はいどうも。
今回はほとんどエロなしミステリー風味なものを投稿してみました。
内容としては、「わたし」の「義姉」が小説投稿サイトで遊び始めるんだけど、
なんだか陰湿な嫌がらせが絶えない。
それはどんどんエスカレートして義姉は不安でおかしくなってしまう。
いったい誰が?なんのために?
そういうお話です。
ご興味持っていただけた方は、↓ 読んでやってくださいませ☆
【ヨネコさんというひと】
「モモちゃーん! おはよう、起きてるー!? モモちゃーん」
ピンポンピンポンと玄関のチャイムがけたたましく鳴らされる。わたしは寝起きのぼさぼさ頭を掻きながら、だるい体をひきずって玄関のドアを開けた。
「……はいぃ」
「おはよう! あら、また寝てたの? もう10時よ、いくら専業主婦ったって、そろそろ起きなきゃご近所さんにも笑われちゃうわよ? ささ、入って、入って」
入って、って、ここはあんたの家じゃないだろう、それに玄関先でカン高い声を張り上げる方がよほど迷惑だ、と反論する間もなく、ヨネコさんはいつものようにずかずかと我が家に上がり込んだ。
彼女はわたしの義姉にあたるひと、つまり旦那のお姉さんである。ヨネコさん一家は同じ町内に住んでいる。わたしたちが1年前に結婚し、この2DKのボロアパートで暮らし始めてからというもの、しょっちゅう我が家にやってくる。どうやら子供を保育園だか幼稚園だかに送り出した後、暇を持て余しているらしい。
こっちは早朝から深夜まで働く旦那のために、朝5時に起きて弁当と朝食の準備をし、近所迷惑にならない程度に家事を済ませ、9時半前後からもう一度寝て昼過ぎにまた起きるのだと何度説明しても聞いてもらえない。
「そんなのおかしいわよ、二度寝なんて体によくないわ。早寝早起き、ね、これが健康の秘訣なんだから」
ヨネコさんは鼻の穴をおっぴろげてフンガーと喚く。わたしだってできることならそうしたい。でも午後からは買い物に行ったり、夕方から短時間パートに出たり(ヨネコさんは勝手にわたしを専業主婦だと思っているが一応働いているのだ)、帰ってきて夕食の準備をして家事をしながら旦那の帰りを待ち、あれやこれやで寝るのは深夜1時か2時になってしまう。せめて午前中のちょっとした時間にでも寝ておかないと体が持たない。
何度話しても納得してもらえず、旦那に相談しても笑っているばかりで当てにならず、かといって一応は嫁の立場なのであまりヨネコさんを邪険に追い返すこともできず。仕方が無いので、半年ほど前からは天災だと思って黙って受け入れることにした。こっちが迷惑そうな顔をしようが、寝起きだろうが、そんなことは気にもならないらしい。特に用事があるというわけではなく、いつも昼過ぎくらいまでダラダラとどうでもいいことをしゃべり散らし、昼食を食べて、お茶を飲んで、お菓子を食べて、気が済んだように帰っていく。
お昼ご飯もお菓子もお茶も、何故か当然のようにわたしが準備して出すことになっている。悪い人では無いのだろうが、根本的にどこか抜けているひとなのだろうとは思う。
【ヨネコさん、小説を書く】
そのヨネコさんが、何やら最近小説を書き始めたらしい。SNS関連のサイトの中には、素人のひとたちが自作の小説を投稿して遊べるようなものがあるらしく、ヨネコさんもそこに投稿して楽しんでいるという。
「ね、ほらほら、これがワタシの書いた作品なの。この横にある数字が昨日読んでくれた人数で、この下のが評価点で、それからこれが作品の感想で……」
唾を飛ばしながら持参したノートパソコンの画面を指さし、ものすごい勢いで説明してくれるが、残念なことにまったく興味が持てない。ずずず、とお茶をすすりながらまだ寝ぼけた頭でぼんやりと画面を眺める。ああ、良い香り。静岡に嫁いだ友人が送ってきてくれたお茶はやっぱり美味しいなあ、とか思いながらヨネコさんの話を聞き流す。
「見て、このコメント。『拝読いたしました。いつもながら可憐さんの作品は素敵ですね』だって! いやぁん、嬉しいっ」
何がそんなに嬉しいのかわからないが、両手を顎の下に添えて体をクネクネさせている。10代の可愛い子がやるならまだしも、40過ぎで明石屋さんまを劣化させたような容貌のヨネコさんがやると殺人的に気持ちが悪い。
「ねえ、ねえ、モモちゃんも読みたいでしょ? 読ませてあげてもいいわよ、ほら」
「いや、あの……っていうか、この可憐さんって……ヨネコさんのことですか?」
「そうよ、実名で投稿する人なんていないわよ。綾小路可憐、この名前をペンネームにしてるの。良い名前でしょお?」
「あ、あやのこうじ……かれん……」
目の前にいるヨネコさんとペンネームの落差に言葉を失っていると、チャカチャカとパソコンを操作して「一番の自信作だから読め」と画面を突きつけてくる。
「これはね、お友達の中でも一番評判が良くて、みんな誉めてくれるの。まだ書き始めて数カ月でこんなに書けるなんてすごいねって。ぐふふ、ほら、読んで、読んで」
「はあ……」
読んで読んでといいながら、ぶんぶん腕を振り回す。ヨネコさんが割ってしまわないように、湯のみをそっとテーブルの奥に置きながら、仕方なくその『作品』を読んだ。
そんなに長文では無かったので、思ったよりも時間をかけずに読み終わった。なんというか、男の人と女の人が仲良くなって結婚するだけの話だった。もともと本といえばオレンジページとかレタスクラブみたいな雑誌しか買わないし、小説なんて高校の教科書以来読んだ記憶が無い。そんなわたしに気のきいた感想が言えるわけもなく、でも黙っているのもアレなので小さい声で、
「面白いですね」
とだけ言ってみた。すると気を良くしたのか、ニタニタ笑いながら今度は「感想を書け」と言い始めた。
「感想ですか……でもわたし、そういうの苦手っていうか……」
「いいのよ、『面白かった』だけでも。とりあえずコメントが入ると評価点に加算されて、翌日のランキングの上位が狙えるの。だから、ね? 書いて」
「はあ……」
そんなに言うなら、とヨネコさんのパソコンからコメントを入れようとすると「ダメダメ!」と叱られた。何なのだ、いったい。
「え、この欄にコメント入力するんじゃないんですか?」
「ワタシのパソコンから書いてどうするのよ。ちゃんとモモちゃんのパソコンから書きなさいよ」
わけがわからないまま我が家の古いパソコンから、その小説サイトを検索して登録させられた。なんでもいいから名前を決めろというので『名無子』と適当にもほどがある名前をつけて、ヨネコさんの作品にコメントを入れた。
新たにコメントのついた作品の画面を、ヨネコさんは満足そうに眺め、またサイトの説明を始めた。
「ここはね、小説を投稿したりコメントしたりするだけじゃなくて、メッセージのやりとりもできるの。あと、みんなの創作について意見交換をするための掲示板みたいなのもあって、小説を通していろんなひとと交流を楽しめたりもするのよ」
「はあ……交流、ですか」
「そうなの。だからこのサイトを通してお友達もいっぱいできたのよ。ほら、この城ケ崎紫音さんも野薔薇千鳥さんも、みんなわたしのお友達」
「へえ……」
綾小路可憐の『フレンド一覧』には読み方に苦しむような難読漢字がずらずらと並んでいた。みんなどうしてこんな複雑な名前を好んでつけたがるのだろう。まあ、本人たちが楽しいのならいいと思うが、画面の向こうにヨネコさんみたいなのが何人もいるのかと想像するとちょっとした吐き気がこみ上げてくる。
「お互いの作品を読みあって、感想を言い合って、それを励みにまた頑張って作品を書いて投稿するの。それにね、届くメッセージの中には『素敵な可憐さんとお会いしてみたい』なんていう男の人からのメッセージもあるのよぉ」
ばんばんとわたしの背中を叩きながら照れまくる姿に殺意が湧く。何がどう素敵なのかわからないが、実物のヨネコさんを目の前にしても相手のひとは同じことを言えるのだろうか。適当に画面をスクロールさせて、並んだ作品群に目を通していると、ヨネコさんが急に正座してまた体をクネクネさせ始めた。
「それでねぇ、今日はモモちゃんにお願いがあるのぉ」
「はい?」
「あのね、今度の月曜日にここでオフ会させてもらえないかなって」
「はあ? オフ会ってなんですか」
「小説仲間みんなでね、一度会ってお茶でも飲もうってことになったのよぉ。でもほら、みんな主婦さんばっかりだし、外でお茶飲んだりするとお金かかるじゃない? だからここでさせてもらえないかなって」
「えぇ……でも、こんなボロアパートに来てもらうなんて……」
築20年、自慢じゃないがボロさと壁の薄さはどこにも負けないと思う。なにしろ隣人の携帯電話のバイブ音が普通に聞こえてくるようなレベルである。壁紙は茶色くなってところどころ剥がれてるし、床は歩くたびにミシミシと不安になるような音がする。
「いいのよう、だってウチでやっちゃうと片付けとか大変だしさあ。子供のものがいっぱいで足の踏み場もないし。モモちゃんの家だったら、そういうの気にしなくてもいいじゃない。ね? お願い」
「えー、でもとりあえず主人に一度聞いてみないと……」
「いいのよ、あの子はどうせ仕事でいないんだからさ。それにもうみんなに言っちゃったもん」
「へ?」
「だって、モモちゃんのことだから絶対OKしてくれると思って。ほら、みんな喜んでる」
ノートパソコンをまたカチャカチャ操作して、今度は仲間内で使っているらしい掲示板を表示させた。たしかに、そこには「月曜日楽しみにしてるね^^」とか「オフ会初めてだから緊張しちゃうっ>< でも頑張って行くよ」とかいう書き込みが並んでいた。
「いや、だから、オフ会は好きなようにやってもらえばいいんですよ。場所だけ変更してもらえれば」
「ええっ、そんなの困る! 今月いろいろ買っちゃって、もうお金ないんだもん。だったらモモちゃん、みんなとお茶してくる分のお金、出してくれる?」
他人のお茶代を出せるような余裕があったら、こんなアパートに住んでない。毎月キツキツの節約生活を送っているのはヨネコさんだって知っているはずなのに、どうしてそんなことが言えるのか。いろいろ言いたいことはあったが、これまでの経験上ヨネコさんを説得することなんてできないのは学習済みだった。
しぶしぶ承諾すると、ヨネコさんは満足そうにうなずいて「それでいいのよ」と言った。
「あー、やっぱりモモちゃんに頼んで良かった。安心したらお腹すいちゃったわぁ。モモちゃん、今日のお昼は何作ってくれるのぉ?」
わたしは深いため息とともに立ち上がり、昨日の残り物のカレーを鍋で温めた。
【ヨネコさん オフ会をやる】
月曜日の午後1時、予定通りヨネコさんが小説仲間5人を連れて我が家にやってきた。みんなだいたい40代から50代前後の普通のオバサンばかりだった。それなりにきちんとした服装で来てくれているのに、会場がこんなボロアパートなのを驚いたのか、ヨネコさん以外はみんな一様に複雑な表情をしていた。
そりゃそうだと思う。でも一応前日のうちに出来る限り掃除はしておいたし、人数分の座布団も用意したのだから今回はこれで勘弁してほしい。紫色のピカピカひかる生地のスーツを着たオバサンが手土産にケーキを持って来てくれたので、切り分けて皿に乗せ、紙コップにいれた紅茶と共にテーブルに並べた。ひとりがケーキをデジカメで撮影し始めると、我も我もとケータイやデジカメを取り出してフラッシュがピカピカ光った。
「うふふ、今日はみんなで会えてよかったわねえ。あ、この子はわたしの義妹でモモちゃんていうの。よろしくね」
他の人がペンネームで呼び合う中で、ひとりだけ本名で紹介されてしまった。とりあえずへらへらと愛想笑いで流しておく。ひととおり自己紹介が終わり、場がなごんでくるとオバサンたちの本気トークが始まった。
内容は小説のことというよりも、誰かの噂話や悪口がメインだった。●●さんたら、掲示板にあんなこと書いてたワヨー、とか、△△さんの書き方はいつも読みにくいし内容も変なものばっかり、だとか。近所の井戸端会議的なものと同じで、オバサンたちはこういう話題で盛り上がることによって生きる活力を得ているんだろうな、と思いながら、わたしはひとりハイペースでむしゃむしゃとケーキを頬張った。
マシンガントークを繰り広げるオバサンたちを見ながら、話の中身がさっぱりわからないので退屈しのぎにひとりひとりにあだ名をつけてみることにした。ヨネコさんと一番仲が良さそうな紫スーツのオバサンは、体格も動作も動物園のゴリラそっくりなので『ゴリラ』と命名する。特徴的なべっ甲縁のメガネをかけた細身のひとは『メガネ』、息継ぎ以外はひたすら喋り続けている小柄なひとは『九官鳥』、緑のワンピースで常にケタケタと笑っているひとは『カエル』、同じくケタケタ笑い続けているちょっと体が大きくて声の低いオバサンは『ウシガエル』。
我ながら悪くないネーミングセンスだと思って、ひとりでウケてにやにやしていたら、ヨネコさんが何を勘違いしたのかわたしに話を振ってきた。
「モモちゃんも楽しんでもらえてるみたいでよかったわ。ああ、この際だから、あのこともモモちゃんに聞いてもらおうかな」
「あのこと? 何ですか?」
いままで笑っていたカエルとウシガエルの表情が変わる。みんなが少し視線を落として、空気が少し重くなったように感じられた。メガネが口を開く。
「そうね、可憐ちゃんが一番気にしていたもんね……でも、もう忘れたほうがいいんじゃない?」
「うん、どこのサイトでもああいうことってあるみたいだし……」
ゴリラがため息交じりに言う。ヨネコさんはいつものように空気を読まず、勝手にべらべらとしゃべる。
「あのね、モモちゃん。わたしたち、小説投稿して、みんなで楽しく遊んでるんだけど、最近ちょっと嫌がらせに遭っていてね」
「嫌がらせ、ですか」
「そう。投稿した小説のコメントに、すごく嫌なこと書かれたりするの。誰が書いたかわからないんだけど、けっこう最近みんなちょこちょこそういう被害に遭っていて困ってるのよ」
「ふうん……」
ヨネコさんが持参したノートパソコンを開き、実際にそういう類のコメントがついたページをいくつか見せてくれた。それはわかりやすい嫌がらせのコメントで『へたくそ、消えろ』だの『文章が下手すぎて目が腐る』だの、小学生のいじめっ子が書きそうなものだった。実際、ネットの中では小学生だろうが幼稚園児だろうが、パソコンの操作さえできれば自由に書き込める。
「これ、子供の悪戯とかじゃないんですか?」
「でしょ? わたしたちもそう思って無視することにしてるんだけど……」
九官鳥が早口で今までの経緯を説明し始めた。嫌がらせを受けているのは特に決まった人だけではなく、今のところは不特定多数のメンバーが被害に遭っているという。ひとつひとつは他愛もない言葉で、基本的には無視していればそれ以上の害は何もない。ただ、こういったサイトに投稿している人たちにとっては、そういった嫌がらせのコメントが続くと地味に神経に障るもので、いまサイト運営者に何とか対策を取ってもらえないか相談しているところらしい。
「放っておけばいいのはわかってるんだけどね。投稿するたびにこういうのが続くとストレスになるし、もうあんまり投稿したくなくなるっていうか……」
カエルも体を丸めてため息をついた。ウシガエルも後に続いてぼそぼそと呟く。
「もともとリアルの生活で溜まったストレスを発散したくて、こういう投稿を始めたようなものだったのに……逆にストレス溜まったんじゃ、困っちゃうよね」
「そうそう、楽しくなくなっちゃったらやってる意味ないもんね」
そこからヨネコさんを合わせた6人は、いかに現実生活が大変かという不幸自慢のような会話を延々と続けた。いわく、旦那の母親の介護がどうとか、子供の教育がどうとかいう内容から、ご近所問題、嫁姑問題、旦那実家や親族との付き合い方にまで話が及んだとき、わたしも思わず「わかります、大変ですよね」と言いそうになった。
彼女たちの話を聞いていると、意外にオバサンたちも繊細な心を持っているんだなということがわかった。ネット世界でもリアルの世界でも、誰かに何か言われたことをものすごく気にしたり、ちょっとしたことで傷ついたりするようだった。ヨネコさんも例外では無く、意外な一面を見れたという意味では貴重な時間だったと思う。
夕方の4時を過ぎた頃、メガネが慌てた様子で立ち上がり「そろそろ買い物して夕飯の支度しなきゃいけないから」と帰り支度を始めた。それをきっかけに「じゃあわたしも」「わたしも」と挨拶もそこそこにバタバタと6人は部屋を出て行った。
人数分の紙コップや、食べかけのケーキがのった皿はテーブルのうえにそのまま放置されている。予想していたことなので別に驚かないが、仲間うちでもうちょっと気を遣える人がひとりくらいいてもいいのにな、と思いながら、やっぱり類は友を呼ぶってほんとだな、としみじみ感じた。
【ヨネコさん 嫌がらせをうける】
オフ会から3日ほど過ぎた日の午前中、ヨネコさんがまたいつものようにやってきた。勝手に上がりこんでくるところまではいつも通りだったけど、テーブルの上でパソコンを開いたままため息ばかりついている。なんだかちょっと元気がないように見えた。
「どうしたんですか? ため息ばっかりついて」
「うん……これ、見てくれる? なんだか前よりもひどいのよ……」
表示された画面は新たにヨネコさんが投稿したらしい作品のトップページで、50件以上のコメントがついていた。内容は、『消えろ、死ね』『へたくそ、書くな』『いいかげんにしろ、おまえみたいなのが投稿していたらサイトの価値が下がる』などなど。オフ会の直後に投稿した後、急激に嫌がらせがひどくなったらしい。
「それもね、他の人のところにはここまでひどい数のコメントは入らなくて、今回はワタシのところだけ集中的に入ってるみたいなのよ。気持ち悪くて……」
「そうですか。じゃあ、しばらく投稿せずに画面見なきゃいいんじゃないですか?」
「いやよ! せっかく見つけた趣味なのに。それにね、2、3日でもログインしなかったらみんなの話題についていけなくなっちゃうし。あー、もう、気分悪いなあ!」
げんこつでゴンゴン床を殴るヨネコさんの顔は真っ赤で、どこかの地方に伝わる『なまはげ』のお面にそっくりだった。いつまでもぶつぶつとうるさいので、京都の親戚が送ってきてくれた生八つ橋を開封して勧めてみた。ヨネコさんはパッと表情を輝かせて、2つか3ついっぺんに頬張って幸せそうに口を動かした。
「あまーい、美味しーい。モモちゃんちのお菓子はいつも美味しいから大好き。お茶も飲みたいなー」
「あ、はいはい」
もう嫌がらせのことなど頭に無くなったように、お菓子はやっぱり和菓子がいいよね、と食べ物の話に夢中になっている。うらやましいほど単純な脳みそだなあ、と思いながら、ヨネコさんの歯並びの悪すぎる口元を眺めた。
その日を境に、ヨネコさんは毎朝我が家に訪ねて来るようになった。お菓子をたかりにではなく、日々ひどくなる嫌がらせの愚痴を言いに。
「これ、ちょっとひどくない? コメントだけじゃなくて、メッセージも掲示板も、このサイトのいろんなところにワタシの悪口がいっぱい……」
ほらほら、と画面を立ち上げてはわたしに見せてくる。表示されたページには『綾小路可憐はブスで根性悪のババア』『綾小路可憐は陰で友達の悪口を言いまくっている』『こんなやつの小説は読む気がしない』と、誹謗中傷というか、レベルの低い悪口が書き散らされていた。さすがに新たな作品を投稿する気にはなれないらしいが、過去に投稿した作品まで散々こきおろすようなコメントが山のようについているという。
「えー、でも画面の中のことなんだし、前も言いましたけどしばらくログインしなきゃいいじゃないですか」
「そりゃそうだけど、こういうのって気分悪いじゃない。だいたい何でワタシばっかり? いままでは他の子たちもだいたい同じような感じでこういうの入ってたのに、急にワタシだけひどくなるなんておかしくない?」
「はあ」
「もう、ちゃんと話聞いてる!? ねえ、モモちゃん、このままじゃ悔しいじゃない。犯人を見つけたいって思うでしょ!?」
「はあ」
「でもね、非会員のコメントだから誰が書いたんだかわからないしなあ……」
「ちょっと待ってください」
画面をスクロールさせていくヨネコさんの手を止め、少し画面を戻してひとつのコメントを指さしてみる。
「このコメントって、書けるひと限られませんか?『綾小路可憐はゾウリムシ柄の趣味の悪いブラウスが好き』って」
「ゾウリムシ柄……あ、あのペイズリー柄のこと!?」
ヨネコさんはオフ会の日、赤を基調にした今どき何処に行けば買えるのかわからないようなペイズリー柄のブラウスを着ていた。
「え、ええっ、じゃあ、まさかあの子たちのなかに犯人が?」
「いや、わかりませんよ。洋服の話なんて、ほら、オフ会に来てないひとにも誰かが世間話っぽく聞かせたかもしれないし」
「そうかあ……そうねえ……」
でもどうしてワタシだけワタシだけ、とヨネコさんは何度も繰り返した。ようするに嫌がらせを受けること自体よりも、自分だけ嫌がらせを受けているのが気に入らないらしい。
「だいたいね、ここだけの話だけどワタシの小説があのサイトの中では一番上手だと思うのよ。だから、ワタシのことを嫉妬した誰かがひどい嫌がらせをしてるのかも」
「し、嫉妬?」
ヨネコさんの『作品』を全部読んだわけではないが、読め読めとうるさいので何作かはざっと目を通した。でも嫉妬されるほど上手かといわれると、ちょっと首をひねってしまう。読みにくく、内容がわかり辛い。単にわたしの読解力が無いだけかもしれないが。
絶対犯人を見つけ出してやる、とパソコンをカチャカチャやりながら息巻くヨネコさん。勝手にすればいいけど、できたら自宅でやっていただきたい。その気持ちをぐっと飲みこんで、愛媛の叔母さんから届いたみかんジュースをコップに注いだ。ヨネコさんはそれを3杯もおかわりして、
「あー、やっぱり果汁100%のジュースって美味しいわよね、スーパーで売っているのとは違うわあ」
と、ガハガハ笑った。前歯に挟まったオレンジ色のカスが、ヨネコさんの下品さにさらに拍車をかけていた。
翌日も、その翌日も、ヨネコさんはパソコンを抱えてやってきた。嫌がらせはどんどんエスカレートし、コメント数の上限いっぱいまで全ての作品に悪口雑言が書きこまれたらしい。オフ会の日から2週間が過ぎる頃には、見た目にもわかるほどげっそりとやつれてきていた。
「ヨネコさん、大丈夫ですか? ちゃんとご飯食べてます?」
「うん……あんまり食欲ないんだよねえ。夜もね、寝ようと思うんだけど、変なコメントがまたついてるんじゃないかなって思うと気になって、パソコン開いて……その繰り返しよ」
食欲がない割には、我が家に来たときのお菓子や昼食はいつも通り食べている。今日も実家から届いた桃を2つぺろりと食べてしまったくせに。でも表情に余裕が無く、目の下にはどす黒いクマができている。落ち込んでいるのは本当らしい。
「小説のお仲間さんに相談してみたらどうですか? 何かわかるかもしれないし。わたしじゃ、なにも力になれないし」
「あの子たちにも相談はしているわよ。でもね、みんな関わりたくないみたいで『放っておけばいい』しか言わないの」
「ふうん……ちょっと冷たいですね」
「でしょ!? モモちゃんもそう思うわよね!? ほんとに友達がいが無いったら……」
またパソコンを開いて、嫌がらせにため息をつく。それでもパソコンから離れるとか、そのサイトを辞めるとかいう選択肢はヨネコさんには無いらしい。最初は小説を投稿して感想をもらえることが素直に嬉しいだけだったけど、最近ではそこで知り合った仲間とのやりとりが何よりも楽しかった、とヨネコさんがつぶやいた。
「だって、結婚してお金もないし、子育てで時間の自由もきかないし、ワタシこんな年だからママ友たちとも話が合わないし、旦那も仕事ばっかりでワタシのことなんか興味ないみたいだし……寂しかったんだぁ。でもこのサイト見つけてからは、みんなが相手してくれて、お話を投稿したら誉めてもらえて……だから、この場所をなくしたくないんだよぉ。モモちゃんならわかってくれるよね?」
「はあ……」
ヨネコさんはたしか実家が遠方で、40過ぎてから最初の子を出産している。まわりの若いお母さんに気後れするのはわからなくもないが、話が合わない云々はヨネコさんの性格によるものではないのか、と思う。寂しいならパートにでも出ればいいものを『専業主婦』の肩書きにこだわって働こうとしない。たまたま近所に越してきた我が家に入り浸り、手前勝手な行動で迷惑をかけていることにも気付かない。
たぶん、現実の生活もネットの世界も似たようなものだから、ヨネコさんはどこにいっても誰ともうまくやっていけないんじゃないだろうか。そう考えるとちょっと可哀そうな気がしなくもない。
それからまた毎日のようにヨネコさんは我が家にパソコンを持参してきては、嫌がらせがー、犯人がー、と同じ愚痴を言い続けた。わたしはそれに対して「はあ」「そうですかー」と適当な返事をし続けた。
【エスカレートする嫌がらせ】
それからまたさらに2週間ほど過ぎた日の夕方、珍しく我が家にヨネコさん以外の来客があった。あのオフ会の日に来ていた、九官鳥とウシガエルだった。
「あの……可憐さんの妹さん、ですよね? ちょっといいですか?」
「はあ」
九官鳥とウシガエルはサイトの中だけではなく、実生活でも近所に暮らしていてそれなりに仲が良いらしい。ちょうどヨネコさんが帰ったのと入れ違いくらいのタイミングだった。
ふたりの話を聞くと、このところ例の小説サイト内でヨネコさんのおかしな言動が目立っていると言う。他人が書いた作品に喧嘩をふっかけるようなコメントを頻繁に書き込んだり、やたらと不快になるようなメッセージを送りつけてきたりするらしい。
「可憐さん、嫌がらせで参ってるのはわかるんだけど、なんだかちょっと心配になってきて……このままだと可憐さんが仲間外れにされたり、サイトから追い出されたりするんじゃないかなって」
「はあ」
イライラし始めると、無意味に攻撃的になる。いつものヨネコさんらしい。別に心配ないし、放っておけばそのうち収まりますよ、と言うと、それじゃ困る、と九官鳥が喚いた。
「わたしたち、楽しく遊びたくてやってるのに、あんな嫌な言葉を浴びせられるのはまっぴらなのよ! あなた妹なんだからちゃんとお姉さんに言って聞かせなさいよ!」
「えぇ……ヨネコさん、じゃないや、可憐さんはわたしの言うことなんか聞きませんけど……」
「そこをちゃんと聞かせてもらわなきゃこまる! 今日だってわざわざ訪ねてきてあげたのに! そんなだったらもう可憐さんとお友達ではいられませんから!」
「はあ」
九官鳥は自分で自分の言葉に興奮するタイプだったらしく、この際とばかりにヨネコさんの悪口をぎゃあぎゃあと吐き散らした。自分では上手だと思ってるかもしれないけど、みんな本当は仲間の中でも一番へたくそだと思ってる、とか、思いやりがない、とか、自分勝手だ、とかなんとか。文章については良く分からないが、思いやりがなくて自分勝手だという意見については大いに賛同したい。
「あのー、わたしにそれを言われてもですね……とりあえず本人に直接言ってもらえませんかねえ……」
「もういい! とにかく言うだけのことは言ったから、あとはそっちで勝手にして! さあ、マリアちゃん、帰りましょう」
ウシガエルは大きな体を縮めて、わたしに申し訳なさそうにペコペコと頭を下げた。ボロアパートの廊下が抜けてしまうのではないかと思うほどの足音をたてながら、九官鳥はドスドスと帰って行った。ヨネコさんもたいがいおかしいが、やっぱりそのまわりにいる彼女たちもかなりおかしいな、と改めて実感した。
寝る前に、そういえばウシガエルがマリアちゃんて呼ばれてたな、と、くだらないことがツボにハマってゲラゲラとひとりで笑った。
その翌週あたりから、ヨネコさんの憔悴具合はすさまじかった。ほとんど食事も食べられなくなったようで、さらに頬がこけ、顔色も悪く、まるで重病人のように見えた。我が家で出すお菓子にも食事にも、とうとう手をつけなくなった。むしろそれでも我が家に来ることだけは止めないのが不思議だった。
「ヨネコさん、大丈夫ですか? ちょっとヤバくないですか?」
「だって……みんなひどいんだもん……」
ヨネコさんはささくれ立った畳の上に突っ伏してわあわあと泣いた。九官鳥とウシガエルが我が家に来た日、それをヨネコさんに伝えた。九官鳥が延々と垂れ流した悪口もすべて伝えた。するとヨネコさんは、その日のうちに九官鳥とウシガエルに怒りのメッセージを送りつけたらしい。で、それが仲間内に広まって、気がついたらヨネコさんとサイト内でフレンドだった人たち全員からフレンドを解除され、ひとりぼっちになってしまったという。
「ひどいよ、みんなマリアちゃんとシオンちゃんの話しか聞かないで……ワタシだけ悪者にして……もとはといえば、ワタシが一番の被害者なのに!」
「はあ」
「それに、これ見てよ……」
それは白いコピー用紙に新聞の切り抜きを貼り付けて作られた文章で、今朝、ヨネコさん宅の玄関ポストに入っていたという。文面は『綾小路可憐はひとでなし』『ブサイクババア死ね』『生まれてきたことを詫びろ』というようなもので、全部で10枚ほどが乱雑に突っ込まれていたらしい。
「誰かがワタシの家まで来たのよ! なんで!? どうしてこんな目に遭わなきゃいけないの!?」
「まあ、悪戯ですし、気にしない方が……っていうか、住所って小説サイトのひとたちに教えたんですか?」
「教えたよ、だってオフ会の写真送ってくれるっていうんだもん」
「ああ……でもちょっと不用心すぎませんか? ほとんど見ず知らずのひとに住所とか教えちゃうっていうのは……」
「なんでワタシばっかり責められるの、うわああああん」
「あー、だから、もう前から言ってるみたいにやめちゃえばいいじゃないですか、そのサイト。時間が余ってしょうがないんならバイトでもなんでもすればいいし」
ヨネコさんはキッと顔をあげてわたしを睨んだ。
「嫌よ! いま辞めちゃったら、なんだかワタシが逃げたみたいになっちゃうじゃない。悪いことしてないもん。意地でも辞めないもん。それに時間が余ってしょうがないって、何よ。モモちゃんはアレでしょ? ワタシが働きに出れば、もうここに来る時間もなくなってスッキリすると思ってるんでしょ? そうはいかないわよ、子供もいないくせに、アンタだけのんびり暮らすなんて許せない! ずるい!」
このひとは自分で何を口走っているのかわかっているのだろうか。もともと根性のねじ曲がったひとだとは思っていたけど、本人の口から聞かされるとまた別の感慨が湧く。
結婚式の時も「ワタシたちは結婚式やっていないのにずるい!」とか言ってわたしのウエディングドレスにワインをぶっかけに来たし(そばにいたウエイターの子が助けてくれて未遂に終わったけど)、自分の旦那の収入と、うちの旦那の収入を比べて明らかにこっちのほうが多いのが気に入らないらしく「ふたりの生活でそんなにお給料いらないはず! こっちに仕送りしろ!」と騒ぎ立てたり(このときは義母が間に入っていさめてくれた)、結婚当初から散々なことをされてきている。
それでもわたしたちが暮らすのがこのボロアパートだと知ってからは、自分たちのほうがまだマシな場所に住んでいると言って嬉しそうだった。わたしたち夫婦は数年ここで我慢して節約生活を送った後に、お金をためて戸建て住宅を買う予定を立てている。でも、もちろんそんなことを言ったら何をされるかわからないので、ヨネコさんには何も話していないが。
「ヨネコさん、落ち着いて……あ、そうだ、とらやの羊羹があったと思うんですけど」
「いらない! うわああああん」
結局夕方まで好き勝手なことを叫びながら、ヨネコさんは泣き続けた。
その翌朝9時過ぎ、ヨネコさんは震えながら我が家の玄関で立ち尽くしていた。いつものようにずかずか上がり込んでも来ない。
「どうしたんですか? いつもより時間早いし……」
「こんな……こんなものが……」
ヨネコさんの手からバラバラと写真のようなものが何十枚もこぼれ落ちた。それはちょっと大変な場面を撮った写真で、よくわたしに見せる気になったなあと思うようなシロモノだった。
ヨネコさんが男性のペニスを咥えて笑っている写真。オールヌードで股を広げている写真。裸の男性の上に乗っかって腰を振っている写真。後ろからペニスを突っ込まれて泣き顔になっている写真。そのすべてに『綾小路可憐・村山米子は淫乱ババア』と印刷されている。村山米子はヨネコさんの本名で、写真の顔はたしかに全部ヨネコさんだが、良く見れば体は別人で意図的にコラージュして作られた写真であることがすぐわかる。
「だ、誰なの、ほんとに誰なの……こんなの、もし旦那に誤解されたらシャレにならないじゃない……」
「ヨネコさん、落ち着いて。警察行きましょう、警察。ね?」
玄関で泣き崩れるヨネコさんの手を引っ張ると、ヨネコさんは子供のようにイヤイヤと首を横に振った。
「だめよ、警察なんか行けない……モモちゃん、知ってるくせに」
「ああ、でも」
「もうどうしたらいいの……こんなのバラまかれたら近所も歩けなくなるわ……」
警察に行けない、というのは確かに理由がある。ヨネコさんは結婚当初からのストレスか何かで、あちこちのスーパーで万引きのようなことを重ねていた。『バレなければ何をやってもいい』というのが信条らしく、わたしにもその盗んできたお菓子や洗剤を自慢げに見せてきたことが何度かあった。一度、とうとう警備員に万引きが見つかって、何故かわたしがヨネコさんを引き取りに行くはめになり、一緒に平謝りに謝った。
そのときは店長の配慮でお金を払うことで警察沙汰は免れている。ただその後も病気のようなもので、ヨネコさんはちょこちょこそういうことを繰り返しているらしい。警察であれこれ聞かれるうちに、万が一そのことが発覚したら嫌だという心理はよくわかる。
「ヨネコさん、ここまでされる心当たりはないんですか? よく思い出してください」
「えぇ……? 無いわよ、わたし何にも悪いことしてないもん! もう、オフ会なんてやるんじゃなかった。絶対、絶対あのときの子たちの誰かがやってるに決まってる! ひどい、許さない!」
ただでさえ汚い顔が、涙で化粧が崩れまくって大変なことになっている。その顔を腕でぬぐって勢いよく立ち上がり、猛然と自分のノートパソコンに向かって何かを打ち込み始めた。後ろから画面を覗き込むと、どうやら例の小説サイトのメッセージ送信画面らしい。
『せっかく仲良くしてやったのに、恩をあだで返すなんてひどすぎる! やっていいことと悪いことの区別もつかないのか、この野蛮人!』
と打ち込んで、タッチパネルが壊れそうな勢いで送信ボタンをクリックした。
「ちょ、ちょっとヨネコさん、こんなのいきなり送っちゃダメですよ。っていうか、誰に送信したんですか?」
「ふん、サイトの中の知り合い全員よ。ざっと30人はいるかな。どうせもう続けていけないんだから、徹底的にやってやるわ。あいつらだけ楽しもうったってそうはさせないんだから」
他人を陥れようとしたり、何か悪だくみをしているときのヨネコさんはびっくりするくらいどす黒いエネルギーに満ちている。義父母もわたしの旦那も極めて普通のひとなのに、ヨネコさんはいったい誰の血をひいてこうなったのかと不思議に思うことがある。
ピコン、と音がして画面が光った。メッセージの返信が届いたらしい。案の定『わけのわからないことを言うな』『何かの間違いです』『失礼すぎる』という内容がほとんどだった。よせばいいのに、せっかく返信をくれたひとにもヨネコさんは汚い言葉を投げつけた。
『うそつき。キチガイ。おまえらの思い通りになんかさせないからな。覚悟しろ』
またそれを送信する。こうなってくるともうヨネコさん自身が嫌がらせ犯と同レベルかそれ以下になっていると思うのだけど、当然本人はそんなことに気がつくはずもない。
夕方まで飲まず食わずでそんなことを続け、ヨネコさんは「ケケケ」と奇妙な笑いを漏らしながら帰って行った。ちょっとおかしくなっている気配はあった。
ヨネコさんのとんでもない写真は、ヨネコさんの旦那、義兄の職場にも届けられていた。義兄はまったく小説サイトの件を知らなかったようで、ヨネコさんにまさかの浮気疑惑がかかって大変なことになったらしい。それは旦那が義兄に相談されて聞いてきた話で、ヨネコさんからは直接聞いていない。ヨネコさんは『モモちゃんなら、これが偽物だってちゃんと話してくれる』と言っていたらしいが、わたしに説明する義務はないので義兄には旦那から『知らないです』とだけ伝えてもらった。
あれ以来、もうヨネコさんは我が家に来なくなった。
小説サイトではもはや誰からも相手にされなくなり、しばらくするとあの写真がヨネコさんたちのアパートの廊下、階段、近所のスーパー、子供の幼稚園にまでばらまかれ、ヨネコさんの携帯電話に非通知の電話が何十件もかかり、実家にまで新聞の切り抜きで作られた文書と共に写真が届けられるにいたって、プライドだけは高いヨネコさんはとうとう壊れてしまった。いまはちょっと特殊な病院で経過をみるために療養しているらしい。
【ああ、疲れた】
ああ、疲れた。
わたしは自分の古くて動作のもっさりしたパソコンの画面を眺めた。そこには旦那の秘蔵エロファイルから抜き出した画像と、結婚式のときに撮っていた写真の中からヨネコさんの顔部分だけを切り取った画像がある。
最初は嫌がらせ犯に便乗して数十件のくだらない中傷コメントを入れた。それが思いのほか効果があったので、書き込みをどんどん増やした。オフ会を我が家でやるのを承諾したのも、何かヨネコさんにダメージを与える方法のヒントがないかを探るためだった。
嫌がらせ文書も、写真も、全部わたしひとりでやった。途中で少しでも自分の悪いところに気がついたなら、その時点でやめるつもりだった。でも違った。ヨネコさんは何も変わっていなかった。ちゃんと「心当たりはないんですか」って親切に聞いてあげたのに。
結婚してすぐ、わたしのお腹に赤ちゃんができた。ヨネコさんのところはふたり子供がいるが、女の子ばかりなので、こっちに先に男の子ができるのが嫌だとグズグズ言ってきた。まだ性別もわからないようなときだった。
「ワタシは何年も子供出来なくて悩んで苦しんだのに、モモちゃんはすぐに赤ちゃんできるなんてずるい!」
そう叫んで、わたしを駅の階段から突き飛ばした。ちょうど混んでいる時間帯で、見ていた人もヨネコさんが突き飛ばしたかどうかまではわからなかったらしい。転げ落ちながら、傍にいたひとたちにガンガンぶつかった。痛いとかいうよりも、恐怖だけが先に立った。
赤ちゃんは助からなかった。
あれ以来、ずっとヨネコさんに仕返しをする機会を狙ってきた。こんな形で叶うとは思わなかったが、これでほんの少しだけ気が晴れた。少なくともこれからしばらくは、ゆっくりとお昼寝ができる。でも、まだ許さない。
来週あたり、ヨネコさんのお見舞いに行こうと思う。ヨネコさんにどんなことをしてあげようか。ああ、楽しみ。
(おわり)
今回はほとんどエロなしミステリー風味なものを投稿してみました。
内容としては、「わたし」の「義姉」が小説投稿サイトで遊び始めるんだけど、
なんだか陰湿な嫌がらせが絶えない。
それはどんどんエスカレートして義姉は不安でおかしくなってしまう。
いったい誰が?なんのために?
そういうお話です。
ご興味持っていただけた方は、↓ 読んでやってくださいませ☆
【ヨネコさんというひと】
「モモちゃーん! おはよう、起きてるー!? モモちゃーん」
ピンポンピンポンと玄関のチャイムがけたたましく鳴らされる。わたしは寝起きのぼさぼさ頭を掻きながら、だるい体をひきずって玄関のドアを開けた。
「……はいぃ」
「おはよう! あら、また寝てたの? もう10時よ、いくら専業主婦ったって、そろそろ起きなきゃご近所さんにも笑われちゃうわよ? ささ、入って、入って」
入って、って、ここはあんたの家じゃないだろう、それに玄関先でカン高い声を張り上げる方がよほど迷惑だ、と反論する間もなく、ヨネコさんはいつものようにずかずかと我が家に上がり込んだ。
彼女はわたしの義姉にあたるひと、つまり旦那のお姉さんである。ヨネコさん一家は同じ町内に住んでいる。わたしたちが1年前に結婚し、この2DKのボロアパートで暮らし始めてからというもの、しょっちゅう我が家にやってくる。どうやら子供を保育園だか幼稚園だかに送り出した後、暇を持て余しているらしい。
こっちは早朝から深夜まで働く旦那のために、朝5時に起きて弁当と朝食の準備をし、近所迷惑にならない程度に家事を済ませ、9時半前後からもう一度寝て昼過ぎにまた起きるのだと何度説明しても聞いてもらえない。
「そんなのおかしいわよ、二度寝なんて体によくないわ。早寝早起き、ね、これが健康の秘訣なんだから」
ヨネコさんは鼻の穴をおっぴろげてフンガーと喚く。わたしだってできることならそうしたい。でも午後からは買い物に行ったり、夕方から短時間パートに出たり(ヨネコさんは勝手にわたしを専業主婦だと思っているが一応働いているのだ)、帰ってきて夕食の準備をして家事をしながら旦那の帰りを待ち、あれやこれやで寝るのは深夜1時か2時になってしまう。せめて午前中のちょっとした時間にでも寝ておかないと体が持たない。
何度話しても納得してもらえず、旦那に相談しても笑っているばかりで当てにならず、かといって一応は嫁の立場なのであまりヨネコさんを邪険に追い返すこともできず。仕方が無いので、半年ほど前からは天災だと思って黙って受け入れることにした。こっちが迷惑そうな顔をしようが、寝起きだろうが、そんなことは気にもならないらしい。特に用事があるというわけではなく、いつも昼過ぎくらいまでダラダラとどうでもいいことをしゃべり散らし、昼食を食べて、お茶を飲んで、お菓子を食べて、気が済んだように帰っていく。
お昼ご飯もお菓子もお茶も、何故か当然のようにわたしが準備して出すことになっている。悪い人では無いのだろうが、根本的にどこか抜けているひとなのだろうとは思う。
【ヨネコさん、小説を書く】
そのヨネコさんが、何やら最近小説を書き始めたらしい。SNS関連のサイトの中には、素人のひとたちが自作の小説を投稿して遊べるようなものがあるらしく、ヨネコさんもそこに投稿して楽しんでいるという。
「ね、ほらほら、これがワタシの書いた作品なの。この横にある数字が昨日読んでくれた人数で、この下のが評価点で、それからこれが作品の感想で……」
唾を飛ばしながら持参したノートパソコンの画面を指さし、ものすごい勢いで説明してくれるが、残念なことにまったく興味が持てない。ずずず、とお茶をすすりながらまだ寝ぼけた頭でぼんやりと画面を眺める。ああ、良い香り。静岡に嫁いだ友人が送ってきてくれたお茶はやっぱり美味しいなあ、とか思いながらヨネコさんの話を聞き流す。
「見て、このコメント。『拝読いたしました。いつもながら可憐さんの作品は素敵ですね』だって! いやぁん、嬉しいっ」
何がそんなに嬉しいのかわからないが、両手を顎の下に添えて体をクネクネさせている。10代の可愛い子がやるならまだしも、40過ぎで明石屋さんまを劣化させたような容貌のヨネコさんがやると殺人的に気持ちが悪い。
「ねえ、ねえ、モモちゃんも読みたいでしょ? 読ませてあげてもいいわよ、ほら」
「いや、あの……っていうか、この可憐さんって……ヨネコさんのことですか?」
「そうよ、実名で投稿する人なんていないわよ。綾小路可憐、この名前をペンネームにしてるの。良い名前でしょお?」
「あ、あやのこうじ……かれん……」
目の前にいるヨネコさんとペンネームの落差に言葉を失っていると、チャカチャカとパソコンを操作して「一番の自信作だから読め」と画面を突きつけてくる。
「これはね、お友達の中でも一番評判が良くて、みんな誉めてくれるの。まだ書き始めて数カ月でこんなに書けるなんてすごいねって。ぐふふ、ほら、読んで、読んで」
「はあ……」
読んで読んでといいながら、ぶんぶん腕を振り回す。ヨネコさんが割ってしまわないように、湯のみをそっとテーブルの奥に置きながら、仕方なくその『作品』を読んだ。
そんなに長文では無かったので、思ったよりも時間をかけずに読み終わった。なんというか、男の人と女の人が仲良くなって結婚するだけの話だった。もともと本といえばオレンジページとかレタスクラブみたいな雑誌しか買わないし、小説なんて高校の教科書以来読んだ記憶が無い。そんなわたしに気のきいた感想が言えるわけもなく、でも黙っているのもアレなので小さい声で、
「面白いですね」
とだけ言ってみた。すると気を良くしたのか、ニタニタ笑いながら今度は「感想を書け」と言い始めた。
「感想ですか……でもわたし、そういうの苦手っていうか……」
「いいのよ、『面白かった』だけでも。とりあえずコメントが入ると評価点に加算されて、翌日のランキングの上位が狙えるの。だから、ね? 書いて」
「はあ……」
そんなに言うなら、とヨネコさんのパソコンからコメントを入れようとすると「ダメダメ!」と叱られた。何なのだ、いったい。
「え、この欄にコメント入力するんじゃないんですか?」
「ワタシのパソコンから書いてどうするのよ。ちゃんとモモちゃんのパソコンから書きなさいよ」
わけがわからないまま我が家の古いパソコンから、その小説サイトを検索して登録させられた。なんでもいいから名前を決めろというので『名無子』と適当にもほどがある名前をつけて、ヨネコさんの作品にコメントを入れた。
新たにコメントのついた作品の画面を、ヨネコさんは満足そうに眺め、またサイトの説明を始めた。
「ここはね、小説を投稿したりコメントしたりするだけじゃなくて、メッセージのやりとりもできるの。あと、みんなの創作について意見交換をするための掲示板みたいなのもあって、小説を通していろんなひとと交流を楽しめたりもするのよ」
「はあ……交流、ですか」
「そうなの。だからこのサイトを通してお友達もいっぱいできたのよ。ほら、この城ケ崎紫音さんも野薔薇千鳥さんも、みんなわたしのお友達」
「へえ……」
綾小路可憐の『フレンド一覧』には読み方に苦しむような難読漢字がずらずらと並んでいた。みんなどうしてこんな複雑な名前を好んでつけたがるのだろう。まあ、本人たちが楽しいのならいいと思うが、画面の向こうにヨネコさんみたいなのが何人もいるのかと想像するとちょっとした吐き気がこみ上げてくる。
「お互いの作品を読みあって、感想を言い合って、それを励みにまた頑張って作品を書いて投稿するの。それにね、届くメッセージの中には『素敵な可憐さんとお会いしてみたい』なんていう男の人からのメッセージもあるのよぉ」
ばんばんとわたしの背中を叩きながら照れまくる姿に殺意が湧く。何がどう素敵なのかわからないが、実物のヨネコさんを目の前にしても相手のひとは同じことを言えるのだろうか。適当に画面をスクロールさせて、並んだ作品群に目を通していると、ヨネコさんが急に正座してまた体をクネクネさせ始めた。
「それでねぇ、今日はモモちゃんにお願いがあるのぉ」
「はい?」
「あのね、今度の月曜日にここでオフ会させてもらえないかなって」
「はあ? オフ会ってなんですか」
「小説仲間みんなでね、一度会ってお茶でも飲もうってことになったのよぉ。でもほら、みんな主婦さんばっかりだし、外でお茶飲んだりするとお金かかるじゃない? だからここでさせてもらえないかなって」
「えぇ……でも、こんなボロアパートに来てもらうなんて……」
築20年、自慢じゃないがボロさと壁の薄さはどこにも負けないと思う。なにしろ隣人の携帯電話のバイブ音が普通に聞こえてくるようなレベルである。壁紙は茶色くなってところどころ剥がれてるし、床は歩くたびにミシミシと不安になるような音がする。
「いいのよう、だってウチでやっちゃうと片付けとか大変だしさあ。子供のものがいっぱいで足の踏み場もないし。モモちゃんの家だったら、そういうの気にしなくてもいいじゃない。ね? お願い」
「えー、でもとりあえず主人に一度聞いてみないと……」
「いいのよ、あの子はどうせ仕事でいないんだからさ。それにもうみんなに言っちゃったもん」
「へ?」
「だって、モモちゃんのことだから絶対OKしてくれると思って。ほら、みんな喜んでる」
ノートパソコンをまたカチャカチャ操作して、今度は仲間内で使っているらしい掲示板を表示させた。たしかに、そこには「月曜日楽しみにしてるね^^」とか「オフ会初めてだから緊張しちゃうっ>< でも頑張って行くよ」とかいう書き込みが並んでいた。
「いや、だから、オフ会は好きなようにやってもらえばいいんですよ。場所だけ変更してもらえれば」
「ええっ、そんなの困る! 今月いろいろ買っちゃって、もうお金ないんだもん。だったらモモちゃん、みんなとお茶してくる分のお金、出してくれる?」
他人のお茶代を出せるような余裕があったら、こんなアパートに住んでない。毎月キツキツの節約生活を送っているのはヨネコさんだって知っているはずなのに、どうしてそんなことが言えるのか。いろいろ言いたいことはあったが、これまでの経験上ヨネコさんを説得することなんてできないのは学習済みだった。
しぶしぶ承諾すると、ヨネコさんは満足そうにうなずいて「それでいいのよ」と言った。
「あー、やっぱりモモちゃんに頼んで良かった。安心したらお腹すいちゃったわぁ。モモちゃん、今日のお昼は何作ってくれるのぉ?」
わたしは深いため息とともに立ち上がり、昨日の残り物のカレーを鍋で温めた。
【ヨネコさん オフ会をやる】
月曜日の午後1時、予定通りヨネコさんが小説仲間5人を連れて我が家にやってきた。みんなだいたい40代から50代前後の普通のオバサンばかりだった。それなりにきちんとした服装で来てくれているのに、会場がこんなボロアパートなのを驚いたのか、ヨネコさん以外はみんな一様に複雑な表情をしていた。
そりゃそうだと思う。でも一応前日のうちに出来る限り掃除はしておいたし、人数分の座布団も用意したのだから今回はこれで勘弁してほしい。紫色のピカピカひかる生地のスーツを着たオバサンが手土産にケーキを持って来てくれたので、切り分けて皿に乗せ、紙コップにいれた紅茶と共にテーブルに並べた。ひとりがケーキをデジカメで撮影し始めると、我も我もとケータイやデジカメを取り出してフラッシュがピカピカ光った。
「うふふ、今日はみんなで会えてよかったわねえ。あ、この子はわたしの義妹でモモちゃんていうの。よろしくね」
他の人がペンネームで呼び合う中で、ひとりだけ本名で紹介されてしまった。とりあえずへらへらと愛想笑いで流しておく。ひととおり自己紹介が終わり、場がなごんでくるとオバサンたちの本気トークが始まった。
内容は小説のことというよりも、誰かの噂話や悪口がメインだった。●●さんたら、掲示板にあんなこと書いてたワヨー、とか、△△さんの書き方はいつも読みにくいし内容も変なものばっかり、だとか。近所の井戸端会議的なものと同じで、オバサンたちはこういう話題で盛り上がることによって生きる活力を得ているんだろうな、と思いながら、わたしはひとりハイペースでむしゃむしゃとケーキを頬張った。
マシンガントークを繰り広げるオバサンたちを見ながら、話の中身がさっぱりわからないので退屈しのぎにひとりひとりにあだ名をつけてみることにした。ヨネコさんと一番仲が良さそうな紫スーツのオバサンは、体格も動作も動物園のゴリラそっくりなので『ゴリラ』と命名する。特徴的なべっ甲縁のメガネをかけた細身のひとは『メガネ』、息継ぎ以外はひたすら喋り続けている小柄なひとは『九官鳥』、緑のワンピースで常にケタケタと笑っているひとは『カエル』、同じくケタケタ笑い続けているちょっと体が大きくて声の低いオバサンは『ウシガエル』。
我ながら悪くないネーミングセンスだと思って、ひとりでウケてにやにやしていたら、ヨネコさんが何を勘違いしたのかわたしに話を振ってきた。
「モモちゃんも楽しんでもらえてるみたいでよかったわ。ああ、この際だから、あのこともモモちゃんに聞いてもらおうかな」
「あのこと? 何ですか?」
いままで笑っていたカエルとウシガエルの表情が変わる。みんなが少し視線を落として、空気が少し重くなったように感じられた。メガネが口を開く。
「そうね、可憐ちゃんが一番気にしていたもんね……でも、もう忘れたほうがいいんじゃない?」
「うん、どこのサイトでもああいうことってあるみたいだし……」
ゴリラがため息交じりに言う。ヨネコさんはいつものように空気を読まず、勝手にべらべらとしゃべる。
「あのね、モモちゃん。わたしたち、小説投稿して、みんなで楽しく遊んでるんだけど、最近ちょっと嫌がらせに遭っていてね」
「嫌がらせ、ですか」
「そう。投稿した小説のコメントに、すごく嫌なこと書かれたりするの。誰が書いたかわからないんだけど、けっこう最近みんなちょこちょこそういう被害に遭っていて困ってるのよ」
「ふうん……」
ヨネコさんが持参したノートパソコンを開き、実際にそういう類のコメントがついたページをいくつか見せてくれた。それはわかりやすい嫌がらせのコメントで『へたくそ、消えろ』だの『文章が下手すぎて目が腐る』だの、小学生のいじめっ子が書きそうなものだった。実際、ネットの中では小学生だろうが幼稚園児だろうが、パソコンの操作さえできれば自由に書き込める。
「これ、子供の悪戯とかじゃないんですか?」
「でしょ? わたしたちもそう思って無視することにしてるんだけど……」
九官鳥が早口で今までの経緯を説明し始めた。嫌がらせを受けているのは特に決まった人だけではなく、今のところは不特定多数のメンバーが被害に遭っているという。ひとつひとつは他愛もない言葉で、基本的には無視していればそれ以上の害は何もない。ただ、こういったサイトに投稿している人たちにとっては、そういった嫌がらせのコメントが続くと地味に神経に障るもので、いまサイト運営者に何とか対策を取ってもらえないか相談しているところらしい。
「放っておけばいいのはわかってるんだけどね。投稿するたびにこういうのが続くとストレスになるし、もうあんまり投稿したくなくなるっていうか……」
カエルも体を丸めてため息をついた。ウシガエルも後に続いてぼそぼそと呟く。
「もともとリアルの生活で溜まったストレスを発散したくて、こういう投稿を始めたようなものだったのに……逆にストレス溜まったんじゃ、困っちゃうよね」
「そうそう、楽しくなくなっちゃったらやってる意味ないもんね」
そこからヨネコさんを合わせた6人は、いかに現実生活が大変かという不幸自慢のような会話を延々と続けた。いわく、旦那の母親の介護がどうとか、子供の教育がどうとかいう内容から、ご近所問題、嫁姑問題、旦那実家や親族との付き合い方にまで話が及んだとき、わたしも思わず「わかります、大変ですよね」と言いそうになった。
彼女たちの話を聞いていると、意外にオバサンたちも繊細な心を持っているんだなということがわかった。ネット世界でもリアルの世界でも、誰かに何か言われたことをものすごく気にしたり、ちょっとしたことで傷ついたりするようだった。ヨネコさんも例外では無く、意外な一面を見れたという意味では貴重な時間だったと思う。
夕方の4時を過ぎた頃、メガネが慌てた様子で立ち上がり「そろそろ買い物して夕飯の支度しなきゃいけないから」と帰り支度を始めた。それをきっかけに「じゃあわたしも」「わたしも」と挨拶もそこそこにバタバタと6人は部屋を出て行った。
人数分の紙コップや、食べかけのケーキがのった皿はテーブルのうえにそのまま放置されている。予想していたことなので別に驚かないが、仲間うちでもうちょっと気を遣える人がひとりくらいいてもいいのにな、と思いながら、やっぱり類は友を呼ぶってほんとだな、としみじみ感じた。
【ヨネコさん 嫌がらせをうける】
オフ会から3日ほど過ぎた日の午前中、ヨネコさんがまたいつものようにやってきた。勝手に上がりこんでくるところまではいつも通りだったけど、テーブルの上でパソコンを開いたままため息ばかりついている。なんだかちょっと元気がないように見えた。
「どうしたんですか? ため息ばっかりついて」
「うん……これ、見てくれる? なんだか前よりもひどいのよ……」
表示された画面は新たにヨネコさんが投稿したらしい作品のトップページで、50件以上のコメントがついていた。内容は、『消えろ、死ね』『へたくそ、書くな』『いいかげんにしろ、おまえみたいなのが投稿していたらサイトの価値が下がる』などなど。オフ会の直後に投稿した後、急激に嫌がらせがひどくなったらしい。
「それもね、他の人のところにはここまでひどい数のコメントは入らなくて、今回はワタシのところだけ集中的に入ってるみたいなのよ。気持ち悪くて……」
「そうですか。じゃあ、しばらく投稿せずに画面見なきゃいいんじゃないですか?」
「いやよ! せっかく見つけた趣味なのに。それにね、2、3日でもログインしなかったらみんなの話題についていけなくなっちゃうし。あー、もう、気分悪いなあ!」
げんこつでゴンゴン床を殴るヨネコさんの顔は真っ赤で、どこかの地方に伝わる『なまはげ』のお面にそっくりだった。いつまでもぶつぶつとうるさいので、京都の親戚が送ってきてくれた生八つ橋を開封して勧めてみた。ヨネコさんはパッと表情を輝かせて、2つか3ついっぺんに頬張って幸せそうに口を動かした。
「あまーい、美味しーい。モモちゃんちのお菓子はいつも美味しいから大好き。お茶も飲みたいなー」
「あ、はいはい」
もう嫌がらせのことなど頭に無くなったように、お菓子はやっぱり和菓子がいいよね、と食べ物の話に夢中になっている。うらやましいほど単純な脳みそだなあ、と思いながら、ヨネコさんの歯並びの悪すぎる口元を眺めた。
その日を境に、ヨネコさんは毎朝我が家に訪ねて来るようになった。お菓子をたかりにではなく、日々ひどくなる嫌がらせの愚痴を言いに。
「これ、ちょっとひどくない? コメントだけじゃなくて、メッセージも掲示板も、このサイトのいろんなところにワタシの悪口がいっぱい……」
ほらほら、と画面を立ち上げてはわたしに見せてくる。表示されたページには『綾小路可憐はブスで根性悪のババア』『綾小路可憐は陰で友達の悪口を言いまくっている』『こんなやつの小説は読む気がしない』と、誹謗中傷というか、レベルの低い悪口が書き散らされていた。さすがに新たな作品を投稿する気にはなれないらしいが、過去に投稿した作品まで散々こきおろすようなコメントが山のようについているという。
「えー、でも画面の中のことなんだし、前も言いましたけどしばらくログインしなきゃいいじゃないですか」
「そりゃそうだけど、こういうのって気分悪いじゃない。だいたい何でワタシばっかり? いままでは他の子たちもだいたい同じような感じでこういうの入ってたのに、急にワタシだけひどくなるなんておかしくない?」
「はあ」
「もう、ちゃんと話聞いてる!? ねえ、モモちゃん、このままじゃ悔しいじゃない。犯人を見つけたいって思うでしょ!?」
「はあ」
「でもね、非会員のコメントだから誰が書いたんだかわからないしなあ……」
「ちょっと待ってください」
画面をスクロールさせていくヨネコさんの手を止め、少し画面を戻してひとつのコメントを指さしてみる。
「このコメントって、書けるひと限られませんか?『綾小路可憐はゾウリムシ柄の趣味の悪いブラウスが好き』って」
「ゾウリムシ柄……あ、あのペイズリー柄のこと!?」
ヨネコさんはオフ会の日、赤を基調にした今どき何処に行けば買えるのかわからないようなペイズリー柄のブラウスを着ていた。
「え、ええっ、じゃあ、まさかあの子たちのなかに犯人が?」
「いや、わかりませんよ。洋服の話なんて、ほら、オフ会に来てないひとにも誰かが世間話っぽく聞かせたかもしれないし」
「そうかあ……そうねえ……」
でもどうしてワタシだけワタシだけ、とヨネコさんは何度も繰り返した。ようするに嫌がらせを受けること自体よりも、自分だけ嫌がらせを受けているのが気に入らないらしい。
「だいたいね、ここだけの話だけどワタシの小説があのサイトの中では一番上手だと思うのよ。だから、ワタシのことを嫉妬した誰かがひどい嫌がらせをしてるのかも」
「し、嫉妬?」
ヨネコさんの『作品』を全部読んだわけではないが、読め読めとうるさいので何作かはざっと目を通した。でも嫉妬されるほど上手かといわれると、ちょっと首をひねってしまう。読みにくく、内容がわかり辛い。単にわたしの読解力が無いだけかもしれないが。
絶対犯人を見つけ出してやる、とパソコンをカチャカチャやりながら息巻くヨネコさん。勝手にすればいいけど、できたら自宅でやっていただきたい。その気持ちをぐっと飲みこんで、愛媛の叔母さんから届いたみかんジュースをコップに注いだ。ヨネコさんはそれを3杯もおかわりして、
「あー、やっぱり果汁100%のジュースって美味しいわよね、スーパーで売っているのとは違うわあ」
と、ガハガハ笑った。前歯に挟まったオレンジ色のカスが、ヨネコさんの下品さにさらに拍車をかけていた。
翌日も、その翌日も、ヨネコさんはパソコンを抱えてやってきた。嫌がらせはどんどんエスカレートし、コメント数の上限いっぱいまで全ての作品に悪口雑言が書きこまれたらしい。オフ会の日から2週間が過ぎる頃には、見た目にもわかるほどげっそりとやつれてきていた。
「ヨネコさん、大丈夫ですか? ちゃんとご飯食べてます?」
「うん……あんまり食欲ないんだよねえ。夜もね、寝ようと思うんだけど、変なコメントがまたついてるんじゃないかなって思うと気になって、パソコン開いて……その繰り返しよ」
食欲がない割には、我が家に来たときのお菓子や昼食はいつも通り食べている。今日も実家から届いた桃を2つぺろりと食べてしまったくせに。でも表情に余裕が無く、目の下にはどす黒いクマができている。落ち込んでいるのは本当らしい。
「小説のお仲間さんに相談してみたらどうですか? 何かわかるかもしれないし。わたしじゃ、なにも力になれないし」
「あの子たちにも相談はしているわよ。でもね、みんな関わりたくないみたいで『放っておけばいい』しか言わないの」
「ふうん……ちょっと冷たいですね」
「でしょ!? モモちゃんもそう思うわよね!? ほんとに友達がいが無いったら……」
またパソコンを開いて、嫌がらせにため息をつく。それでもパソコンから離れるとか、そのサイトを辞めるとかいう選択肢はヨネコさんには無いらしい。最初は小説を投稿して感想をもらえることが素直に嬉しいだけだったけど、最近ではそこで知り合った仲間とのやりとりが何よりも楽しかった、とヨネコさんがつぶやいた。
「だって、結婚してお金もないし、子育てで時間の自由もきかないし、ワタシこんな年だからママ友たちとも話が合わないし、旦那も仕事ばっかりでワタシのことなんか興味ないみたいだし……寂しかったんだぁ。でもこのサイト見つけてからは、みんなが相手してくれて、お話を投稿したら誉めてもらえて……だから、この場所をなくしたくないんだよぉ。モモちゃんならわかってくれるよね?」
「はあ……」
ヨネコさんはたしか実家が遠方で、40過ぎてから最初の子を出産している。まわりの若いお母さんに気後れするのはわからなくもないが、話が合わない云々はヨネコさんの性格によるものではないのか、と思う。寂しいならパートにでも出ればいいものを『専業主婦』の肩書きにこだわって働こうとしない。たまたま近所に越してきた我が家に入り浸り、手前勝手な行動で迷惑をかけていることにも気付かない。
たぶん、現実の生活もネットの世界も似たようなものだから、ヨネコさんはどこにいっても誰ともうまくやっていけないんじゃないだろうか。そう考えるとちょっと可哀そうな気がしなくもない。
それからまた毎日のようにヨネコさんは我が家にパソコンを持参してきては、嫌がらせがー、犯人がー、と同じ愚痴を言い続けた。わたしはそれに対して「はあ」「そうですかー」と適当な返事をし続けた。
【エスカレートする嫌がらせ】
それからまたさらに2週間ほど過ぎた日の夕方、珍しく我が家にヨネコさん以外の来客があった。あのオフ会の日に来ていた、九官鳥とウシガエルだった。
「あの……可憐さんの妹さん、ですよね? ちょっといいですか?」
「はあ」
九官鳥とウシガエルはサイトの中だけではなく、実生活でも近所に暮らしていてそれなりに仲が良いらしい。ちょうどヨネコさんが帰ったのと入れ違いくらいのタイミングだった。
ふたりの話を聞くと、このところ例の小説サイト内でヨネコさんのおかしな言動が目立っていると言う。他人が書いた作品に喧嘩をふっかけるようなコメントを頻繁に書き込んだり、やたらと不快になるようなメッセージを送りつけてきたりするらしい。
「可憐さん、嫌がらせで参ってるのはわかるんだけど、なんだかちょっと心配になってきて……このままだと可憐さんが仲間外れにされたり、サイトから追い出されたりするんじゃないかなって」
「はあ」
イライラし始めると、無意味に攻撃的になる。いつものヨネコさんらしい。別に心配ないし、放っておけばそのうち収まりますよ、と言うと、それじゃ困る、と九官鳥が喚いた。
「わたしたち、楽しく遊びたくてやってるのに、あんな嫌な言葉を浴びせられるのはまっぴらなのよ! あなた妹なんだからちゃんとお姉さんに言って聞かせなさいよ!」
「えぇ……ヨネコさん、じゃないや、可憐さんはわたしの言うことなんか聞きませんけど……」
「そこをちゃんと聞かせてもらわなきゃこまる! 今日だってわざわざ訪ねてきてあげたのに! そんなだったらもう可憐さんとお友達ではいられませんから!」
「はあ」
九官鳥は自分で自分の言葉に興奮するタイプだったらしく、この際とばかりにヨネコさんの悪口をぎゃあぎゃあと吐き散らした。自分では上手だと思ってるかもしれないけど、みんな本当は仲間の中でも一番へたくそだと思ってる、とか、思いやりがない、とか、自分勝手だ、とかなんとか。文章については良く分からないが、思いやりがなくて自分勝手だという意見については大いに賛同したい。
「あのー、わたしにそれを言われてもですね……とりあえず本人に直接言ってもらえませんかねえ……」
「もういい! とにかく言うだけのことは言ったから、あとはそっちで勝手にして! さあ、マリアちゃん、帰りましょう」
ウシガエルは大きな体を縮めて、わたしに申し訳なさそうにペコペコと頭を下げた。ボロアパートの廊下が抜けてしまうのではないかと思うほどの足音をたてながら、九官鳥はドスドスと帰って行った。ヨネコさんもたいがいおかしいが、やっぱりそのまわりにいる彼女たちもかなりおかしいな、と改めて実感した。
寝る前に、そういえばウシガエルがマリアちゃんて呼ばれてたな、と、くだらないことがツボにハマってゲラゲラとひとりで笑った。
その翌週あたりから、ヨネコさんの憔悴具合はすさまじかった。ほとんど食事も食べられなくなったようで、さらに頬がこけ、顔色も悪く、まるで重病人のように見えた。我が家で出すお菓子にも食事にも、とうとう手をつけなくなった。むしろそれでも我が家に来ることだけは止めないのが不思議だった。
「ヨネコさん、大丈夫ですか? ちょっとヤバくないですか?」
「だって……みんなひどいんだもん……」
ヨネコさんはささくれ立った畳の上に突っ伏してわあわあと泣いた。九官鳥とウシガエルが我が家に来た日、それをヨネコさんに伝えた。九官鳥が延々と垂れ流した悪口もすべて伝えた。するとヨネコさんは、その日のうちに九官鳥とウシガエルに怒りのメッセージを送りつけたらしい。で、それが仲間内に広まって、気がついたらヨネコさんとサイト内でフレンドだった人たち全員からフレンドを解除され、ひとりぼっちになってしまったという。
「ひどいよ、みんなマリアちゃんとシオンちゃんの話しか聞かないで……ワタシだけ悪者にして……もとはといえば、ワタシが一番の被害者なのに!」
「はあ」
「それに、これ見てよ……」
それは白いコピー用紙に新聞の切り抜きを貼り付けて作られた文章で、今朝、ヨネコさん宅の玄関ポストに入っていたという。文面は『綾小路可憐はひとでなし』『ブサイクババア死ね』『生まれてきたことを詫びろ』というようなもので、全部で10枚ほどが乱雑に突っ込まれていたらしい。
「誰かがワタシの家まで来たのよ! なんで!? どうしてこんな目に遭わなきゃいけないの!?」
「まあ、悪戯ですし、気にしない方が……っていうか、住所って小説サイトのひとたちに教えたんですか?」
「教えたよ、だってオフ会の写真送ってくれるっていうんだもん」
「ああ……でもちょっと不用心すぎませんか? ほとんど見ず知らずのひとに住所とか教えちゃうっていうのは……」
「なんでワタシばっかり責められるの、うわああああん」
「あー、だから、もう前から言ってるみたいにやめちゃえばいいじゃないですか、そのサイト。時間が余ってしょうがないんならバイトでもなんでもすればいいし」
ヨネコさんはキッと顔をあげてわたしを睨んだ。
「嫌よ! いま辞めちゃったら、なんだかワタシが逃げたみたいになっちゃうじゃない。悪いことしてないもん。意地でも辞めないもん。それに時間が余ってしょうがないって、何よ。モモちゃんはアレでしょ? ワタシが働きに出れば、もうここに来る時間もなくなってスッキリすると思ってるんでしょ? そうはいかないわよ、子供もいないくせに、アンタだけのんびり暮らすなんて許せない! ずるい!」
このひとは自分で何を口走っているのかわかっているのだろうか。もともと根性のねじ曲がったひとだとは思っていたけど、本人の口から聞かされるとまた別の感慨が湧く。
結婚式の時も「ワタシたちは結婚式やっていないのにずるい!」とか言ってわたしのウエディングドレスにワインをぶっかけに来たし(そばにいたウエイターの子が助けてくれて未遂に終わったけど)、自分の旦那の収入と、うちの旦那の収入を比べて明らかにこっちのほうが多いのが気に入らないらしく「ふたりの生活でそんなにお給料いらないはず! こっちに仕送りしろ!」と騒ぎ立てたり(このときは義母が間に入っていさめてくれた)、結婚当初から散々なことをされてきている。
それでもわたしたちが暮らすのがこのボロアパートだと知ってからは、自分たちのほうがまだマシな場所に住んでいると言って嬉しそうだった。わたしたち夫婦は数年ここで我慢して節約生活を送った後に、お金をためて戸建て住宅を買う予定を立てている。でも、もちろんそんなことを言ったら何をされるかわからないので、ヨネコさんには何も話していないが。
「ヨネコさん、落ち着いて……あ、そうだ、とらやの羊羹があったと思うんですけど」
「いらない! うわああああん」
結局夕方まで好き勝手なことを叫びながら、ヨネコさんは泣き続けた。
その翌朝9時過ぎ、ヨネコさんは震えながら我が家の玄関で立ち尽くしていた。いつものようにずかずか上がり込んでも来ない。
「どうしたんですか? いつもより時間早いし……」
「こんな……こんなものが……」
ヨネコさんの手からバラバラと写真のようなものが何十枚もこぼれ落ちた。それはちょっと大変な場面を撮った写真で、よくわたしに見せる気になったなあと思うようなシロモノだった。
ヨネコさんが男性のペニスを咥えて笑っている写真。オールヌードで股を広げている写真。裸の男性の上に乗っかって腰を振っている写真。後ろからペニスを突っ込まれて泣き顔になっている写真。そのすべてに『綾小路可憐・村山米子は淫乱ババア』と印刷されている。村山米子はヨネコさんの本名で、写真の顔はたしかに全部ヨネコさんだが、良く見れば体は別人で意図的にコラージュして作られた写真であることがすぐわかる。
「だ、誰なの、ほんとに誰なの……こんなの、もし旦那に誤解されたらシャレにならないじゃない……」
「ヨネコさん、落ち着いて。警察行きましょう、警察。ね?」
玄関で泣き崩れるヨネコさんの手を引っ張ると、ヨネコさんは子供のようにイヤイヤと首を横に振った。
「だめよ、警察なんか行けない……モモちゃん、知ってるくせに」
「ああ、でも」
「もうどうしたらいいの……こんなのバラまかれたら近所も歩けなくなるわ……」
警察に行けない、というのは確かに理由がある。ヨネコさんは結婚当初からのストレスか何かで、あちこちのスーパーで万引きのようなことを重ねていた。『バレなければ何をやってもいい』というのが信条らしく、わたしにもその盗んできたお菓子や洗剤を自慢げに見せてきたことが何度かあった。一度、とうとう警備員に万引きが見つかって、何故かわたしがヨネコさんを引き取りに行くはめになり、一緒に平謝りに謝った。
そのときは店長の配慮でお金を払うことで警察沙汰は免れている。ただその後も病気のようなもので、ヨネコさんはちょこちょこそういうことを繰り返しているらしい。警察であれこれ聞かれるうちに、万が一そのことが発覚したら嫌だという心理はよくわかる。
「ヨネコさん、ここまでされる心当たりはないんですか? よく思い出してください」
「えぇ……? 無いわよ、わたし何にも悪いことしてないもん! もう、オフ会なんてやるんじゃなかった。絶対、絶対あのときの子たちの誰かがやってるに決まってる! ひどい、許さない!」
ただでさえ汚い顔が、涙で化粧が崩れまくって大変なことになっている。その顔を腕でぬぐって勢いよく立ち上がり、猛然と自分のノートパソコンに向かって何かを打ち込み始めた。後ろから画面を覗き込むと、どうやら例の小説サイトのメッセージ送信画面らしい。
『せっかく仲良くしてやったのに、恩をあだで返すなんてひどすぎる! やっていいことと悪いことの区別もつかないのか、この野蛮人!』
と打ち込んで、タッチパネルが壊れそうな勢いで送信ボタンをクリックした。
「ちょ、ちょっとヨネコさん、こんなのいきなり送っちゃダメですよ。っていうか、誰に送信したんですか?」
「ふん、サイトの中の知り合い全員よ。ざっと30人はいるかな。どうせもう続けていけないんだから、徹底的にやってやるわ。あいつらだけ楽しもうったってそうはさせないんだから」
他人を陥れようとしたり、何か悪だくみをしているときのヨネコさんはびっくりするくらいどす黒いエネルギーに満ちている。義父母もわたしの旦那も極めて普通のひとなのに、ヨネコさんはいったい誰の血をひいてこうなったのかと不思議に思うことがある。
ピコン、と音がして画面が光った。メッセージの返信が届いたらしい。案の定『わけのわからないことを言うな』『何かの間違いです』『失礼すぎる』という内容がほとんどだった。よせばいいのに、せっかく返信をくれたひとにもヨネコさんは汚い言葉を投げつけた。
『うそつき。キチガイ。おまえらの思い通りになんかさせないからな。覚悟しろ』
またそれを送信する。こうなってくるともうヨネコさん自身が嫌がらせ犯と同レベルかそれ以下になっていると思うのだけど、当然本人はそんなことに気がつくはずもない。
夕方まで飲まず食わずでそんなことを続け、ヨネコさんは「ケケケ」と奇妙な笑いを漏らしながら帰って行った。ちょっとおかしくなっている気配はあった。
ヨネコさんのとんでもない写真は、ヨネコさんの旦那、義兄の職場にも届けられていた。義兄はまったく小説サイトの件を知らなかったようで、ヨネコさんにまさかの浮気疑惑がかかって大変なことになったらしい。それは旦那が義兄に相談されて聞いてきた話で、ヨネコさんからは直接聞いていない。ヨネコさんは『モモちゃんなら、これが偽物だってちゃんと話してくれる』と言っていたらしいが、わたしに説明する義務はないので義兄には旦那から『知らないです』とだけ伝えてもらった。
あれ以来、もうヨネコさんは我が家に来なくなった。
小説サイトではもはや誰からも相手にされなくなり、しばらくするとあの写真がヨネコさんたちのアパートの廊下、階段、近所のスーパー、子供の幼稚園にまでばらまかれ、ヨネコさんの携帯電話に非通知の電話が何十件もかかり、実家にまで新聞の切り抜きで作られた文書と共に写真が届けられるにいたって、プライドだけは高いヨネコさんはとうとう壊れてしまった。いまはちょっと特殊な病院で経過をみるために療養しているらしい。
【ああ、疲れた】
ああ、疲れた。
わたしは自分の古くて動作のもっさりしたパソコンの画面を眺めた。そこには旦那の秘蔵エロファイルから抜き出した画像と、結婚式のときに撮っていた写真の中からヨネコさんの顔部分だけを切り取った画像がある。
最初は嫌がらせ犯に便乗して数十件のくだらない中傷コメントを入れた。それが思いのほか効果があったので、書き込みをどんどん増やした。オフ会を我が家でやるのを承諾したのも、何かヨネコさんにダメージを与える方法のヒントがないかを探るためだった。
嫌がらせ文書も、写真も、全部わたしひとりでやった。途中で少しでも自分の悪いところに気がついたなら、その時点でやめるつもりだった。でも違った。ヨネコさんは何も変わっていなかった。ちゃんと「心当たりはないんですか」って親切に聞いてあげたのに。
結婚してすぐ、わたしのお腹に赤ちゃんができた。ヨネコさんのところはふたり子供がいるが、女の子ばかりなので、こっちに先に男の子ができるのが嫌だとグズグズ言ってきた。まだ性別もわからないようなときだった。
「ワタシは何年も子供出来なくて悩んで苦しんだのに、モモちゃんはすぐに赤ちゃんできるなんてずるい!」
そう叫んで、わたしを駅の階段から突き飛ばした。ちょうど混んでいる時間帯で、見ていた人もヨネコさんが突き飛ばしたかどうかまではわからなかったらしい。転げ落ちながら、傍にいたひとたちにガンガンぶつかった。痛いとかいうよりも、恐怖だけが先に立った。
赤ちゃんは助からなかった。
あれ以来、ずっとヨネコさんに仕返しをする機会を狙ってきた。こんな形で叶うとは思わなかったが、これでほんの少しだけ気が晴れた。少なくともこれからしばらくは、ゆっくりとお昼寝ができる。でも、まだ許さない。
来週あたり、ヨネコさんのお見舞いに行こうと思う。ヨネコさんにどんなことをしてあげようか。ああ、楽しみ。
(おわり)
見事に騙された!!!
でも思いっきりスッキリしたw
マイマイのドス黒い話めっちゃ好き(´∀`*)
うほほ、読んでくれてありがとう!
こういう話をいっぺん書いてみたかったから、書いててすんごい楽しかった。
最後、「意外!」って思ってもらえたらこのお話は成功かな。ラストに関しては好き嫌い別れるところやと思うけど、この話は自分でも気に入ってるよー☆