9月の終わりごろ、次男が義母の誕生日を祝おうと
うなぎを食べに~と言ってきました。
私はうなぎは苦手なので遠慮していたのですが、
義母は楽しみにしていたらしく。
服を着替えようとしたときに、転んでしまい、
腰を強く打ってしまい、痛くて食べにはいけないと、
当日の朝になって始まってしまいました。
わざわざ帰ってきた次男は、何とか祝いたいと、
お弁当を買ってきて、旦那君と3人でお祝いしたようです。
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その後、お医者さんには連れて行くのですが、
その薬では痛みがおさまらないと、
昼でも夜でも旦那君を呼び出す始末。
旦那君もほとほと疲れてしまい、
しばらくは頑張ったけど、入院してもらうことに。
退院したらこの家に、と言っていたので、
旦那君の準備を邪魔しないように、協力を~のつもりでした。
土曜日、友達とカフェでランチの約束だったので、
美容院で髪を染めてもらい、急ぎ向かいました。
道に迷ってしまい、時間には遅れましたが、
私自身は楽しい時間を過ごしてました。
その帰り道に、旦那君から「今どこにいるの」と電話があり、
義母の病院の方たちに食べてもらうお菓子を買って
家に向かうところ、と返事をすると、
「脳梗塞を起こしてしまい、半身不随状態」と言われ。
私は、運転中はそれほどのショックを受けていませんでした。
旦那君の分のお弁当のみスーパーで購入し、
私自身はカップ焼きそばを食べてました。
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結局、その日は病院の面会時間に間に合わず、
日曜日に出かけます、ということに。
長男に電話してみると、別人のような声。
まあ、そうだよね、と形ばかりの励ましの言葉を。
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義母のいる病院は、
面会時間が短く、そのうえ、週に2人までという制限があり。
仕方ないとはいえ、不便すぎる。と思っていました。
日曜日、病院に向かい、看護婦さんに義母の撮影をしてもいいか、
と聞いてみると、院長に確認します、と。
しばらく待たされた結果、撮影は不可、
でも、週に2人ではなく、1日1人の面会の許可が出ました。
本当に良かった。
私が病室を訪れると、義母は寝ていました。
スースー寝息が聞こえ、特に重病人には見えませんでしたが、
目を覚まして、口を開けてももう言葉にはならない状態でした。
決して苦しそうでも痛そうにも感じなかったので、
ほっとはしたのですが、涙があふれて止まりませんでした。
これまで、私は、
旦那君が介護するのだからと、何も手伝いをしませんでした。
その後悔というか申し訳ない気持ちがあふれてきたようです。
看護婦さんに頭を下げて、よろしくお願いしますと。
お菓子も受け取らないとおっしゃるところを、無理やり手渡しし。
もうしないでくださいね、といわれたことに、
ああこういうことも迷惑な時代なんだなと、
さらに涙が出そうでした。
義母は、多少の認知は出ていましたが、
決して、迷惑な行為をするようなことはなく、
旦那君や親族が順番で面会に行けるようになったので、
コミュニケーションさえ取れていれば、
さびしくもないだろうし、何とか過ごせるだろうと思われます。
見舞客の接待不要のいい時代になったということなんですが、
看護婦さんの負担や入院する患者さんはどうなんでしょうね。
それもその方が楽なんでしょうかね。
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私自身は、病気にならないように
しっかり仕事ができたり、家族のフォローができるようなら、
それでいいのかなと、そうでありたいなと。