながら、リーナは思った。
『うち、アラバマからやってきたんよね。遠かぁ。
アラバマからずっと歩いてきたばってん、遠かこつあるぅ』

そして、リーナがたどり着くのがアラバマ州ジェファスンである。
このジェファスンという町はフォークナーの想像の産物である。
英語ではJeffersonと綴る。ちなみに、
米国の第3代大統領は、
Thomas Jefferson(トマス・ジェファスン、1743-1826)である。
同人はヴァージニア州の大プランテイションのお坊ちゃんである。
ものすごい金持ちで、黒人奴隷も何十人も抱えてた。
独立宣言書にいわゆる人権宣言の精神を盛り込んだものの、
大統領となってからはインディアン撲滅政策を採った。
29歳のときに23歳の未亡人マーサと結婚し、5人の娘をもうけた。
息子が生まれなかったが私生児の男子はいた。
マーサの遺志で再婚はしなかったが、
所有する奴隷のひとりであるサリー・ヘミングズを愛人としてた。
同女は黒人の血が4分の1入ってるが、父親はヘミングズではなく、
マーサとは父親を同じくする異母妹である。ちなみに、
ヘミングズ一家は"奴隷の中では上流階級"だったという。ともあれ、
サリーは6人の子を産んだ。そのうちの5人は
ジェファスンの子だったと言われてる。

そして、この小説は、こう終わる。
"‘My, my. A body does get around.
Here we ain't been coming from Alabama but two months,
and now it's already Tennessee.’"
「(拙大意) 『ばってん、ほんなごと。人ばあちこち行けるもんばい。
アラバマば発ってからまだ2か月も経っとらんばってん、
もうテネシーばおるけんね』」

この小説の季節である八月の光の中に、フォークナーによる
グレイのグラデイションがかけられてるのである。
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「ツルゲーネフ 父と子 出版から150年(後篇)/息子の墓参をする老夫婦の哀れな姿」

2012年02月29日 00時04分26秒 | 事実は小説より日記なりや?

ツルゲーネフ 父と子


「父と子」(Отцы и дети アッツィー・イ・ヂェーチ)は1862年に発表されたイワン・ツルゲーネフの長編小説である。
1859年5月から始まる設定の、農奴解放令発布前の帝政ロシアの古い世代と新しい世代の一面を描いている。
主人公のひとりバザーロフは「ニヒリスト」の代名詞ともなった。
バザーロフの友人アルカージー(キルサーノフ)とその家族、
バザーロフが心惹かれたオジンツォーヴァなど、
ツルゲーネフお得意の「後日談」に、登場人物の「その後」が語られる。
とりわけ、ラストシーンを飾るバザーロフの両親の描写に
ツルゲーネフ文学の真骨頂が詰め込まれている。
ここでは最後に、
この「父と子」のエピローグの大詰めを、
あらすじではなく、
ロシア語の原文、そのカタカナ発音、そして、私の日本語訳と、
詳細に並べて掲載する。

["Отцы и Дети" Ивана Сергеевича Тургенева]
(「アッツィー・イ・ヂェーチ」・イヴァーナ・スェルギェーェヴィチャ・トゥルギェーニヴァ)

(「ニヒリスト・バザーロフでござーる/ツルゲーネフ『父と子』出版から150年(前篇)」
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/9eccef279a78cb32d2a4d29a824ff3e8
からの続きです)

26日の東京マラソンで2位に入った藤原新選手の顔は、
今から50年ほど前のややイケメン日本人男の
おももちである。ところで、私は
マラソンも含めた中長距離競走で
うしろを振り返る選手があまり好きでない。
♪振っ、りっ、向っ、かっ、
なっはははいいでぇーーー♪
と歌ってしまいそうになる。といっても、
南京豆と南京虫、落花生と落下傘、
の違いが判らない拙脳なる私は、
同選手が振り返ったかどうかは覚えてない。ともあれ、
同選手は五輪への希望が叶えられそうだ、
ということである。が、そのいっぽうで、
小出監督排除のために
故意で高橋尚子選手の五輪連覇を阻止した前科を持つ、
傭兵は死なず消え去りもしない
某連盟の某有力者からことつかったラビットが
スペシャル・ドリンクを間違えて取ってみたり、
故意に見えにくく取りにくい場所に置かれて
本人に飲ませないような工作によって
足をひっぱられた「非実業団」選手は、
今までの努力が報われない結果に終わった、
と2ちゃんねるその他でつぶやかれてる。
「閠」という字は、「門」(もんがまえ)の中に
「王」あるいは「玉」、ではなく、
「壬」であるのが本来だという。
「壬」は「妊娠」という言葉があるように、
「胎児」を表してる。
胎児は倖田來未女史に言われるまでもなく、
「羊水」に包まれる。胎盤は胃の上にはないが、
お元気ですか? である。ともあれ、それで、
「壬(ジン)」は、
「水の兄(みずのえ)」「ふくらむ」などと訓じられる。
卵膜は出産時に破れ、「破水」して羊水が溢れる。
これが、「誕生」……いままでになかった人が産まれた
……である。つまり、
新たに加えられたもの、
既存のものに差し挟む、
などの意味に転じる。それが
閏月、閏日、である。非実業団選手は、
いままでにいなかった、連盟のはじけもの、なのである。
スペシャル・ドリンクはただの覆水と化した。
非実業団選手の母の悲しみの顔が
TV画面にクロウズ・アップされてた。

さて、
ツルゲーネフの小説は何がいいかって、それは、
主人公の男性の恋心が報われずに終わる、
ということにある。目出度しめでたし、
二人は幸せに暮らしましたとさ、で終わったのでは、
おとぎ話でしかない。ともあれ、
ロシア革命を半世紀前にした思想的な面は重要であっても
本質ではない。とはいえ、たしかにこの小説は、いわゆる
「農奴解放令」が出された1861年に着手された。小説の背景は
その2年前の1859年5月から翌年初めにかけてである。
まさに、「その前夜」だったのである。ときに、
「父と子」の前作であり、1860年に発表した「その前夜」は、
いわゆる"新世代"からは支持され、"旧世代"からは
メキシカンロック・ゴーゴー、非難囂々となった。そして、
「大規模農園」と「多くの農奴」を抱えてる大地主を母に、
由緒ある貴族ながら経済的に没落した家柄の父を持ちながら、
自身は「領主」たることを望まなかったツルゲーネフにとって、
「農奴解放」が実現してから書かれたこの「父と子」は、
祖国ロシアの将来への期待と絶望が入り交じってる。が、
フランスやドイツなどで多くを過ごしたツルゲーネフは、結局、
祖国にとって「余計者」だったのである。だから、
ツルゲーネフの小説の結末は、たいていが
きわめて感傷的なものとして描かれる。
想う女性が修道院に入ってしまったり、
自身が死んでしまったり。。。そして、
主人公とその相手の女性を取り巻くその他の
登場人物のその後。。。ゆえに、
ツルゲーネフの文章の圧巻はその
エピローグなのである。たいてい、
主人公がいなくなって他の人々には
平穏が訪れる。つまり、
主人公は同時代の人々にとっては
「余計者」なのである。が、この
「父と子」の主人公バザーロフは、言葉を換えれば
「時代を先取り」した思考の持ち主である点で、
他のツルゲーネフの小説の、
すでに過去のものである「余計者たち」とは一線を画する。
"Лишний человек(リーシニィ・チラビェーク=余計者)"
という呼称(英語ではsuperfluous manとされてる)は、
"Дневника лишнего человека
(ドニヴニカー・リーシニヴァ・チラビェーカ=余計者の日記集、(1850)"
というツルゲーネフの小説がもとになってるのだから、
ツルゲーネフの得意とする人物像であることに違いはない。
「ニヒリスト」という言葉も、ツルゲーネフの造語ではないにしろ、
この「父と子」で世間に流布した。

最終章である第28章は、
「残った者の後日談と、亡き者およびその遺族への哀悼歌」
というツルゲーネフの真骨頂である、
ヒトの心に静かにしかししみじみと染みこんでくる、
センチメンタルな「エピローグ」である。

"Прошло шесть месяцев. "
(プラシロー・シェースチ・ミェーシェツェフ。)
「六か月が過ぎた。」
という一文で始まる。第1章冒頭で、
ペテルブルク大学の友エヴゲーニー・ヴァシーリイチ・バザーロフを伴った
アルカーヂー・ニコラーェヴィチ・キルサーノフが父のもとに帰ってきたのが、
1859年5月20日(ユリウス暦)だった。そして、
物語は7月までアルカーヂーの家を中心に繰り広げられ、
エヴゲーニーが突然自分の家に戻り、その短い帰省のうちに
チフスに罹患して死ぬのである。つまり、
「六か月後」は「真冬」ということになる。
アルカーヂーと父はそれぞれに結婚し、
アンナ・セルゲーエヴナ・オヂンツォーヴァも再婚した。
パーヴェル・ペトローヴィチは皆に「永遠にさようなら」を告げて
プロイセン(ドイツ)のドレースデンを終の棲家とした。
キリスト教をばかにしたバザーロフだけに
「死」がみまわれたのである。そして、
そんな「悪魔」を産み出したエヴゲーニーの両親には
息子に先立たれるという過酷な晩年が待ってた。
信仰による救い……残された日々のよすがが、
そんなものだけなのである。なんと酷い、
虚しい現実なことだろう。ニヒリズムは結局、
キリスト教の前にひれ伏した。それを描くには、
空気が凍てつく冬のうら寂しい光景が似つかわしい。
前章の最後では、
[触らぬが、握り拳を、振り上げて、神の横面、はる威勢ぞ吹く]
という勢いだった父親も、その半年後にはシュンとなって、
「祈り」を捧げて亡き倅の思い出にふける、
という不甲斐なさである。
神をないがしろにした男の父親にも、
キリスト教の権威の拳が打ち据えられたのである。

以下、「散文詩人」ツルゲーネフが書いた最高の文章、
最終章の大詰めである。
不可逆な時の流れをどうすることもできない生物にとって、
こんな感傷の極みのような文章が、明治時代には
日本の侘び寂びに通じるものとして、
二葉亭四迷、国木田独歩、田山花袋、そして、
白樺派の連中に大きく影響を与えた。が、
ここ数十年間にもまして、
これからさらに読まれなくなっていくのが、
現状なのである。それもまた、
「時のうつろい」である。

"Есть небольшое сельское кладбище
в одном из отдаленных уголков России.
Как почти все наши кладбища,
оно являет вид печальный:
окружающие его канавы давно заросли;
серые деревянные кресты поникли и гниют
под своими когда-то крашеными крышами;
каменные плиты все сдвинуты,
словно кто их подталкивает снизу;
два-три ощипанных деревца едва дают
скудную тень;
овцы безвозбранно бродят по могилам…
Но между ними есть одна,
до которой не касается человек,
которую не топчет животное:
одни птицы садятся на нее и поют на заре.
Железная ограда ее окружает;
две молодые елки посажены
по обоим ее концам:
Евгений Базаров похоронен в этой могиле.
К ней, из недалекой деревушки,
часто приходят два уже дряхлые старичка.
муж с женою.
Поддерживая друг друга,
идут они отяжелевшею походкой;
приблизятся к ограде,
припадути станут на колени,
и долго и горько плачут,
и долго и внимательно
смотрят на немой камень,
под которым лежитих сын;
поменяются коротким словом,
пыль смахнут с камня да ветку
елки поправят, и снова молятся,
и не могут покинуть это место,
откуда им как будто ближе до их сына,
до воспоминаний о нем
… Неужели их молитвы,
их слезы бесплодны?
Неужели любовь, святая,
преданная любовь не всесильна?
О нет! Какое бы страстное, грешное,
бунтующее сердце ни скрылось в могиле,
цветы, растущие на ней,
безмятежно глядят на нас своими
невинными глазами:
не об одном вечном спокойствии
говорят нам они,
о том великом спокойствии
≪равнодушной≫ природы;
они говорят также о вечном примирении
и о жизни бесконечной…

(拙カタカナ発音)
イェースチ・ニバリショーエ・シェーリスカエ・クラードビシシェ・
ヴ・アドノーム・イズ・アッダリョーンヌィフ・ウガルコーフ・ラシイー。
カーク・パーチチ・フスェー・ナーシ・クラードビシシャ、
アノー・ヤヴリャーエト・ヴィート・ピチャーリヌィ。
アクルジャーユシシエ・イヴォー・カナーヴィ・ダヴノー・ザーラスリ。
スェールィ・ヂェリヴィヤーンヌィ・クリェースティ・パニークリ・イ・グニーユト・
パト・スヴァイーミ・カグダータ・クラーシェヌィミ・クルィーシャミ。
カーミェンヌィエ・プリーティ・フスェー・ズドヴィーヌィティ、
スローヴナ・クトー・イフ・パタールキヴァイェト・スニーズ。
ドヴァー・トリー・アシシパーンヌィフ・ヂェーレフツァ・イェードヴァ・ダユート・
スクードヌユ・チェーニ。
オーフツェ・ビズヴォーズブランナ・ブローヂェト・パ・マギーラム……
ノ・メージドゥ・ニーミ・イェースチ・アドナー、
ダ・カトーラィ・ニ・カサーイェツァ・チラヴィエーク、
カトールユ・ニ・トープチェト・ジヴォートナエ。
アドニー・プチーツィ・サヂャーツァ・ナ・ニヨー・イ・ポーユト・ナ・ザーリェ。
ジリェーズナヤ・アグラーダ・イヨー・アクルージャイェト。
ドヴィェー・モーラディエ・ヨールキ・パサージヌィ・
パ・アボーイミ・イヨー・カンツァーム。
イヴギェーニィ・バザーラフ・パハローニェン・ヴ・エータィ・マギーリェ。
ク・ニェーィ、イズ・ニダリョーカィ・ヂェリェヴーシキ、
チャースタ・プリホーヂェト・ドヴァー・ウジェー・ドリャーフルィエ・スタリーチカ。
ムーシュ・ズ・ジェーナユ。
パッヂェールジヴァヤ・ドルーク・ドルーガ、
イドゥート・アニー・アチェジェーリフシェユ・パホートカィ。
プリブリージェツァ・ク・アグラーヂェ、
プリーパドゥチ・スタヌート・ナ・カリェーニ、
イ・ドールガ・イ・ゴーリカ・プラーチュト、
イ・ドールガ・イ・ヴニマーチェリナ・
スモートリェト・ナ・ニモーィ・カーミニ、
パト・カトールィム・リジーチフ・スィン。
パミニャーユツァ・カロートキム・スローヴァム、
プィリ・スマーフヌト・ス・カームニェ・ダ・ヴィェートク・
ヨールキ・パプラーヴィェト、イ・スノーヴァ・モーリェツァ、
イ・ニ・モーグト・パキーヌチ・エータ・ミェースタ、
アトクダー・イーム・カーク・ブーッタ・ブリージェ・ダ・イーフ・スィーナ、
ダ・ヴァスパミナーニィ・ア・ニョーム
……ニウジェーリ・イーフ・マリーtヴィ、
イーフ・スリズィー・ビスプロードヌィ?
ニウジェーリ・チュボーフィ、スヴィターヤ、
プリダーンナヤ・リュボーフィ・ニ・フスィスィールィナ?
オ・ニェート! カコーエ・ブィ・ストラースナエ、グリェーシナエ、
ブントゥーユシェェ・スェールツェ・ニ・スクルィーラシ・ヴ・マギーリェ、
ツヴィティー、ラーストゥシシェ・ナ・ニェーィ、
ビズミチェージナ・グリヂャート・ナ・ナース・スヴァイーミ・
ニヴィーンヌィミ・グラザーミ。
ニ・アブ・アドノーム・ヴィェーチナム・スパコーィストヴィイ・
ガヴァリャート・ナーム・アニー、
ア・トーム・ビリーカム・スパコーィストヴィイ・
「ラヴナドゥーシナィ」・プリローディ、
アニー・ガバリャート・ターグジェ・ア・ヴィェーチナム・プリミリェーニイ・
イ・ア・ジーズニ・ビスカニェーチナィ……。

「(拙大意)
ロシアの田舎の片隅の村に小さい墓地がある。
我が国のほとんどの墓のように、
悲しみに満ちた光景である。
墓をめぐらしてる溝は草に覆われ、
灰色と化した木製の十字架は、
かつてはきれいに塗装されてた笠屋根の下で傾き、朽ち果ててる。
墓石はみな、あたかも誰かが下から押し上げたかのように、
ずれてしまってる。
枝をむしり取られた二、三本の幹だけが、
ほんのわずかばかりの影をもたらしてる。
羊たちが何の障害もなく入り込んできて、
墓の中をうろついてるというありさまである……
がしかし、その中でひとつだけ、
人の手にも家畜にも荒らされてない墓がある。
ただ、夜明けに小鳥たちがその墓石の上に止まって
さえずるだけである。
その墓はきちんと鉄の柵で囲まれ、その両端には
トウヒの若木が植えられてる。
エヴゲーニィ・バザーロフがこの墓に埋葬されてるのである。
ここに、近郊の村から二人のだいぶ年老いた連れが足繁く通ってくる。
二人は夫婦である。
互いを支え合って重い足を引きずり、
鉄柵に近づくと、地面に膝をつき、泣きじゃくる。
そして、物言わぬ墓石をじっとみつめる。
その下に息子が横たわってるのである。
二人はわずかな言葉を交わすと
(おそらく「そろそろ墓を掃除するか」「はい」といった会話)、
墓石の埃を払い、トウヒの枝を整える。
そしてまた、祈りに戻るのである。
そうしていつまでもその場から離れることができずにいる。
なぜなら、そこが、息子に、
息子の生前の思い出に、より近いと思えるからなのだろう……
そんな二人の祈りは、二人の涙は、はたして無意味だろうか?
愛は、子を慈しんだ神聖なる愛情は、はたして力及ばぬことがあろうか?
いや、違う。
どれほど激しく、罪深い反逆的な精神がその墓に潜んでようと、
その上に咲いた花々は汚れなき目で穏やかに我々を見つめてる。
花々は永遠のやすらぎだけを、
自然の「人智の及ばぬ」あの偉大なるやすらぎだけを
我々に語りかけてるのではない。
その花々は永遠の憩いに加え、(キリスト教の神が創造した世界の)
終わりなき命が綿々と続いてくことをも語ってるのである……。」
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