13日に米国のクラ音指揮者
Lorin Maazel(ロリン・マゼル、1930-2014)が84歳で死んだ。
ユダヤ系ロシア人の父親リンカンが27歳、
ハンガリーとロシアの血を引く母親のマリオンが35歳のときの子で、
その名のとおりいろいろな民族の混ぜるDNAが
高度な音楽の才能を生んだのかもしれない。
母親は1992年に97歳、
父親は2007年に106歳で大往生したので、
自分も100歳までは頑張ると言ってたらしい。
ヨーハン・シュトラウス父子伝統の、ヴァイオリンを自ら弾きながら
ウィンナ・ワルツを指揮するという芸当ができる指揮者がもういないので
当分ニューイヤーコンサートでもそうした光景は見られない。
マゼールというと、今年が生誕150年だった
リヒャルト・シュトラウス同様に金銭に貪欲なことが喧伝されてたこともあって
とくに日本のクラ音評論家どもやファンからは"浅薄"と蔑まれてた。
だが、"深淵"でとおってるフルトヴェングラーのような
節穴目の笊な指揮者を崇めてるような連中である。
金持ちを妬む左翼思想(クラ音関係者や愛好者はほとんどが左翼)
に加えて音楽のオの字も解ってないのが
いかにも哀れである。
マゼルの指揮は実演も数えきれないほど(おおげさではなく、実際数えられない)
聴いたし、録音物もCDでは相当数を収集した。
感銘した数少ない指揮者のひとりである。
ヴァイオリン演奏ではドヴォルジャークの「ユーモレスク」もいいし、
ガーシュウィン(ハイフェッツ編曲)の「イット・エイント・ネセセリリ・ソウ(世の中にぜってぇってことはねえんだ)」
はその"スウィング"感に聴きほれる。
アンナ・モッフォがタイトル・ロウルを歌った「カルメン」の演奏もすばらしいが、
なんといってもチャイコフスキーの「交響曲第5番」を若かりし日に
ウィーン・フィルと録音したものがマゼルの極みである。
各楽章ことごとく粗雑で無神経なムラヴィンスキーなどとは雲泥の差である。とくに、
第2楽章の繊細さには恍惚となってしまうほどである。とくに、
コーダの弦群が第2主題を交互に、
後ろ髪引かれるがごとくせつなく、さやぐように奏するところなど、
鳥肌ものである。CDでは減ぜられてしまったが、そこの箇所で
クレッシェンドとディミヌエンドを繰り返すところなど、レコードでは
デュナミークの再現がチャイコフスキーの意図をきちんと汲んでるのがよく判る。
この「5番」で印象深かったのは、
1995年のピッツバーグ響との来日公演である。
初めて聴いたそのホルンの主席がとてつもなく巧かったので、
いっしょに聴きにいってた隣席の女性に
アメイズィングというような顔をしながら(う・ま・い)とクチパクで伝えた。
演奏後、マゼールはそのホルン奏者を立たせて讃えた。
結局は管楽器を順番に立たせてって全パートに拍手させるようなよくある
儀礼的なものとは違って、マゼールはそのホルニストただひとりだけを
賞賛したのだった。William Caballero(ウィリアム・カバリェーロウ)のことなのだが。
(チャイコフスキーの「交響曲第5番」の第2楽章を
音楽作製ソフトのSibelius Firstで自分なりに作ってみました。
廉価版なので思うようにならないところも多々あるのですが、
ヘタなオケを扱のはこういうふうに大変なのだろうなとがまんしつつ、
マゼールの死を悼みながら急仕上げで作製してみました。
https://soundcloud.com/kamomenoiwao01/tchaikovsky-symphony5-2nd-mvt )
Lorin Maazel(ロリン・マゼル、1930-2014)が84歳で死んだ。
ユダヤ系ロシア人の父親リンカンが27歳、
ハンガリーとロシアの血を引く母親のマリオンが35歳のときの子で、
その名のとおりいろいろな民族の混ぜるDNAが
高度な音楽の才能を生んだのかもしれない。
母親は1992年に97歳、
父親は2007年に106歳で大往生したので、
自分も100歳までは頑張ると言ってたらしい。
ヨーハン・シュトラウス父子伝統の、ヴァイオリンを自ら弾きながら
ウィンナ・ワルツを指揮するという芸当ができる指揮者がもういないので
当分ニューイヤーコンサートでもそうした光景は見られない。
マゼールというと、今年が生誕150年だった
リヒャルト・シュトラウス同様に金銭に貪欲なことが喧伝されてたこともあって
とくに日本のクラ音評論家どもやファンからは"浅薄"と蔑まれてた。
だが、"深淵"でとおってるフルトヴェングラーのような
節穴目の笊な指揮者を崇めてるような連中である。
金持ちを妬む左翼思想(クラ音関係者や愛好者はほとんどが左翼)
に加えて音楽のオの字も解ってないのが
いかにも哀れである。
マゼルの指揮は実演も数えきれないほど(おおげさではなく、実際数えられない)
聴いたし、録音物もCDでは相当数を収集した。
感銘した数少ない指揮者のひとりである。
ヴァイオリン演奏ではドヴォルジャークの「ユーモレスク」もいいし、
ガーシュウィン(ハイフェッツ編曲)の「イット・エイント・ネセセリリ・ソウ(世の中にぜってぇってことはねえんだ)」
はその"スウィング"感に聴きほれる。
アンナ・モッフォがタイトル・ロウルを歌った「カルメン」の演奏もすばらしいが、
なんといってもチャイコフスキーの「交響曲第5番」を若かりし日に
ウィーン・フィルと録音したものがマゼルの極みである。
各楽章ことごとく粗雑で無神経なムラヴィンスキーなどとは雲泥の差である。とくに、
第2楽章の繊細さには恍惚となってしまうほどである。とくに、
コーダの弦群が第2主題を交互に、
後ろ髪引かれるがごとくせつなく、さやぐように奏するところなど、
鳥肌ものである。CDでは減ぜられてしまったが、そこの箇所で
クレッシェンドとディミヌエンドを繰り返すところなど、レコードでは
デュナミークの再現がチャイコフスキーの意図をきちんと汲んでるのがよく判る。
この「5番」で印象深かったのは、
1995年のピッツバーグ響との来日公演である。
初めて聴いたそのホルンの主席がとてつもなく巧かったので、
いっしょに聴きにいってた隣席の女性に
アメイズィングというような顔をしながら(う・ま・い)とクチパクで伝えた。
演奏後、マゼールはそのホルン奏者を立たせて讃えた。
結局は管楽器を順番に立たせてって全パートに拍手させるようなよくある
儀礼的なものとは違って、マゼールはそのホルニストただひとりだけを
賞賛したのだった。William Caballero(ウィリアム・カバリェーロウ)のことなのだが。
(チャイコフスキーの「交響曲第5番」の第2楽章を
音楽作製ソフトのSibelius Firstで自分なりに作ってみました。
廉価版なので思うようにならないところも多々あるのですが、
ヘタなオケを扱のはこういうふうに大変なのだろうなとがまんしつつ、
マゼールの死を悼みながら急仕上げで作製してみました。
https://soundcloud.com/kamomenoiwao01/tchaikovsky-symphony5-2nd-mvt )