チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「独語のチャイコフスキー(オネーギン)/F=ディースカウの死にあたって(3-2)」

2012年06月12日 18時34分38秒 | チャイコ全般(6つの目のチャイコロジー
先日、上野から浅草に向かったとき、
少しだけ道を逸れて、昔、知り合いが住んでた
松が谷の秋葉神社に立ち寄った。そのすぐそばには、
入谷南公園がある。昭和38年、そこで遊んでた
4歳児が小平義雄(処刑済)に誘拐・殺害されるという、
いわゆる吉展ちゃん事件があった。小平といえば、
東京都の小平霊園で「樹林墓地」なるものを作って、
入墓者を7月から公募するというニュースを数日前にやってた。
そこでは共同墓地にズダのまま投げ入れられたモーツァルトの
モツレクが聞こえてくるとも思えないし、
「林檎殺人事件」を郷ひろみがソロで歌う声が聞こえてくる、
というサーヴィスもないだろうが、
つねに「シェケナ・ベイビー!」「ロックンロウル!」という
お経が聞こえてきそうな墓所である。
いっぽう、
府中市の霊園「府中ふれあいパーク」では、
"シングル女性向け"の共同墓地がすでに
予約満員状態らしい。どちらも
数百柱しか収容能力はないらしい。
墓所不足解消策というよりは話題づくりという感が強い。

半世紀近く前に、
指揮=Otto Gerdes(オットー・ゲルデス、1920-1989)、
管弦楽=ミュンヒェン国立歌劇場管弦楽団(バイアーン国立歌劇場管弦楽団)、
合唱=同合唱団、
タチヤーナ=Evelyn Lear(エヴリン・リア、1926-)、
オーリガ=Brigitte Fassbaender(ブリギッテ・ファスベンダー、1939-)、
リェーンスキー=Fritz Wunderlich(フリッツ・ヴォンダリヒ、1930-1966)、
グリェーミン=Martti Talvela(マルッティ・タールヴェラ、1935ー1989)、
アニェーギン=Dietrich Fischer-Dieskau
    (ディートリヒ・フィッシャー=ディースカオ、1925-2012)、
という顔ぶれの
「ドイツ語版オネーギン(抜粋)」が録音された。
この秀逸なるメンバー、オケなので、真っ当な演奏である。ただし、
オペラの根幹である言語をたがえてるという問題があるので、
やはり参考程度にしか聴くことはできない。とくに、
ロシア語という口蓋化が著しい"軟らかい"言葉の対極のような
"硬い"ドイツ語というのは、この
ロシア独特のみじめったらしい内容のオペラには
まったく相応しくない。口蓋音というのは、
ごくごく大雑把に言えば、漢語経由日本語の「拗音」のようなものである。
政敵や記者を平気で殺してきたと噂されるあの恐ろしいプーチンでさえ、
話してるのが報道されると、まるで
甘えん坊がしゃべってるのかと思うほど、
ミャーミャー・ニャーニャー・ピャーピャー・ヴィェーヴィェー・ギェーギェー・チェーチェー言ってるのが、
非ロシア語話者には滑稽に聞こえる。口蓋音は
西欧の言語ではスラヴ系に多く、子音単独でも軟音化される。反対に、
ラテン系ではフランス語の"ca""ga"、たとえばキャテドラルとかギャルソンに見られる。
英語・独語では"ch""sh"の音程度にしかなく、かつ、口蓋化も甚だしくない。
cashはキャッシュよいうよりはケッシ、gapはギャップというよりはゲップ、
ジョニーはデップである。あるいは銃を取って戦場へ行ったかもしれない。

さて、
このアルバムの演奏は言語さえ度外視すれば、いずれも
お見事である。バスのタルヴェラによって歌われる
いわゆるグレーミン公爵のアリアや、オリガのファスベンダー女史、
ファイナル・スィーンのリア女史は巧い。が、
この録音の中でもっとも凄みがあるのは、2幕第2場終いの
レンスキーとオネーギンの決闘スィーンである。
♪ドー・>シ>ラ・・>ソ>ファ・>ミ>♯レ│<ファ>ミ♪
ともあれ、
オネーギン(バリトン)が"Убит?"(ウビート?=死んだのか?)
(実質ニ短調で♪(フェルマータ附き)ド(У)│ドー(-бит?)♪)
と2音節のロシア語でつぶやくと、
フェルマータを附された休符の間を置いてやっと
レンスキーの介添え人いわゆるザレーツキー(バス)が
"Убит!(ウビート!=死んだよ!)
(♪ラー(ウ)│>ミー・ーー(-ビート!))
と同じ言葉で答える。
"убит"は"убить(ウビーチ=殺す)"という動詞の
被動形動詞過去"убитый(ウビーティィ)"の短語尾形で、
形容詞同様にその変化は主体の性別単複に因る
(単男性=убит, 単女性=убита,
単中性=убито; 複数=убиты)。
ここは一人の男性レンスキーが主体なのでубитとなる。

対して、
ドイツ語ではそれぞれ
"Tot?"..."Tot!?"(トート)という単音節なので、
アオフタクトの部分が省略されて、ただ
♪ドー(トート?)♪→♪>ミー・ーー(トート!)♪
という形に替えられてるのである。
とくに、オネーギンがツイートするときには
チャイコフスキーはアオフタクトのド(d音)にフェルマータをかけて、
オネーギンが恐るおそる躊躇いながら訊いてる心情を演出してるので、
単音節のドイツ語ではその「溜め」の妙が
台無しになってしまったことになる。とはいえ、
ダイナスティと左翼思想家が信じてやまなかった
旧ソ連がまだ存在して冷戦状態だった50年ほど前の1960年代には、
ロシア帝国時代の舞台作品は西側ではこのように扱われるのが
当たり前だのクラッカーだったのである。
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「独語のチャイコフスキー(スコットランドのバラード)/F=ディースカウの死にあたって(3-1)」

2012年06月10日 20時53分44秒 | チャイコ全般(6つの目のチャイコロジー
Scottish Ballad: Edward
(Шотландская баллада: Эдвард、
シャトラーンスカヤ・バラーダ:エドヴァーリト)

今週も煎餅焼きに煩わされてた。が、
イヤでイヤでしようがなかったこの稼業から、
やっと足を洗うことができたのである。
これで手当の薄い重労働から解放される。
私がガキの頃は一般的な"サラリーマン"は
「55歳が定年」だった。そんな時代に育った私が
同じくらいの歳にリタイアできたなんて果報者である。
諸々のしがらみでしかたなく受けてたものの、
与えられたつまらない下らない題材に
煎餅焼きを施こしてかなければならないのは、
ことのほかつらい作業だった。が、
オウム真理教テロ殺人事件特別手配逃亡者で
先日とっつかまった、VXガスを大量に隠匿したという
菊池直子と日テレ「スッキリ」のリポーター中山美香女史の
顔の区別がつかない拙脳なる私はあれこれと
考える余力がないのでかえってへこたれることはなかった。

オウム真理教のテロ殺人事件高橋克也特別手配逃亡者は、
顎または後頭部に右手をすぐにやる癖があるようだ。
これはもちろん「捕まる不安」へのストレスだが、
幼児期・少年期に親の愛情を得れなかった者の特徴でもある。
自分からみて恵まれてると思われる者への憧憬・嫉妬が
抑えきれないタイプで、それが「反権力」となり、
超常的な事象に宗教的意義を被せる傾向が強まり、
自分に都合のいいモノに出会うとそれにのめり込み、あるいは、
何か覚えるとバカの一つ覚えのようにそのことばかりに労力を費やす。
カルト宗教に洗脳され、金を貢がされ、利用され、
そそのかされ、挙げ句、テロリストとなるのである。
オウム真理教を支援してた宗教学者に未だに傾倒してる
愚かなのがゴロゴロいるのだから、この高橋被疑者も
オウム支援者に匿われてるのかもしれない。

その歌声と歌唱に多くの支持者を得てた
Dietrich Fischer-Dieskau(ディートリヒ・フィッシャー=ディースカオ、1925-2012)が、
5月18日に、いわゆるバイエルン州シュタルンベルク湖畔のベルクの別荘で亡くなった。
フィッシャー=ディースカオはチャイコフスキーのロシア語のオペラや歌曲は
ほとんど歌わなかった。が、その"ドイツ語訳"は、
いわゆる「エヴゲーニー・オネーギン」を、
マタチッチの指揮下、および、ゲルテスの指揮下で、そのタイトル・ロウルを演じ、
「6つの二重唱曲(op.46)」第2曲「スコットランドのバラッド」を
ロス・アンヘレス女史とデュオした。
ゲルテス指揮下の「オネーギン」の一部と「スコットランドのバラッド」は
YouTubeにアップされてる。

チャイコフスキーの「スコットランドのバラッド」は、
1880年夏に作曲され、妹アレクサーンドラの長女タチヤーナに献呈された。詞は、
自身もバラッド詩人だった
Алексей Константинович Толстой
(アリクスィェーィ・カンスタンチーナヴィチ・タルストーィ、
いわゆるアレクセイ・トルストイ伯爵、 1817-1875)
が、Thomas Percy(トマス・パースィ、1729-1811)が編纂した
"Reliques of Ancient English Poetry
(レリクス・オヴ・エインシャント・イングリッシュ・ポウエトリ
=歴史的英国詩歌、1765)
に収められてるバラッドをロシア語化したものである。
原詩はスコットランド訛りで書かれてるので、
ネピアとエリエールとクリネックスの違いを指摘できない拙脳なる私には、
読みかたも詩の真意も解らない。ただ、
この詩は作曲家の創作心をいたく刺激するようで、
シューバートは死の前年にこのドイツ語訳に曲を附けてるし、
ブラームスも青年期にこの詩を題材としたpf曲を作り、
壮年期にはドイツ語訳の歌詞に曲を附けた。

シューバートのリートは、
♪ミ│ミーミ・ミーミ│<ファー>レ・<ラー●│
 <シー>ミ・ミー│<ドー>ラ・ラー(フェルマータ)♪
もしくは、
♪ミ│ミーミ・ミーミ│<ファー>レ・<ラーー│
 <シー>ミー●│<ドーー>ラー♪
ブラームスのpf曲は、
♪ミー│(<ファ>)ミー・>ド<レ・・<ミー、>ラー│
 <シー・ー>ミ・・ミー、・<シー│>ミー、・>シー・・>ミー♪
デュエットは、
♪ミー│<ラー・<シー・・<ドー・>シー│>ラー・>ミー・・<ラー・ー●│
 <ミー・ーー・・>ドー・●●│<ミー・ーー・・>ドー♪
という感じである。いずれも、
「エドワード(ドイツ語ではエドヴァルト)と呼びかける箇所が
似通ってる。
バラッド(劇詩)のあらすじはこのようなものである。

「母が倅エドワードの剣に附いてる血を怪しむ。
倅はいろいろとはぐらかすが、母の追求は執拗で、
ようやくボクはオヤジを殺したと白状する。が、
母はあんたの妻子はどうするんだ、私はどうなるんだ、
と詰めより、亭主の死を悲しむようすはない。そして、
倅はついに逆ギレする。
地獄の苦しみに耐えられるのか?
あんたがオヤジを殺すように仕向けたくせに」

プランタジネット朝の王エドワード2世(1284-1327)は
スコットランドとの戦にあけくれてた。
スコットランド人にすれば憎き英国王である。
エドワード2世の后はイザベラ・オヴ・フランス(1295頃-1358)で、
初代マーチ伯爵ロジャー・モーティマー(1287-1330)がその間男だった。
この二人はエドワード2世を捕らえ、監禁した。そして、
倅エドワード3世(1312-1377)を王位に据えて専横した。
エドワード2世はやがて幽閉所で自然死したことになってるが、
それがこのバラッドの"噺"となってるのである。
エドワード2世は「肛門に焼け火箸を差し込まれて殺された」
という噺があるが、それは同人が"二刀流の使い手"だったから、
そのような醜聞……アスに熱いモノを入れられるのが大好き……を
でっち上げられたのである。

チャイコフスキーのデュエットはシューバートに倣って6/8拍子で書かれてる。
[Allegro agitato, ma non troppo、6/8拍子、無調号(イ短調)]
♪レー│<ラーー<シ>ラー・<シー>ラー<シー│<ドー>シー<ドー・<レーーー<ミー│
 >ラーーーーー・ーー●●<ミー│>ラーーーーー・ーー●●<ミー│>ラーーーーー・ーー●●♪
チャイコフスキーも「エドヴァルト」の箇所をシューバートの音型に倣ってる。
ソプラーノ(母)とバリトン(倅)が交互に歌い、リピートされてから
変ロ長調に転じる。そして、ハ短調、変ハ長調、ロ長調、嬰ハ短調、と
めまぐるしく転調して、イ短調に戻り、冒頭が再現される。そして、
[→molto meno mosso]
また、変ニ長調、ヘ短調。次いで、クロマティカルに変じて、
イ短調の旋律的短音階で歌を締め、この詩の戦慄を伝え、
[→Tempo primo]
pfの後奏で劇的に終わる。
Victoria dels Angels(ビクトリア・デルザンジェルス、1923-2005)
とのデュエットで、フィッシャー=ディースカウは卓越した歌唱を残した。が、
ドイツ語なので聴くことはほとんどない。今般、
その死にあたって久しぶりに聴いてみた次第である。
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「チャイコフスキーがなぜ歌舞伎?/チャイコフスキーはなぜアニンテリにはきちがいされるのか?」

2012年04月05日 18時40分21秒 | チャイコ全般(6つの目のチャイコロジー
歌舞伎の特徴のひとつに、
「見得を切る」というものがある。それが
歌舞伎の大きな魅力ともなってる。
登場人物の感情が高揚したここ一番という場面で、
その役者が演技を一時停止して、相応の
「pose」を取る。そのとき、
舞台のほうでツケを打ったり、客席からは
通ぶったのが役者の屋号を叫んだりすると、
一般客は「心打つクライマックス」感が煽られる。
拍手喝采の大喜びである。
こうして演じる舞台側と見てる客席側とが
「一体」となって、揺れんばかりの感動が生まれるのが、
「舞台」なのである。
クラシック音楽で指揮者がオケをコンダクトして音を出しても、
合奏仲間で曲を奏しても、
これに似てえもゆわれぬ感動が起きる場合もある。が、
それは所詮、舞台の内輪だけでのことであり、
演奏を供する側の中だけでの話である。
観客はその感動を聴いて受けることはできるが、
自己内で増幅した感動を表に表して
フィードバックしてはいけないことになってる。
クラシック音楽は他の舞台の見世物よりはるかにセンスィティヴというか高尚
(客席からの反応は演奏後の拍手のみという暗黙の了解があり、
どんなに感動しても演奏の途中(楽章と楽章のはざまも含めて)で
拍手したり笑ったりしててはいけないとされてる)になってるので、
"見得を切りすぎ"ては安っぽくなるので興ざめになる。
というか間違いである。ところが、
そんなのが「いい」という手合いがまた多いのである。
トスカニーニやボスコフスキーよりフルトヴェングラーやカルロス・クライバーのほうが
"はるか多く"に支持される由縁である。
そんな提供者と享受者との関係で成り立つ音楽など、もはや
"クラシック音楽"ではない。大衆向けの"ポップス"である。
ベートーヴェンやチャイコフスキーの音楽のような超絶の天才が創り出した
最高峰の音楽で、
庶民大衆向け演劇である歌舞伎の見得切りのようなことを讃美しては、
サーヴィス料が含まれてるチャージに、別途(ベット)、チップを添える愚であり、
その認識レヴェルを見透かされてカネを毟り取られるカモと同じで、
エセ芸術をつかまされるだけで、その頭で、
真のベートーヴェン、本当のチャイコフスキーを味わうことなど、無理である。
それはともかく、そうはいっても、
融通がきかない機械のようにただ楽譜そのままを再現しても、
それはヒトの感情の揺れになじむものではない。とはいえ、
それをはき違えて、作曲家が指示してないことを挿し挟もうとする
身の程知らずの不届き者があとを絶たない。
その愚行がどんなに作品の意図を曲げても、自分こそが
"新たな可能性"を追求する"芸術家"だと思いこむ。
一般的なIQテストで120さえもいかないくせに。

「クラシック音楽はインテリが聴くもの」という認識がされてるのは、
あながち的外れではない。私のような
無学・低学歴という例外は、もちろんある。が、
いわゆるインテリにもピンからキリまである。当然ながら、
キリ寄りが多い。そういう手合いは、
チャイコフスキーの音楽に「ロシアの大地」を感じたいらしい。が、
チャイコフスキーは祖父が下級貴族に列せられたその傍流の、
いわば貴族に準じる身分の家に育ち、
使用人はいたが、農奴も持たず領地もなかったので、
自然は愛しただろうが、「ロシアの大地」への執着などなかった。
自分で麦を育てたこともなければ、ブタにエサをやったこともないし、
自分の荷物を運んだこともなかった。また、
確かにロシアの大地は広いかもしれないが、
ヒトの目に入る面積は北海道の大地と同じどころか、
通天閣から見下ろした視界に入る大阪市街の広さと
それほど変わらないはずである。

その人物の名をgoogleの検索欄に打ち込むと、
「誤訳」という項目がすぐさま自動的に補われる人物が、
チャイコフスキーを"はじめとする"ロシア音楽を紹介する新書を出したらしい。
きれいなおねえさんがたのブログやツイッターを拝見するのが私の
楽しみのひとつである。が、
顔が好きで添付されてる写真を見たいからブログを覗く、
ということも多い。顔が魅力的でも
文章はまったくつまらないヒトというのは、
存外に多い。また、
ネタそのもののつまらなさもさることながら、
文章力のない御仁もけっこういる。
音楽や美術と違って文章は誰もが「すなる」ものである。だから、
安易に手を染めやすい。が、
文学的なセンスや言い回しのコツが備わってないむきが
文を書いたりすると、目も当てられないものになる。そして、
その才のなさに本人が気づいてなさそうなことがよくある。また、
いい歳になっても話し言葉を一般的な抑揚で話さないのや
幼少期に訛りのきつい地域で育ったのや、
インテリを気取ってことさら小難しい言い回しや単語を使いたがるのにも、
話し言葉の思考のままが文章になってしまう書き言葉下手が多い。
ショスタコーヴィチ程度の音楽のことさえ知らない輩が、
他人様から銭を取るようなものでチャイコフスキーをカタるなど、
無礼である。

他方、
昨年初め頃に発行された一ツ橋村系の
"ビジネス情報誌"に掲載されてたものが、最近、
ネットにアップされたらしい。これもまた、
チャイコフスキーに関してトンデモ内容を書いてる。まず、
<チャイコフスキーが、50代で死んだことはあまり知られていない>
のだという。確かに間違ってない。が、
それではベートーヴェンが50代で死んだことは
けっこう知られてるのか?
バッハが60代半ばで死んだことは?
歴史上の人物が何歳で死んだかなんてそれほど
覚えられてることではない。べつに
チャイコフスキーに限ったことではない。
<藝術家は苦悩の人生を送ることが多い>
と筆者は書いてるが、結婚して子をもうけ、
けっこうな収入と見栄と権威を手に入れてる
"エセ芸術家"のほうがはるかに多い。本来、
「致命的な苦悩や欠落事由があるから創作を補償行為」とした
「結果」が一般人にとってはありがたい「芸術」となるのであって、
「私は"芸術家"だ」などという手合いの"芸術"まで
"芸術"に含ましてるから、混同する者が出てくるのである。
ともあれ、この筆者は、
<今なお、その音楽が、クラシックの「通」の間で
バカにされることがあるからである。
音楽研究家とか批評家でチャイコフスキーが好きだなどと
言おうものならバカにされる>
と書く。が、それはせいぜい20世紀までの話であり、
ネット時代に入ったここ10年余で、"裸の王様"はかなり姿を消した。
現在ではチャイコフスキーの音楽はむしろバカにする者のほうが
恥ずかしいくらいである。で、
この筆者はそのコラムのタイトルを
<「チャイコフスキー」なぜインテリに侮られるのか>
とその原因を紐解いてるもののようにしときながら、その答えは、
<人気があるものはバカにしたがるのがインテリ>
という、何の考察にも説明にもなってない代物である。なにしろ、
<ピアノ協奏曲は、いかにも通俗だと思ったが、ポゴレリッチの演奏で見直した>
などというセンスの持ち主である。チャイコフスキー本人が聴いたら
ポゴレリッチというよりはモーコレッキリにしろと怒り心頭間違いないような、
弾きっぷりがこの筆者の感性にしっくりくるようである。
こんな不必要にグズな演奏ではテンポ感もリズム感もへったくれもない。
音楽へのセンスがまるでない"演奏"である。ちなみに、
このコラムが掲載されたときのその雑誌の特集のキャッチは奇しくも、
<「グズな人」はなぜ、グズなのか>
だった。それから筆者は、
<文学者の場合、同性愛者だと、その味が作品にも出るものだが、
チャイコフスキーの曲には、一向に同性愛者の匂いがしない。
むしろシューベルトの歌曲などのほうが、同性愛者的に聴こえるほどである>
と主張する。論理的でない文章を私なりに解釈すると、こういうことだろう。
「文学では同性愛者はその作品に同性愛者らしいところが出ることが多い。が、
チャイコフスキーの音楽にはそのようなところがない。むしろ、
シューベルトの作品全般ではないにしろ少なくとも歌曲には
同性愛者らしいところが感じられる」
これはチャイコフスキーが同性愛者だったことは自明、かつ、シューベルトは非同性愛者だった、
という前提が暗黙の了解となってるようである。ところが、
前者が同性愛者だったかどうかは実は完全に証明されたわけではない。また、
後者が非同性愛者だったかどうかもしかとは判ってないのである。それから、
文学の場合の同性愛者臭を的確に言及してないし例も挙げてない。
いっぽうで「文学」という一般を、そして、
他方で「チャイコフスキーとシューベルト」(のそれもリートだけにかぎって)のみの
特殊を論じてる、という比較対象の破綻が痛い。また、
<チャイコフスキーは一度結婚しているが、すぐ別れて、あとはずっと独身であった>
という「事実誤認」がもっと罪深いのである。この論調は明らかに
「法律的な別れ」つまり「離婚」のことを言ってるのであり、
「別居」や「離別」のことではない。
銭を払って雑誌を買って読んだ無垢な読者が
誤った知識を植えつけられてしまうおそれが大きい。私は素人ながらに
チャイコフスキーの音楽のファンを50年近く続けてるが、
「チャイコフスキーが離婚した」などという事実は一度も聞いたためしがない。むしろ、
「チャイコフスキーの婚姻」ということに関しては、
当時のロシア(正教)での離婚条件は極めて限定されてるものだったので、
「チャイコフスキーは離婚したくてもできなった」「離婚をついに諦めた」
ということで「有名」なのである。そんな有名な逸話も知らないくせに、
対価を得て、つまりは人様から銭を取って書く、
ということを平気でする神経を怖く思う。
さて、このコラムの結びである。
<批評家が何と言おうと、チャイコフスキーは人々に愛されている>
タイトルから推論するに、この「批評家」が「インテリ」であり、
文中の「クラシック通」=「チャイコフスキーの音楽をバカにする人々」という
命題に則せば、「批評家」=「クラシック通」=「インテリ」ということになる。いっぽう、
「人々」が「非インテリ」ということになる。なるほど、
私はチャイコフスキーの音楽が好きな「人々」のひとりであり、実際に
「非インテリ」である。その範囲においては正しい、ように見える。がしかし、
「チャイコフスキーがなぜか好き」な翻訳の大家の大先生は
東京外国語大という旧二期校ながら我が国の外国語専門分野では
随一の大学を卒業してその学長にまでおさまり、
旧ソ連とも関係深く、最近では、北方領土に関して
日本に示威的な行為をとったメドヴィェージェフ大統領から
プーシキン・メダルを授与され、「ショスタコーヴィチ」や「チャイコフスキー」のみならず、
いわゆるロシア人作曲家の多くについて本を出せるほどの超インテリである。
例外?
否、論理において例外などというものはない。あるとすればそれは、
「矛盾」であり、その論理が誤ってる、ということだけである。ちなみに、
インテリ女性と結婚のようなこともされたという筆者とはまったく違い、
私は論理派とは対極の拙脳の持ち主であり、顔が超キモいために
ロンリーな人生を送ってる、生物として見事に哀れな惨敗者である。
庶民の税金が助成金にまわされてそれに支えられて国立大を出たら、
その恩義に報いなければヒトとしてなっちゃない。もしも世の中に
恩知らず、恩を返さない輩がいたとしたら、
エサにありつくために尻尾を振る畜獣とどこか違うだろうか。ちなみに、
こいつらは二人ともに、
"御幼少のみぎりに「くるみ割り人形」を聴いて
チャイコフスキーの音楽に魅了された"
のだという。
納得ラッカー。。。
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「ラスヴィェート(暁)/チャイコフスキー『6つのデュエット(op.46)』第6曲(1880)」

2012年04月01日 17時26分13秒 | チャイコ全般(6つの目のチャイコロジー
今週末は頭髪と稼ぎが薄い私に
恵みの煎餅焼きの雨あられがまとめて舞い込んだために、
遊びにいけない。が、
雨が降ったので、どっちみち、
花見もできなかったから、まあいいかという感じである。
西行法師は[花の下]で死にたいと願ったが、
昨日のニュース・ヘッドラインには、
「オリンパス菊川前社長保釈」というニュースと、
「作家の田中光二さん(71)が港区の霊園にある家族の墓の前で
首と手首を切って自殺未遂」
という記事が並んでた。
"オリンポスの黄昏"である。
この「黄昏」と対照を成すのが、
「暁」である。現在では「夜明け」を指す語であるが、原義は
「明るくなる前」つまり「夜が明ける兆し」である。

1880年の5、6月、オペラ「オルレアンの少女」校正中のチャイコフスキーは、
声楽曲の作曲を思い立った。これは私の
まったくの推測であるが、後述する
詩人のスーリカフがこの5月に死んだことも、その作曲の
動機付けになってるのではないかと思う。チャイコフスキーは
8月までに、妹アレクサーンドラの嫁ぎ先であるカーメンンカと
フォン=メック夫人の別荘ブラーイロフとその領地内のシマキで
パチパチパンチをして創作意欲をかきたてながら
6曲の「デュエット」を書き、キエフで仕上げた。この6曲は、
妹アレクサーンドラの当時18歳だった長女(今流に言えば第一子)、
Татьяна Львовна Давыдова
(タチヤーナ・リヴォーヴナ・ダーヴィドヴァ、1861-1887)
に献呈された。後年、
最愛の妹の初子であるタチヤーナとその長男のために、
チャイコフスキーは他の兄弟たちとともに、
涙ぐましい尽力をする。ともあれ、この「6曲のデュエット」の
第6曲は、第1曲・第4曲と同じく、
この年1880年の5月に結核で死んだ
Иван Захарович Суриков
(イヴァーン・ザハーラヴィチ・スーリカフ、1841-1880)
が若き日に書いた無題の詩に曲づけして、
"Рассвет(ラスヴィェート=英語:Dawn、仏語=L'aube)"
とチャイコフスキーがタイトルを附したものである。
いわゆるスリコフは農奴の家に生まれ、
農奴解放令によって父がモスクワで八百屋を始めたため、
成人して都会に出るまで田舎で育った詩人である。
チャイコフスキーの作品としては、やはり1880年の
「7曲のロマンス」(op.47)の第7曲、
"Я ли в поле да не травушка была?
(ヤー・リ・フ・ポーリェ・ダ・ニ・トラーヴシカ・ブィラー?
=邦題「私は野辺の草ではなかったのかしら?」)"
でも取りあげられてる。また、
かつてのマルクス・レーニン思想かぶれ親ソどもの拠点だった歌声酒場などで
よく歌われてた"ロシア民謡"の
"Степь, да степь кругом
(シチェーピ、ダ・シチェーピ・クルゴーム=邦題「果てもなき荒野原」)"
の作詞者として知られてる。ときに、
左翼反日といえば、巷で
[アカが書き、ヤクザが売って、バカが読む]
新聞、と言われてる
「嘘ツキジデス歴史観」をまき散らし、
無垢な国民に貶日思想を植えつけてきた
朝日新聞社が、2億5千万円の"申告漏れ"を
東京国税局に指摘されて、
慌てて3月29日に修正申告をして約7500万円の
"漏れ"を納付したものの、一部は明らかに
「仮装隠蔽を伴う所得隠し」と判断されてて、今後さらに
重加算税400万円を含む加算税約1100万円が課される見込み、
という報道が、やはり昨日、
朝日新聞以外のマスコミに報じられてた。そして、
"朝日新聞社広報部の話"として、
[指摘を真摯に受け止め、今後一層、適正な経理・税務処理に努める]
という木で鼻をくくったような態度のコメントが附されてた。
この朝日新聞は、
「虚構南京大虐殺」や「虚偽従軍慰安婦強制連行」を創作した
貶日でありながら、また、公立学校などで
日の丸を揚げることに反対するくせに、社旗として未だに
「旭日旗」を掲げてるという厚顔傲慢ぶりを発揮してる。ともあれ、
「朝日」といえば「日の出の太陽」のことである。

[Рассвет]……(チャイコフスキーが附けたタイトル)

"Занялася заря;
Скоро солнце взойдёт.
Слышишь... чу!.. соловей
Громко песни поёт.

Все ярчей и ярчей
Переливы зари;
Словно пар над рекой
Поднялся, посмотри.

От цветов на полях
Льётся запах кругом,
И сияет роса
На траве серебром.

И к воде наклонясь,
Что-то шепчет камыш;
А кругом, на полях,
Непробудная тишь...
Ах!

Как отрадно, легко,
Широко дышит грудь!
Ну, молись же скорей!"

(拙カタカナ発音)
(ラスヴィェート)……(チャイコフスキーが附けたタイトル)
ザニャラーシャ・ザリャー、
スコーラ・ソーンツェ・ヴザィヂョート、
スルィーシシ……チュー!……サラヴィェーィ・
グロームカ・ピェースニ・パヨート。

フスィェー・ヤールチェィ・イ・ヤールチェィ、
ピリリーヴィ・ザーリ、
スローヴナ・パール・ナド・リコーィ、
パドニャールシャ、パスマトリー。

アト・ツヴィトーフ・ナ・パリャーフ、
リヨーツァ・ザーパフ・クルーガム、
イ・スィヤーエト・ラサー、
ナ・トラビェー・スィリブローム。

イ・グ・ヴァヂェー・ナクラニャーシ、
シュトータ・シェープチェト・カムィーシ、
ア・クルゴーム、ナ・パリャーフ、
ニプラブードナヤ・チーシ、
アフ!

カーク・アトラードナ、リェフコー(軽く、ではない)、
シラコー・ヂシート・グルーチ!
ヌー、マリージ・ジ・スカリェィ!

(拙大意)
「暁」……(チャイコフスキーが附けたタイトル)
空が明らみ始めた。
まもなく陽が昇るということ。
耳をすましててごらん……ほら! ナイチンゲールが
大きな声で鳴いてる。

瞬く間に鮮やかになる
朝焼けの色の移ろい。
あたかも川面の靄が
立ち昇るように。見てごらん。

さまざまな色を経て野火の赤みへと移り変わり、
香りがあたりに立ちこめる。
露に濡れた草はきらめき、
白露の草原へと生まれ変わる。

水面に傾いた
油萱(アブラガヤ)か何かがサヤサヤと音をたてる。
草原じゅうに、
目覚めることのない静寂……
そこに、突然の音が!(起床の合図)

なんと心地好いことか、朝のまどろみは。
胸にいっぱい空気を吸って!
ほら、もうじき朝のお祈りの時間だよ!

[Allegro moderato、3/4拍子、4♯(ホ長調)」
伴奏pfが短い導入部をdolceで奏で、その
シンコペに乗って、
ソプラーノとメゾソプラーノ(もしくはアルト)が、
はなから重唱を歌い出す。

s=♪●●・●●・●●│●●・【ファー・ファー│ファー・ファー・ー<ソ│>ミー・ーー】・●●│
m=♪●●・●●・●●│●●・『ソー・<♯ソー│<ラー・<レー・ー>シ│<ドー・ーー』・●●│

(s=)●●・●●・●●│●●・<『ソー・<♯ソー│<ラー・<レー・ー>シ│>ソー・ーー』・●●│
(m=)●●・●●・●●│●●・<【ファー・ファー│ファー・ファー・ーファ│>ミー・ーー】・●●│

声部が休みの間にはpfが合いの手で埋める。ともあれ、
このように、上声と下声が受け持ち旋律を入れ替える、
という趣向である。
曲は比較的淡々と進みはするが、
カルーセルに二人が乗ってるように、
景観は目くるめく変化する。一部に、
チャイコフスキーが「理想」「美」「幸福」を想定した調、
と説明されてる「ホ長調」の、
清々しい二重唱である。この第6曲は9年後に
イェヴギェーニナ・ムラヴィーナ(ソプラーノ)と
ニーナ・フリーデ(メゾソプラーノ)からの要請で
オケ伴奏版もチャイコフスキー自身によって編まれた。ちなみに、
このムラヴィーナは本名をムラヴィーンスカヤという。
察しのいいかたにはお分かりのことと思うが、
指揮者イェヴギェーニィ・ムラヴィーンスキィ、
いわゆるエヴゲニー・ムラヴィンスキーの伯母である。
このオケ伴奏版も美しいが、やはり
原曲のほうが趣がある。

このデュエットの導入部は、伴奏pfがdolceで2度奏でる。
♪●●・「ソー・<ラー│<シー・<ドー・<レー│
 >ドー、>シー・ー>ラ│>ソー」、<ラー・ー>ソ│>ドー♪
これは、8年後に作曲が開始されたバレエ「眠れる森の美女」の
「リラの精」の主題後半部、
♪●「ソ<ラ・<シ<ド<レ│>ド>シ>ラ・ソ」、
 >♯レ<ミ│<ソー>レ・●レ<♯レ♪
に転生される。また、
歌の主題の前半、
♪●●・【ファー・ファー│ファー・ファー・ー<ソ│>ミー・ーー】・●●♪
は、13年後の「交響曲第6番」終楽章の主題を受ける
♪【ファーーー・ーーファー・ファーー<ソ│>ミーーー・ーーーー】・●●●●♪
となり。歌の主題の後半、
♪●●・『ソー・<♯ソー│<ラー・<レー』・ー>シ│>ソー・ーー・●●♪
は「眠れる森の美女」とほぼ同時期の1888年に作曲された
「交響曲第5番」第1楽章の副次主題の変則ワルツの後半、
♪●『ソー・<♯ソー<ラ│ー<レー』・>ドー>シ│ー、
 <ミー・>レー>ド│ー>シー・>ラー<シ│ ー>ラー・
 >ソー<ラ│ー>ミー・<ソー>ファ♪
へと、すべてが晩年の超傑作の種となったのである。いっぽう、
デュエットの主題の結尾の、
♪●●・ミー・ミー│ミー・>ドー・ー>シ│>ラー・ーー・●●♪
は、このデュエットの約5年前にチャイコフスキーが固執して
バレエ「白鳥の湖」や「交響曲第3番」に使用した
♪ミー・ーー・・>ドー・ー>シ│>ラー・ーー・・ーー♪
という動機である。が、これもまた、
バレエ「眠れる森の美女」の「リラの精」の主題前半部、
♪●ソ>ミ・ミ>レ>(♯)ド│<レ<ミ<ファ・<ソーー♪
の初っ端、「ソ>ミ・ミ>レ>(♯)ド」と"長化"された形で
使用されてる。また、このリラの精の主題の主要動機は、
同バレエの第2幕第2場の間奏曲である
第19曲「眠れる森」では、その"短化"形の
♪●ミ>ド・ド>シ>ラ・・<ラ<シ<ド・<ミ♪
という「本来」の形に移されてる。
以上、つまりは、
この「ラスヴィェート(暁)」とチャイコフスキー自身がタイトルを附けたデュエットは、
チャイコフスキーの音楽のエッセンスがぎっしりとつまった曲なのである。
10代終わりの頃、当時この曲の楽譜を持ってなかった私は、
これらのエッセンスに気づき、レコードで聴いたデュエット部分をよく
ヴァイオリンでダブルストップにして弾く、ということをしてた。

(この二重唱曲をヴァイオリンとピアノにアレンジしたものを
https://soundcloud.com/kamomenoiwao-1/tchaikovsky-kamomeno-iwao
にアップしました)

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「チャイコフスキー『ヴァイオリン協奏曲』第2楽章カンツォネッタとメンデルスゾーン」

2012年03月14日 00時09分09秒 | チャイコ全般(6つの目のチャイコロジー

チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 第2楽章 カンツォネッタ メンデルスゾーン


12日の参院予算委員会で、
有村議員が"女性宮家創設問題"を取りあげた際、
民主党の藤村官房長官は
「男系天皇と女系天皇の違い」
を答えることができなかったらしい。まるで、
偏差値40台の高校の女子高生レヴェルの認識度である。
偏差値40台の高校の女子高生が悪い、と言うのではない。
偏差値40台の高校の女子高生並みのオツムのオッチャンを
政治家として選出する輩が悪い、ということである。
「男系と女系の違いを訊いてるんですよ、キエーーーイッ!」
桜田門外の変で井伊直弼の首を打ち落とした犯人の弟の子孫の
猿叫に、藤村は言葉に窮したということである。
レクチャーしてくれた宮内庁職員には
「男系!」ではなくドイツ語で「ダンケ!」と言ったかどうかは知らない。

森ビルの2代目が8日に死んでたらしい。ちなみに、
原宿の「ラフォーレ」も森ビルが経営母体だが、その名の
"La Foret(ラ・フォレ)"がフランス語で「森」だということくらい、昨今、
偏差値40台の高校にさえ行けなかった女子でも知ってる。ともあれ、
森ビルの六本木ヒルズでの米映画「マリリン/7日間の恋」のプレミアのために、
主演のミシェル・ウィリアムズ女史が初来日した。子役から、
120数話続いたTVドラマ「ドーソンズ・クリーク」では
無神論者の高校生で最後に幼い娘を残して癌死する準主役、
という経歴の同女史はその後、アカデミー賞の
助演女優賞や主演女優賞にノミネイトされる著名女優になった。
実生活で一時期相方だったヒース・レジャーとの間には
女の子をもうけた。が、ヒースは離別後、
薬漬けで中毒事故死した。ときに、
麻布谷町のアークヒルズの放送センターで収録されてた「CNNヘッドライン」で
小牧ユカ女史、栗原由佳女史などとともに元祖
バイリンギャルだった山口美江女史が51歳で死んだそうである。銀座の
梅林で柴漬けが乗ったカツ丼を食ってから今日は
銀座三越でラデュレのマカロンとハンカチを買い込んだ。
今年はヴァレンタインズデイに義理チョコを渡されてしまったので、
ホワイトデイにお返しをしなくてはならない。

さて、今から134年前の1878年の3月に、
チャイコフスキーはヴァイオリン協奏曲を作曲した。このとき、
楽器の専門的な助言を頼んだのは
ヴァイオリンギャルではなく、愛弟子のコーテクだった。ともあれ、
その中で第2楽章だけは全面的に書き直した。当初の第2楽章は、
「懐かしい土地の思い出」の第1曲にされた。そして、
新たに書き換えられたのが、
"canzonetta(カンツォネッタ)"である。主要主題は、
[Andante、四分音符=84、3/4拍子、2♭(ト短調)]
♪【ミー│<ラー・ー<シ・<ド<レ│<ミー・ミー】♪
である。カンツォネッタとは、元は、
16世紀イタリアで流行った歌謡の一種、
ということらしい。それが、
テューダー朝の英国に渡って発展した、のだそうである。
米TVドラマ"Law & Order"のヴァン=ビューレン警部補役の
S・エペイタ・マカースン女史とナイナイ岡村の顔の区別がつかない
拙脳なる私には詳しいことはわからない。とはいえ、
歌であるから「歌詞」がつく。だから、
歌詞なしの器楽曲として"canzonetta"というのは
反則である。たとえば、
ブクステフーデのオルガン曲にそんなのがある。その中の
「イ短調(BuxWV225)」は、
♪ラ<ラ>♯ソ<ラ・>シ<ラ>♯ソ<ラ・・>ド<ラ>♯ソ<ラ・>レ<ラ>♯ソ<ラ│
>ミ<ラ>♯ソ<ラ・>ファ<ラ>♯ソ<ラ・・>レ<ラ>♯ソ<ラ・>ミ<ソ>♯ファ<ソ♪
というように、【ラ<シ<ド<レ<ミ】という音階進行をする。

歌詞のないカンツォネッタといえば他に……
クラ音史の中の最強のお坊ちゃん作曲家メンデルスゾーンは
「無言歌」好きである。同人は20歳のとき、
大バッハの「マタイ」を"再演"した年の1829年、9月に
ロンドンを訪れた。そしてそこで、
「弦楽四重奏曲(変ホ長調)op.12」を完成した。その
4楽章中の第2楽章に、
"canzonetta"という名を与えた……がある。
[Allegretto、2/4拍子、2♭(ト短調)]
♪【ミーッ│<ラーッ<シーッ・<ドーッ<レーッ│<ミーー】<ファ・>ミーッ>ドーッ│
>シー<ドー・>シー<ミー│>ドー<レッ>シッ・<ドーッ♪
この作品は、1812年、フェーリクスが3歳のとき、
森林太郎も留学したことがある
伯林(ベルリーン)に居を移したメンデルスゾーン家の隣人で、
天文学者であり郵政事業や光学機器開発会社を手がけた
Carl Philipp Heinrich Pistor(カール・フィリップ・ハインリヒ・ピストーア)の娘、
Betty Pistor(ベティ・ピストーア)に献呈されたと推定されてる。つまり、
女性への愛を歌う「セレナード」のようなものだったのだろう。
チャイコフスキーも財産目的で偽装結婚したものの、
その代償の大きさに堪えかねて精神的に行きづまって
兄弟らに助けられて逃避行した先の、
目もクラランばかりの風光明媚なスイスで愛弟子のコーテックと
蜜月の日々を送った中で一気に書き上げたヴァイオリン協奏曲に、
メンデルスゾーンのとおなじく「ト短調」で、なおかつ、
欧州各地に伝播してった【ルネサンス期イタリア】の節である
【ミ│<ラ<シ<ド<レ│<ミ】から成る
"canzonetta"を挿入したのである。よく、
第3楽章の主要主題の律動がメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の
おなじく第3楽章の主要主題の律動に似てる、
という指摘は音楽評論家のみならず、素人愛好家の間でも
なされてることのようではある。が、
この「カンツォネッタ」の類似性については誰も言及してない。ともあれ、
妻や思う女性、あるいは娼婦や同性の愛人などへの下世話な愛ではなく、
祖国への愛、という高邁にして純粋な精神でこの
【ルネサンス期イタリア】の節である【ミ│<ラ<シ<ド<レ│<ミ】を
「ヴルタヴァ(モルダウ)」の主要主題に採ったスメタナには、その崇高さにおいて、
メンデルスゾーンもチャイコフスキーもその足下にも及ばない(※)。
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