アジア大会のバドミントン男子団体戦で
汚い手を使うことなど日常茶飯事な国がまたしてもやらかしたらしい。
空調を操作して日本選手に不利な風を送風してたのだという。
この不正行為に対して、直接被害を被った日本だけでなく、
巻き添えを食ったインドネシア、中国、マレーシアも
大会の組織委員会に抗議文を提出したようである。
こうした不正行為の悪意はさておき、
この国の民が100年前に日本によってインフラを整備してもらい、
字の読み書きを教えてもらったおがげで、
空調を操作できるまでの文明人になったことを寿ぐべきかもしれない。
なにしろ、日本が手取り足取り教えてあげるまでは、
樽も作れなかった生き物なのだから。
西暦1600年4月末、つまり、関ヶ原の合戦の約半年前、
オランダ船リーフデ(神の慈愛)号は現在の大分県臼杵(うすき)沖に漂着した。
そこに乗船してた航海士が、今日が誕生から450年の、
William Adams(ウィリアム・アダムズ、1564-1620)
だった。臼杵領主や長崎奉行は大阪に指示を仰いだ。が、
それを聞きつけたイエズス会宣教師どもは
カトリックのスペインから血を流して独立を勝ち取った
プロテスタントのオランダ人ら(唯一の英国人アダムズも)を
即刻死刑にするように要求したという。
五大老筆頭の家康が処理にあたった。
アダムズやヤン・ヨーステンを大阪に移送させ、
事情聴取した家康は、改めて
イエズス会宣教師どもが侵略征服の先鋒隊であることを確信した。そして、
リーフデ号乗員を解放し、拘留したことと
船内から押収した武器その他への補償として金品をを与えた。
アダムズやヨーステンから"西洋事情"を詳らかに聞いた家康は、
彼らを貿易通商に役立てることを目論んだ。また、
西洋の武具にも目を付け、関ヶ原で家康は
南蛮甲冑に身を包んで臨んだ。
家康は現在の日本橋大伝馬町の名主に据えて
街道の馬の調達の長としてた
伊東家(のちに馬込家)の娘をアダムズに娶らせた。
そうしてアダムズファミリーはできあがった。伊東家(馬込家)は、
現在も馬喰町という町名にその名残がある。ちなみに、
アダムズの江戸屋敷はそれより日本橋寄りに与えられたが、
大伝馬町とは目と鼻の先の三越の近くである。ともあれ、
この伊東一族は曾我兄弟で知られる伊東氏であり、
鎌倉幕府によって臼杵からそう遠くない
日向国の地頭に任じられてその地に勢力を張った
伊東氏も同族である。その一族のひとりが伊東マンショであり、
「海外に出る」という因縁でも繋がる。
アダムズが三浦按針という名と三浦半島の逸見(現在の横須賀駅近く)その他に
250石の領地を与えられたのちも、イエズス会宣教師どもは
アダムズ抹殺が不可能となったら今度は
プロテスタントのアダムズをカトリックに改宗させようという手段に出た。そして、
カトリックがどんなにすばらしい教義かということを証明するために、
浦賀の海の上を歩いてみせるという
トリッグで弄したという。
ちなみに、
スウィフトの「ガリヴァー旅行記」のXamoschiが
横須賀の観音崎(Kannnonsaki→Kannosaki)
のことではないかとも言われてるらしい。
XとKは"同位相"であり、nのダブりんはmに見え、
cはaと混同しやすく、hもkと見誤りやすい。
それはともあれ、
アダムズは一介の航海士とはいえ、
ロッテルダムを5隻で出航した船団が日本に着いたときには
リーフデ号だけとなってたくらいで、最終的にはリーフデ号の
航海士長であり、実質は船長といってもいいくらいだった。
それ以前にも、英国で
軍船や商船の船長を勤めてた経歴がある。
Gulliverはスウィフトの造語(主人公の名=固有名詞)であるが、
ロシア語でもголова(ガラヴァー=頭)という言葉が残ってるように、
ラテン語calvus(カルウス)「禿頭」「頭蓋」「頭」が基であり、
そこから比喩的に「長(キャプテン、船長、など)」という意味である。ちなみに、
宗教改革プロテスタントのJean Calvinの
Calvin(カルヴァン)というサーネイムも同源語である。
アダムズは祖国への手紙の中で、
「日本人は性格が良く、とても礼儀正しい。
それでいて武勇にも長けている。日本では
禁を破った者に対してもその処罰は公正に行われている。
政治は秩序正しく行われている」
というようなことを書いてるという。
リーフデ号がもし操作された空気の流れに乗って
現在のインチョンあたりに漂着してたなら、
アダムズはきっと李氏朝鮮の民は世界最高の頭脳の持ち主で
世界最良の性格・性根の民だと書いたことだろう、まちがいなく……。
汚い手を使うことなど日常茶飯事な国がまたしてもやらかしたらしい。
空調を操作して日本選手に不利な風を送風してたのだという。
この不正行為に対して、直接被害を被った日本だけでなく、
巻き添えを食ったインドネシア、中国、マレーシアも
大会の組織委員会に抗議文を提出したようである。
こうした不正行為の悪意はさておき、
この国の民が100年前に日本によってインフラを整備してもらい、
字の読み書きを教えてもらったおがげで、
空調を操作できるまでの文明人になったことを寿ぐべきかもしれない。
なにしろ、日本が手取り足取り教えてあげるまでは、
樽も作れなかった生き物なのだから。
西暦1600年4月末、つまり、関ヶ原の合戦の約半年前、
オランダ船リーフデ(神の慈愛)号は現在の大分県臼杵(うすき)沖に漂着した。
そこに乗船してた航海士が、今日が誕生から450年の、
William Adams(ウィリアム・アダムズ、1564-1620)
だった。臼杵領主や長崎奉行は大阪に指示を仰いだ。が、
それを聞きつけたイエズス会宣教師どもは
カトリックのスペインから血を流して独立を勝ち取った
プロテスタントのオランダ人ら(唯一の英国人アダムズも)を
即刻死刑にするように要求したという。
五大老筆頭の家康が処理にあたった。
アダムズやヤン・ヨーステンを大阪に移送させ、
事情聴取した家康は、改めて
イエズス会宣教師どもが侵略征服の先鋒隊であることを確信した。そして、
リーフデ号乗員を解放し、拘留したことと
船内から押収した武器その他への補償として金品をを与えた。
アダムズやヨーステンから"西洋事情"を詳らかに聞いた家康は、
彼らを貿易通商に役立てることを目論んだ。また、
西洋の武具にも目を付け、関ヶ原で家康は
南蛮甲冑に身を包んで臨んだ。
家康は現在の日本橋大伝馬町の名主に据えて
街道の馬の調達の長としてた
伊東家(のちに馬込家)の娘をアダムズに娶らせた。
そうしてアダムズファミリーはできあがった。伊東家(馬込家)は、
現在も馬喰町という町名にその名残がある。ちなみに、
アダムズの江戸屋敷はそれより日本橋寄りに与えられたが、
大伝馬町とは目と鼻の先の三越の近くである。ともあれ、
この伊東一族は曾我兄弟で知られる伊東氏であり、
鎌倉幕府によって臼杵からそう遠くない
日向国の地頭に任じられてその地に勢力を張った
伊東氏も同族である。その一族のひとりが伊東マンショであり、
「海外に出る」という因縁でも繋がる。
アダムズが三浦按針という名と三浦半島の逸見(現在の横須賀駅近く)その他に
250石の領地を与えられたのちも、イエズス会宣教師どもは
アダムズ抹殺が不可能となったら今度は
プロテスタントのアダムズをカトリックに改宗させようという手段に出た。そして、
カトリックがどんなにすばらしい教義かということを証明するために、
浦賀の海の上を歩いてみせるという
トリッグで弄したという。
ちなみに、
スウィフトの「ガリヴァー旅行記」のXamoschiが
横須賀の観音崎(Kannnonsaki→Kannosaki)
のことではないかとも言われてるらしい。
XとKは"同位相"であり、nのダブりんはmに見え、
cはaと混同しやすく、hもkと見誤りやすい。
それはともあれ、
アダムズは一介の航海士とはいえ、
ロッテルダムを5隻で出航した船団が日本に着いたときには
リーフデ号だけとなってたくらいで、最終的にはリーフデ号の
航海士長であり、実質は船長といってもいいくらいだった。
それ以前にも、英国で
軍船や商船の船長を勤めてた経歴がある。
Gulliverはスウィフトの造語(主人公の名=固有名詞)であるが、
ロシア語でもголова(ガラヴァー=頭)という言葉が残ってるように、
ラテン語calvus(カルウス)「禿頭」「頭蓋」「頭」が基であり、
そこから比喩的に「長(キャプテン、船長、など)」という意味である。ちなみに、
宗教改革プロテスタントのJean Calvinの
Calvin(カルヴァン)というサーネイムも同源語である。
アダムズは祖国への手紙の中で、
「日本人は性格が良く、とても礼儀正しい。
それでいて武勇にも長けている。日本では
禁を破った者に対してもその処罰は公正に行われている。
政治は秩序正しく行われている」
というようなことを書いてるという。
リーフデ号がもし操作された空気の流れに乗って
現在のインチョンあたりに漂着してたなら、
アダムズはきっと李氏朝鮮の民は世界最高の頭脳の持ち主で
世界最良の性格・性根の民だと書いたことだろう、まちがいなく……。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます