[There are more things in heaven and earth, Horatio,
Than are dreamt of in your philosophy.
(Hamlet...Shakespeare)]
(拙訳)もっとあるんだよ、あの世とこの世には……なあホレイショ……
君の学問で説明できることよりできないことのほうがね。
(シェイクスピア「ハムレット」より)
グレゴリオ暦の5月7日はチャイコフスキーの誕生日にあたる。
これにちなんで、今回から数度にわたって、
いわゆる「マンフレッド(交響曲)」について
……不定期になるとは思うが……書き連ねていこうと思う。
標題音楽であることは確かであるが、
交響曲という呼称は(定義にもよるが)
「ソナタ形式の第1楽章を持つ多楽章形式管弦楽作品」
という私の認識では"交響曲ではない"ことになる。
多楽章形式の管弦楽作品を"交響曲"と呼ぶほうが
聞こえがよく、興味を引きやすいためと思われる。
よって、「交響曲かどうか」という議論は不毛である。
元来の鮨とはまったく異なる「回転寿司」も
スシというのと同じである。
【作曲経緯】
1867年暮に、死が近いベルリオーズが
イェリェーナ・パーヴラヴナ大公妃の招きで
ロシア巡業にやってきたとき、バラキレフは
バイロンの「マンフレッド」を題材とした曲を書くように
要請した。が、
ベルリオーズは老齢と病気を理由に断った。実際、
この寒い土地への演奏旅行がたたったベルリオーズは
翌年に65歳で死んでしまう。通常、
音楽の天才といえども、作曲というもっとも
頭脳を使う営みは50代までしかできない。そんなことすら、
俗人作曲家のバラキレフには理解できてなかった。
ベルリオーズ自体、作曲の筆はすでに折ってる。次に、
バラキレフは「ロメオとジュリエット」を作曲"させた"ことがある
自国のチャイコフスキーに狙いを定めた。
4つの楽章の設定とその詳細な調性などの
"指示書"も送られてきた。この
バラキレフという人物は"やっかい者"で、
こういったことで自分の力を
ロシア音楽界に誇示するタイプなのである。
ロシアの皇室に取り入って影響力を持つこともあったので、
むげに断れないという事情があった。とはいえ、
そうした押しつけに、しかも、
ベルリオーズの二番手という失礼な扱いに、
ベルリオーズの亜流作品を書くなら容易いけれど、
という釘を刺しながら、チャイコフスキーは生返事をした。
1882年のことである。
1884年10月に会った際にもまた話を持ちだされた。そして、
前回同様にこと細かな作曲プラン書が送られてきた。
このときもまだ、「vn協奏曲」の作曲時に
スイスのクラランでともに過ごし、いまは
やはりスイスのダヴォスで死の床にある
教え子のコーテクを見舞いにいったり、その他
さまざまな用事で腰を据える間がなかった。が、
「来年夏までには仕上げるという肯定的な約束を」
という返事をしたのである。
フォン=メック夫人からの援助を得てから、チャイコフスキーは
西欧各地を遊山半分で巡ってた。ところが、
1885年2月にモスクワの北西約100kmにあるКлин(クリーン)、
いわゆるクリンのМайданово(マイダーナヴァ)、
いわゆるマイダノヴォに家を借りてから、
チャイコフスキーはロシアに活動拠点を移した。
そうしたこともあって、この年の4月に少し、そして、
6月になってから本格的に
「マンフレッド交響曲」に取りかかった。結果、
9月にオーケストレイションを含めてすべてを脱稿した。
【標題】
いわゆる「標題音楽」である。ネタは、
George Gordon Byron(ジョージ・ゴードン・バイロン、1788-1824)
=第6代バイロン男爵という、イケメンで女性にモテモテだったが、
生まれついての足に不具合がある身障者で、
母親の愛情に欠けてた、キリスト教白人至上主義人種差別詩人が
1816-17年に作った劇詩「マンフレッド」である。
(あらすじ)スイス・アルプスの城に住まわってるマンフレッドは、
人間ながら万能の知識を備えてる。が、
常に罪悪感にさいなまれてた。
7柱の精霊と会話することさえできるマンフレッドは、
かつて最愛のアスターティを死に追いやった消してしまいたい過去を
忘却するすべはないかと精霊に問うも、
「そないな都合ええことでけしまへんわ、アホかいな!」
とにべもなくかわされてしまう。
普段からの付け届けをしてないとこういうことになる。
マンフレッドは肝腎なときに役立たずな現金なやつらだと悟り、
なぜに喪失だけが不如意なのかと嘆く。しかたなく、
マンフレッドはアルプスの山中をさまよい歩く。
崖から飛び降りて死のうとする。
キリスト者なので自殺は禁忌なのにである。が、
チロリアン・ハットの房飾りにするために
シャモワ(カモシカの仲間)を撃つ狩人に助けられてしまう。
彼らの素朴な生活こそが救いかと思うものの、
学と知識がわざわいしてその生活になじめない。今度は
滝に打たれて修行しようというわけではないが、
魔女を呼びだしてみるがやはり埒が明かない。ついには、
六甲の山中にも有馬温泉にも寄らず、
悪と闇の神アリマニスの神殿にたどりつき、
アスターティの魂を呼んでもらう。
マンフレッドはアスターティに許しを請うが、要領を得ない。ただ、
解決がもたらされることだけはわかった。
マンフレッドは城に戻り、死を待つ。
サンモリッツの僧院長アボットが死が迫るマンフレッドを救おうと
手を差し伸べる。が、
マンフレッドは拒絶する。そして、
死ぬのは簡単だと言って息絶える。
僧院長がマンフレッドの救済されない魂がどこへ行ってしまうのか
考えるだに恐ろしいと嘆きつつこの劇詩は終わる。
Astarte(英語の発音ではアスターティ)は、
古代セム語族の愛と豊穣の女神である。その綴りから、
星と関係があると思われる。
【構成他】
"Manfred (Symphonie)"
Манфред (симфония)
=マンフリェート(・シンフォーニヤ)
「マンフレッド(交響曲)」
(op.58)
作曲年=1885年
4つの楽章から成る。
[第1楽章]
前半(苦悩するマンフレッドの主題=イデ・フィクス)、
後半(亡きアスターティの主題)、
マンフレッドの主題によるコーダ、
という3つの部分から成る特異な形式。
テンポがめまぐるしく変わり、
拍子や調性も前半と後半で替わる。
[第2楽章]
A-B-Aの3部形式のスケルツォ。中間部B(トリオ)もテンポは不変。
[第3楽章]
緩徐楽章。形式なし。
[第4楽章]
大きく分けて、3部から成る。
第1部は悪と闇の神アリマニスの神殿。
第2部は第1楽章の回帰。
第3部はマンフレッドの死。
無調号(実質イ短調)に始まり、無調号(実質ロ長調)に終わる。
[楽器編成](数字なしは1)
フルート3(第3奏者はピッコロ持替)、オーボエ2、イングリッシュホルン、
A管クラリネット2、B管バスクラリネット、ファゴット3、
F管ホルン4、D管トランペット2、A管コルネット2、
テナートロンボーン2、バストロンボーン、チューバ、
ティンパニ、鐘、シンバル、大太鼓、タンバリン、トライアングル、ドラ、
ハープ2、ハーモニウム、弦楽5部。
バラキレフに献呈された。
(第1楽章冒頭「アンダンテ・ルーグブレ」の22小節を、
チャイコフスキーのオーケストレイションのほぼそのままに再現したものを
http://twitsound.jp/musics/ts0EHUZ1o
にアップしておきました。
晩年である1885年以降の作品に散見される
木管とホルンによるチャイコフスキー独特の胸を打つ音色が
よくわかる箇所です)
Than are dreamt of in your philosophy.
(Hamlet...Shakespeare)]
(拙訳)もっとあるんだよ、あの世とこの世には……なあホレイショ……
君の学問で説明できることよりできないことのほうがね。
(シェイクスピア「ハムレット」より)
グレゴリオ暦の5月7日はチャイコフスキーの誕生日にあたる。
これにちなんで、今回から数度にわたって、
いわゆる「マンフレッド(交響曲)」について
……不定期になるとは思うが……書き連ねていこうと思う。
標題音楽であることは確かであるが、
交響曲という呼称は(定義にもよるが)
「ソナタ形式の第1楽章を持つ多楽章形式管弦楽作品」
という私の認識では"交響曲ではない"ことになる。
多楽章形式の管弦楽作品を"交響曲"と呼ぶほうが
聞こえがよく、興味を引きやすいためと思われる。
よって、「交響曲かどうか」という議論は不毛である。
元来の鮨とはまったく異なる「回転寿司」も
スシというのと同じである。
【作曲経緯】
1867年暮に、死が近いベルリオーズが
イェリェーナ・パーヴラヴナ大公妃の招きで
ロシア巡業にやってきたとき、バラキレフは
バイロンの「マンフレッド」を題材とした曲を書くように
要請した。が、
ベルリオーズは老齢と病気を理由に断った。実際、
この寒い土地への演奏旅行がたたったベルリオーズは
翌年に65歳で死んでしまう。通常、
音楽の天才といえども、作曲というもっとも
頭脳を使う営みは50代までしかできない。そんなことすら、
俗人作曲家のバラキレフには理解できてなかった。
ベルリオーズ自体、作曲の筆はすでに折ってる。次に、
バラキレフは「ロメオとジュリエット」を作曲"させた"ことがある
自国のチャイコフスキーに狙いを定めた。
4つの楽章の設定とその詳細な調性などの
"指示書"も送られてきた。この
バラキレフという人物は"やっかい者"で、
こういったことで自分の力を
ロシア音楽界に誇示するタイプなのである。
ロシアの皇室に取り入って影響力を持つこともあったので、
むげに断れないという事情があった。とはいえ、
そうした押しつけに、しかも、
ベルリオーズの二番手という失礼な扱いに、
ベルリオーズの亜流作品を書くなら容易いけれど、
という釘を刺しながら、チャイコフスキーは生返事をした。
1882年のことである。
1884年10月に会った際にもまた話を持ちだされた。そして、
前回同様にこと細かな作曲プラン書が送られてきた。
このときもまだ、「vn協奏曲」の作曲時に
スイスのクラランでともに過ごし、いまは
やはりスイスのダヴォスで死の床にある
教え子のコーテクを見舞いにいったり、その他
さまざまな用事で腰を据える間がなかった。が、
「来年夏までには仕上げるという肯定的な約束を」
という返事をしたのである。
フォン=メック夫人からの援助を得てから、チャイコフスキーは
西欧各地を遊山半分で巡ってた。ところが、
1885年2月にモスクワの北西約100kmにあるКлин(クリーン)、
いわゆるクリンのМайданово(マイダーナヴァ)、
いわゆるマイダノヴォに家を借りてから、
チャイコフスキーはロシアに活動拠点を移した。
そうしたこともあって、この年の4月に少し、そして、
6月になってから本格的に
「マンフレッド交響曲」に取りかかった。結果、
9月にオーケストレイションを含めてすべてを脱稿した。
【標題】
いわゆる「標題音楽」である。ネタは、
George Gordon Byron(ジョージ・ゴードン・バイロン、1788-1824)
=第6代バイロン男爵という、イケメンで女性にモテモテだったが、
生まれついての足に不具合がある身障者で、
母親の愛情に欠けてた、キリスト教白人至上主義人種差別詩人が
1816-17年に作った劇詩「マンフレッド」である。
(あらすじ)スイス・アルプスの城に住まわってるマンフレッドは、
人間ながら万能の知識を備えてる。が、
常に罪悪感にさいなまれてた。
7柱の精霊と会話することさえできるマンフレッドは、
かつて最愛のアスターティを死に追いやった消してしまいたい過去を
忘却するすべはないかと精霊に問うも、
「そないな都合ええことでけしまへんわ、アホかいな!」
とにべもなくかわされてしまう。
普段からの付け届けをしてないとこういうことになる。
マンフレッドは肝腎なときに役立たずな現金なやつらだと悟り、
なぜに喪失だけが不如意なのかと嘆く。しかたなく、
マンフレッドはアルプスの山中をさまよい歩く。
崖から飛び降りて死のうとする。
キリスト者なので自殺は禁忌なのにである。が、
チロリアン・ハットの房飾りにするために
シャモワ(カモシカの仲間)を撃つ狩人に助けられてしまう。
彼らの素朴な生活こそが救いかと思うものの、
学と知識がわざわいしてその生活になじめない。今度は
滝に打たれて修行しようというわけではないが、
魔女を呼びだしてみるがやはり埒が明かない。ついには、
六甲の山中にも有馬温泉にも寄らず、
悪と闇の神アリマニスの神殿にたどりつき、
アスターティの魂を呼んでもらう。
マンフレッドはアスターティに許しを請うが、要領を得ない。ただ、
解決がもたらされることだけはわかった。
マンフレッドは城に戻り、死を待つ。
サンモリッツの僧院長アボットが死が迫るマンフレッドを救おうと
手を差し伸べる。が、
マンフレッドは拒絶する。そして、
死ぬのは簡単だと言って息絶える。
僧院長がマンフレッドの救済されない魂がどこへ行ってしまうのか
考えるだに恐ろしいと嘆きつつこの劇詩は終わる。
Astarte(英語の発音ではアスターティ)は、
古代セム語族の愛と豊穣の女神である。その綴りから、
星と関係があると思われる。
【構成他】
"Manfred (Symphonie)"
Манфред (симфония)
=マンフリェート(・シンフォーニヤ)
「マンフレッド(交響曲)」
(op.58)
作曲年=1885年
4つの楽章から成る。
[第1楽章]
前半(苦悩するマンフレッドの主題=イデ・フィクス)、
後半(亡きアスターティの主題)、
マンフレッドの主題によるコーダ、
という3つの部分から成る特異な形式。
テンポがめまぐるしく変わり、
拍子や調性も前半と後半で替わる。
[第2楽章]
A-B-Aの3部形式のスケルツォ。中間部B(トリオ)もテンポは不変。
[第3楽章]
緩徐楽章。形式なし。
[第4楽章]
大きく分けて、3部から成る。
第1部は悪と闇の神アリマニスの神殿。
第2部は第1楽章の回帰。
第3部はマンフレッドの死。
無調号(実質イ短調)に始まり、無調号(実質ロ長調)に終わる。
[楽器編成](数字なしは1)
フルート3(第3奏者はピッコロ持替)、オーボエ2、イングリッシュホルン、
A管クラリネット2、B管バスクラリネット、ファゴット3、
F管ホルン4、D管トランペット2、A管コルネット2、
テナートロンボーン2、バストロンボーン、チューバ、
ティンパニ、鐘、シンバル、大太鼓、タンバリン、トライアングル、ドラ、
ハープ2、ハーモニウム、弦楽5部。
バラキレフに献呈された。
(第1楽章冒頭「アンダンテ・ルーグブレ」の22小節を、
チャイコフスキーのオーケストレイションのほぼそのままに再現したものを
http://twitsound.jp/musics/ts0EHUZ1o
にアップしておきました。
晩年である1885年以降の作品に散見される
木管とホルンによるチャイコフスキー独特の胸を打つ音色が
よくわかる箇所です)