と、仙石の早期カムバック。
「遊ぼう」って言うと、
「チー坊」って言う。
「パパ」って言うと、
「パパと呼ばないで」って言う。
「もう明日はない」って言うと、
「あとはない」って言う。
そうして、あとでさびしくなって、
「読めんね」って言うと、
「omenね」って言う。
「UA」って言うと、
「ウクライナ」って言う。
チェルノブイリでしょうか。それとも、
こだまでしょうか。いいえ、
金子みすゞ女史以外は誰でも、
ひかりやのぞみを持ってたいと願うものです。
5年ほど前に世間をにぎわした構造計算書偽造マンションがもし
建設中止になってなかったら、今般、
どうなってたのだろう。それにしても、
被災地でない東京にいるのにわざわざ、
おろしたてのおそろいの作業着を着てる輩ども。
コンヴィニ視察のパフォーマンスしてる暇があったら、
最前線で陣頭指揮してみては如何だろう。また、
前首相様がブリヂストン株をなげうって被災地救援に向かった、
という話はいっこうに聞かない。
民主党は参政権を持たない外国人でない
日本国民が選んだ政党である。それにひきかえ、
頼りになる警察と消防と自衛隊。
大手旅行代理店の知り合いの話だと、
大震災直後から、急遽長期春休みをとって、
10日以上のヨーロッパ旅行を求める客がひっきりなしになったという。
それも、成田発でなく関空発が人気だったらしい。
前首相は普天間から日本脱出した、という
ブラックジョウクを言う者もいる。が、
それはジョウクでなく正しくは、
方便である。
ところで、
前首相の祖父一郎や前々首相太郎などは、
クリスチャンだという。日本ユにせフの尖兵
アグネス・チャンの息子がクリスだったらそれは
クリス・チャンかもしれないが、
うめけんと藤井フミヤの区別がままならない
拙脳なる私には、そんなものを信心する気持ちが
まったくわからない。いずれにしても、
そのキリスト教においては、
「アガペー」という概念があるらしい。ギリシャ語である
アガペーが「無償の愛」という意味で使われるようになったのは、
キリスト教初期の頃に裕福な家庭が
貧しい家庭の人たちに食事会を開いた、
ということに由来してるという。
agap-という接頭辞は「口をあんぐり開く」という意味である。つまり、
Agapeとは「お口をあーんして」→「はい」、
というように食べ物を口に入れてあげること、あるいは、
誰にでも門戸を開いててる、というのが原義なのである。
自分にするように相手にもする行為=愛、
ということらしい。それがラテン語ではなぜか
カリタスという語で表された。昭和30年代までの日本における、
醤油をきらしちゃったからお隣に借リ足ス、みたいな隣人愛、
「相身互い(あいみたがい)」の心と同じなのかもしれない。ちなみに、
caritas(カリタス/ラテン語)は→charity(チャリティ/英語)となり、
「ほどこし」「慈愛」「慈善」という意味にまで
拡張されてった。
カトちゃんペ、とは比べものにならないくらいな、
格調高い言葉である。
「遊ぼう」って言うと、
「チー坊」って言う。
「パパ」って言うと、
「パパと呼ばないで」って言う。
「もう明日はない」って言うと、
「あとはない」って言う。
そうして、あとでさびしくなって、
「読めんね」って言うと、
「omenね」って言う。
「UA」って言うと、
「ウクライナ」って言う。
チェルノブイリでしょうか。それとも、
こだまでしょうか。いいえ、
金子みすゞ女史以外は誰でも、
ひかりやのぞみを持ってたいと願うものです。
5年ほど前に世間をにぎわした構造計算書偽造マンションがもし
建設中止になってなかったら、今般、
どうなってたのだろう。それにしても、
被災地でない東京にいるのにわざわざ、
おろしたてのおそろいの作業着を着てる輩ども。
コンヴィニ視察のパフォーマンスしてる暇があったら、
最前線で陣頭指揮してみては如何だろう。また、
前首相様がブリヂストン株をなげうって被災地救援に向かった、
という話はいっこうに聞かない。
民主党は参政権を持たない外国人でない
日本国民が選んだ政党である。それにひきかえ、
頼りになる警察と消防と自衛隊。
大手旅行代理店の知り合いの話だと、
大震災直後から、急遽長期春休みをとって、
10日以上のヨーロッパ旅行を求める客がひっきりなしになったという。
それも、成田発でなく関空発が人気だったらしい。
前首相は普天間から日本脱出した、という
ブラックジョウクを言う者もいる。が、
それはジョウクでなく正しくは、
方便である。
ところで、
前首相の祖父一郎や前々首相太郎などは、
クリスチャンだという。日本ユにせフの尖兵
アグネス・チャンの息子がクリスだったらそれは
クリス・チャンかもしれないが、
うめけんと藤井フミヤの区別がままならない
拙脳なる私には、そんなものを信心する気持ちが
まったくわからない。いずれにしても、
そのキリスト教においては、
「アガペー」という概念があるらしい。ギリシャ語である
アガペーが「無償の愛」という意味で使われるようになったのは、
キリスト教初期の頃に裕福な家庭が
貧しい家庭の人たちに食事会を開いた、
ということに由来してるという。
agap-という接頭辞は「口をあんぐり開く」という意味である。つまり、
Agapeとは「お口をあーんして」→「はい」、
というように食べ物を口に入れてあげること、あるいは、
誰にでも門戸を開いててる、というのが原義なのである。
自分にするように相手にもする行為=愛、
ということらしい。それがラテン語ではなぜか
カリタスという語で表された。昭和30年代までの日本における、
醤油をきらしちゃったからお隣に借リ足ス、みたいな隣人愛、
「相身互い(あいみたがい)」の心と同じなのかもしれない。ちなみに、
caritas(カリタス/ラテン語)は→charity(チャリティ/英語)となり、
「ほどこし」「慈愛」「慈善」という意味にまで
拡張されてった。
カトちゃんペ、とは比べものにならないくらいな、
格調高い言葉である。