こんにちは、司法書士・ペット相続士の金城です。
原則として土日にブログをアップしていますが、今日は休みを取っていますので、ブログをアップしたいと思います
中国や韓国では、未だに犬肉を食べる文化が残っているようです。
現在では信じられないことですが、日本でも江戸時代の中期までは、普通に犬肉を食べる習慣があったようです。
ルイス・フロイスという宣教師がいます。キリスト教伝道のために1562年に来日し、織田信長や豊臣秀吉とも面会したことがある人物です。
フロイスは1585年に『日欧文化比較』という小冊子を著しています。
『日欧文化比較』の中の、日本とヨーロッパの食文化を比較した箇所に、次のような記述があります。
「ヨーロッパ人は牝鶏(メスのニワトリ)や鶉(ウズラ)・パイ・プラモンジュ(デザートの一種)などを好む。日本人は野犬や鶴・大猿・猫・生の海藻などをよろこぶ」
「われわれは犬を食べないで、牛を食べる。彼らは牛を食べず、家庭薬として見事に犬を食べる」
上記のとおり、フロイスが日本を見聞したところによれば、豊臣・織田時代には犬食が普通であったのみならず、猫や猿まで食べる食文化があったことになります。逆に、昔の日本には牛を食べる食文化がなかったことも明らかになります。
もともと、日本は中国文化の影響を強く受けていて、中国から漢字や儒教などが伝わった際に、犬食文化も伝わったのではないかと考えられています。
日本にも犬を食べる食文化がありましたが、江戸幕府の5代将軍・徳川綱吉が1685年に「生類憐みの令」を出したことにより、犬食をタブー視する風潮が強まっていき、やがて犬食文化が消滅することになります。
ただ、「生類憐みの令」によって直ちに犬食文化が消滅したというわけではないようです。
江戸時代中期の兵学者、大道寺友山重祐(だいどうじゆうざんしげひろ)(1639-1730)が1727年に発表した『落穂集』という書物があります。
『落穂集』には、次のような記述があるようです。
「江戸の町方に犬はほとんどいない。武家方 町方ともに、江戸の町では犬は稀にしか見ることができない。犬が居たとすれば、これ以上のうまい物はないと人々に考えられ、見つけ次第撃ち殺して食べてしまう状況であったのである。」
以上の『落穂集』の記述によるならば、「生類憐みの令」を出した綱吉の没後、少なくとも18世紀初頭ぐらいまでは、犬食文化が廃れることはなかったようです。
ちなみに、現在の日本で犬を食べることなど考えられませんが、世界で食用目的にされている犬は、1年間で2,000万~3,000万頭にのぼるとの統計があります。
クジラを食べる食文化を有する日本は、世界から批判されていますが、犬食や豚食・牛食など、他国の食文化を批判することは控えるべきなのかも知れません。非常に難しい問題だと思います。
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