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宗教の真実度 その5

●教義の変質
キリスト教のバイブル、仏教の経典、イスラム教のコーランなど、それぞれの宗教には教典がある。イエスも釈迦も存命中に教典にまとめて後世に伝えよとは言わなかった。教典とは開祖の教えや普段の言動を後世の弟子達がまとめたものである。その教典を元に、細かい解釈を加え論理的に体系化したものが教義である。したがって教典編纂者や解釈を行う者の主観がどうしても入り込む。教義の真実度が、後世まで高レベルを保っていく為には、教典編纂者や解釈者の開祖の教えに対する理解度と魂のレベル(霊格)の高さが重要となるのだ。

開祖が没後数百年も経ってまとめられた教典や教義は伝承につぐ伝承の産物であって、経年的な変質は避けられない。ましてや、めでたく国家宗教となって権力に手厚く保護された宗教など、バチカンの堕落ぶりを見るまでもなく、時の権力者に都合の良い、我田引水的な改竄や捏造が行われるのは当然の理であった。

同一宗教であっても、後世の指導者達の教典に対する解釈の違いによって、新しい宗派が誕生する。宗派同士が共存しているうちは良いのだが、やがて宗派間の覇権争いが起こり、精神の同族同士による血で血を洗う悲惨な争いが繰り広げられる。キリスト教しかり、仏教しかり、イスラム教しかり、歴史がその事実を証明している。開祖が身を挺して人を救う為に説いた教えが、人々を苦しめる種になるという、真に皮肉な結果を招いているのである。

●教祖の神格化
世界四大宗教の成立後の後世に起こった宗教にも、開祖の説く教えや開祖自身の霊格が素晴らしいと思われるものは多数ある。しかし開祖が亡くなると、途端に教団が堕落していく傾向が顕著に見られる。開祖の人物や能力が素晴らしければ素晴らしいほど、弟子や信者は開祖をとかく神格化したがる。開祖自身は何も言っていないのに、熱狂的な信者達は「うちの教祖は釈迦(キリスト)の生まれ変わりである」と勝手に喧伝してしまうのである。教祖を崇敬するのは良いのだが、度が過ぎると贔屓の引き倒しとなる。まして教祖自らが「釈迦やイエスの生まれ変わり」であると豪語する教団は、200%怪しいと考えた方が良いであろう。

●魂のレベルは遺伝しない
開祖が亡くなった後、開祖の肉親から後継者を選ぶ教団も怪しい。幹部信者にしてみれば、教団の統制と存続を行っていく上で、二代目教祖の権威付けが必要なのだろう。しかし霊的真実からみれば、子孫は肉体のDNAは受け継いでいても、魂のレベル(霊格)は遺伝しないのである。親子、兄弟といえども魂の系統は別物である。

その一例を挙げてみよう。釈迦には妻子がいたことは歴史的な事実である。その妻や子は釈迦が教団を結成した後、入信して釈迦の弟子となった。しかし釈迦も教団も妻子を特別扱いはしなかったようである。釈迦も高弟達も魂の本質を十分に理解していたのである。

宗教にとって真に必要なものは「教えの真実度」であって、世俗的な「権威」ではない。宗教は能や歌舞伎のように文化や技を継承する家元制度とは天と地ほども性格が異なる。その本質に気づきもしない教団など、避けて通るのが身のためである。

次回に続く

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