チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「Asに向かってロッテ」

2006年02月14日 22時00分36秒 | chiuso着ぐるみ割り人形を噛む
「ヴァレンタイン・デイ・キス」といえば黒鳥さゆり嬢であったが、
ボビー・ヴァレタイン・デイといえば、グリコのおまけに対抗した、
千葉ロッテの「もひとつおまけによいショコラ」と相場は決まってる。
千葉には「白鳥(しらとり)」という名が比較的多いのである。が、
♪【あぁ~~~・<る>日>と>つ│<ぜん】●●●、ふた>り>だ│
<まぁ~~>ル・ノォ~~~♪(村井邦彦「作曲」)
日本でルノー・ヴェルレが人気者だったころ、Vデイにチョコ、
というイヴェントが湧きだした。「雨に濡れても」、♪ダ<│
【レインドロップス・キープ、<フォー>リン’>オン>マイ│<屁ッ】♪
(♪ソ<│【ミッミッミ、<ファッ>ミ>レ>ド│<ミッ】♪)
好きなカレを校門で待ってチョコを渡す女生徒の姿が見受けられた。
♪いまはぁ、もう、アイ。誰も、いない、地下ぁ~♪
うまくいけば「地下壕(chicgo)」のような、
おイチャイチャさんごっこができるとこで、
「恋の個人授業」ができるツガイになった、のでアル。が、
借金女王の前妻と別れたのちも、
「南果歩は寝て待て」ということができる国際俳優とは違って、
パンツのゴム紐が腹の肉にメリmeryと食い込んでしまう
私のようなエロキモい野郎は、ユウチョもせずに
「カポネは寝て待て」というような悠長な態度でいては、
カノジョはできなかったのである。

>やすのぶさん、
コメント、ありがとうございます。

<子供1人育てるのと家一軒建てるのと同じだけゼニが要るということです>
▲家一軒にも泉ピン子女史からジャン・クロード・キリ選手まであるように、
子どもの養育費もピンキリということですね。

<それで、その4人以外についてのご意見をお聞かせいただきたいですね>
▲いかがです? 「出張所への勧誘員」はやすのぶさんではありませんか?
でも、私は「訊かれたら」答えるに「やぶさかではない」くちです。(※)
ただし、「意見」ではなく「感じるまま」を、ですが。

<バッハはたくさんの子持ちでした。ブラームスは独身でした。通例、
 彼らはこの4人と同程度(あるいはもっと上だと言う人もいます)
  だと考えられていると思うのですが・・・・>
▲例示されたふたりがともに「高知能」だということは、おそらく
間違いないでしょう。よく、「学級」にいる「勉強ができる子」。
フツー程度の生徒は彼らを「優等生」と認識するでしょう。が、しょせん、
バッハは有能な(valenteヴァレーンテ)「職業音楽家」の中の頂点、
ブラームスは「音楽が向いてたわけではなかったが、
それしか生きる道がなかったため知能できりぬけた、
劣等コンプレックスと支配欲求の強い人物」、にすぎません。
バッハは2度結婚しました。おっしゃるとおり、子だくさんです。
何代かさがってそのY遺伝子は全滅したようですが、
何人も子を作ってそのうえまだ1000曲ほども残そうとした。
強欲な精力家ではあっても、フツーに家庭を持てた「常識人」です。が、
非常に「優秀」だったため、とてもすばらしい作品も残しました。いっぽう、
ブラームスは生涯独身かつ子なしでしたが、クラーラ夫人の娘を
「ホンキ」で娶りたいと思ってたような男です。それはともかく、
あれほどの剽窃家はめったに見あたりません。
剽窃はどのランクの作曲家にもあるものですが、
「意図」「敬意もしくは皮肉」があるもの、と、
「故意」または「無意識」によるもの、とがあります。中田喜直のように、
自身が剽窃してることにすらおそらく気づいてないような
知的レヴェルのものは論外ですが、山田耕筰や団伊玖麿のように、
それを聴く者が「本歌」を知らないだろうと高をくくって
確信犯的に剽窃したものは悪質です。
ブラームスはベートーヴェンの主題を使いながら、
それを指摘されると、激怒して否定しました。偽りです。
これだけでお終いです。ベートーヴェンへのリスペクトから、
自作に意図をもって取りいれた、のなら立派な「本歌取り」です。が、
彼の剽窃は、別にヌード・シーンや濡れ場の必要もないのに
それらが挿入されるごとく、何らの必然性もなく行われるのです。また、
尊敬してたはずのベートーヴェンやシューマンからだけにとどまりません。
ヴィヴァルディ、スメタナなど、<通例、下だと考えられてる>程度の
「作曲家」からも取ってるのです。まったく見境なしです。
そこには「敬意」も「意図」もへったくれもありません。
「ハンガリー舞曲」さえも、当初は自作で通そうとしました。
「作品」は「理論上の落ち度を指摘」されないように、
という意識ばかりが優先されたものですが、
<自分の中に蓄えられた何ものか>がないのをごまかすために、
<他人の中に蓄えられた何ものか>を使い、一般的なレヴェルの
聴衆<の中に蓄えられた何ものか>に擬シンクロさせて
「魅了」することに成功したのです。が、たとえば、
作り笑い、ウソ泣き、などを一般人に「ホンモノ」と信じ込ませる
腕を持った俳優のようなもの、と思えば「大作曲家」かもしれません。
まぁ、なにも、ブラームスを「四神」に据えなかったからといって、
私ごときの「思うがまま」のことです。いいではないですか。

<ぼくがブルックナーを偏愛するのは、単にかれの音楽が好きだからです。
 でも彼の声楽曲はあまり理解できません。勉強として聴いているだけです>
▲私はブルックナーのpf曲にすら魅力を感じません。が、たとえば、
ダービー馬は他のどんなレイスで大敗しようと、「ダービー馬」です。
腐ってもタイ、点々で滑らかに描かなくてもジョルジュ・スラー、です。

<ここではファンファーレが重要。どう勘定しても3回しか鳴りません。
 (ブロード版では、繰り返しの場所違いにより5回鳴るように解釈可能
  ですが、もしそのようにしたら、音楽の流れは不自然です)
   では、候補者は3人(オディールを含めて4人?)しか登場しない
    のでしょうか? もしそうであるとしたら、
     パドゥシスのあと2人は誰なのか? ということになりますね>
▲この件も、ヤフー時代からやすんぶさんが問題にされてる箇所のひとつ、
ですね。でも、一家に一娘、と限ったことではないのでは?
香里奈嬢も名古屋の美人3姉妹の末ですし、
「ヒルトン姉妹物語」ならずとも、
「義姉ンデレラ倭人伝」という中国の昔話の西洋訳本には……
あるところに、裕福な家の奥方がいました。が、
奥方は死の床についてしまいました。娘を呼んで言い聞かせました。
「私が死んだら、お墓にはハシバミの木を植えてちょうだい。
死んでも、あなたをいつでも見守ってるからね。
どんなことがあってもあなたは善良な人間でいるのよ。
主は善良でない者にはツバを吐いてバツをお下しになるの。
けっして、それは灰ではなくてよ。でも、どうしても困ったときには、
ハシバミの木を揺さぶって2礼2拍手1礼してね。ところが、
♪【あぁ~~~・<る>日>と>つ│<ぜん】●●●、ふた>り>あら│
<われぇ~~>ル・ノォ~~~♪
「あんたの父さんはあたいと結婚するって約束してたんだよ」
と、見知らぬ女が2人の娘を連れて家に乗り込んできました。そして、
シンデレッラは下女に落とされてしまったのです。そうこうするうちに、
「王子の妃を決める舞踏会」が開催されると新聞のチラシが入りました。
シンデレッラは行きたいと願いました。しかし、
意地の悪い継母に用を言いつけられてしまったのです。そこで、
娘はハシバミの木を揺さぶりました。すると、
♪シンダァ~はぁ~ずだぁ~よ、おかぁ~あさん~~~♪
春日六郎の歌声がどこからともなく聴こえてきて、
6頭だての馬車が現れたのであるす。
すでに登城してる「腹違いの」姉2人だけでなく、
この娘まで「王子の妃を決める舞踏会」に出席したら、
『二娘あるとこには三度リヨンもある』
……という諺が記されてます。ちなみに、
ハシバミ=ヘイゼルナッツの学名corylus(兜)は、
継母によってお勝手仕事をやらされるはめになり、
トイレも使わせてもらえなくなったとき、
「勝手、兜状のオムツを締めよ」と臥薪嘗胆、
ハシバミの木となって自分を守ってくれてる母のことを思って
自分に言い聞かせたことが由来だとかそうでないとか。

<であるとしたら、だれが各曲を踊るのでしょうか?>
▲<何人の「助太刀」が入るのかは分かりませんが>
という形ですでに申しあげたとおり、まったくわかりません。
「ロートバルト&オディール父娘、ベンノ、母王妃、
荒木又右衛門、堀部安兵衛、平手造酒、ドク・ホリディ」(※)

<60小節でヘ短調主和音の四六が弦の分散和音で鳴った後、バスは
 そのままで メロディーが『半音上昇』を繰り返し「ヘ調の属7」に至る>
▲元読売巨人軍「助っ人」外野手ウォーレン・『クロマティ』は、
四六時中、指をドラム・スティックにして叩く癖がありました。
それはともかくも、上記の「行程」はおっしゃるとおりです。

<だから、次に聴衆はヘ短調を期待します。
 ところが音楽は気の抜けたぬるま湯のようなヘ長調!
 それがチャイコフスキーの狙いだったのでしょう>
▲なるほど、「悪魔の父娘」がやってきたことに王子が気づかぬのを、
昔のプロレスよろしく、悪役レスラーが悪事を働いてても
レフリーが気づかないのがもどかしがる慣習のようなもの、ですね。
そのように置き換えても、最悪の結果「ヘ短調を期待」するよりも、
聴衆小力は、そこで「切れてないですよ」と、
ピカルディをこそ期待すると思うのですが……それは、
<<舞台が暗くなってフクロートバルト父娘が勝ち誇り、
 ジークフリートが騙されたことを悟るとき、です>
 @ハ短調の四六の和音上ですね>
▲言葉足らず、すみませんでした。
句点よりあとのことをわかりやすくするために、
句点以前で導いたのであって、私がいいたかった場所は、
第122小節以降のfffの箇所ことです。
そこでは、「実質ヘ短」ですが、その和声は、
「それまでのヘ短」から、
「ヘ(<)ナチュラル・イ(<)ハ」
という「一時ピカルディ」となります。

<とにかく、完全終止しないことは、
 バレエ音楽では異例のことなのではないでしょうか?>
▲勉強不足で確かなことはいえませんが……
異例とまではいかないまでも、異例ギュラーなものではないでしょうか。
ただし、これほど「効果的」「劇的」なものは、
前例がないかもしれませんね。

<2幕#13(中略)は、【危機のワルツ】ではなかったでしょうか?>
▲偉い先生がたの本では、「白鳥湖」の「変イ長(As)」は、
【不吉】【不幸】【危機】とされてますね。私も少し前までは
それを是としてよかろうと思ってた面もありましたが、
前面的には受け入れてなかったのはご存知のはずですね。が、
いまは別の方向に感じはじめてます。世の中には、
上ガリクスがアガ「リスク」になることもあることですし。

<オディールの登場で#17「変イ長のワルツ」は演奏されませんね>
▲すみません。あの一文はまったくの書き損じです。
<<ジークフリートには、#17「変イ長のワルツ」でオデットが現れると
 心が高鳴ったのにもかかわらず、肩透かしを食らってしまった。>>
×<オデットが現れると>→<オデットが現れないと>
ですが、オディールが登場する、とはどこにも書いてません。
ディールが現れるのは、#17「変イ長のワルツ」が踊られ終えて、
#18になってからです。

<実際ハープは、#19直前と同じ動き(音が1つ足りない)をして
 オーボエを導きますよね>
▲おっしゃるとおりです。で、先ほどの件の重複になって恐縮ですが、
#24の第122小節前では、「属7」でなく、「属」です。
「属」ならば、次は「長」のも「短」のも期待値は少なくありません。が、
「属7」は文字どおり「7」の音が入ってます。
この「7」の音は、半音下がって解決するのが「自然」、「人情」
というもので、実はすっきりします。それが「ピカルディ」ですね。
ときに、この「バレエ曲」においては、オーボエは「白鳥の主題」を
任された楽器ですから、最重要ですね。それと、ここでもうひとつ。
バカのひとつオーボエで恐縮ですが、チャイコフスキーの音楽においては、
「ファ」ではじまる「節」は、「宿命」あるいは「運命が動きだす」
というものが多いですね。(cf:「ねむり」#15コーダ)
週末の午前中に第1ホウルのドライヴァー・ショットを放った直後も、
グリーン上での運命が動きだすときです。ファァァァ~~~~!
ちなみに、ゴルフのときにつけるフレグランスは、
ヴェリー・ヴァレーンティノ・プル・オムツです。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アセバミ割り人形の扁桃(アーモンド)文」

2006年02月14日 01時49分05秒 | chiuso着ぐるみ割り人形を噛む
>やすのぶさん、
コメント、ありがとうございます。

<名前は書かれて、るんですね?<@スコアはお持ちではないの?
 ちなみにぼくの持っているスコアは、カーマスの緑表紙の3巻本です。
  むかし、ブロード版も見かけましたが、高くて買えなかったです>
▲これも誤解……というか、私の言葉不足……でしょうか。
やすのぶさんがお持ちなのはすべて「ブロード版」だと思ってたので、
(ブロード版には)「名前は書かれて、るんですね?」と伺ったのです。
お手数をかけました。いたみいります。ちなみに、私の
「カマス緑表紙3巻本」は、第2書庫で百年の眠りについてるはずです。
いま手元に置いてるのは、NYのチャイコフスキー財団が出してる
ジロティが編んだpf版のみです。

<まあ、そんなことはどうだっていいんでしょう。
 物語に関係ない余興ですから・・・・>
▲たしかにおっしゃるとおりですが、西洋の御伽噺はどれもこれも、
「ドノ話」も、けっこうワンパターンというか、共通してるというか、
類似したものばかりのような感がありますね。
「白い猫」「青い鳥」なんて色分けしてなかったら、
ほとんど混同してしまうくらいですから、それらは
「眠りの森の美女」への「ダメオシ」みたいなものなのでしょう。

<『眠り』の第3幕でスコア上不思議なのは、
 フランス語、ロシア語、両語併記をどう使い分けているかです。
  ヴァリアシオンというフランス語は全く出てきません。
   ロシア語でそれらしいことが書いてあるのですが、
    読めないので推測するだけです>
▲チャイコフスキー財団のpf版は英語のみ、です。が、私は、
もとより、何語もできないので同じですが。(※) ともあれ、
よろしかったら、その露語をコメントに添えていただければ、
あてずっぽう「大意」を返させていただきます。ただし、
私にも優先すべき生活がありますので、
とりあえずはチョットだけにしといてください。

<『白鳥』は、最初の物語すらチャイコフスキーが構想していたのではないか
 とぼくは感じています。だから台本と一致しない・・・・また
  一致しない音楽がしばしば出てくる・・・・と思うのです。
   そこが、謎であり面白いところです>
▲おっしゃるとおりでしょう。「白鳥湖」の「テーマ」は、
チャイコフスキーの「永遠のテーマ」です。最初のオペラ
「ウンヂーナ(お水の精)」とまったくおんなじです。
「愛と死」……ただし、ヴァーグナーと違うのは、その「愛」が
「純愛」であることです。それはともかく、少年期に山口百恵と
カール・ムーゾイスの御伽噺「奪われたヴェイル」のつらい噺に
魅せられたチャイコフスキーが、
♪ツゥラいはぁ、ツラいはぁ、シュラァ~イアァ~~~♪
と、それを「はごろも缶詰」に封印して、
ずっと温めてたものだったそうですね。ちなみに、同御伽噺では、
「白鳥湖」の舞台は、ベアリーンとミュンヒェンを結ぶ直線上に存する
ツヴィッカオ辺りとされてるそうですが、同地は、
ドレスデンとニュルンベルクを結ぶ、ザクセンの交通の要所のひとつで、
ローベルト・シューマンの出生地です。
「月日は百代の過客にして、Zwickau人もまた旅人なり」
独語の「zw」は英語になると「tw」ですね、
zwei(mal)に対してtwiceとか。つまり、
「2つ」「2つに分かれる」「分岐点」「2つの間」みたいな。

<ネズミとの戦争とお菓子の城の間には『死』があるわけですよね。
 『第5』の終結、『悲愴』マーチの終結と同じ終わり方。
  すると最後にクララが目覚めるという『落ち』は、
   全く見当違いということになりますよね>
▲『トート』ウ、この話題になりましたね。さすが、やすのぶさん、
『タタタ・タン』をおろそかにはなさらない。
『白い世界=ツヴィッカオ懐郷雪景色』とは『死』ですね。ただ、
キリストすら復活するらしいので、別に、かまったことはないでしょう。
クラーラ嬢の正体は聖母マリアさまなのですから。そんな天上人はともかく、
シモジモの世界では、死者に対して生き返ってほしい、という
「残された者」の叶わぬ願いを「芝居」にたくす、
ということもあるでしょう。

<でも、クララが何故死んだのかというのを舞台上で明示しないことには、
 観客は納得しないでしょう>
▲「秘すれば華」……カンゼんにネタバラシをしてしまったら、あるいは、
泉ピン子女史や石坂浩二御大などにすべてを語らせてしまったら、
橋田寿賀子大先生の茶番劇とおんなじになってしまいます。
♪かぁ~たるになれば、すぅ~がこぉ~も、解けて♪
納得ラッカーしない観客など、放っておけばよろしい。

<舞台上でどのように表現するのでしょうか? パドゥカトル?>
▲舞台で「実演」する、とは言ってないのですが、まぁ、いいでしょう。
メル「カトル」図法で舞台を作れば「実演」できるかもしれませんから。
冗談はともかく、私の頭に浮かぶ「風景」を述べたまでです。
現実の舞台は「ドラジェの精とオルジャ王子」でかまいません。

<くるみ割リという道具は大小あるのでしょうかねえ?>
▲平林本によれば、「大小ある」そうですよ。
サムライのようには差してないかもしれませんが。

<はしばみの実というのは見たこと無いですが、
 くるみの実とは大きさがどれほど違うのでしょうか?>
▲ハシバミは「ヘイゼル・ナッツ」のことです。
まったく違います。ハシバミは長径20mm短径15mmほど、
クルミは長径45mm短径30mm程度だと私は認識してます。
容量では1:4くらいの違いがあります。
東京だと広尾の「ナショナル麻布マーケット」で売ってます。
ハシバミはクルミとおなじくカバ科の木ですが、その実は、
味はむしろバラ科のアーモンド(ドラジェ)に似てます。
殻を取った外見はピーナッツのように薄い茶色い皮で覆われてます。

<くるみ割りで銀杏のような小さなものも割れるのでしょうか?>
▲ギンナンも割れないことはないかもしれませんが、
ナンギだと思います。

<ていうのは、英語では単に『豆割り』ですが、フランス語では直訳すると
 確かに『はしばみの実を割る道具』ですね。ただ、『くるみの実を割る
  道具の小さなもの』とも訳せなくもないような気がしますので・・・・>
▲「ヌワゼット」自体が「ヌワ」の小型という意味ではなく、
「カス・ヌワゼット」は「カス・ヌワ」の小型ではないようです。
大は小を兼ねる、大きいことはいいことだ、とはいっても、
ハシバミやギンナンを割るのに、
クルミ割り器をカスノワ賢明なこととはいえません。(※)

<そういったものの中からも、
 なにか重要なものが引き出せるのではないでしょうか?>
▲そうかもしれませんね。肝に銘じます。

<ご自分で見つけることです。熱意のみ。だれも助けてくれないでしょう>
▲いままでの人生で、妬まれたり足を引っ張られたりすることはあっても、
助けられたということはほとんどありません。よく分かっております。

<どこから、ひょうたんからこまが出るか分かりませんからね(笑い)>
▲ヒョウタンからコマったことが出てしまってもいやですね。(※)

<ブルックナーは自作交響曲を『娘たち』と言っていましたね。献呈先について
 《娘をよいところに嫁にやろうとするのは当然でしょう》と述べています>
▲美人妻と愛娘がいながら独り無惨な死をむかえたフォスターには、
♪ダ・キャンプタウン・レイディーズ・スィング・ディス・ソング、
ドーターズ、ドーターズ(テュヒター、テュヒター)♪
というミンストレル用歌謡「草競馬」がありますね。冗談はともかく、
「娘」トナールとY染色体を子に橋渡し(ブリュッケ)できません。

<ブルックナーの不思議さは、後発の天才だったこと、また、
 作曲後にも作品を成長させたことにも現れています>
▲神にもいろいろあってしかるべきです。ときに、
「親父」が「非音楽家」という点では、
シューベルト、チャイコフスキーとおなじですね。

<チャイコフスキーなら、話が非常に面白いところへ行くので、
 そちらへ集中した方がよいということですよ>
▲了解いたしました。ただ、私のほうから
「出張所」にお誘いした覚えはないのですが……いかがでしょう?

<音楽には2つの作用があると思っています。
 (もちろん自身が感動しない音楽は別ですが)
  感心・感動する音楽と泣きが入る音楽です。
   ただ泣きが入るというのは低次元の音楽にもありうることです。
    夕方にお帰りの音楽(家路みたいなものなど)が
     夕焼けの時になったりします。
      それだけで泣けてきたりしませんか?
音楽とは魔術のようなものです。単純なものであっても
 その人の琴線に触れると涙を呼び起こすものです。
  そのためには作曲上の能力なんて全く必要ありません。
   ただ、立派な音楽で泣けるというのは素晴らしいことですが、
    それは結局音楽のす晴らしさを泣いているのではなく、
     自分の中に蓄えられた何ものかが
      泣かせているのではないでしょうか?>
▲後半はまったくおっしゃるとおりだと感心いたしました。しかも、
生意気な言いかたですが、適切な言い表しかただと思います。ただ、前半は、
それはそのとりなのですが、私が申しあげた
<泣き濡れて涙が「ハナ」水とぐちゃぐちゃになるほどの曲でないと、
真の傑作とはいいがたい、というのが私の考えです>
は、必要条件であって十分条件ではない、ということです。
泣ければ真の音楽という意味ではありません。

ちなみに、ハシバミ(いわゆる「くるみ割り王子」……
私は若かりし頃、よく、扁桃腺を腫らした痛みと肥満体質から、
アセバミ王子と呼ばれてました)も、
アーモンド(ドラジェ)も、スペインが有数の生産国であることが、
ディヴェルスモン先鋒を務めた所以だったかもしれません。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「樅の木たぁ何のこった?(くるみ割り人形登場キャラの正体)」

2006年02月03日 00時54分04秒 | chiuso着ぐるみ割り人形を噛む

チャイコフスキー くるみ割り人形


私の中高生の頃くらいまでの六本木は、昼間は人通りがまばらな街だった。
交差点の「ママンド」には出稼ぎモデルのフランス娘が飲茶してるくらいだった。
先日の全豪オウプン女子スィングルズを初優勝したアメリ・モレスモ選手は、
1回戦から決勝までの7試合のうち、3試合(しかも、そのうち2つは、
準決勝と決勝)を、「相手選手の途中棄権」で勝利した。さすが、食事の
「半分はオムレズ」と言われただけのことはある。今年なら、その
ムトン(無頓)着な発言をした蒼き狼、ヒンギスカンが直接の相手でも、
やすやすと退けたはずである。ときに、モレスモ女史はフランスのヒトである。
世界の三大珍味のひとつ黒トゥリュフはフランス物が本場である。
「冬」が旬である。いっぽう、
故江間ー章子、レイク&パーマー女史が詩に詠ったのが、
「サマー・トゥリュフ」と呼ばれる、夏場が旬のトゥリュフである。
♪ナッツが食えれば、思いだすぅ~~~♪
それはともかく、ブタやイヌ(康熙帝の第4皇子にして後の雍正帝が、
自分を陥れようとした第8皇子と第9皇子を幽閉して
改名させた名とタマタマおなじである)のような「鼻利き」が
「ここ掘れブゥブゥ」というのを利用して収穫するのがトゥリュフである。
高木ブゥである。♪トッ、トッ、トリュフの大爆笑!♪である。ときに、
トゥリュフは「くるみ」や「はしばみ(ヘイゼル・ナッツ)」の根に
「寄生」してるのである。いっぽう、クルミやハシバミも
トゥリュフによって微生物から「身を守られてる」という、互いに
カバ(樺)い合う「共生」の関係なのである。
♪トゥリュフころころ、どんぶりこ。老い根にはまって、さぁ大変。
土壌が減ってきて、根に地は。樺ちゃん、いっしょに、遊びましょう♪
ちなみに、「坊ちゃん、一緒に遊びましょう」の「坊ちゃん」は、
「お池にはまっ」たときのオノマトペである「ボッチャン」にかけてる
ただのオヤジギャグである。さて、
長々と追ってきた「くるみ割り人形」であるが、
この「タイトル」が適切でないことは、平林正司著
「『胡桃割り人形』論」(三嶺書房刊)で述べられてる。
「カス(粉砕器具)・ヌワゼット」というフランス語のタイトルの
「ヌワゼット(noisette)」は「ハシバミ」である。
クルミよりやや小粒である。
「クルミ」のフランス語が「ヌワ(noix)」であることからも、
その小型版であることが示されてる。果たして、
クルミもハシバミもカバノキ科の木である。
新井白石は折り焚くシバノキ科のボヤキ漫談家である。
「思ひ出づる、折り焚く柴の、夕煙。むせぶもうれし。忘れ形見に」
後鳥羽上皇は、北条氏に楯突いたがあっさり敗れ、
失権して離島に隠岐ざりにされ、ボヤくこと19年。配流先で「他界」。
ついぞ「返り咲く」ことはなかった。その「故事」に、
白石は自身の末路をなぞらえたのである。それはともかくも、
クルミもハシバミも、いうまでもなく、
菌類が土壌に蔓延る「広葉樹」であるが、
「くるみ割り人形」は本来「はしばみ割り人形」であることを、
考えねばならないのである。ハシバミは、その実が
「ハート」の形をしてるのであるが、雌雄同株の木である。
雄花は「枝垂れ」のキリタンポみたいである。いかにも「男性器」である。
こういったことから、西洋ではハシバミは性愛と繁殖と豊穣の象徴だった、
のであろう。実際、ハシバミの実には、
ヴァイタミンEや不飽和脂肪酸が多く含まれてるのである。
ともに、「アンチ・エイジング」に関与するものである。また、
ハシバミは「シンデレラ」を王太子妃の輿に乗せたカボチャでもある。
♪シンダーはずだよ、お富さん~~~♪
富も幸福も得るのである。意地悪な義理の姉ふたりが
「平和の象徴」ハトポッポの嘴に目をくりぬかれて失明しても、
「お義姉さまがた、どうなさったの? あぁ~ら、かわいそう!」
と、気の毒そうに偽善の言葉をかける「行儀」も心得るのである。さて、

1)「くるみ割り人形」第1幕第1場、
ズィルバーハオス家……現世。
飾りつけを施されたクリスマス・トゥリーは【樅の木】である。
それが「大きく」なって、相対的にクラーラちゃんはちっちゃくなって、
ネズミ軍対パン・デピスおよび【【ハシバミ】】割り人形連合軍の戦闘。
大将【【ハシバミ】】割り人形を助太刀したクラーラちゃんは
「冬の夢幻世界」へ旅立ったのである。そこで、まず、場換わり、
2)「くるみ割り人形」第1幕第2場、
「冬の【樅の森】」の世界である。そして、雪が舞い散る。
白い世界である。→幕換わり、
3)「くるみ割り人形」第2幕、
コンフィチュランブールの世界である。雪とおなじく白い
砂糖(sucre)の世界は、主来る(sucre)の世界である。
「年たけて また越ゆべしと、思ひきや。命なりけり。砂糖の中山」
西行……西方浄土の世界へ行く旅である。西行の俗名は砂糖義清。
コンフィチュランブールでは、【【【ドラジェ】】】の精が、
【【【【コクリューシュ(オルジャ)】】】】王子を伴って、
クラーラちゃん(とハシバミ割り王子)を出迎えるのである。

まず、【樅の木】。
これは針葉樹である。木としては原始的なほうである。
ついで、【【ハシバミ】】。
これは広葉樹である。木としては進化したほうである。
そして、【【【ドラジェ】】】。
これはアーモンド(アマンド)であり、
ハシバミやクルミなどのカバ科とは違い、さらに進化した
バラ科サクラ属である。ウメやアンズに近い。ゆえに、
実は青酸を含んでるので、その毒物をあおった者の口中は、
アーモンドやアンズのニオイがするのである。
口臭道徳には充分に注意してほしいものである。それはどうでも、
最後に、【【【【コクリューシュ(オルジャ)】】】】である。
コクリューシュは「百日咳」でその患者は「頭巾」を被される=
頭巾を被って顔を隠さねばならないのは「人気者」→よって、
コクリューシュ、ということらしい。が、私は、
coquelucheのスペル中に含まれる
coque(木の実の殻)に意味がある、と考えるほうが
コクがある味わいだと思うのである。それから、
オルジャはアーモンドのシロップである。つまり、
【【【ドラジェ】】】=【【【【コクリューシュ(オルジャ)】】】】
なのである。雌雄同株。であるから、
コクリューシュ王子(男性舞踊手)と、
ドラジェの精(女性舞踊手)を「区別」するために、
「pour danseur」と「pour danseuse」を
チャイコフスキー書き入れた、のである。(※) 冗談はともかく、
アーモンドの木はゴッホも、sucreでなく、
sacre(聖なる)木として描いたように、
聖母マリアの象徴とされてる木である。チャイコフスキーにとって、
母アレクサーンドラは聖母、のはずだったのである。同名の
妹アレクサーンドラも聖母、のはずだったのである。が、
現世は二次元ではない。処女のまま受胎はしないのである。
このバレエ「くるみ割り人形」は、
裸子植物【樅】→被子植物【【ハシバミ】】→【【【アーモンド】】】、
という「進化」もしくは「異種交配」の物語である。が、
進化したものをプリミティヴなものにマッチングさせてどうなのよ?
交配ではなく後退ではないのかよ?
と思われるであろう。それは、とんでもない誤解である。
温故知新。古木をたずねて新し木を汁。アーモンドシロップである。
アーモンドウ無用である。
【樅】の学名はabies。【永遠の生命】を表すラテン語である。
アニエス-ベの日本1号店は永遠の眠りの地青山墓地の端だったのである。
したがって、バレエ「ハシバミ割り人形」は、山本周五郎ではなく、
ハ司馬ミ遼太郎版【樅の木は残った】だったのである。
その主人公は、聖母マリアの処女腹だΧ(カイ……キリスト)なのである。
コンフィチュランブール(confは砂糖。cf:コンフェット)は
砂糖の国だったが、伊達騒動はじつは塩の国にからむ事件、
赤穂事件につながる問題なのである。それはともかく、
クラーラ(仏名クレール)は本来、主人公マリーの愛人形の名。
独名マリーはつまりマリアである。
アーメン。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「くるみ割り人形#15(「終曲のワルツとアポテオーズ」アポテオーズ篇)」

2006年01月31日 00時54分25秒 | chiuso着ぐるみ割り人形を噛む
→モルト・メーノ(四分音符=144)。
木金管の8分および高中弦のスフォルツァンドによる変ロ長の主和から
高中弦の主和のトレモロがpで刻まれる2小節の露払いののち、
2幕緒曲(#10「ホ長」)の「コンフィチュランブールの主題」が、
フル2管&ピッコロ+オボ2管&インホル+クラ2管&バスクラ、
という布陣のダブル・オクタ・ユニで吹かれる。
♪『ミー<ソー<ラー│>ソーーー<ドー』│>ソーーーーー│ーー♪
スィルヴィ・ヴァルタン女聖人の「あなたのとりこロール」である。
♪トゥ~~<ゥ<マァ~ン>トゥヘェ~~ヌ♪ いや、
♪夕焼け小焼けで、日がクレール(claire)でぇ~、
やぁ~まのお寺の鐘が鳴るぅ~~~。
おぉ~おてぇ~て、繋いで、みな、かえろぅ~~~。
からすといっしょに『か<え<り>ま<しょ~~~』♪
「千とせ師匠を探せ」である。11月15日のお話である。
わっかるかなぁ~、わかんねぇだろなぁ~。イェィ。それはともかくも、
正味の話、「くるみ割り人形」は「聖夜」つまり「【冬】の日のお話」である。
cf;1番交響曲「【冬】の日の夢幻」終章結部:
♪【ミーーー│<ソーーー│<ラーーー│<ドーーー】♪
♪【わぁ~<かい<むす<めが】♪:「黄色いさくらんぼ」ではない。ウッフン!
それらはどうでも、この主題に対して、
ファゴ2管のオクタ+ピッツィのチェロ&コンバスのオクタが、
♪ドー<ソー<ドー│<ソー>ドー>ソー♪
という、2幕緒曲で主題確保時に配されたバスを刻む。が、
主題もこのバスもすべて「p」で奏させる。主役は、
「チェレスタ+ハープ2台」である。こちらには「ff」が記されてる。
これは、楽器の音量の弱さのバランスを取ったものであろう、と
簡単にかたづけられてしまう事柄である。否、それどころか、
気にもとめない指揮者連が巷には溢れてるのである。
チェレおよびハープの「無窮動」は、オルゴール、箱庭、盆栽、のような
ミニアチュールを想起させる。小粋ながら悲しく、そして、せつなくあまい。
ノスタルジーである。それはともかく、
右手:♪ ソ>ミ>ド<ラ ・ >ソ>ミ>ド<ラ ・ >ソ>ミ>ド<ラ ♪
左手:♪【ミ<ソ<ラ>ド】・<【ミ<ソ<ラ>ド】・<【ミ<ソ<ラ>ド】♪
左手が「【冬】の日の夢幻」を叩き爪弾きつづけてたのである。なお、
やすのぶさんが指摘されたとおり、このアポテでは、
「四分音符=144」であり、#10の3拍分ひとまとめを1拍換算した
「八分音符=180」より、かなり「遅められ」てるのである。これは、
単純にチェレスタ奏者が16分音符つづきを「四分音符=180」では
弾きつづけれない、という物理的理由だけではよもやあるまい。
「コンフィチュランブールの主題」前半が繰りかえされると、
その後半が出現する。
♪ソー<ラー<シー│>【【レーーー>シー】】│
<【【ドーーー>ソー】】│<【【ラーーー>ミー】】│
<ソー>レー<ミー│<ファー>ミー>レー│
<ミーーーーー│>ドーーーーー♪
このナンバーの「ワルツ部」のシテ主題、
♪【【ドーーー>シー】】│>ラ●>♯ファー<ソー│<シ>●ラーー>ソ│
>ファ>●ミーー>レ│【【『ミ』ーーー>ドー】】│
<【【『ファ』ーーー>ドー】】│<【【『♯ファ』ーーー>ドー】】♪
に執拗に組み込まれてた【【二分音符+四分音符】】は、
この「コンフィチュランブールの主題」から採られてたのである。これは、
#13の「花々のワルツ」ワキ主題、
♪【【『ミーーー』>シー】】│<【【『レーーー』>ラー】】│
<【【『ドーーー』>ファー】】♪
♪【【『ファーーー』>ドー】】│<【【『ミーーー』>シー】】│
<【【『レーーー』>ソー】】♪
でも、執拗に刻まれてたのである。また、1幕でのふたつのワルツ、すなわち、
#4中のワルツ、#5中のワルツ、においても、それぞれの主題を
「シメ」る位置に、この「2:1」は配置されてた。さて、
「2:1」はこのバレエの構造の骨子を成してる「比」である。
1幕が「2場」に仕切られ、1幕:2幕=2場:1場、である。
ちなみに、「コンフィチュランブールの主題」を回帰させる
「くるみ割り人形」である。「魔笛」であるフルートが3管。ただし、
第3奏者はピッコロ持ち替え。フルート:ピッコロ=2:1となる。
最後は、バストロ&チューバが、
♪●●●●●●●│ドーーーーー│<ミーーーーー│<ソーーーーー│
<ドーーーーー│>ミーーーーー│<ソーーーーー│<ドーーーーー│
<ミーーーーー│>ソーーーーー│<ドーーーーー│<ミーーーーー│
<ソーーーーー│ーーーーーーー│ーーーーーー│>ミーーーーー│
>ド●●●●●●│>ド●●●●●●│ド●●●●●●│ド●●●●●●│
ドーーーーー│ーーーードー│ド●●●●●●││
と締める。終いは「変ロ長」の主音「変ロ音」のユニゾンである。
「変ロ長」とは、「2♭(フラット)」であり、
「変ロ音」とは、「b(ベー)」である。
「6」という「図形」の「2:1」なのである。
1:2:√3という比の直角三角形をふたつ合わせた二等辺ボク三角形、
「幼稚園児が描く樅の『木(トリー)』」なのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「くるみ割り人形#15(「終曲のワルツとアポテオーズ」ワルツ篇)」

2006年01月27日 00時50分53秒 | chiuso着ぐるみ割り人形を噛む
無事、無菌室から生還できたお陰で、「吉井怜の慰霊所」
という「怪文」が出「回らなくて」よかっただけでなく、
「神様、私になにするの?」を上梓できた吉井怜嬢が、このたびは、
マルク(骨髄穿刺)ではなく、背中に彫り物を入れられたのだそうである。
といっても、谷崎文学の映画化での話である。原作では、
女郎蜘蛛の彫り絵紋だったのであるが、映画では変えてあるそうである。
いずれにしても、和彫りは洋彫りとは違って、
SHISEIDO化粧品をつかっても真似ボウはできないが、
彫り師がいれば鬼に金棒、SHISEIDOにkaneboである。
「カネボウ、フォー・ビューティフル・シューマン・ライフ」
クライスレリアーナである。ETAホフマンである。さて、
drossel(ド六セル)とは独語でツグミのことらしいが、
ツグミは雛のいいないカノジョであろうと、いるツガイであろうと、
アイカタを寝取られると怒り狂うそうである。
どいつの「タネ」だかわからなくなってしまうからである。
雛のないところにシャズナは立たぬ、という諺があるが、
大奥やハーレムが将軍やカリフ以外の男子禁制なのは当然である。
中国ドラマ「雍正(ようせい)王朝」の紫禁城の奥も宦官ばかりである。
ときに、ようせい(妖精)といえば、「くるみ割り人形」においては、
ドラジェ(コンフェット)の精である。

テンポ・ディ・ヴァルス、3/4、2♭。
コンバス以外の弦がシテ主題を総出で弾く。
♪【ドーーー>シー│>ラ】●>♯ファー<ソー│<シ>●ラーー>ソ│
>ファ>●ミーー>レ│『ミ』ーーー>ドー│<『ファ』ーーー>ドー│
<『♯ファ』ーーー>ドー│<『ソ』<●ラーー>ソ│>シーーーーー│
ー<ミーー>レ│>ソーーーーー│ー●<ドー<ミー│<ラー<ドー<ミー│
>シーーー>♯ファー│<ラーーー>ソー│ーソ<♯ソ<ラ<♯ラ<シ♪
このワルツの主題のしょっぱなの「3」音♪【ドーーー>シー│>ラ】♪は、
#13の「花々のワルツ」の終い、
♪【ド>●シーーー│>ラーーー】<シ●│
【ド>●シーーー│>ラーーー】<シ●
【ド>●シ●>ラ●】│【ド>●シ●>ラ●】│
【ド>●シ●>ラ●】│【ド>●シ●>ラ●】│
>ソー<ドー<ミー│<ファー<ソーーッン>ド│
ドー<ミー<ソー│<ド●●●●●││♪
の♪【ド>●シ●>ラ●】♪を引き継いでるのである。また、
5乃至8小節の第1拍を繋げると、
♪『ミ』<『ファ』<『♯ファ』<『ソ』♪
序曲のワキ主題、
♪『ミ』ー<『ファ』ー│<『♯ファ』ー<『ソ』ー│
<シー>ラン>ファ│>ミー>レー│<ラーーッ♪
とシンメトリーをなすものである。
シテ主題を受けるのは、主題ともいえないが、
クロマティカルに上昇する音型である。が、これは、
上記の♪『ミ』<『ファ』<『♯ファ』<『ソ』♪なのである。
♪『ミ』<『ファ』<『♯ファ』『♯ファ』<『ソ』│
『ソ』ーーーーー│ー♪
中部は、実質変ホ長で始まる。中部主題は、
♪●●ソーソー│>ファーーーーー│ー●>ミー>♯レー│
<ミーーーーー│ー●<ソーソー│>ファーーーーー│
ー●>ミー>♯レー│<ラーーー>ソー♪
1番オボが節を受け持つ木管群によって吹かれる。
やがて、ニ長に転じて、まず、
チェレスタ、ハープ2、vnプリ同セコ各2(ハーモニクス)、
チェロ2、コンバス2という編成が、ついで、この編成に加えて、
フル1、ピッコロ、クラ2、ヴィオーラ2(ハーモニクス)が、
♪ソ>ミ>ド>ラ│<シ<レ>ラ<ド>シ<レ│>ド<ミ
>ミ<ソ>ファ<ラ│>ソ<シ>ラ<ド>シ<レ│>ド<ミ♪
を奏する。チェレスタが出てきたからには、ドラエモンではなく
ドラジェの精にスポットライトが当てられてる場面である。
中部主題が、今度は1番ペットが節を受け持つ金管群によって
吹かれる。実質ト長である。
それが、終い、ヘ長にシフトされて閉じる。
と同時に、変ロ長に転じて主部のシテ主題が戻る。
シテ主題が繰り返されて、
♪『ミ』<『ファ』<『♯ファ』<『ソ』♪を過ぎると、
「ターーー>ター」という「3度」下る音程と2拍・1拍という律動が、
8小節間ゼクヴェンツされて、
ppからfffにクレッシェンドされながら上昇し、結部に突入する。
結部はヘミオラの連続である。
♪ラーーー・>ソー│ーー・>シーー<ド・│
<ミーーー・>レー│ーー・>♯ドーー<レ│
ラーーー・>ソー│ーー・>シーー<ド・│
<ミーーー・>レー│ーー・>♯ドーー<レ♪
「ターーー>ター」という「2度」下る音程と2拍・1拍という律動が、
4小節。そしてまたヘミオラである。
♪【【ラ>ソ>ミ>ド】】・【【ラ>ソ│>ミ>ド】】・
【【ラ>ソ>ミ>ド】】・│ラ>ソ>レ>シ・
ラ>ソ│>ファ>レ・ラ>ソ>ファ>レ・│
【【ラ>ソ>ミ>ド】】・【【ラ>ソ>│ミ>ド】】・
【【ラ>ソ>ミ>ド】】・│ラ>ソ>レ>シ・
ラ>ソ│>ファ>レ・ラ>ソ>ファ>レ♪
と12小節。さらに、形を変えて終いまでも続けられるのである。
なお、上記【【】】も、「悲愴」主章呈示部終いの
「クラリネット→ファゴット下降」音型である。終いは、
♪ドードー・ドードー・ドードー・ドー<ミ(ー)♪
となり、アポテオーズに突入する。
(「アポテオーズ篇」につづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする