チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「AKB48『Everyday、カチューシャ』とチャイコフスキー『花のワルツ』」

2011年07月10日 00時36分14秒 | 倒錯の世界(嗜好の微調節と微ヒョウセツ
私のようなオッサン世代、しかもブサイク野郎には、
グンソクといえば軍手の靴下版しか想像できない。が、
イケメンですね、ってことになってるらしい韓流タレントがいま、
日本人女性(オバチャンだけでなく若い女性も)の
人気の的、なんだそうである。ちなみに、
「グンソク」「グンちゃん」というのはいささかみょうちくりんである。
朝鮮語はおおざっぱにいえば語頭では子音は濁らない。
チャン・グンソクと続けていえばグンソクと濁るが、
チャンを除いて下だけ単独で発音すればクンソクである。それはさておき、
同人が来日した際に羽田空港で出迎えた"ファン800人"は、
スタッフが銭で募集した"サクラ"だったことがバレてしまったらしい。まあ、
あのレヴェルの"イケメン"程度では、はるかに整った顔をしてた
岡本健一が日本で驚異的な人気が出なかったのと同様、
本当に人気があるはずもない。それにしても、
恵比寿ガーデンシネマがつぶれて韓流劇場になって
集団で踊って歌ってる彼らはただのブサイク男ばかりである。それが
イケメンになってしまうのだから、
Park、Lee、そしてKimの3つのサーネイムだけで
全体の45パーセントも占めてしまうという、
菅直人が便宜を図ってるお国のお国柄がよく現れてる。

ところで、サクラといえば、
AKB48は古くは「桜の花びらたち」、
一昨年は「10年桜」、昨年は「桜の栞」、
今年は「桜の木になろう」をヒットさせたらしい。が、
スィングルではもっともCD売り上げがいいのは、
「Everyday、カチューシャ」なんだそうである。
この歌謡曲は井上ヨシマサという人物が"作曲"したらしい。
曲の初めの♪『ミー・<ファー・・ファー・>ミー│ミー』♪は、
いわゆる「ホフマンの舟歌」ふうである。
カチューシャという日本だけの呼称であるヘアバンドの名の由来は、
チャン・グンソクと広末涼子女史の顔の違いが区別できない
拙脳なる私は知る由もないが、
いかにも「復活」で松井須磨子が着けてそうな印象を人々に与えるし、
たしかに「その前夜」で同女が
「ゴンドラの唄(=舟歌)」を歌ってた雰囲気が重ねられる。
(cf=「ゴンドラの唄(作詞=吉井勇、作曲=中山晋平、唄=松井須磨子)」
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/d1fa4b58e0ca834b2e1686f92dd33cc3)

それはひとまずおいといて、
「Everyday、カチューシャ」のサビ部分は、
それまでのハ長調の導音シを半音さげた♭シを属音に置き換えた、
歌謡歌手にとってはけっこう音が採りにくい転調を弄して、
変ホ長調になる。そして、
[カー<チューー>ウ・シャーーー]の歌詞の部分を
♪ソー│<ファー・ー>ミ・・ミー・ーー♪
と充ててる。
♪『ミー・<ファー・・ファー・>ミー│ミー』♪の亜形である。ともあれ、次いで、
[はー<ずー<しー<なーー>が・らーーー]の部分を
♪●●・【ソー・・<ドー・<ミー│<ファー・ー・>ミ・・ミー・ーー】♪
と続ける。これは完全に、
チャイコフスキーのバレエ、いわゆる「くるみ割り人形」の中の
いわゆる「花のワルツ」の主要主題、
♪【ソー・<ドー・<『ミー│<ファー・ー・>ミ・・ミー・ーー』】♪
である。また、先ほどの歌謡曲の冒頭の
♪『ミー・<ファー・・ファー・>ミー│ミー』♪は、
この「花のワルツ」の節の一部でもある。
ポップスとはクラスィカル音楽のクの字もオの字も解らない
一般的な人々に疑似音楽体験を与える方便である。だから、
クラシック→ポップスという流用は大目に見れる程度のものである。が、
クラシック→クラシックとかポップス→ポップスというパクリの場合は、
利潤追求の末のパクリ多売といって、悪質かつ実に恥ずべきものである。

チャイコフスキーの「花のワルツ」は、バレエ「くるみ割り人形」の中で、
男女それぞれ36人ずつ、計72人の群舞が、
「婚約者のふたり」に花々を贈って祝福する場面の音楽である。
女性ダンサーはティアラは着けてるかもしれないが、稽古時以外で
カチューシャをすることはない。男性はもちろんしない。
着けてもせいぜいカツラである。ちなみに、
カチューシャを外して解くほどの長い髪をしてる性根の
韓流好きオバサンが苦手なのは、
私自身が薄毛でヅラ着用者だからというわけではない。ちなみに、
韓国朝鮮の人はトイレ後に手を洗わないのが普通らしい。
文化の香り高いフランス人とお揃いである。どうりで、
種々芸能の才能があるわけである。
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「取り違えはなぜ起こるか/ドーデもいいことではない」

2011年06月15日 01時17分24秒 | 倒錯の世界(嗜好の微調節と微ヒョウセツ
Michel de Nostredame(ミシェル・ドゥ・ノトルダム)、いわゆるノストラダムスの
"Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus"
(レ・ヴレ・サンチュリ・エ・プロフェティ・ドゥ・メトル・ミシェル・ノストラダミュス)
「ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集」、
の1691年リヨン版に掲載されてるノストラダムスの肖像は
Daudet(ドデ)という人物による銅版画である。が、
そこに附されてる4行詩が五島勉によって
ノストラダムス自筆の詩であり、「二つの顔を持つ護符」である、
などと解説されてるらしい。が、
実際はその出典とされるセルジュ・ユタン自体が
1668年アムステルダム版の肖像画と取り違えてるのである。
とはいえ、
私はこの手の"予言"や"宗教"などはまったく関心外なので、以上はすべて、
wikiの類からの受け売りである。それによると、
五島勉の「ノストラダムスの大予言」は、オウム真理教に多大な影響を与えたらしい。
"予言"や"宗教"に洗脳されやすい者が読むものだから当然である。

さて、
私はチャイコフスキー大好き野郎である。ゆえに、
常に自分がチャイコフスキーについて知らないことがないかと、
気に掛けてる。初耳なようなタイトルや記事をネットで見つけては、
それを見て……ああ、またか……と、実際には
ウソッパチが書かれてることに一人屈折した優越感にひたるのである。
私は世の中の負け犬である。伴侶も得られず、
子も残せない。よそ様の頭の悪いガキや、
性根の腐った子供らのための「子供手当」に充当される税金を
払わされてる経済奴隷である。ドエムである。
箸もきちんと持てないアホガキどもの生活を支えてるのである。カネヅルである。
が、それでけっこうである。
他人様の幸福を指を咥えて見てるのが私の幸せ、
というチャイコフスキーの交響曲第4番の境地である。

ただ、それでも、
堂々と誤りが書かれてたり、取り違いがそのままになってるのは、
遺憾である。
今日、
「チャイコフスキー」というキーワードでググった結果、出てきたサイトに、
"Природа и любовь"
(プリローダ・イ・リュボーフィ)
「自然と愛」
(アンダーンテ、6/8拍子、変ト長調)
というチャイコフスキーが1870年、30歳のときに作曲した
ソプラノ2、アルト1、という3人のソリストと、
ソプラノ2、アルト1、という3声部の合唱と、
ピアノのための曲に関して書かれたサイトが検索された。
こんな非ポピュラーな曲を採り上げるとは
なんて奇特なかたなんだろうと思ってそのサイトを開くと、
この曲の成り立ちを解説していた。そして、なぜか
肝腎のビェータ・ヴァーリズィク女史については言及がないいっぽうで、
エリザビェータ・ラヴローフスカヤ女史のことが述べられてた。そして、
イヴァーン・クラムスコーィによるラヴローフスカヤ女史の肖像画と、
1871年3月16日(現行暦3月28日)の初演を聴きに来てた
イヴァーン・トゥルギェーニフ(いわゆるツルゲーネフ)の写真なるものが
掲載されてた。

私は驚愕した。
冗談ではない。
この"ツルゲーネフ"、monocle(モノクル=片眼鏡)を左眼窩にはめ込んで、
髪を真ん中からやや左の位置から分けてるのである。がしかし、
本物のツルゲーネフは(額の右側の上から髪を分けるいわゆる)
右分けを生涯ずっと通した男なのである。結論をいえば、
このサイトの運営者によって"ツルゲーネフの写真"として掲載されてるものは、
「アルルの女」の原作者であるフランス人作家
Alphonse Daudetの顔写真なのである。ちなみに、
たとえば"Turgenev"という西欧表記でグーグルの画像検索をしても、
このドーデの写真は検索されない。

が、
"Тургенев"で画像検索をすると、
このドーデの写真がひとつだけ、検索されるのである。そこで、
それをクリックしてみると、
http://78.47.165.4/kartinki/literatura/Turgenev-1/101-Gruppa-pjati.html
というペイジが現れる。が、これは、
「ツルゲーネフの交友関係者」の写真の一枚なのである。
ドーデはエドモン・ゴンクール(ジュールの兄)、ゾラ、フローベール、
そして、在仏のツルゲーネフと交流があった。可能性として、
その「ツルゲーネフの交友関係者」の写真を
ツルゲーネフ自身の顔写真と取り違えたのである。
cf:
http://78.47.165.4/kartinki/literatura/Turgenev-1/096-Gruppa-pjati.html

で、
「ツルゲーネフ」
という日本語で画像検索をすると、
このドデの写真がひとつ検索される。そして、
それをクリックすると、この
チャイコフスキーの「自然と愛」(1870年作曲)
のサイトが現れてしまうのである。
チャイコフスキーに関心がある、チャイコフスキーのことを知ろうとしてる
無垢な若者に、直接チャイコフスキーのことではないにしろ、
ロスィア人作家ツルゲーネフとフランス人作家ドーデの顔を
誤って植え付ける、という甚だしい誤解を与えてしまう
罪深い過ちである。

だが、それでも、
なぜ数ある"Тургенев"の画像の中で、
わざわざこのDaudetの写真を選んだのか、
アントーン・チェーホフとアルフォンス・ドデの顔の区別もままならない拙脳なる私には
皆目見当もつかない。たとえば、
ツルゲーネフの作品の数々やドデの「風車小屋便り」を
小学生の頃から読んでた私には、そういった本に載せられてた
作者の顔も充分解ってるので、取り間違えようがない。
ドーデー、ドーデイ、どうでぃ! どんなもんや!
みたいなドヤ顔でこの写真を採りあげようとも思わない。

よく、車庫で車を暴走させた者が、
車のアクセルとブレーキを踏み間違えた、
などという言いわけをする。
アクセル・ペダルとブレイキング・ペダルなど
踏み違えようとしても間違えれないほど位置が違う。
それでも……一部の人は間違えるのである。
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「正午のHigh Noon(1952)と早朝のラジオ体操の歌(1956)/ティオムキンと藤山一郎」

2011年05月17日 00時41分11秒 | 倒錯の世界(嗜好の微調節と微ヒョウセツ
[藤山一郎生誕100年]

昭和56年(1971年)の3月、
小学校を卒業して中学が始まるまでの間の
"休み"に、ソヴィエト映画「チャイコフスキー」が
日比谷のいまはなき「有楽座」で封切られた。その初日に、
私は観にいった。映画の音楽の総指揮を執ったのが、
いわゆるディミトリ・ティオムキン、
Дмитрий(ドミートリィ) Тёмкин(チョームキン)
(1895-1979)である。エカチェリーナ2世の「いい人」だった
Потёмкин(パチョームキン)とどんな関係があるのか、
ジェロニモとジャガイモを聴き間違えてしまうことがあるくらいな
拙脳なる私に解るはずもないが、
тём(チョーム)-という接頭辞が「闇の」「黒っぽい」を表す語なので、
いずれも「色黒」な男がそうニックネイムづけられて、
それがサーネイムになったのかもしれない。ともあれ、そのチョームキンが、
1952年に公開された"High Noon(邦題=真昼の決闘)"の中の歌、
"Do Not Forsake Me, Oh My Darlin'"
(ドゥ・ノット・フォセイク・ミー、オウ・マイ・ダーリン)
*forsake=見捨てる(この場合は「do not forsakeで「行かないでくれ」
は、日本でも訳詞をつけてディック・ミネがカヴァーした。

(歌を聴いた記憶をもとに私がカタカナ譜におこしたものなので、
実際の音符とは異なってることを悪しからず了承いただきたい)
***♪●●・【ソー(Do)・・<ドー(not)・<レー(for-)│
  <ミー(-sake)・>ドー(me,)、・・<ファー(oh)・>ミー(my)│
  >レー(dar-)・>ドー(-lin')】・・●●・●●│
  全休♪

春休みにはなかったが、私が小学生だった頃の夏休みには、
「ラジオ体操」というものがあった。
学校がやってたのか、町内会がやってたのか、
それすらも知らないで行かされてた。
ふつうはサボれない。
最寄の会場まで朝っぱら早くから行かなければならないのである。
出席カードみたいなものをあてがわれ、
そこに「確かに出席した」というハンコをもらう仕組みである。が、
それでも私はサボった。
ジミな理由なきハンコではあった。
三分の一くらいは出たが。ともあれ、
そこで行われるラジオ体操だったが、
実際にラジオ(NHK)から音楽が流れてくるのである。が、その前に、
「ラジオ体操の歌」(昭和31年=1956年)という歌が流れてくる。

[新しい朝が来た。
希望の朝だ。
喜びに胸を開け。
大空仰げ。
ラジオの声に健やかな胸を、
この香る風に開けよ。
そーれ、いち、にっ、さん]

これを歌ってたのが日本歌謡界の二大オンチ巨頭の一角、
藤山一郎大先生(1911-1993)だった。そして、この歌の
"作曲"も同先生である。

(歌を聴いた記憶をもとに私がカタカナ譜におこしたものなので、
実際の音符とは異なってることを悪しからず了承いただきたい)
***:♪【ソーーー│<ドーーー・ーー<レー・・<ミーーー・>ドーーー│
   <ファーー>ミ・>レー>ドー】・・<レー●●、・>ソーーー│
   <レーーー・ーー<ミー・・<ファーーー・<ラーーー│
   >ソーーー・ーーーー・・>ミー●●♪

藤山大先生は小泉純一郎のように、
西部劇が好きだったのかもしれない。霧島昇の
「愛染かつら」よりも「アイゼンハワー」が好んだ「真昼の決闘」とか……
冒頭の【ソ<ド<レ<ミ>ド<ファ>ミ>レ>ド】
という音の並びがまったくオソロイである。私には、
ゲイリー・クーパーがじきじきに
"ドゥ・ノット・フォセイク・ミー"と言ってるように聞こえたので、
超ムキになってサボったのである(ウソ)。

さて、
ミラーを撃ち殺して、ケインと妻は馬車で町を去ってくのであるが、
風ひとつない穏やかに晴れた日曜の午後だった。
ケインが馬車で妻と町に帰ってきたのを見た男がそれを床屋に伝えたとき、
「棺桶は?」と訊かれ「2つ」と答えると床屋は「あと2つ要る」と言った。
床屋は4人相手でもケインが完勝することを予測してたのである。
江戸時代末期には日本では、、
[風が吹けば桶屋が儲かる]
などと言ったが、その頃の米国の西部では、
[風が吹かなくてもcooper(=桶屋)が勝つ]
だったのである。
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「2つのガヴォットによるフリッツ・クライスラーのLiebesleid(愛の悲しみ)」

2011年02月16日 23時48分21秒 | 倒錯の世界(嗜好の微調節と微ヒョウセツ
Francois Joseph Gossec(フランスワ・ジョセフ・ゴセッキュ、1734-1829)は、
95歳という長寿をまっとうした"芸術家"である。
交響曲のいくつかや、レクィエム、
「共和制の勝利」というようなオペラ、など、
入手できるスコアや音源を見聞きしたかぎりでは、
そのほとんどが陳腐きわまりない代物ばかりである。が、
同人が作曲したという「ガヴォット」だけは、
とらえどころがわずかにある、
ポピュラリティをもってる。
"Rosine/L'epouse abandonnee(1786年)"
(ロズィヌ あるいは レプズ・アバンドネ=捨てられた花嫁)
というオペラの中の曲だった、ということらしい。いっぽう、
Gabriel Marie(ガブリエル・マリ、1852-1928)については、
"La Cinquantaine(ラ・サンカンテヌ=50年=金婚式、1887)"
しか知らない。いずれにせよ、
ハン・スンヨンは整形してもやっと安田美沙子並なのが心底
かわいそうになってしまうほど甘ちゃんな私であるゆえ、
これら2つの原曲がどのようなものだったのか、しかとは知らない。

いずれにせよ、
私のような、才能もないのにガキのときに
ヴァイオリンをやったことがある者ならそのほとんどが
弾いた(弾かされた)であろう曲である。が、
才能が少しはあってさらに進んだ者なら、
この2つの「ガヴォット」を3拍子にして
ちゃっかり"自作"としてしまった
フリッツ・クライスラーの小品も弾くことになるのである。
演奏会や対価を得る目的の録音で、
マジに弾かれるほどの"作品"の域までに高められたものである。

「金婚式」:[テンポ・ディ・ガヴォット、2/2拍子、無調号(イ短調)]
***♪ミー│<ラー・<ミー・・ミー・ミー│ミー・>レ<ミ・・<ファー・ーー│
    <ラー・<ミー・・ミー・ミー│ミー・>レ<ミ・・<ファー・ーー│
    <ラー・>ソ>ファ・・>ミー・>レー│>ドー・>シ>ラ・・<シー・<ドー│
    >シー・ーー・・ーー・ー>ラ│<シー・ーー・・ーー♪
「愛の悲しみ」:[テンポ・ディ・レントラー、3/4拍子、無調号(イ短調)]
***♪ミー│<ラー・ーー・<ミー│ーー・ミー・ーミ│ミー・>レ●・<ミ●│<ファー・ーー・ーー♪
→[テンポ・ディ・レントラーに対するポーコ・メーノ・モッソ、、3/4拍子、3♯(イ長調)]
****♪ソーーー│<ソーーー・ーーー<ラ・>ソーーー│ーーー<ラ・>ソーーー・ーーー>ミ│
      <ファーーー・ーーーー・ーーーー│ーーーー・ーーーー、
   >ソーーー│<ファーーー・ーーー<ソ・>ファーーー│ーーー<ソ・>ファーーー・ーーー>レ│
      <ミーーー・ーーーー・ーーーー│ーーーー・ーーーー♪
「ゴセックのガヴォット」:[テンポ・ディ・ガヴォット、2/2拍子、2♯(ニ長調)]
***♪ソ<ラ>ソ>ミ│<ファ<ソ>ファ>レ・・>ドー<ドー│>ドー●●・・
  <ファ<ソ>ファ>レ│<ミ<ファ>ミ>ド・・<レー<ソー│>ソーーー♪

「Liebesleid=リーベスライト=愛の悲しみ」は、
胃がガボガボっとしてしまいそうなくらい、
金婚式(サンキャンテヌ)に飲むシャンペンの泡にあんマリにも似すぎである。
同主調に転じる中間部は、
「ゴセッッキュのガヴォット」にイキウツシである。ともあれ、
こういう小品は、今はもう話題も聞かなくなった
アン・アキコ・マイアーズ女史が巧い演奏をしてた。

Fritz Kreisler(フリッツ・クライスラー、1875-1962)は、
フロイトのユダヤ人の医者仲間を父にヴィーンで生まれた。
その父の影響で幼少からヴァイオリンを習い、神童となった。
先生は、ヨーセフ・ヘルメスバーガーにアントーン・ブルックナーという脅威の布陣である。
医学の道はアバンドネして、ヴァイオリン演奏の人生を選んだ。
1941年にNYで道を横断したときトラックにはねられて頭蓋骨を折り、
1週間以上も昏睡状態がつづいた。が、回復して
演奏もできるようになった。晩年をNYで過ごしたが、
車に乗ってるときにまた事故に遭う。そして、
その事故のために目も見えない耳も聞こえない残りわずかな日々を、
カトリックの信仰に満たされて送ったという。
信仰にたよらねばならない気質もまた私にはなじまない。
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「KARA騒ぎ/Much Ado about Nodong(労働 トヌン 女尻哀史)」

2011年01月21日 00時49分41秒 | 倒錯の世界(嗜好の微調節と微ヒョウセツ
「尻振りダンス」という男性に媚びる踊りがウリものの
K-popグループ「KARA」が騒がしい。なんでも、
<地位を悪用した不要な芸能活動を強要し人格を冒とくした>
<メンバーは精神的苦痛を受け、事務所との信頼は回復できない>
としてメンバーの3人が所属事務所に契約解除を通告したという。
「望まない仕事を強要された」
「人格を冒涜された」
というのだが、それはいったいどんな労働だったのだろう。
体をモムようなことをされたのだろうか。いや、
日本なんかで歌わされ踊らされたことかもしれない。いずれにしても、
かなりな薄給だということである。

ときに、
"KARA"とは、
シェイクスピアとイクスピアリを聞き間違える程度の
拙脳なる私にはどんな意味かも解らないが、なんでも、
「甘いメロディ」という意味らしい。
カラクもわずかにはハングルが読める私には、
曲や律動を表すカラッは、ナンチャッテハングルで書けば、
「フト己ト」
   ¬
だと思ってた。が、
このグループのカラは、代用ハングルで書けば
「ヲト己ト」
らしい。
「カ」は平音より横棒が一本多い、激音である。
痰を吐くようにして出す音である。

ときに、
KARAの"Mister"の歌い出しは、
"La la la la la la, la la la la la la"
である。それを音源をもとに私がカタカナ譜に採譜したものは、
次のようになる。
[4/4拍子、ホ短調(E minor)](作曲=ハン・ジェホ&キム・スンス)
****♪ミ(La)ー>ド(la)ー・>ラ(la)ー、<ミ(la)ー・・>ド(la)ー・>ラ(la)ー、●●<レ(la)ー│
   >ーー>シ(la)ー・>ソ(la)ー、<レ(la)ー・・>シ(la)ー・>ソ(la)ー、●●<ド(la)ー│
   >ーー>ラ(la)ー・>ファ(la)ー、<ド(la)ー・・>ラ(la)ー>ミ(la)ー・ーー、<ミー│
   ーー<ソー・<ラー>ソー・・ーーーー・●●●●♪

そのカラクりはタルマッタんがころんだ、みたいにはウマク表現できないが、
沖縄出身のJ-popグループである
MAXの"Ride on time"の歌い出しに感じがよく似てる。

"Ride on night Ride on now Ride on time"
(音源をもとに私がカタカナ譜に採譜したもの)
[4/4拍子、嬰ハ短調(C sharp minor)](作曲=横山輝一)
****♪ミ(Ri)ーー>ド(-de on)・ーー>ラ(night)ー・・ーー<ファ(Ri)ー・>ミ(-de on)ー>レ(now)ー│
   <ミ(Ri)ーー>ド(-de on)・ーー>ラ(time)ー・・ーー・ーーーー♪

ハン&キムは横山の[ミ>ド>ラ]同型反復を踏襲してるのである。
横山輝一はこの「ミスター」を聴いて、
「ナムジャ、こりゃぁーっ!? 俺をカラかっとんのか!?」
と驚いたことだろう。もっと驚いたのは、
今は亡き今野雄二が日本語訳詞を作り、石井明美女史が歌った
"CHA-CHA-CHA"のロゼッリーニにちがいない。が、
Chara女史はちっとも驚いてないと思う。ちなみに、
綿引という名字は旧常陸国に多い。それは、
平将門の乱を平定した俵藤太の子孫だからである。ともあれ、
KARAのメンバーは過酷な労働搾取を世に問うたのである。
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