マイマイのひとりごと

自作小説と、日記的なモノ。

【自作官能小説】汚れた教室~教室長マヤの日常~ 最終話

2013-03-19 10:29:38 | 自作小説
 母親たちは肩を寄せ合い、マヤの方を指さしながら、ひそひそと何事か囁きあっているように見えた。
 暗いままの車内で、田宮が楽しげに笑う。

「因果応報、って言葉。ねえ、先生なら知ってるよね? 悪いことをしたら、きっちり罰も受けなくちゃ」

「嫌よ、そんな……あっ!」

 ドアを開けて飛びだそうとした一瞬、剥き出しの太ももに鋭い痛みが走った。
 足を押さえて呻く。

 手に、ぬるりとした液体が触れる。

 滴る血液が、スカートと座席を汚していく。

「ほら、急に動いたりするから……さあ、みんなお待ちかねよ。馬鹿なこと考えずに、言うことを聞いて」

 ナイフの切っ先が閃く。
 皮膚の上、薄皮一枚だけを傷つけるようなやり方で、淡々と同じ場所を傷つけ続ける。
 焼けつくような激痛に、耐えきれずにマヤは泣きながら懇願した。

「痛い……わかったから、もう、やめて……」

「ねえ、先生。わたしね、ユリアちゃんのパパ、ちょっとだけ好きだったんだ」
「え……?」
 
高峰ユリアの父親。
 マヤが最初に、この職場で関係を持った相手。

「いい男だよね。いつだったか、偶然、先生とあのひとがホテル入るところ見ちゃった。許せないな、って思った。だって、先生は若くて、綺麗で、どんな男の人にでも好かれるじゃない。ずるいよね」

「それは……」

「わたしなんてさ、40超えても一回もデートもしたことないのに。いまだに処女よ? 笑っちゃうよね? どうせ陰で、ブスだのババアだの言って馬鹿にしてたんでしょ?」

 否定する間もなく、狂ったような勢いで田宮の言葉が吐き出される。

 それは妙に切実な響きを帯び、マヤは何も言い返すことができなかった。

「だから、ユリアちゃんのママが教室に来たとき、先生が見てない隙にお話したのよ。パパさんと先生、こんなことになってますよ、って」

 母親は、確実な証拠がほしいと言ったそうだ。
 必要経費、謝礼は十分に支払うとも。
 初めは高峰とのことだけを調べていた田宮だったが、そのうちにずるずると他の父親たちとの関係もわかってきたらしい。

「あとは同じ。ママさんたちに話して、お金をもらって、調べて。薄汚いよね、ひとのあらを見つけて商売にするなんてさ……自分にすごく似合ってるなって思った。ママさんたち、それなりに対面があるから、大騒ぎしたりはしなかったから助かったかな」

 いつか、みんなでまとめて仕返しをしてやろうと狙っていたようだった。
 ところが、盗聴を続ける中で、マヤが逃げようとしていることがわかり、焦った、と田宮は言う。

「だってさ、逃げられちゃ、わたしの商売も終わっちゃうでしょ? だから、今回は先生が逃げちゃう前に、みんなの腹立ちをぶつけてもらおうっていう、そういう趣向なの」

「趣向……」

「見ればわかると思うけど、ここは丘の一番上だし、まわりの家とも距離があるのね。で、防音もバッチリらしいから。せいぜい、みんなのストレスを発散させてあげてよ」

 殺されることはないはずだし、という田宮の言葉が終わる前に、助手席の窓ガラスがノックされた。
 ほの暗い月明かりの下で、早く出て来いというような身振りをしているのがわかる。

「さ、行きましょうか」

 田宮がマヤの背を押し、外に出るように促す。
 母親たちが車に近寄ってくる。
背筋が寒くなる。

冗談じゃない。
 こんなところで捕まって、ぐずぐずしている時間はないのに。
 こうしている間にも、社長たちが大騒ぎして、マヤを探し始めるに違いない。
 せっかく手に入れた金を、みすみす手放すのも惜しい。

 どうしよう。
 考えがうまくまとまらない。

「ねえ、逃げられるわけないでしょ? どうしてさっさと言うことが聞けないかなあ?」

 田宮の苛立った声の後、後頭部にガツンと衝撃を感じた。

 何か堅いもので殴られた、と思うと同時に景色がぐらりと傾いだ。

マヤはそのまま意識を失い、助手席のシートにぐったりと倒れ込んだ。


「……よ? ねえ、起きなさい」

「死んじゃったんじゃないでしょうね?」

「それは困るわ、殺人犯になんてなりたくないもの」

 パチパチと頬を叩かれる刺激で、マヤはうっすらと目を開いた。
 体のあちこちが痛い。

 間接照明がぼんやりと照らす室内。

 20畳はあろうかというような広さのリビングらしき場所には、凝ったつくりの調度品が散りばめられている。
 足に触れるワインレッドの毛足の長い絨毯も、さりげなく置かれている応接セットや花瓶なども、おそらく高価なものに違いない。
 

 マヤは痛みを堪えながら、ゆっくりと顔を上げた。
 まわりを囲む女たちから、ほう、と安堵のようなため息が漏れる。

「よかった。死んじゃったかと思ったわ」

「ほんと。簡単に死なれたんじゃ、つまらないものね」

 ひとりが笑いながら近付いてくる。

 白いレースで飾られた上品なワンピースが視界に入る。

「楽しかった? ひとの旦那に手を出して」

 顎を思い切り掴まれ、無理やりに顔を正面に向けられた。
 
 写真に撮られていた場面が蘇る。
 公園での情事。

 あのときの相手、松山の妻がそこにいた。
 怒りに顔を歪めながら叫ぶ。

「家では、全然わたしの相手なんてしてくれないのに……あんたを抱くときはあんなに嬉しそうな顔して……絶対に許せない!」

 バチン、と大きな音を立ててマヤの頬を強く打つ。
 ふらりと体が揺れる。

 部屋の反対側の壁にある窓ガラスに、全裸で柱に縛り付けられている女の姿が映っている。
 両手を真上に上げ、足を両側に大きく開き、細い縄のようなものを幾重にも巻きつけられた哀れな格好。

 形の良い乳房もきつく縛りあげられたせいで歪み、妙に乳首とそのまわりだけが強調されている。
 両足は曲げられたままで縄が掛けられ、陰部の奥までのぞけるほどに開かれた状態だった。
 自らの体重で下にひっぱられ、少し動くたびに縄がぎゅうぎゅうと体を締めつけてくる。
 あちこちが擦れて痛い。 

 そこで初めて、マヤはそれが自分の姿であることに気がついた。
「やっ……こんな、やめてよ! 早く……下ろして……!」

 掠れた声をあげるマヤに、嘲笑が浴びせられる。

「うふふ、何人も男を咥え込まないと満足できない体なんでしょう? だから、今日はみんなで満足させてあげようと思って」

「そうよ、感謝してほしいくらいだわ」
「勝手なことばかりして……どんなことをしてあのひとを寝取ったの?」

 女たちが一斉にマヤの傍に寄ってくる。
 戦慄が駆け抜ける。
 高峰の妻が、ゆっくりと手を伸ばす。

 艶々と輝く、赤い爪。
 それがマヤの胸にかけられた縄を静かになぞる。

「うちのひと、いい男でしょう? でも、ひとのものに手を出しちゃいけないのよ、先生」

 恐怖のせいなのか、夕方に口に含んだ媚薬のせいなのか、薄桃色の乳首は固く尖ったままだった。
 羞恥に顔を背けた瞬間、ぎりぎりとそこを捻りあげられる。

「あああっ!」

 加減のない強さに、マヤの体がのけ反る。
 縄がまた一段食い込む。

 尻から陰部まで縦に掛けられた縄は、クリトリスの周辺を圧迫していく。
 きゅう、と締まる感覚に、マヤの意識とは無関係に体が反応する。
 じゅん、と足の間が熱くなる。

「ちょっと待って、ねえ、まさかこんな状況でも濡らしてるの? さすが淫乱よね」

 赤い爪先がピンピンと乳首を弾き続ける。

「嫌だ、汚らしい……こんな女のどこがいいのよ」

 別のところから伸びた手が、ぎゅうぎゅうと乳房を絞りあげる。
 ナイフで傷つけられた足を叩かれ、悲鳴をあげると、さらにきつくもう一度叩かれた。
 髪の毛をつかんで揺さぶる手。
 頬を何度も打つ手。
 陰部を尖った靴の先で蹴りつけてくる足。

「痛っ……もう……やめ……て……」

 痛みと、その下にある、感じるはずのない快感。

 動けば動くほど縄が締まる。

 何をされても、ただ唇を噛んでじっと我慢するしかない。
 部屋の端で、にやにやしながら田宮がマヤを見つめている。

 これ以上ないほど、蔑みを含んだ視線で。

「こんなものが、主人の部屋にあったんだけど」

 皆の手が止まる。
 佐伯の妻が一歩前に出る。

 教室で会った時には、おどおどとして頼りなげな雰囲気だったが、今は怒りが先立つのか、般若のような形相でマヤを睨みつけていた。

 その手にあったのは、佐伯がマヤとの戯れに使ったバイブレーター。
 巨大な男性器を模したそれが、スイッチを入れられ、振動音と共にグロテスクにうねる。
 狂った雰囲気に酔う女たちの輪から、嬌声があがった。

「あはは、こんなすごいの使ってたの? ていうか、普通こんなの入る?」

「ガバガバなんじゃない? やりまくってるから、そんなのじゃないと満足できないんでしょ?」

「試してみればいいわ。本当に、入るのかどうか」

 女たちの視線が、マヤの股間に注がれる。
 そこに掛けられた縄がぐいっと左右に寄せられ、また締め付けられる。

真っ赤に熟れた女陰が、無防備に晒される。

「ちょっと、あんたのココ、おかしいんじゃないの? もうドロドロじゃない」

 バイブレーターの先端が、敏感になりすぎた割れ目に押し当てられた。
 
亀頭を模した部分が、陰唇を前後に擦りあげていく。

 誰かの細い指先が、クリトリスを包み込む皮膚を押し広げた。 
 剥き出しになった淫豆に、強烈な振動が容赦なく与えられる。 

「いやあああああああっ!」

 あまりの羞恥に、マヤは痛む体を捩り、涙を流しながら懇願した。

「お願い、もう、やめてください……お願いします……」

「はあ? 今からがいいところなんじゃない……ほら、こういうのが好きなんでしょ?」

「きっと刺激が足りないのよ。奥まで突っ込んじゃえば、アンアン言って悦ぶんじゃないのー?」

 誰かが発した言葉に、皆が手を叩いて爆笑した。

 上等の服やアクセサリーを身につけ、上品な顔をした、主婦の群れ。

 裸で縛られた女。

 強烈な違和感。

 壊れた空気。

 いま、部屋の中はどんなに残酷なことをしても、許される雰囲気が満ちていた。

 怖い。

 まるで、狂人の集団に放り込まれたようだった。

「いくわよ……暴れたりしたら、承知しないから」

 ぐぐっ、と異物が秘肉をその形に押し広げながら、体内に侵入してきた。

 機械的な振動が、膣道をグイングインと揺さぶりだす。

 一番深い部分からとろとろと蜜が流れ出し、皮肉にも、よりいっそう奥までバイブを咥え込もうとする。

 自身の意識とは裏腹に、マヤの中の女の部分が反応し、ひくん、ひくん、と、腰のあたりを痙攣させる。

「いや……抜いて、抜いてええええっ!」

「やだ、気持ち悪い。腰振ってるとか、ありえないんだけど……ああ、もうちょっとで全部入っちゃう」

「あ、いや、やめて……んっ……! あ、あ……っ!」 

 ずん、ずん、とバイブを持った手が、滅茶苦茶な強さで突き上げてくる。

 頭がぼんやりとし、視覚も聴覚も、すべてがあやふやになってしまう。

「……いやらしい女。もう、死ねばいいのに」

 誰かがマヤの髪をつかみ、拳で頬を殴った。

 唇の端が切れる。

 また、別の誰かがハサミを手に向かってくる。

不気味に輝く銀色のそれを、マヤの艶やかな髪にあてがう。

 ジョキッ、ジョキッ。

 耳障りな音と共に、いままで体の一部だったものが、パサパサと無残に落ちていく。

「ねえ、耳もついでに切っちゃえば。この耳が無けりゃ、主人と浮気の電話をすることもないだろうし」

「そうよ、こんな目もいらないわ。色目を遣うしか、脳の無いメスガキが」

「あそこの毛も燃やしちゃおうか。ここが、ぐちゃぐちゃになれば、もうあのひともエッチしようなんて思わないわ、きっと」

 バイブを持っていた手が離れる。

 ごとり、と音がして、まだ振動を続けているそれが床に転がった。

 じりじりと、母親たちが距離を詰めてくる。

 シュッ、とマッチを擦る音。

 火薬の匂い。

 本能が、間近に迫りくる『死』の恐怖を感じ取った。

 マヤはもう、逃げたいとは思わなかった。

 自業自得、よね……。
 ここで楽になれるなら、別にそれでも構わないわ……。

 残していく母親のことだけが、気にかかる。

 それも、もう、どうしようもない。

 ふうっ、と息をついて、全身の力を抜く。

 耳に、ハサミの刃が触れる。

 金属のひんやりとした感触。

これから与えられる激痛を、容易に想像できた。

さよなら。

 誰への言葉なのかもわからぬまま、マヤは小さくそれだけを呟いて、再び瞳を閉じた。


「えっ? あ、あなた……」

「そんな、ど、どうして……?」

 いつまでたっても、痛みはやってこない。

 目を開くと、ひとりもマヤのことを見ている者はいなかった。

 全ての視線は、窓の外に注がれている。

 暗い景色の中、点在する庭の明かりと、この部屋から漏れる光に、これもまた、見慣れた顔が照らし出されていた。

 コンコン、と窓ガラスがノックされる。
 冷静というよりは、氷のように冷たい低音の声が耳に届いた。

「玄関を開けなさい。今すぐにだ」

 マヤの無謀な計画を知る、たったひとりの男。
 佐伯が、そこに立っていた。

 その背後には、数人の男たちが腕組みをして、ずらりと並ぶ。

 高峰がいる。松山もいる。

 この顔ぶれからして、おそらくこの部屋に入る女たちの旦那たちが勢ぞろいしているのだろう。

 まず、動いたのは佐伯の妻だった。

 どたばたと玄関へまわり、鍵を開ける音。

 他の妻たちも、後ろに続く。

 部屋の片隅では、田宮が呆気にとられた表情で、それを眺めていた。

「ちがうの、あなた、みなさんがどうしてもって言うから……」

「言い訳は聞きたくない。君がしていることは、犯罪だぞ」

「ふ、不倫みたいな最低のことをしていたのは、そっちじゃない! 何よ、えらそうに」

「俺が、おまえの昼間の行動を知らないとでも思っているのか? 浮気に、会社の金の遣い込み……全部証拠はそろっているぞ」

 金切り声と、怒号が割れんばかりに響き渡る。
 誰が何を言っているのか、うまく聞き取ることができない。

 ドスドスという足音が近付き、大勢の人間が部屋になだれ込んでくる。

 男たちの、驚愕した表情。

 女たちの、気まずそうな態度。

 マヤはすぐに戒めを解いて床に寝かされ、佐伯のジャケットを被せられた。
いつに変わらぬ、落ち着いた態度。
「大丈夫かい? みんなを集めてくるのに、少々手間取ってしまってね」

「パ、パパ……どうして、ここが……」

 佐伯はその質問には答えず、マヤを抱きあげて立ち上がり、他の男たちに目配せをした。
 皆が一様に、わかった、というようにうなずく。

「とにかく、彼女を病院に連れていく。君とは帰ったら、今後のことを含めてしっかりと話し合うつもりだから、覚悟しておくように」

「そ、そんな、あなた……」

 佐伯のきっぱりとした言葉に、妻はおろおろとうろたえるばかりだった。
 そしてまた、他の女たちも同様に複雑な表情でうつむいている。

 佐伯はマヤを抱きあげたまま、その重苦しい空気が充満した部屋を後にした。


「もう少し、早く来れるかと思ったんだが……まさか、あんなことになっていたとはね」

 街灯を反射してキラキラと輝くボンネット。
 自慢の真っ赤なイタリア車にマヤを乗せ、佐伯は真夜中の国道をすいすいと走り抜けていく。

「なに? どうして場所がわかったの? ……もう絶対、終わりだって思ったのに……」

「盗聴はね、あの田宮という女だけの特権じゃないってことさ」

「と、盗聴? パパも、わたしのことを?」

「ああ。とは言っても、君を縛るためじゃない。大事な『娘』を、万が一のときには助けに行こうと決めていただけだよ」

 佐伯からもらった、小さなお守り袋。
 そこには、GPSを内蔵した盗聴器が仕込んであったらしい。

「でも……パパ、奥さんにあんなこと……悪いのは、わたしのほうなのに」

 佐伯は寂しげに笑った。

「いや、あいつは僕の資産だけが目当てだったようだ。ずいぶん前から、僕の会社の金に手をつけているのは知っていた。それを、若い男に貢いでいる。見ないふりをしてやっていただけだよ」

「本当に……?」

「ああ。もう、夫婦生活はずいぶん前に破綻していた。それでもタケルのために、体面を保とうとしたのが馬鹿だったな。マヤのことは、ただのきっかけに過ぎない」

 信号が赤に変わる。
 軽く背伸びをした佐伯から、いつもと同じ、しっとりと甘い香水の匂いが漂ってきた。

「君はきっと、手助けされることを嫌がるだろうと思った。でも、みすみす君の命を奪われてしまったら、僕は自分のことを一生許せなくなる。田宮という女の言葉と、聞こえてきた会話で、だいたいの状況はわかったからね……余計な世話、だったかい?」

「ううん……でも、高峰さんたちまで一緒に来たのには、びっくりしたわ……」

「あはは、あの状況を収めるには、旦那たちを連れていくのが早いかと思ってね。関係している男たちの名前は、以前から君に聞いていたし。この年になって恥ずかしいが、親と親類の名声を利用させてもらった。このあたりで会社経営をしている人間なら、いうことを聞かない阿呆はいないだろう」

「そうだったの……」

 佐伯の一族は、いまやあらゆる業種に根深く絡みつき、表でも裏でも、その力は強大なものになっているらしい。
 ただ、それは自分には関係の無いことだ、と佐伯は笑う。

 再び信号が変わり、車が流れ出す。
 手が、きゅっと握られる。
 ふれた手のひらはひどく温かくて、マヤは自分の体が冷え切っていることに気がついた。

「それから、君の会社の社長たちのことだがね。案の定、金を奪われた、裏切られた、と大騒ぎしていたよ。こちらには、別の筋から、元の金額以上のものを渡すように手配しておいた。その代わりに、水上マヤには二度と関わるな、ってね。だからもう、社長たちから追手がかかることはない」

「そんなことまで? パパ、どうして、そこまで」

「出会ってすぐの頃から、僕は君を助けたいというか……必要なものを、なんでも与えてやりたいと思っていた。でも、君はそういうことを嫌うだろう。一方的に、援助のようなことをされるのを」

「ええ……」

 男たちとは、できれば対等な関係でいたかった。
 もたれかかるようなことをすれば、それは破綻を早めるような気がした。
 
 自分の力で、どうにか這い上がりたいというような、マヤの意地もあったのかもしれない。

 ふたりとも、ふっと口をつぐんだ。

 車はそのまま、30分ほど国道を走り続け、やがて、海沿いにある小さな公園の駐車場で静かに止まった。

 佐伯は、マヤのほうを見ず、正面に視線を向けたままで呟く。

「君は、これからどうしたい?」

「これから……」

「僕は、君が望むなら、全てを捨てて、一緒に逃げてもかまわないよ」

「パパ……」

「ずっと、そばにいたい。君を、一生守っていきたい。どれだけ言葉を尽くせば、伝わるのかわからないが……本当に、そう思っている。初めは遊びだったんだが、おかしなものだね」

 マヤは答えられない。

 その気持ちは、感謝してもしきれないほどありがたい。
 でも……。

「わたしは……」

 そんなふうに、思ってもらえる人間じゃない。
 身勝手で、汚い、死に損ないの女。

 どう言えばいいか迷っているうちに、佐伯が困ったような笑みを漏らした。

「……ああ、僕は少し疲れたようだ。ここで朝まで眠ることにするよ」

「えっ……?」

「そうそう、この車のトランクには、偶然、女性の洋服が何枚か入っているんだ。偶然、だよ。帽子や靴、サングラスもあったかな? それに、白いボストンバッグには、三百万ほど入れっぱなしになっていたような気もするね」

「パパ……」

「うっかりトランクを開けっぱなしで眠ってしまいそうだ……さあ、寝るぞ。もう、僕には何も見えないし、聞こえない」

「あ、ありがと……ありがとう……」

 わざとらしい寝息を立て始める佐伯に、マヤは涙が止まらなくなった。
 
 体に巻き付けていた、佐伯のジャケットを脱ぐ。

 トランクの中には、いま聞いた通りのものがびっしりと詰め込まれていた。
 どれもが新品で、つい最近、買いそろえてきたものに違いない。

 このまま立ち去っても、佐伯はマヤを恨むようなことなどない。
 わかっているのに……。

 大きく歪んだ、溢れる愛情。
 それをひしひしと感じながら、マヤはトランクのふちに手をかけ、その場にしゃがみこんで、いつまでもいつまでも泣き続けた。

 朝が来るまでには、まだ少し、時間が残されていた。

(おわり)


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