フィッツジェラルド ギャツビー
(「青信号、独りで眺めれば破滅への蠱惑night/2013年版『華麗なるギャツビー』公開にあたって(前篇)」
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/a3d499789471d7307b6ea733caf1808f
から続きます)
デイズィーの夫トムは、自宅のイースト・エッグとマンハッタンの中間あたりの
車整備工場の経営者ジョージ・ウィルスンの女房マートルを愛人にしてる。
第7章では、ギャツビー、デイズィー、ニック、トム、ジョーダン
(原作自体がギャツビーだけサーネイムである。このことが、
他の4人の色持ち学友と違って「多崎つくる」の名前だけが
漢字でない村上春樹の設定に影響を及ぼしたのだろう)が
マンハッタンに2人、3人と分かれて2台の車で出かける。ちなみに、
この小説にはManhattanという単語は
一度たりとも出てこない。マンハッタンに行くという表現は、
"go to town"または"go up to New York"である。ともあれ、
行きはトムがギャツビーの黄色い新車を運転したいと言って、
ギャツビーとデイズィーはトムの青いクーペで出かけた。この
黄と青という補色を使ってフィッツジェラルドは
ギャツビーとトムの対立関係の輪郭を際立たせてる。このとき、
トム一行(&私ニックとジョーダン)はジョージの整備工場で給油した。
だから、マートルはその黄色い車がトムのものだと思った。
これが帰路の仕掛けになり、トムの未必の故意によって
ギャツビーの一巻の終わりにつながる、ということである。
結局5人はプラザ・ホテルに行ってスイート・ルームを取った。そこで、
ギャツビーの口癖である"old sport"をトムが俎上にあげた。
The room was large and stifling, and,
(拙大意)部屋は広かったが暑さで息詰まるようだった。それに、
though it was already four o'clock,
(拙大意)すでに(午後)4時をまわってたというのに、
opening the windows admitted only a gust of hot shrubbery from the Park.
(拙大意)窓を開けてもセントラル・パークの植え込みから立ちのぼる熱気が勢いよく入り込んでくるだけだった。
Daisy went to the mirror and stood with her back to us, fixing her hair.
(拙大意)デイズィーは鏡の前に向かって私たちに背を向けたまま乱れた髪を梳かしてた。
"It's a swell suite," whispered Jordan respectfully and every one laughed.
(拙大意)「さすが一流ホテルのスイート(ルーム)ですわ」とジョーダンがきまじめっぽく声をひそめて言うとその皮肉にみんな大笑いした。
"Open another window," commanded Daisy, without turning around.
(拙大意)「他の窓も開けてちょうだい」とデイズィーが鏡に向かったまま振り返りもせずに命令口調で言った。
"There aren't any more."
(拙大意)「これ以上窓はないよ」
"Well, we'd better telephone for an axe----"
(拙大意)「そう、じゃあ、フロントに電話して斧でも持ってきてもらったほうが……」
"The thing to do is to forget about the heat," said Tom impatiently.
(拙大意)「もう暑いあついっていうのはやめにしないか」とトムは苛立ちをあらわにした。
"You make it ten times worse by crabbing about it."
(拙大意)「お前がぶつぶつ言ってると暑さも10倍になるな」
He unrolled the bottle of whiskey from the towel and put it on the table.
(拙大意)彼(トム)は(タオルに巻いてた)ウィスキーのボトルをタオルから取ってテイブルの上に置いた。
"Why not let her alone, old sport?" remarked Gatsby.
(拙大意)「彼女(デイズィー)にかみつくのはやめようじゃないか、ねえ、ご兄弟」とギャツビーが意見がましく言った。
"You're the one that wanted to come to town."
(拙大意)「君(トム)が街に繰り出そうて言った張本人なんだから」
There was a moment of silence.
(拙大意)気まずい沈黙の時が流れた。
The telephone book slipped from its nail and splashed to the floor,
(拙大意)壁に紐掛けされてた電話帳が留め金からはずれてページが開いたまま床に落ちた。
whereupon Jordan whispered "Excuse me"
(拙大意)と同時にジョーダンが「ごめんあさーせ、(一流ホテルと言った)前言撤回」とまた声をひそめて言った。
--but this time no one laughed.
(拙大意)……が、今度はそんな皮肉に誰も笑えなかった。
"I'll pick it up," I offered.
(拙大意)「僕が拾うよ」と気まずい空気の中で私が口を開いた。すると、
"I've got it." Gatsby examined the parted string,
(拙大意)「いや、僕が」とギャツビーは切れた吊り紐をしげしげと観察した。そして、
muttered "Hum!" in an interested way, and tossed the book on a chair.
(拙大意)興味津々といった感じで「う~ん」とつぶやくと、椅子の上に電話帳を放りあげた。
"That's a great expression of yours, isn't it?" said Tom sharply.
(拙大意)「君はまたずいぶんと芝居がかった言い回しをするんだな?」とトムはとげとげしく言った。
"What is?"
(拙大意)「何のことかな?」
"All this 'old sport' business. Where'd you pick that up?"
(拙大意)「何かにつけてこんなふうに『ご兄弟』って言うだろ。そんな言葉、どこで身に着けたんだ?」
(電話帳をピック・アップしたギャツビーに、その言葉をどこの番号にかけてピック・アップしたのかと掛けて訊いてるのである)
"Now see here, Tom," said Daisy, turning around from the mirror,
(拙大意)「ねえ、ちょっと、トム」とデイズィーが鏡に向かってるままでなく今度はちゃんとこちらに振り返って割って入った。
"if you're going to make personal remarks I won't stay here a minute.
(拙大意)「そうやって他の人に難癖つけはじめるなら、私、もう帰るわよ。
Call up and order some ice for the mint julep."
(拙大意)それより、ミント・ジュレップ作るからフロントに電話して氷を持ってきてもらって」
As Tom took up the receiver the compressed heat exploded into sound and we were listening to the portentous chords of Mendelssohn's Wedding March from the ballroom below.
(拙大意)トムが電話の受話器を取ったとたん、部屋に充満してた熱気が一気に爆発したのかと思ったくらい大きな炸裂音がしたのだった。が、それは階下の宴会場から聞こえてくるメンデルスゾーンの結婚行進曲のただならぬ気配のものものしい和音だった。
"Imagine marrying anybody in this heat!" cried Jordan dismally.
(拙大意)「まさか、こんな暑い中で結婚式を挙げる人なんているの!?」とジョーダンがごめんだわという感じで声を張りあげた。
"Still--I was married in the middle of June," Daisy remembered,
(拙大意)「そう言うけど……私が結婚したのも6月の中旬だったわ」とデイズィーは思い返して言った。
"Louisville in June! Somebody fainted. Who was it fainted, Tom?"
(拙大意)「6月のルイヴィルよ! 倒れちゃった人がいたのよ。誰だったっけ倒れたの、ねえトム?」
まず、
村上春樹大先生は"old sport"の訳ができず、カタカナで
「オールド・スポート」と逃げてしまった。
"old"も"sport"もそれぞれ個々に、
「親しい者への呼びかけ」として
英国では使われたこともある。が、
軍役での勲章だけが誇れるギャツビーにとって、
英国軍の戦友同志が使ってそうな"old sport"が
親愛の情やGIジョウをこめた呼びかけだったのである。が、
単に親愛だけでなく敬意が込められてる。はずであるが、
さして親しくもないのにそう呼ばれたほうにとっては
おちょくられたと感じてしまうかもしれない。
それから、
"ジューン・ブライド"という"神話"に関しては、
「ジューン・ブライドの嘘とヴァーグナー結婚行進曲/F=ディースカウの死にあたって(4)」
(
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/2d7b45034b3e1115f8dc99305da34f52 )
で触れたが、かように近世以降の現実は厳しいのである。ところで、
私が附けた大意も怪しいものだが、それにしても、
世に商品として出回ってる数々の英訳プロの翻訳本には
明らかな誤認・誤訳が多いことに驚かされる。
「華麗なるギャツビー[英語版ルビ訳付]講談社RUBY BOOKS」などは、
"the portentous chords of Mendelssohn's Wedding March"
(ザ・ポーテンタス・コーズ・オヴ・メンデルスゾーン'ズ・ウェディング・マーチ)
の"the portentous chords of ~"の箇所にご丁寧にも
「~のもったいぶった弦楽合奏」とまったく意味不明な
大間違いの註を附してるのである。同曲は
弦楽合奏ではなく木管も金管も活躍する管弦楽曲であり、
この箇所の"chord"は和音という意味である。まあ、
現在の庶民感覚から推量すると、生演奏ったって、
弦楽四重奏程度のもの程度にしか考えないのだろう。が、
第一次世界大戦で債権国となった米国のプラザ・ホテルなのである。
オケぐらい入れてたのである。だいいち、
"the compressed heat exploded into sound"
という表現からして弦楽合奏のレヴェルでないことは判るはずなのだが。
ともあれ、こんな低レヴェルなのが、
Amazonのカスタマー・レヴィューでは高評価点を得てるのだからお笑いである。ともあれ、
メンデルスゾーンの「結婚行進曲」のメロディのはじめの和音はいわゆる「トリスタン和音」なのだが、
(cf;「真夏日の夜の夢/メンデルスゾーン『結婚行進曲』のトリスタン和音」
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/42aea5a038c1d4d7ed4630c4d1dfa27e )
音楽の専門教育を受けたことがないフィッツジェラルドがそれを
"portentous(=不吉なことが起きる予感がする、ものものしい……
チャイコフスキーの「弦楽セレナード」の冒頭をオー人事が正鵠を射た使いかたをしたのと似てる)"
という形容詞を使って表現してるところに、
この作家の的確な感受性と絶妙な表現力が見て取れるのである。
ロングアイランドへの帰りはギャツビー、トムがそれぞれ本来の自分の車に乗った。
黄色いギャツビーの車はデイズィーが運転してたが、
トムの車と思って近寄ったマートルを跳ね轢き逃げしてしまう。
下手人はギャツビーだと思い込んだ亭主のジョージは、
自宅プールへ泳ぎにいったギャツビーを射殺し、
自らも命を絶つ。このように、
死亡事故を起こしたのが"yellow car"であることにも、
フィッツジェラルドの「黄禍への懸念」が語られてる。ともあれ、
"豪邸のプールに横たわる射殺死体"
という場面は、後年、ウィリアム・ホウルデンを使って
ビリー・ワイルダーが「サンセット大通り」でいただいた。
終章である第9章では、
この小説の"名言"が登場する。
ギャツビーが財を成すのに関与したアブない職業のユダヤ人、
Meyer Wolfshiem(英語ふうにはマイアー・ウォルフシェム)……
1919年のMLB八百長ブラック・ソックス事件の首謀者で実在の
Arnold Rothstein(英語ふうにはアーノルド・ロウススタイン、1882-1928)
をモデルにしてる……へギャツビーの葬儀に出てくれるように
ニック(私)が頼みにいく場面である。
ニック対して、大卒であることを確かめたうえで、こう言う。
"Let us learn to show our friendship for a man when he is alive and not after he is dead," he suggested.
(拙大意)「友情を示すべきは相手が生きてるうちであって死んでからでは無意味だということを学ぼうじゃありませんか」と彼は欠席する意向だとはっきり断る代わりにそう言った。
特に日本の場合でなくとも、
タテマエはともかく葬儀は遺族や残った関係各人のためのものなので、
この言葉は一概にはあてはまらない。が、
死後に天国も地獄もない事実を思えば
きわめて理に適った話ではある。
プリンストンに通ってたほどの秀才フィッツジェラルドはまた、
絵画の教養と鋭い感性を持ち合わせてもいた。
中西部出身で東部に憧れてたニック(私)が、
ギャツビーが死んでもう東部熱が冷めてしまい、
東部を離れてまた故郷に戻ろうという心境になった
エンディングで語られる。
--even then it had always for me a quality of distortion.
(拙大意)……(東部が)いちばんと思ってた当時でさえ、私にはいつも東部が持つ何かしらの歪みを感じずにはいれなかった。
West Egg especially still figures in my more fantastic dreams.
(拙大意)ウェスト・エッグはとりわけ、いまだにそんな歪みよりもっと異様な夢の中の絵のように浮かびあがってくる。
I see it as a night scene by El Greco:
(拙大意)私にはそれがまるでエル・グレコの絵の夜景のように思えるのだ。
a hundred houses, at once conventional and grotesque,
(拙大意)陳腐なのにまた異形でもある何百という多くの家が、
crouching under a sullen, overhanging sky and a lustreless moon.
(拙大意)辛気臭い色で覆われた空と精彩を欠いた月の下に身をかがめてる、そんな光景である。
フィッツジェラルドはエル・グレコの絵の特徴を
的確に捉えて引用してるのである。また、
この作家の感性の鋭さは、第3章で描写されてる、
"A wafer of a moon was shining over Gatsby's house"
(拙大意)聖餅のような月がギャツビー邸の上に出ていた。
にも見て取れる。
終いはこう閉じられる。
Gatsby believed in the green light, the orgastic future that year by year recedes before us.
(拙大意)ギャツビーは青信号の灯を、夢が叶う未来の象徴だと思い込んでたのだった。だが未来とは実際には我々の眼前から年々どんどん残り少なくなっていくものである。
It eluded us then, but that's no matter
(拙大意)グリーン・ライト(青信号の灯)はあのとき(**第1章の終いを参照)は私たちの手をすり抜けてった。だが、どうってことない。
--tomorrow we will run faster, stretch out our arms farther
(拙大意)明日はもっと速く漕げるだろうし、もっと前まで腕を伸ばせるだろう。
. . . . And one fine morning----
(拙大意)……そして、いつかきっと(***)……
So we beat takeshi on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.
(拙大意)そうして私たちは艪で水を掻きつづけるのだ。舟が潮の流れに逆らって、絶え間なく過去に向かって押し戻されようとも。
赤信号でもみんなで渡れば怖くない、と。
(**)
he stretched out his arms toward the dark water in a curious way,
and far as I was from him I could have sworn he was trembling.
Involuntarily I glanced seaward--and distinguished nothing except
a single green light, minute and far away,
that might have been the end of a dock.
When I looked once more for Gatsby he had vanished,
and I was alone again in the unquiet darkness.
ギャツビーのことを語ってたのに、終いには
話はweとかusとかになってるのである。
ここに、このギャツビーの悲しくも儚い物語を
私(ニック)の目を通して描いてたものと思わせてたものが実は、
ギャツビーの生きざまを鏡とした
「私」ニックの後半生を、そして、
アメリカの未来を見つめる預言の書だったということが
わかるのである。
(***)
この感動的な最後の箇所、村上春樹大先生は
"And one fine morning"を
「そうすればある晴れた朝に」
と臆面もなく"翻訳"なさってしまった。
「虚辞」「冗句」「常套句」という
お修辞の初歩もご存じないようである。
無知を売り物にして対価を得ることは、
詐欺師の所業と本質的に違うといえるだろうか。
洗練さを欠いた罰金ものの誤認・誤訳である。
"one fine day"とか"one fine morning"とか、
"some fine day"とか"some fine morning"とかの
"fine"というのは「晴れた」という意味ではなく、
まとめて「ある日」「ある朝」「いつか」
という意味の常套的な用法なのである。蝶々さんが、
♪Un bel di, vedremo …(ウン・ベル・ディ、ヴェドレーモ)♪
と歌う「ある"晴れた"日に」と誤訳されてる"bel"も同様である。
(un=a(one)、bel=fine、di=day、
vedremo=動詞vedere(=see)の単数一人称未来)
ただし、(蒸気船の)ひとすじの煙が
海の彼方に見えるはずよ、というのだから、
「長崎は今日も雨だった」では見えず、
晴れてなければ見えないとはいえる。
蝶々さんの非公式の夫の名はピンカラキョウダイでもピーカンでもなく、
Benjamin Franklin Pinkerton
(ベンジャミン・フランクリン・ピンカートン)であるからして、
お正月なんか独楽を回して遊んでだり
凧をあげてたりしてうっかりしてると、
雷が鳴るような日に帰ってきてしまうおそれもある。
長崎は年間降雨日数では実は平均的なのだが、対する
一回の降雨量の比がとびぬけて大きい土地柄なのである。で、
「雨が多い」というイメージが定着してるからか、
気象庁ではなく内山田洋とクールファイヴによって
「長崎は今日も雨だった」
という誤報が広く伝わって浸透してしまったのである。
ところで、
James Gatz(ジェイムズ・ギャッツ)というのが本名という体の
Jay Gatsby(ジェイ・ギャツビー)の名の意味について触れておく。
"gat(ギャット。複数形はgats)"とは「拳銃」のことである。つまり、
He was destined to be killed "by gats".
ということだったのである
(文法的にはbyでなくwithが正しいとしても)。
いっぽう、
daisyはいわゆるヒナギクである。
日中には花開くが、日が暮れると閉じることから、
"day's eye"を意味する古語から名付けられたという。
金持ちには振り向くが、一文無しには心を閉ざす、
といった意味合いがあるものと思われる。
さて、
肝腎のタイトルである。
"The Great Gatsby"
「ザ・グレイト・ギャツビー」である。この"グレイト"。まず、
初めに訳されて定着してる
"華麗なる"はないだろう。
ディカプリオの顔が巨大な子持ちガレイに見えてきてしまう。あるいは、
[木の蔭におりゐて餉食ひけり]
ディカプリオが業平ばりの扮装をして、
お湯をかけ戻したメシをかっ込んで、
かきつばたを折句に詠んでしまいそうである。といって、
「グレート」なんてカタカナに逃げるのもまたきたない。しかも、
"グレート・ギャツビー"だと、定冠詞theがないがしろにされてしまう。かつて、
(邦題=)「グレート・レース」という映画があったが、その原題は
"The Great Race"
であり、実際に1908にNYからパリまでで行われた自動車競走を題材にしてた。
歴史的なできごとや事件、建造物に対して、
"The Great なんとか"という表現をする。たとえば、
この小説の中の話題のひとつにもなってる第一次世界大戦は
"The Great War"
と表現されることがある。べつに
"華麗なな戦争"だったわけでも"立派な戦争"だったわけでもない。
「あの(名高い)大きな」戦争、という意味合いである。
「名を轟かせたギャツビー」「一世を風靡したギャツビー」「うわさのギャツビー」
「ウェスト・エッグ大邸宅殺人事件のギャツビー」「例のギャツビー」、
「あのギャツビー」
なのである。いずれにしても、
この小説には「色」が頻繁に出てくる。だから、
村上春樹大先生は"新訳"を出される際には、タイトルも一新して、
「色を持つジェイ・ギャツビーと、彼の巡礼の年。2oo6」
なんていうのにしたらよかったのにと思う。
ギャツビーのこの悲しい結末を転機として、
生き残った私(ニック)は東部に幻滅し、離NYする。
そのことがおそらくは、その数年後にウォール街を襲う
"The Great Depression"(大恐慌)による破滅から
私(ニック)を救うことになったのだろう、ということは、
並の知能があれば、
容易に推測されるはずである。奇しくも、私(ニック)にとって、
"The Great Depression"から自分を遠ざけてくれたギャツビーこそ、
"The Great Gatsby"といえるのだろう。
フィッツジェラルドが来るべき大恐慌を予想してそれを
念頭にタイトルを附けたということはないだろう。
彼自身も"ロウスト・ジェネレイション"などと言われるごとく、
米国内での価値観の喪失によって
パリその他ヨーロッパにいることが多かったので
大恐慌のあおりを直接には食らわずに済んだのだったとしても。
ともかくも、"The Great War"、"The Great Depression"という
歴史的できごとを、言葉を知らない御仁が、
そういった時代背景の小説を翻訳しても、はたして
真っ当な訳ができてるかどうか、非常に不安にならないだろうか。が、
嘘も"絶え間なく"言い張られつづければ、
本当のことは過去に押し流され、その虚偽のほうがあたかも
真実であるがごとく人心にも歴史にも刻まれてしまうのである。
ギャツビーの最期のように痛ましくせつない。