チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「中原(ちゅうげん)を征する者(後篇)/江戸川ランボオな推理」

2009年12月12日 21時02分31秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
漢字検定協会父倅が逮捕されてしまったにもかかわらず、
今年の漢字が例年のごとく清水寺で発表された。
「新」なんだそうである。この字の訓を、
「正しい日本語」「美しい日本語」と仰せな橋田壽賀子大先生なら
よもや「あたら・しい」などとは読まないはずである。ときに、
清水寺は坂上田村麻呂ゆかりの寺である。坂上田村麻呂といえば、
征夷大将軍である。対蝦夷の指揮官である。延暦21年には、
胆沢城を築いた。が、さすがの田村麻呂も、小沢一郎の
胆沢ダムまでは西松も始末もできなかった。ところで、
「さかのうへのたむらまろ」、といえば、大金をかけたNHKの
「坂の上の雲」の視聴率は、内藤亀田戦の裏だった
初回もさることながら、第2回も案外よくなかったらしい。
本木雅弘は今やモックンというよりは喪っくん的おくりびとな
アカデミー男優であるが、ややもすると演技中に、
皮を歯で噛んでなめしてた遠い先祖の習慣からか、
歯をグッと噛みしめる癖が出てしまう。それはともかく、
秋山兄弟は正岡子規は偉大な人物ではあるが、あまり
知的レヴェルが高くなかったと思われる小説家の
手になってるものが、面白いわけないぞなもし。ときに、
正岡子規といえば野球である。今日、始球式で
マウンドからホウムプレイトに向かって投げるとき、
打席に入った打者がわざと空振りをする習慣は、
大隈重信が始球式を行ったときに早稲田の学生が、
葉隠れ佐賀藩士で、しかもテロで右足を失ってる義足の創立者に
敬意を示した故意の空振りが起源である。その大隈が
明治2年に会計官副知事として
「各国通行の制に則り百銭を以って一元と定め、
以下十分の一を十銭とし銭の十分の一を一厘」
としたことが「圓(円)」の始まりである。つまり、
「元」と「円」は同一人物なのである。
ひとくちに中国語といっても多種あるが、
マンダリン(清朝紫禁城の官吏)が話してた語が概ね
「北京語」である。それはともあれ、北京語では、
「元」も「圓」もyuanという発音なのである。
ユエン、ユアン、ユエユアン。さて、
英語のcircusは赤坂でも花咲じじいでも
およそサーカスである。古代ギリシャ語由来のラテン語
circusキルクスが語源で、円を意味する。
サーカスは古代ローマの円形競技場が基である。ともかく、
空中ブランコもその円形舞台の上で行われる。
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん。
中原中也が生まれた山口は中国地方である。私の
若いときの知り合いに、「中国」とは「中国地方」のこと、
と言い張る奴がいた。それはどうでも、
中原中也は「元」=「圓」のマンダリン読みを
知ってたのだろう。それを
「見えるともないブランコ」→「白い灯」
という「ブランコ」=「白」のオヤジギャグとともに
詩の中に鏤めた所以(ユエン)である。
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん。
山羊がいるK2峰は中国(パキスタン国境)の山であるが、
円藤平吉がサーカスを追われてなったのが
K20怪人二十面相である。ところで、
夷狄で初めて中原を征した蒙古が名乗った王朝名は、
「元」であった。

ベテルギウス・ステイクスの最後の直線での追いかたを見て、
やるとと思ってました、アンカツ、と
明日もアン・カ(k)ツ(2)にしようかなと思ったことである。
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「中原(ちゅうげん)を征する者(前篇)/アル中ル・ランボオな推論」

2009年12月10日 23時45分00秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
円高である。それは、ドバイ・バブルの破裂で、
額はヨコバイながら、敗戦国である日本が
米国のドルの支柱の役目を負わされてるためである。いっぽう、
米国の国債を買わされてる日本とは別の事情で
中国は米国の国債を買ってる。が、だからといって
中国が日本と同調介入することはない。ついこないだ、
中国は米国債の保有額を減らし、
自らが国債を発行する戦略に出た。ちなみに、
今年、中国は本土外で人民元建て国債も発行した。そして、
50年という長期国債を発行すると発表した。また、
日本人離れした顔とルーツを持つ小沢は手下を引き連れ、
大挙して中国共産党詣でをした。ともあれ、
日本円は米中どちらにとっても踏み台でしかない。
中元ではないが、歳暮の時期である。
昨日に稼業の屋台煎餅を焼き上げ終わったので、
今日の日中はミッドタウンで歳暮を送り昼を食ってから
趣味のドライヴを楽しんだ。といっても、
何をやっても不器用なので遠出はできない。五反田から
中原街道を走って多摩川を渡って綱島街道に入り、
日吉の銀杏並木を懐かしく横に見て
綱島の知人に会ってきた。どっぷりと
話の海につかったが、温泉にはつからなかった。ときに、
温泉といえば、湯田の中原中也……このガリレオ・ガリレイまたは
サントーリオ・サントーリオもしくはサーハン・サーハンあるいは
蟹チャーハン・五目チャーハンみたいな名前の……は、
ちょっとランボオな言いかたをすれば、
30歳で死んだ。だがまぁイケ面だし、
通常の人のように結婚もして
子供ももうけたようである。普通は、
それでもう思い残すことはない。
それ以上、何を望むというのだ? なのに、
350篇を越す詩作を残したらしい。
欲張りである。結局、同人の死後、
子供も死んでしまうのだから、
一般人のような社会生活ができない不適応者なら、
はなから結婚などすべきではなかったのである。が、
もっとも、私のような無教養な者でさえも、その
「よだれちった悲しみに」
くらいは知ってるほど知名度があるのだから、
才能があった、のだろう。その
中原中也の詩のひとつに、
「サーカス」という題のものがある。

幾時代かがありまして
茶色い戦争がありました
幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました
幾時代かがありまして
今夜此処でのひと盛り
今夜此処でのひと盛り
サーカス小屋は高い梁
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ
頭倒さに手を垂れて
汚れた木綿の屋根のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
それの近くの白い灯が
安値いリボンと息を吐き
観客様はみな鰯
咽喉が鳴ります牡蠣殻と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
屋外は真ッ暗 暗の暗
夜は劫々と更けまする
落下傘奴のノスタルジアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

2行めの「茶色い戦争」は「満州事変」のことらしい。
ビールとワインとときどきお燗でアル中同然ながら、シラフでも
中居正広と桜井翔の声を聞きわけれない拙脳なる私は、
歴史の年代を覚えることができなかった。満州事変も
「いっぱつくさい(1931)・まんしゅうじへん」
と語呂合わせることでやっと覚えれたほどである。
ニオイとともになら記憶のメカが働くらしいのである。

(つづく)
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「上・海の幸、鳩・山の幸」

2009年10月11日 14時36分29秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
中国人が日本の山林買い漁ってる、らしい。
飲料水が目当てなんだそうである。
鳩山由紀夫によると、
「日本列島は日本人だけの所有物ではない」
らしい。その命題が真が偽かということよりも、
自国の領土のことをそんなふうに言う政治家は
日本にしかいないことが重要である。おそらく、
中日混ぜ合わせにした、欧米に対抗できる
「東洋人」国家にしたいのだろうが、
あのあくどいオタンダでさえ外国人参政権付与が
取り返しのつかない失策を招いたのに、
そんなうまいこといくわけもない。ともあれ、
そんな鳩山氏の政治理念からは、
現状の戸籍はともかく思想上便宜上だけでも
夫婦別姓にでもしてそうなものなのに、
そうではないのである……なぜか? 先日、
日テレの「NEWS ZERO」の「イチメン」というコーナーで、
ジャニーズ・アイドル・グループ「嵐」のメンバー
櫻井翔が「夫婦別姓問題」を採りあげてた。
それを要約すれば……
<男女が結婚し夫婦になると同じ名字つまり
 「夫婦同姓」になる。民法第750条で
 「夫婦は婚姻の際に定めるところに従い
 夫又は妻の氏を称する」という定めによる。が、
 現状では97%の妻が夫の名字に戸籍上変わってる。
 ところが、この民法が変わるかもしれない。
 民主党は政策集の中で
 「選択的夫婦別姓の早期実現」と書いてる。
 千葉法務大臣は以前から「男女平等の観点」や
 「名字が変わることで職場での不利益が生じる」
 などの理由で「夫婦別姓制実現」を推進してきた。 
 そして先週、この法案を来年の通常国会に提出する
 意向を示した。そこで、
 この法案で最大の争点となっているのが
 子どもの名字をどうするかということである。
 民主党案では「親が出生時にそのつど決める」としてるが、
 この場合兄弟で違う名字になることも考えられる。
 このため「子どもが混乱する」
 「家族の一体感がなくなる」など、
 反対意見が根強く残ってる。
 民主党はこの法案を11回も国会に提出してきたが、
 そのつど自民党などが反対し廃案になってきた。
 ところで、日本はもともと夫婦同姓か夫婦別姓、
 どちらだったのだろうか。
 武士の間に名字が広がった鎌倉時代、例えば、
 源頼朝の妻は北条政子という具合に、
 それぞれ違う氏を名乗ってた。つまり、
 「夫婦別姓」だったのである(*)。しかし、
 このとき武士以外の人にはまだ名字はなかった(**)。
 一般市民に名字が広がったのが明治時代。
 明治31年に旧民法が成立し、このとき初めて
 「夫婦同姓制」が導入された。いっぽう、
 海外はどうなのか。実は先進国8か国のうち、
 法律で「夫婦同姓」が決められているのは
 日本だけである。ドイツは以前、日本と同じように
 夫婦同姓が基本だったが、15年前から、
 「夫婦別姓」が認められるようになった。さて、
 「夫婦同姓」が主流となっている(***)日本で
 「夫婦別姓」は受け入れられるのだろうか。
 内閣府が行った世論調査の結果、
 選択的夫婦別姓のため「法律を改めてもいい」
 と答えた人は36.6%。「改める必要はない」
 と答えた人は35%。意見はまっぷたつ。
 今後の動きに注目したい>
……昨今、慶應も少子化対策その他による経営策として
「なんとか枠」を採り入れてる。その低い敷居を跨いで
大学から入って「慶應」を気取ってる
低レヴェルなむきもあるなか、櫻井氏は
幼稚舎→普通部→塾高→経済学部
という真の慶應ボーイである。
それが、このざまである。
日本人って、今回の総選挙結果にみるように、
それほど利口でもないのかもしれない。
米国や中国にいいようにされてもむべなるかなである。
(*)一般的な知能レヴェルの層と同様に、
  姓と名字が混同されて認識されてる。
  「源(みなもと)」は姓(かばね)である。名字ではない。
  解らないむきに単純にいえば、
  「~の」と読むのがカバネである。いっぽう、
  北条は名字であり、その姓は平である。ゆえに、
  櫻井翔もしくは担当ディレクターのまったくの事実誤認、
  無知である。「夫婦別姓制」が「夫婦別名字制」
  とされてたらまだ理解されてたかもしれない。それから、
  北条政子は結婚後自らを北条政子です、
  と言ったり書いたりした事実はない。但し、
  平政子と記載されたものがあるが、そlれは
  天皇から拝された姓が結婚によって変わる、
  という性質のものでないからである。それを利用した、
  源氏ではなく平氏の牛耳る幕府である、
  という示威行為なだけである。
(**)名字は自称であるから、いわゆる武士でなくても
  土着した武士の配下や土地の有力者が
  命名されたり自称したりしなくても名乗ることはできた。
(***)「夫婦同姓」が主流となっている、のではなく、
   法律上は「夫婦同姓」と定まってるが、便宜上・思想上、
   婚姻してても旧姓を名乗ったままでいる人もいる、
   のである。
ちなみに、この「夫婦別姓制」推進の目的は、
それによって日本社会の源を崩し、天皇制を母系に、
そして廃止させ、日本人のアイデンティティをなしくずしにし、
中国になってもかまわない、と思わせる深謀である。さて、
世の中には「ファースト・レイディ」という言葉がある。
現在は各国大統領または首相の夫人を指す。
とすれば、現在の日本のファースト・レイディは、
(父幸雄)高知県春野町→米国ワシントン州スィアトル
→米国アラスカ州→高知県春野町→大阪→西宮
→上海(幸女史誕生)→高知県春野町
→神戸→宝塚→米国カリフォーニア州サン・フランスィスコウ
→室蘭・軽井沢・田園調布(+音羽)
もしくは、
楠瀬→橋本→田浦→鳩山
という鳩山幸女史である。ところで、
日本の海には、出世魚という、
海老一勝太郎&小福→
海老一染之助&染太郎弟兄のような、
お目出度い縁起のいい魚がいる。
ボラもそのひとつである。
ハク→オボコ→スバシリ→イナ→ボラ→トド
最後はトドであってオオボラではない。が、
オボコからは「未通女」、
イナからは「イナ背」、
トドからは「トドの詰まり」、
という言葉も生まれた。ときに、
鳩山幸女史の祖父楠瀬豊吉は、
スィアトルの製材所で働くかたわら、
渡米してくる日本人の若者のための
住まいを建て、職探しを手伝う、というような
ボラ・ンティア(volunteer)活動をしてた、
ということである。なにも、
ダブdoveな提灯ブルマパンツルックを
野暮ったく道化のように着こなし、
「いつもより余計に回してますっ!」
と伊達にしてるのではない。
「喜んでやっておりますっ!」
pigeonもvisionもお持ちなのである。
「夫は肉体労働、私は頭脳労働……これで
鳩山家のブリヂストン株を含めた莫大な資産は
半々なんでございますっ!」
その子に自分の「母系DNA」が伝わってく。同時に、
中国・露国・南朝鮮による日本領土侵犯、
日本のEEZをなしくずしにした水産物・ガス田簒奪、
日本領海200乖離権状態作戦が実現してく。20年後、
あなたの学校の担任は、あなたの会社の上司は、
あなたの隣人は、あなたの選挙区の代議士は、
日本人の名を名乗る中国人である。
善良な中国人、だといいですね。ええ、
きっとそうですよ。
民主党に投票した、有権者の67%の皆さん、
「おめでとうございまぁ~~~すっ!」
(by 日本人を中国人染色体に染めのすけ染めたろう)
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「象潟の出光のどけき雨の日に/西施(セイシ)した時間」

2009年10月08日 01時05分29秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
毎日小学校に通わなければならない子供のように
bimbo暇ナシでなかなか行けなかった、
帝劇上の出光美術館で開催されてる
「芭蕉 <奥の細道>からの贈りもの」
なる展示会を観てきた。外の
日比谷濠の水面を激しく打つ雨模様とは裏腹に、
展示場は「のどか」そのものだった。まったく、
シーンとした時が止まったような光景だった。
そしてそこには、
喉から手が出そうなくらいな
芭蕉の書跡が並べられてた。ときに、
降りしきる雨に芭蕉、といえば、
<象潟や。雨に西施が、ねぶの花>
象潟は「おくの細道」最北の地である。
太平洋方の松島、日本海方の象潟、である。
ガキの頃の私は、外で雨音がしてると
なぜか安眠できた。それはともかく、
ねぶの花=合歓の木→眠い
→絶世の美女西施の半ば瞼を閉じた妖艶な顔
という連想である。さらには、
西施(セイシ)→沈魚→蛤・舌→女性器→SEX
その西施の半ば瞼を閉じた妖艶な顔に雨、である、
というシモネタの連想まで芭蕉は、
意図してたかもしれない。いっぽう、
この段での曾良の句の片方は、
<波越えぬ、契りありてや。ミサゴの巣>
であり、芭蕉が太平洋方の「末の松山」で記した、
<末の松山は寺を造りて末松山といふ。
 末の間間皆墓原にて、
 翼を交はし枝を連ぬる契りの末も、
 つひにはかくのごときと、
 悲しさもまさりて、
 塩竃の浦に入相の鐘を聞く>
をここで受けてるのである。ちなみに、
末の松山といえば、セイシょう納言の父清原元輔の
<契りきな。かたみに袖を、しぼりつつ、
 末の松山、波越さじとは>
という、古今集東歌を本歌に敷いた歌が著名である。さて、
芭蕉の書であるが、とくに
「仮名」に重点を置いてる展示である。
仮名は中国の漢字をもとに編み出された記号である。
私はその点で中国人の知恵は尊敬する。表意文字は、
当然に文章を読み進みながらその意味を汲みやすい。
漢字仮名交じり文における漢字は、表意文字である。が、
漢字単独の中国語においては、漢字は表語文字である。
この「工夫」が日本人の特質といえる。ちなみに、
芭蕉が中国の詩に感化されてたというのは、
杜甫→徒歩→hike→俳句
という工程を顧みてみれば自明である。が、
世の中には「芭蕉の句は漢詩のパクリ」という
したり顔なむきがある。思えば、
現代の多くの人にとっては、
李白にカンシんなどあるはずもない。
俳句を詠んだり嗜んだりするくらいの人には
教養は前提かもしれないが……。が、
少なくとも芭蕉の時代の俳諧の世界では、
先人の秀でた詩を「知ってる」
という共通の教養で結ばれてる意識が
はたらいてたのかもしれない。たとえ、
漢詩引用バスターズが監視してるとしても、そのように、
剽窃という点で青蓮潔白であることは明白なのに、
これを知識のないトホほな者が踏襲剽窃のように
言うこともある。ともあれ、
剽窃もしくは脳の片隅に貯蔵されてた他人の傑作を
自作として産みだしてしまう程度の作家の「仕事」と、
先人の秀作をリスペクトしたオマージュや引用とは、
まったくの別物である。

「歸園田居五首」(陶淵明)
<羈鳥戀舊林 池魚思故淵>
 (羈鳥舊林を戀ひ、池魚故淵を思ふ)

<行く春や。鳥啼魚の、目は泪>

「春夜宴桃李園序」(李白)
<夫天地者万物之逆旅、光陰者百代之過客>
 (天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客なり)

<月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人なり>
ときに、某人に、
「月日はハクタイの過客にして」を
「月日はタイハクの過客にして」と無知を強調してみせたら、
「それはハクタイですよ」などと、マジ顔で
お直しされてしまったことがあった。
李白言ひ難し、である。

西施越溪女
出自苧蘿山
秀色掩今古
荷花羞玉顔
浣紗弄碧水
自与清波閑
皓歯信難開
沈吟碧雲間
勾践征絶艶
揚蛾入呉関
提携館娃宮
杳渺詎可攀
一破夫差国
千秋竟不還

李白より美白な現代である。
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「清朝269年あるいは277年の礎/『ヌルハチの都』」

2009年04月30日 01時17分41秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
地デジのキャンペイン・キャラが「地デジカ」君になった、
ということらしい。会見では、
その地デジカの着ぐるみを着てるのが、確と見れば実は
剛君だった、というサプライズはなかったようである。
つまらない。いっぽう、
内館牧子女史が朝青龍にスキンシップされて
デレデレしてたそうである。女史のごとくに、
自分のスジを貫かないヒトはじつに人間的である。
度量が狭い私には、とうてい真似できない所作である。が、
同女史には脚本というクリエイティヴな才がある。ところで、
顔がマズいという言葉の範囲をはるかに超越してるゆえの
負のエネルギーが、創作物という正の化身を産みだす場合がある。
小説家やレディ・コミ作家らによくあるタイプである。
容姿への劣等感から、ありあまるドロドロした欲望・煩悩が生じ、
しかしまたその劣等感を克服しようとする支配欲求が、
叶えられない願望をエロ小説・エロマンガに昇華させるのである。いっぽう、
きれいなおねえさんやカッコいいおにいさんが書いた
陳腐な随筆や日記の類なんかには、たいていは感動もなければ
ありがたみもない。そもそも、生物としてそこそこ成功してるのだから、
創作になど手をつけるのは欲張り、強欲というものである。
米国のあるドラマでは「ミシマはインテリ向けポルノだ」という台詞があった。
ポルノというと安易なエロみたいだが、たしかに
ミシマには強烈な劣等感に加えて屈折した美意識があったし、
作家としての成功がある程度までは克己となるのである。が、
醜さの極みのような私には、そんな才のかけらもない。
クリエイターでもない凡人が独身・子なしでは無意味である。まぁ、
無意味な大多数がいるから、生物界はうまく事が運ぶから、
まったく役に立ってないというわけでもない。
微々たる貢献はしてるのだろう。縁の下の力なし、としては。
50歳になった昨年、大久保彦左衛門でもないのに、
50歳を期にそれまでの放蕩生活を改めて婚活を始めた。
それまでの合コン仲間のひとりが結婚したこともある。彼は
普通部→塾高→経済学部→今回の不況にも動じない某一流企業、
というバリバリの广KOboyである。いっぽう、
私は低収入・中年過ぎ・高コレステロールという、
ヘレン・ケラー女史もびっくりな三重苦である。だから、
無理だろうことは自明だった。
その手のパーティや相談所などをかたっぱしから試してみたが、
あんのじょう、「無理です」「ちょっときびしいですかねぇ」
「もう少し条件をひろげてみたらよろしいのでは……」
などと、率直・婉曲にダメ出しされた。私が出した条件など
かなり緩いと思うのだが……
1.タバコを吸わない
2.ペットを飼わない
3.左翼・反日思想の持ち主でない
4.宗教・占い・オカルト・スピリチュアル・自己啓発セミナーの類を信じない
……こんな、たった「4つのお願い」だけである。が、
これでもダメなんだそうである。私の身の程分際では、
とくに2番がネックらしい。いっぽう、
知り合いの紹介でブラインド・デイトみたいなこともいくつかしたが、
みなさんから、「これから忙しくなる時期なので……」と、
異口同音に、次回以降がないことを告げられた。というわけで、
諦めがはやい私にしては1年も婚カツをしたがダメだったので、
新年度の今月からまた女性とはその場だけの享楽だけ、
の附き合いを復活することにした。といっても、
ただ飲み食いするだけ、であるが。昨日は、
ハケン先でいっしょになった二十歳のW大学生の子を連れ立って
焼肉を食いにいった。大久保の焼肉屋はけっこう行ってるが、
麻布十番は知らないとのことだった。それなら、
オジサンがごちそうしてあげる、というものである。
私がその子に興味を持ったのは、
昨今プチ流行の「歴女」らしいからだった。
「家康派」だという。私も同感である。
天下は転がるべくして家康に向かってった、のである。が、
話の流れの中で、私はヌルハチのことを持ち出してしまった。というのも、
「ヌルハチの都」という新刊本を最近読んだばかりだったからである。

「ヌルハチの都/満州(マンジュ)遺産のなりたちと変遷」
(三宅理一著/ランダムハウス講談社刊)

徳川幕府と大清国はその成立の事情・過程はまったく異なるが、
時代的にはほぼ同じである。そして、
ヌルハチが明国に対して反旗を翻し抗戦することができた一因に、
秀吉による文禄・慶長の役に明が忙殺されてたことがある。が、
それでも天下の明である。東夷北狄が容易く討てる相手ではない。
どこかの書評で广KO大准教授などという偉い先生が
<ホンタイジが北京に入城したとき>などと誤認してたが、
ヌルハチ→ホンタイジ、という「2代」までは、
女真族後金は山海関を越えることはなかった。
叔父の摂政ドルゴンに連れられた3代の幼帝順治帝のときに、
初めて清は明の都北京に入ったのである。そして、
以降、中国を満州女真族が治めるのである。順治帝は
「12歳からの親政」を経て、23歳で突然消える。
皇帝の地位を捨て愛人との生活に入ったのか、
福臨門のコックになる修業を始めたのか、
天然痘で死んだのかは、
西片凌女史とアムロちゃんの顔の区別もままならない
拙脳な私には知るべくもない。満州族は
漢民族に辮髪を強制した。が、信教は自由にした。
これを、我々エセ歴史学者は
「意思だジュンチテイによる『フリンは満州文化だ』」
と言ってるのである。それはともかく、
「ヌルハチの都」では、ヌルハチとホンタイジが築いた
「満州時代」の清の都と政治体制についてが
詳細に見聞・研究されてる。なにしろ、
清という国は、人口比100対1以下の満州女真族が
漢民族を支配した、という恐るべき国家なのである。
そんな彼らからは学ぶことが大きい。
明の属国だった李氏朝鮮は「忠義に厚く」大清国に楯つく。が、
ホンタイジが派遣した女真族にコテンパンにやられてひれ伏すと、今度は
大清国に忠誠を誓うのである。同様に、近隣の諸民族も
飲みこまれてくのである。が、ものすごい版図に広がった大清国も、
やがては衰退し、英国によって食い物にされ、
明治政府の日本にも負けてしまう。李氏朝鮮の独立は、
日清戦争戦勝国の日本が清に対して要求した条項のひとつである。
現在のチベット問題も、清朝によって従えられた同族が、
辛亥革命以降、中国共産党にもそのまま継続して
帰属させられたことに起因してるのである。また、
いわゆる「チャイナ・ドレス」は漢民族のものではない。
もともとは満州族の民族服なのである。食事の帰り、
大学生の女の子を送ってくとき、現在は
中華人民共和国大使館となってる前の道を通って、
そこが旧満州国大使館だったこと、そして、その前は
東京市長で東京の都市再開発に関わった
後藤新平の邸宅だったことを教えてあげた。
後藤新平の末期の言葉は、
「金を残して死ぬ者は下だ。
仕事を残して死ぬ者は中だ。
人を残して死ぬ者は上だ」
というものだったそうである。
私は下の下の下、ということになる。が、
カルビは特上を食った。
100円で買えないことは言うもでもない。
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