チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「昔は、風が吹くと桶屋。今は、大災害が起きるとオソロイの作業着と仁科母娘」

2011年03月18日 00時42分45秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
と、仙石の早期カムバック。

「遊ぼう」って言うと、
「チー坊」って言う。
「パパ」って言うと、
「パパと呼ばないで」って言う。
「もう明日はない」って言うと、
「あとはない」って言う。
そうして、あとでさびしくなって、
「読めんね」って言うと、
「omenね」って言う。
「UA」って言うと、
「ウクライナ」って言う。
チェルノブイリでしょうか。それとも、
こだまでしょうか。いいえ、
金子みすゞ女史以外は誰でも、
ひかりやのぞみを持ってたいと願うものです。

5年ほど前に世間をにぎわした構造計算書偽造マンションがもし
建設中止になってなかったら、今般、
どうなってたのだろう。それにしても、
被災地でない東京にいるのにわざわざ、
おろしたてのおそろいの作業着を着てる輩ども。
コンヴィニ視察のパフォーマンスしてる暇があったら、
最前線で陣頭指揮してみては如何だろう。また、
前首相様がブリヂストン株をなげうって被災地救援に向かった、
という話はいっこうに聞かない。
民主党は参政権を持たない外国人でない
日本国民が選んだ政党である。それにひきかえ、
頼りになる警察と消防と自衛隊。

大手旅行代理店の知り合いの話だと、
大震災直後から、急遽長期春休みをとって、
10日以上のヨーロッパ旅行を求める客がひっきりなしになったという。
それも、成田発でなく関空発が人気だったらしい。
前首相は普天間から日本脱出した、という
ブラックジョウクを言う者もいる。が、
それはジョウクでなく正しくは、
方便である。

ところで、
前首相の祖父一郎や前々首相太郎などは、
クリスチャンだという。日本ユにせフの尖兵
アグネス・チャンの息子がクリスだったらそれは
クリス・チャンかもしれないが、
うめけんと藤井フミヤの区別がままならない
拙脳なる私には、そんなものを信心する気持ちが
まったくわからない。いずれにしても、
そのキリスト教においては、
「アガペー」という概念があるらしい。ギリシャ語である
アガペーが「無償の愛」という意味で使われるようになったのは、
キリスト教初期の頃に裕福な家庭が
貧しい家庭の人たちに食事会を開いた、
ということに由来してるという。
agap-という接頭辞は「口をあんぐり開く」という意味である。つまり、
Agapeとは「お口をあーんして」→「はい」、
というように食べ物を口に入れてあげること、あるいは、
誰にでも門戸を開いててる、というのが原義なのである。
自分にするように相手にもする行為=愛、
ということらしい。それがラテン語ではなぜか
カリタスという語で表された。昭和30年代までの日本における、
醤油をきらしちゃったからお隣に借リ足ス、みたいな隣人愛、
「相身互い(あいみたがい)」の心と同じなのかもしれない。ちなみに、
caritas(カリタス/ラテン語)は→charity(チャリティ/英語)となり、
「ほどこし」「慈愛」「慈善」という意味にまで
拡張されてった。
カトちゃんペ、とは比べものにならないくらいな、
格調高い言葉である。
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「Much Ado About Nothing……William Shakespeare」

2010年10月08日 01時00分11秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
昨深夜にTBSで放送してた
「ジュニアラマタの世界ウィット遺産」
というのをたまたまみた。他の用をしながら。
千原ジュニアとアラマタ宏のたったひとつの
アという共通字をくっつけただけの、
ヒネリのないタイトルの番組である。が、そこに
唐沢俊一大先生が出てた。「雑学王」なんだそうである。

ともあれ、
自分のブログを書いてたので、その番組を
あまり気にもとめずに聞いてた。ところが、
この唐沢大先生、飛行機の座席の話をしてたようなのであるが、
なにを思ったのか、ウンチクを垂れてるつもりで、
「G席とH席の間に愛(I)があります」
なんて言ってのけたのである。その
"ウィット"とやらが"作り"でしかも"ケアレス・ミス"しちゃってるのである。
Iが間にあるのはHとJの間である、もちろん。
そういえば、
以前に別の番組でヨーハン・シュトラウス2世の
「美しく青きドーナウ」が流れてきて、その作曲者を問われたとき、
はじめは何とも答えれず、あげくのはてにあてずっぽうで
「ベー答弁」と誤答したタレントも出てた。

castingといえばWeather Forecasting、気象予報。
旧猿岩石片割れ有吉に発言させてたものに、
1969年の大リーグ「ミラクル・メッツ」の話があった。
イクスパンション(球団数拡張)で1962年に新設されて
40勝120敗という大記録を打ち立て、
100敗が当たり前の万年最下位が、
1969年にはまさかのワールド・スィリーズ優勝で、
優勝パレイド当日には、NYのTVの天気予報で
「晴れ、ところにより紙吹雪」
とシャレた気象予報をした、
というものである。が、この"咄"は、私見であるが、おそらく、
故パンチョ伊東の"ジョウク"……"作り話"である。
"I've never Met anyone with evidence on the matter."
いや、実際にそういう報道がなされた、
と主張されるかたがいたら、その根拠を、
放送記録でもVTRでも、ぜひ知らせていただきたい。

ちなみに、
故マリリン・モンロウが夜着るのは"シャネルの5番"だけで裸、
という咄も眉唾くさい。これは、
故ジョウ・ディマッジョとの新婚旅行で日本に来たときに
記者の誰かが「夜は何を来て寝るんですか?」
と質問したときの答え、ということになってる。つまり、
「付け」るのは香水だけで布はなにも「着け」ない、
という意味だと記者らは広めたのである。
モンロウ女史はおバカのように思われてるが、じつは
IQが高くて言葉遊びが好きだった。
"What do I wear in bed? Why, Chanel #5, of course."
わざと質問を聞き返し、動詞がwearであることを使って、
ウィットに富んだ答えを返しただけなのである。拙脳なる私なら、
シャ寝る#5よ、と答えてしまうとこである。

ところで、
英国の劇作家とされるウィリアム・シェイクスピアの喜劇に、
"Much Ado About Nothing(マッチ・アドゥー・アバウト・ナシング、邦題=空騒ぎ)"
というものがある。その第3幕3場の、
悪役ドン・ジョンの家来Conrade(コンレイド)のセリフの中に、
このようなものがある。
"I see that the fashion wears out more apparel than the man."
パヒュームの大本彩乃女史とTBSの犬大好きアナウンサー久保田智子女史の
顔も見分けれない、外国語のひとつも解せない、
拙脳なる私にはシェイクスピアの意図など解らず、
右往沙翁するばかりであるが、だいたいこんなことだろう。
「流行というものは人が着古すよりもよほど服を古くさいものにしちまう」
現代と変わらないカンカクである。当時は、
カラーのオバケみたいな首巻き(ruff)が流行ってた。しかし、
その形や大きさもすぐに変遷してしまったのである。
こんなファッションをば召ッシーナされ、といってるうちに、
モウドうにもならないほど新しい型が現れて消えてく。いずれにせよ、
犬は嫌いと久保田智子に働けば角が立つ。杖に沙翁させば流される。
肘を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。のである。
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「口を挟サンデル暇があったから、これから『礼儀』の話をしよう」

2010年09月28日 01時15分55秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
昨日、「ハーヴァード白熱教室 in 東京大学」
という番組をみようと思ってたのだが、邪魔が入って、
最後のほうしかみれなかった。ちなみに、
上記のタイトルはNHKの担当者が
英語の前置詞の使いかたに無知なことを物語ってる。
"in"!?
歌謡曲の"作詞家"がやたらと使いたがる
"通じない英語"なみの程度である。それにもまして、
ハーヴァード大の教授とやらの"講義"なるものは、
茶番というよりはむしろ、出席者にとっての
新興宗教の入会説明会だった。そんなものに、
1000人もの聴講者が集まったという。
「相対性理論」を「愛体勢理論」と勘違いした女性で
アインシュタインの来日講演がにぎわったように、
「これから『セイキ』の話をしよう」
というものでもなかったというのに。それにしても、
この"教授"なる者のやりかたは卑怯である。まず、
意図的に自分の立場でない主張からさせる。そして、
自らが反論するのではなく、別の聴衆に反駁させる。
そこに、哀れな洗脳者らの拍手が巻き起こる。

みれなかった部分をネットの書き込みで補って整理すれば、
この教授なる者は、
現代の日本の若者が
1)けっしてイチローの高給を妬まず
2)肉親であっても正義は行い
3)米国による原爆投下への謝罪は望まない、
ことを確認して己の責務を果たしたかのようだった。
1)はつまり、敗戦国日本はこれからも、
 米国やその意向で諸外国のために黙々と働きつづける。
2)はつまり、ナショナリズム意識を持たない、すなわち、
 日本というひとつの国として米国に刃向かうことはない。
3)はつまり、日本はあらゆる面で米国に報復をすることはできない。
という確認事項である。

太平洋戦争を「日本が悪い」と誤認してる若者は多い。
戦中に生きた祖父母の世代を貶める発言をしてる輩もいた。

"講義"というのだったら、講義中に
パンツのポケットに手をつっこむな。
こういうマナーを知らない者は、
「お里が知れる」とさげすまれたものである。ともあれ、
「これから『正義』の話をしよう」

米中韓が主張する"歴史認識"と、
真っ当な日本人が伝える"歴史"では、
本当のことを言ってるのがとちらかは明白である。
しかるに、日本は敗戦国だから、
なにを言っても認められないばかりか、
それが偽であるとされるのである。
裁判においてなんの証拠ももたない無実の被告と同じでなのである。
「正義」とは「『勝負』に勝つこと」である。
『勝負』とは「スポーツの試合」でも「裁判」でも「喧嘩」でも「戦争」でもある。
公正さやは問わないし、フェアプレイも道徳も大義もへったくれもないのである。
真っ当な日本や日本人は近い将来なくなるかもしれない。
"Bad money drives out good(悪貨は良貨を駆逐する)"である。
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「幸せーって何だーっけなんだーっけ?/お初・徳兵衛の場合」

2010年02月24日 23時53分42秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
坂本龍馬が殺されたのは京都の
「近江屋」だった。現場は
惨憺たるありさまだった、らしい。
としか言い表せない。というのも、
記録・証言が嘘っぽいからである。隠蔽されたから、
「犯人」は誰だか判らないのも当然である。それはともあれ、
「近江屋」は醤油屋だった。

ところで、
寒い気候の国のわりには女子カーリングでは
フィンランドはあまり強くない。日本よりランクが下である。
フィンランド人が話すフィンランド語はウラル語族なので
東洋系なのだという。たしかに、
スキー・ジャンプには個人のメダルが欲しくて復帰した
アホネンという選手がいたし、毎日、ジャンプの練習を欠かさない
ニッカネンなんていう金メダリストもいたし、
ハウタマキなんていう黒装束で三味線を持って義太夫を歌いだしそうな
故浅川マキ女史の元祖みたいな選手もいる。いっぽうで、
ケッコーネンという大統領もいたし、
ウコンマーンアホなんていう商売人もいる。が、
キッコーマンという名のフィンランド人は聞いたことがない。ともあれ、
Suomi(スオミ)などと言われると、中森明菜女史と森昌子女史の
横顔の判別もままならない拙脳なる私は、それを
イタリア語だと勘違いしてSuo(あなたの) mi(私を)なんて
取り違えてしまうし、フィン人なんて
手にヒレがついてる人だと思い込んでたのである。

先週の金曜19日の夜は、
隼町の国立劇場へ人形浄瑠璃を観にお姉さんといっしょに出かけた。
とざーーーい!
5日初日・21日千秋楽の文楽二月公演である。
吉田蓑助文化功労者顕彰記念、というサブタイトルが附されてた。
76歳。しかも、12年前に脳出血で倒れた体である。
徳兵衛を操る桐竹勘十郎は観たことがあるのだが、
その師匠の吉田翁を観るのはお初だった。が、実は私は
人形浄瑠璃を観に行くいちばんの楽しみは
人形よりもそれを操る人形遣いの動きを観ることにある。

出し物は「曽根崎心中」である。
「生玉社前の段」「天満屋の段」「天神森の段」
で、休憩を挟んで約2時間。どの段もおもしろいのだが、
「天満屋の段」で悪人九平次がお初の死ぬ覚悟と恫喝に恐れをなして
すごすごと天満屋をあとにする、

<「こりゃちと相場が狂ふたさうな。これのお初は変わり者。
 おれがやうに銀使ひのよい大尽様はお嫌いさうな。
 あさ屋へ寄って一杯しよう。皆もおれと一緒に来い。
 あああ、かう懐が重たうては歩きにくいで、
 へへ、困りやんす」
 と悪口だらだら云ひ散らし、わめいてこそは帰りけれ>
(現在版)

というところで、三味線が、西洋音楽ふうに譬えれば、
♪●ソソソ・>ミーーー♪
という音型を奏でる。ベートーヴェンの交響曲第5番、
第1楽章の展開部に突入するかの如くである。

ともあれ、
やはり「天神森の段」が見せ場である。
冒頭の三味線の"ユニゾン"と、
<この世のなごり、夜もなごり。
 死にに行く身をっとふれば>
という唄の"ユニゾン"が、なんとも厳かである。
<あだしが原の道の霜。
 一足づつに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ。
 あれ数ぐれば、暁の、七つの時が六つ鳴りて、
 残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め>

この噺は、元禄16年(西暦1703年相当)4月7日、
大阪の曽根崎にある露天神の森での、
堂島新地の遊女初と醤油屋の手代徳兵衛の
実際の相対死事件がもとになってるらしい。そして、
事件からたった1箇月後の
【5月7日】に、竹本座で初演されたという。作者、
近松門左衛門こと杉森信盛は"武士"である。が、
父は、松平の中の松平、越前松平家の家臣だったが、
お家の諸事情(いろいろあって手短には書けない)で
今ふうにいう"リストラ"されて浪人してしまった。ともあれ、
"近松門左衛門(ちかまつもん・さえもん(※))"などという
みょうちくりんなペンネイムは、
なにやら曰くありげである。一説には、
「近江」の近松寺で修行をしたから、
というものがあるようである。が、
田中康夫と米良美一の顔の違いを判別できない
拙脳なる私には、その由緒を推測することすらできない。
徳川の一門(越前)松平家に近い者、
くらいしか思い浮かばない。その
近松の代表作の「曾根崎心中」の主人公が
「徳」兵衛というのだから、ますます、
意味がありそうである。いっぽう、
「初」は浅井三姉妹のまんなかである常高院であり、
豊臣と徳川の仲介役をつとめた。嫁いだ京極高次は、
若狭小浜を領した。越前の隣である。

さて、
露天神社の祭神の一人は、
「菅原道真」である。この天神がある場所は、むかし、
曽根州という大坂前の島で祠があり、
住吉住地曽根神として祀ってたという。"伝説"によれば、
菅原道真が太宰府へ左遷される途中にこの地で
京を偲んで涙を流したから「露」と呼ばれるようになった、
そうである。ちなみに、
秀吉の辞世とされてる、
「つゆとをち、つゆときへにし、わかみかな。
 なにわのことも、ゆめのまたゆめ」
が因縁めいて聞こえてくる。秀吉が死ぬのは伏見城だが、
大坂城は曾根崎からも近いのである。そして、その
大坂城が堕ちるのは、秀吉の死から17年後の慶長20年(西暦1615年)、
【5月7日】。家康の次男秀康の長男、弱冠20歳の
松平忠直率いる越前勢が大坂城一番乗りを果たすのである。
江戸時代初期、この忠直卿の広大な屋敷が
現在の六本木交差点周辺にあった。松平三河守忠直。よって、
「三河台」という名がいまも僅かに残ってるのである。
三河台にあたるエリアには醤油ラーメンの名店が多いらしい。そして、
六本木にはキッコーマンはなくても、夜になれば
キッコーシバリが大活躍するのである。恐縮ながら、私は
ヒゲタ派である。
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「まくれよ切れろよは競馬のときにいう言葉/受験と神頼みのカンケい」

2010年02月16日 00時58分52秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
現在のJRA競馬は、いわゆる「モンキー乗り」という騎乗スタイルである。
鐙を短くして、爪先だけをひっかけて、膝を締めて尻を上げ、
ほとんど前傾姿勢で乗る体勢である。これが、
猿が木の上に乗っかってる姿に似てるから、
そのように呼称されてるのだそうである。これだと、
馬に騎手の体重がかかりにくいという。
駆ける場所が平地で比較的固ければ、この乗りかたが
馬をもっとも速く走らせることができるらしい。いっぽう、
乗るほうにとって危険極まりないのは想像に難くない。
私は乗馬クラブで馬に乗ったことはあるが、とても
モンキー乗りなどできない。それはともあれ、
障害競走となると、条件が違ってくる。だから、
平地競走よりも鐙を長めにして騎乗する。とくに、
障害物を飛越するときには前傾姿勢などとらない。
時代劇などで馬に乗ってる場面があるが、それらは、
キャンターはおろかギャロップまで
だいたい背筋を伸ばしてのる、いわゆる
「天神乗り」である。

日曜の「パネルクイズ アタック25」の
海外旅行獲得クイズの「或る人物」は、
「菅原道真」だった。夫婦大会だったようだが、
女房のぼうが答えた。
「すがわら・みちざね!」
児玉清は
「正解!」
と叫んだ。が、
「菅原」は帝から与えられた「姓(かばね)」である。
「姓(かばね)」は「~の」と称する
慣行(カンコウ)である。だから、
「すがわらのみちざね」
でなければ本来は不正解である。それはともあれ、
菅原道真は大宰権帥に左遷されたまま、当地で死ぬ。
亡骸を牛車で葬送してると急に牛が止まり、
その場に臥して動かなくなってしまった。すると、
「これは菅公のみこころだ」
というようなことを道真の門弟が言いだした。そして、
青山でもないのにその場に道真を葬った。そこが
現在の太宰府天満宮の本殿だということである。
まぁ、これは道真が丑年生まれだったから、
そのような噺をあとから作ったのだろう。が、
「たまたま」道真の死後に京で疫病が流行り、
日照りが続き、讒言で道真を陥れた時平が死に、
その讒言を受け入れて道真を左遷させた醍醐帝の
第2皇子、第1皇子が薨去し、さらには
清涼殿に落雷があって死傷者が出てしまった。そして、
その4箇月後には醍醐天皇も崩御してしまう。
この落雷事件の音量の大きさから、
道真の怨霊によるものと思われ、
「雷神」と結びつけられる。方位で、
雷神の寅の隣は丑である。かくして、
道真への「天神信仰」が始まった。
「道真の祟りじゃぁ!」
と恐れをなした朝廷は道真の「罪]を赦し、
贈位までした。が、
時すでに遅し。覆水は盆に還らず。

「菅原道真」が「パネルクイズ アタック25」の
最終問題の答えとして放送されたその日、
JRAの京都競馬第4レイスの「障害競走」で、
単勝1.5倍という超1番人気馬は、
生垣障害の着地で躓いてしまう。鞍上の白浜騎手は
振り落とされる寸前までになってしまった。が、
なんとか持ちこたえて体勢を立て直す。その間も、
馬は転ばず走ってた。とはいっても、
馬が躓いて急激に沈んだはずみで左の
鐙が外れてしまってた。鐙とともに鞍がずれてしまったため、
白浜騎手は右の足も鐙から外して、
馬の上で背筋を伸ばして跨るしかなかった。
これがいわゆる「天神乗り」である。
同馬はあと数個の障害もクリアして、
2位でゴウルする。スタンドからは、
普段の意味とはまた違う拍手が巻き起こった。
鐙がはずれたまま
高低(コウテイ)差がある障害を越え、しかも2着になったからである。
その名はスプリングカエサル(申)号。
同馬は騎手を落とさず、騎手は同馬から落ちず、
天神乗りで2着した。
「モンキー(申)乗り」と「天神乗り」は対照的な乗りかた、
ともいえる。いっぽう、
干支で「申」と「寅(雷神)」は対極に位置する。
苦しい時の神頼み。
受験生にとって道真公=天神様は
「学問の神様」というだけでなく、
本当に「落ちない」神様なのである。ちなみに、
競馬はダイスきでも才は投げられなくてももともとない、
無学で低学歴な私には学問の神様は無縁である。
スプリングカエサル号からの単勝馬券もタンシオも、
すべて灰燼に帰したことである。
受験生の親御さん、今からでも遅くない。次走の
スプリングカエサル号の単勝馬券を
カウことである。が、競馬法で
「未成年者は勝馬投票券を購入し又は譲り受けてはならない」
と定められてるので、注意されたい。
天神様はカエサルとともに偉大なり。
「東風吹かば、思いおこせよ。湯島梅。あるじなしとて、
 春のシーザー」
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