ライトアップしてない国会議事堂は、もの寂しい夜景である。ときに、
さみしい、といえば、競泳の日本選手権である。
美少女スイマーとして知られた平泳ぎの野瀬瞳嬢が決勝に残るのが精一杯、
という成績に終わったからではない。全体の内容からして、五輪では
北島選手の銀か銅のみ、という結果に終わる気がしたからである。まぁ、
メダルの色など金がいいに決まってるのであるが、おさむいといえば、
この前の前の日曜に「N響アワー」で放送された
チョン・ミョンフンとN響による「ブル7」の身も蓋もない演奏である。ちなみに、
さみしい脳である私はチョン・ミョンフンと蜷川幸雄の顔の区別がつかない。が、
さらにさみしい、といえば、この前の日曜(4月20日)にテレ朝で放送された
「大胆MAP」という番組である。
「お笑い芸人が偉人の子孫に直撃取材する」という趣旨である。
そんな番組の最後を飾ったのは「ジョン・万次郎」の曾孫だった。そう、
タカアンドトシのトシが、なんと、4月初めに亡くなった故中濱博医師を
名古屋の自宅に訪ねたのである。もちろん、収録もロケも生放送でないのだが、
画面では「中濱博さんは4月○日にお亡くなりになりました」の
「一言も」書かれてなかった。故人に対する礼もへったくれもない。さすがは、
反日媚中の朝日系列である。大胆というか、ふてぶてしいというか、
道徳心や誠意のかけらもないのである。とまぁ、
さみしいtv番組ばかり見たような感じであるが、
「新日曜美術館」はひとつ収穫があった。
「モディリアーニ」の回だったが、ゲストは岸恵子女史だった。
同女史の美術観が真っ当だということを知ったのである。
イケ面モディの描く顔はお面のようだが、同女史は
大衆受けする画風が持ち味だったために生前から大金持ちになったルノワールやモネに
シンパシーを覚えないようなニュアンスの意見を述べてた。
彫刻の道を死の病で閉ざされて絵に転向せざるをえなかったモディッリャーニや、
父親が誰だかも知らされずアル中になることでやっと死を回避できたユトリロにこそ、
真の芸術を感じてるのである。そんな「真性」を持たないピカソも
彼らを軽蔑しながらも実は脅威を感じてたのである。さて、
日本郵船のタンカーがイェメン沖で不審船から発砲されたという。これが
東洋郵船の船だったら故横井英樹ががめつく賠償金をせしめたかもしれない。
イェメンはかつてエチオピア産のモカとその豆を輸入したイェメン産のモカの
集散地だった。モカは酸味が強いコーヒーが好きな私の愛飲豆のひとつである。
コーヒーが好きないっぽうで、私は「かんすい」が嫌いなので、
ラーメン(つけ麺)はほとんど食べることがない。それはどうでも、
日本郵船のタンカーが航行不能になってたなら、
「ラーメン。つけ麺。モカ、イェメン」というように、
狩野曳航されなければならなかったところである。ときに、
「(邦題)くるみ割り人形」の第12の2つめは「アラビアの踊り」であるが、
その「コーヒー」はこのイェメンのモカのことである。
**♪ソーーー・ーーーー・>ミーーー│
<ソーーー・ーーーー・>ミーーー│
<ソーーー・>ファ<ソ>ファ<ソ>ファ・>ミーーー│
ーーーー・ーーーー・ーーーー**♪
この8分の3拍子の「舞曲」の速度は、「comodo(コーモド)」と
指定されてるのであるが、コーモドとは「くつろいで」というほどの
意味である。ところが、チャイコフスキーはメトロノーム数値では
「8分音符=144」としてるのである。ここでも、
チャイコフスキーの「モタモタ嫌い」が如実に表れてるのである。私も
この速度で充分に「くつろいで」る感があると思うのであるが、
道路渋滞でもしてるかのようなノロさで演奏させる「指揮者」がほとんどである。
4分の3拍子ではないのである。実に嘆かわしいことである。ともあれ、
この「アラビアの踊り(コーヒー)」は次の
「中国の踊り(茶)」と対照をなしてるのである。
「アラビアの踊り」はヴィオーラとチェロが伴奏を刻み、
「中国の踊り」はファゴット(とコントラバス)が伴奏を刻む、
のである。ところで、
チャイコフスキーは「3つ」のバレエ音楽を残したが、
「白鳥湖」「(邦題)眠れる森の美女」には
ポーランドの踊りである「ポロネーズ」や「マズールカ」が
それぞれ1曲ずつ登場するのであるが、
「(邦題)くるみ割り人形」ではお呼びがかからない、のである。
「ねむり」の終曲が「マズールカ」であるのに対して、
「くるみ」の終曲は「ヴァルス」なのである。
さみしい、といえば、競泳の日本選手権である。
美少女スイマーとして知られた平泳ぎの野瀬瞳嬢が決勝に残るのが精一杯、
という成績に終わったからではない。全体の内容からして、五輪では
北島選手の銀か銅のみ、という結果に終わる気がしたからである。まぁ、
メダルの色など金がいいに決まってるのであるが、おさむいといえば、
この前の前の日曜に「N響アワー」で放送された
チョン・ミョンフンとN響による「ブル7」の身も蓋もない演奏である。ちなみに、
さみしい脳である私はチョン・ミョンフンと蜷川幸雄の顔の区別がつかない。が、
さらにさみしい、といえば、この前の日曜(4月20日)にテレ朝で放送された
「大胆MAP」という番組である。
「お笑い芸人が偉人の子孫に直撃取材する」という趣旨である。
そんな番組の最後を飾ったのは「ジョン・万次郎」の曾孫だった。そう、
タカアンドトシのトシが、なんと、4月初めに亡くなった故中濱博医師を
名古屋の自宅に訪ねたのである。もちろん、収録もロケも生放送でないのだが、
画面では「中濱博さんは4月○日にお亡くなりになりました」の
「一言も」書かれてなかった。故人に対する礼もへったくれもない。さすがは、
反日媚中の朝日系列である。大胆というか、ふてぶてしいというか、
道徳心や誠意のかけらもないのである。とまぁ、
さみしいtv番組ばかり見たような感じであるが、
「新日曜美術館」はひとつ収穫があった。
「モディリアーニ」の回だったが、ゲストは岸恵子女史だった。
同女史の美術観が真っ当だということを知ったのである。
イケ面モディの描く顔はお面のようだが、同女史は
大衆受けする画風が持ち味だったために生前から大金持ちになったルノワールやモネに
シンパシーを覚えないようなニュアンスの意見を述べてた。
彫刻の道を死の病で閉ざされて絵に転向せざるをえなかったモディッリャーニや、
父親が誰だかも知らされずアル中になることでやっと死を回避できたユトリロにこそ、
真の芸術を感じてるのである。そんな「真性」を持たないピカソも
彼らを軽蔑しながらも実は脅威を感じてたのである。さて、
日本郵船のタンカーがイェメン沖で不審船から発砲されたという。これが
東洋郵船の船だったら故横井英樹ががめつく賠償金をせしめたかもしれない。
イェメンはかつてエチオピア産のモカとその豆を輸入したイェメン産のモカの
集散地だった。モカは酸味が強いコーヒーが好きな私の愛飲豆のひとつである。
コーヒーが好きないっぽうで、私は「かんすい」が嫌いなので、
ラーメン(つけ麺)はほとんど食べることがない。それはどうでも、
日本郵船のタンカーが航行不能になってたなら、
「ラーメン。つけ麺。モカ、イェメン」というように、
狩野曳航されなければならなかったところである。ときに、
「(邦題)くるみ割り人形」の第12の2つめは「アラビアの踊り」であるが、
その「コーヒー」はこのイェメンのモカのことである。
**♪ソーーー・ーーーー・>ミーーー│
<ソーーー・ーーーー・>ミーーー│
<ソーーー・>ファ<ソ>ファ<ソ>ファ・>ミーーー│
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この8分の3拍子の「舞曲」の速度は、「comodo(コーモド)」と
指定されてるのであるが、コーモドとは「くつろいで」というほどの
意味である。ところが、チャイコフスキーはメトロノーム数値では
「8分音符=144」としてるのである。ここでも、
チャイコフスキーの「モタモタ嫌い」が如実に表れてるのである。私も
この速度で充分に「くつろいで」る感があると思うのであるが、
道路渋滞でもしてるかのようなノロさで演奏させる「指揮者」がほとんどである。
4分の3拍子ではないのである。実に嘆かわしいことである。ともあれ、
この「アラビアの踊り(コーヒー)」は次の
「中国の踊り(茶)」と対照をなしてるのである。
「アラビアの踊り」はヴィオーラとチェロが伴奏を刻み、
「中国の踊り」はファゴット(とコントラバス)が伴奏を刻む、
のである。ところで、
チャイコフスキーは「3つ」のバレエ音楽を残したが、
「白鳥湖」「(邦題)眠れる森の美女」には
ポーランドの踊りである「ポロネーズ」や「マズールカ」が
それぞれ1曲ずつ登場するのであるが、
「(邦題)くるみ割り人形」ではお呼びがかからない、のである。
「ねむり」の終曲が「マズールカ」であるのに対して、
「くるみ」の終曲は「ヴァルス」なのである。